夏目漱石「三四郎」本文と解説11-4 通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いてゐる。それが、みな同じ方向へ行く。悉く急いで行く。寒い往来は若い男の活気で一杯になる。
◇本文
夜中からぐつすり寐た。何時もの様に起きるのが、ひどく辛かつた。顔を洗ふ所で、同じ文科の学生に逢つた。顔丈は互に見知り合ひである。失敬と云ふ挨拶のうちに、此男は例の記事を読んで居るらしく推した。然し先方では無論話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかつた。
暖かい汁の香を嗅いでゐる時に、又故里の母からの書信に接した。又例の如く長かりさうだ。洋服を着換へるのが面倒だから、着たまゝの上へ袴を穿いて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光つた。
通りへ出ると、殆学生 許歩いてゐる。それが、みな同じ方向へ行く。悉く急いで行く。寒い往来は若い男の活気で一杯になる。其中に霜降りの外套を着た広田先生の長い影が見えた。此青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調に於て既に時代錯誤である。左右前後に比較すると頗る緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨人の傘の様に枝を拡げて玄関を塞いでゐる。三四郎の足が門前迄来た時は、先生の影が、既に消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台 許であつた。此時計台の時計は常に狂つてゐる。もしくは留つてゐる。
門内を一寸覗き込んだ三四郎は、口の内で、「ハイドリオタフヒア」と云ふ字を二度繰り返した。此字は三四郎の覚えた外国語のうちで、尤も長い、又尤も六つかしい言葉の一つであつた。意味はまだ分からない。広田先生に聞いて見る積りでゐる。かつて与次郎に尋ねたら、恐らくダーターフアブラの類だらうと云つてゐた。けれども三四郎から見ると、二つの間には大変な違ひがある。ダーターフアブラは躍るべき性質のものと思へる。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさへ暇が(い)る。二返繰り返すと歩調が自ら緩慢になる。広田先生の使ふために古人が作つて置いた様な音がする。
学校へ行いつたら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めてゐる気色がした。戸外へ出様としたが、戸外は存外寒いから廊下にゐた。さうして講義の間に懐から母の手紙を出して読んだ。
此冬休みには帰つて来いと、丸で熊本にゐた当時と同様な命令がある。実は熊本にゐた時分にこんな事があつた。学校が休みになるか、ならないのに、帰れと云ふ電報が掛かつた。母の病気に違ないと思ひ込んで、驚ろいて飛んで帰ると、母の方では此方に変がなくつて、まあ結構だつたと云はぬ許に喜んでゐる。訳を聞くと、何時迄待つてゐても帰らないから、御稲荷様へ伺ひを立てたら、こりや、もう熊本を立つてゐるといふ御託宣であつたので、途中で何うかしはせぬだらうかと非常に心配してゐたのだと云ふ。三四郎は其当時を思ひ出して、今度も亦伺ひを立てられる事かと思つた。然し手紙には御稲荷様の事は書いてない。たゞ三輪田の御光さんも待つてゐると割註見た様なものが付いてゐる。御光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰つたさうだ。又御光さんに縫つて貰つた綿入が小包で来るさうだ。大工の角三が山で賭博を打つて九十八円取られたさうだ。――其顛末が委しく書いてある。面倒だから好い加減に読んだ。何でも山を買ひたいといふ男が三人連れで入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を廻つてあるいてる間に取られて仕舞つたのださうだ。角三はうちへ帰つて、女房に何時の間に取られたか分からないと弁解した。すると、女房がそれぢや御前さん眠り薬でも嗅がされたんだらうと云つたら、角三が、うん左う云へば何だか嗅いだ様だと答へたさうだ。けれども村のものはみんな賭博をして巻き上げられたと評判してゐる。田舎でも斯うだから、東京にゐる御前なぞは、本当によく気を付けなくては不可いと云ふ訓戒が付いてゐる。
長い手紙を巻き収めてゐると、与次郎が傍へ来て、「やあ女の手紙だな」と云つた。昨夕よりは冗談をいふ丈元気が可い。三四郎は、
「なに母からだ」と、少し詰らなささうに答へて、封筒ごと懐へ入れた。
「里見の御嬢さんからぢやないのか」
「いゝや」
「君、里見の御嬢さんの事を聞いたか」
