夏目漱石「三四郎」本文と解説11-3 三四郎は床にはいつてから度々寐返りを打つた。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎に来て連れて行つた立派な男――色々の刺激がある。
◇本文
「何故、君の名が出ないで、僕の名が出たものだらうな」
与次郎は「左うさ」と云つてゐる。しばらくしてから、
「矢っ張り何だらう。君は本科生で僕は撰科生だからだらう」と説明した。けれども三四郎には、是が説明にも何にもならなかつた。三四郎は依然として迷惑である。
「全体僕が零余子なんて稀知な号を使はずに、堂々と佐々木与次郎と署名して置けば好かつた。実際あの論文は佐々木与次郎以外