「何を」と問ひ返してゐる所へ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符を欲しいといふ人が階下に待つてゐると教へに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行つた。 (青空文庫より)
◇解説
さまざまな「刺激」(11-3)から、「夜中」まで寝られなかった三四郎だが、それ「からぐつすり」「寐」ることができるのは若さだ。それにも関わらず、「何時もの様に起きるのが、ひどく辛かつた」という矛盾した状態に彼はある。
下宿の「顔を洗ふ所で」「逢つた」「同じ文科の学生」は、「例の記事を読んで居るらし」い。「先方では無論話頭を避け」、「三四郎も弁解を試みなかつた」。下宿にまで妙な空気が漂う。
「暖かい汁の香」は、地方から上京した学生にはありがたい。それは「故里の母」を想起させるだろう。母「からの書信」は、「又例の如く長かりさうだ」。
「洋服を着換へるのが面倒だから、着たまゝの上へ袴を穿いて」とは、今なら部屋着のスウェットの上にそのまま服を着た様子。「戸外は薄い霜で光つ」ており、その服装は暖かくてよいかもしれない。
「通りへ出ると、殆学生 許歩いてゐる。それが、みな同じ方向へ行く。悉く急いで行く。寒い往来は若い男の活気で一杯になる」
…これが大学生の日常であり、三四郎にとっても本来の姿だ。未来へ向かって進む大学生たち。
「其中に霜降りの外套を着た広田先生の長い影が見えた。此青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調に於て既に時代錯誤である。左右前後に比較すると頗る緩漫に見える」
…周囲の若い学生たちに比して年齢的にもだいぶ上であり、また、さらに進んで言うと、その知識・教養も大学の研究者たちに比べると「時代錯誤」である様子。その「緩慢」さが広田の美点であると同時に、大学教授になるには年齢を重ね教養も不足していることの暗示。
「門内に大きな松がある。巨人の傘の様に枝を拡げて玄関を塞いでゐる。三四郎の足が門前迄来た時は、先生の影が、既に消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台 許であつた。此時計台の時計は常に狂つてゐる。もしくは留つてゐる」
…三四郎の行く手・将来を「塞」ぐような松。それは、学問の世界への彼の進行を防げる。
「時計」が「常に狂っている」のでは、現在もわからず未来も見通せない。「留つてゐる」に至っては、学問も学生たちの未来もすべてが停止・停滞している様子。
学問の「門内を一寸覗き込んだ三四郎は、口の内で、「ハイドリオタフヒア」と云ふ字を二度繰り返した」。学問の道は「長」く「六つかしい」く、その持つ「意味はまだ分からない」。広田先生はその糸口となるが、「与次郎に尋ね」ても無駄だろう。「死」について書かれた「ハイドリオタフヒア」と言う語に触れると、「歩調が自ら緩慢になる」。広田はそちらに一番近い。三四郎はそちらにはまだ近寄りがたい。
三四郎は「講義の間に懐から母の手紙を出して読んだ」。
「此冬休みには帰つて来いと、丸で熊本にゐた当時と同様な命令がある」。母の中で三四郎は、まだ幼い頃のままで時間が止まっている。熊本の中学校にいたころ、「何時迄待つてゐても」息子が帰省せず、「御稲荷様へ伺ひを立て」る母は迷信の世界に住む。しかし今回の手紙には、「御稲荷様の事は書いてない」ため、母も少しは進歩したと見える。
「たゞ三輪田の御光さん」は今でも三四郎を「待つてゐる」。なお、御光が「豊津の女学校」に通っていたという情報はここで初めて示された。彼女も地方の学校に通う学力・知識と実家の財力がある人だった。しかし女学校を「やめて、家へ帰つた」ということは、三四郎との結婚を早く・強く望んで待っていることを示す。その表れが、「御光さんに縫つて貰つた綿入」だ。彼女の愛が三四郎のもとに届こうとしているが、彼には不要なものだ。
上京の折に見知らぬ女と泊まった宿の宿帳に、三四郎は「福岡県京都郡真崎村」(1-3)と書いた。豊津は福岡県京都郡にあった村。
次に、「大工の角三」が「山で賭博を打つて九十八円取られた」と、田舎者の愚かさが描かれる。
御光さんも角三も、近代都市に住む三四郎には、今となっては遠い存在だ。だから、「其顛末が委しく書いてあ」っても彼の心は動かない。「面倒だから好い加減に読」むことになる。「田舎でも斯うだから、東京にゐる御前なぞは、本当によく気を付けなくては不可いと云ふ訓戒」も不要だ。
三四郎の住む世界とは全く違う場所から届いた「長い手紙」は「詰ら」ない。
「君、里見の御嬢さんの事を聞いたか」という佐々木の言葉はとても気になったが、ある学生が、「演芸会の切符を欲しいといふ人が階下に待つてゐると教へに来て」「与次郎はすぐ降りて行つた」。
切符売りは、佐々木のアルバイトか。それとも、新しい芸術活動への参加か。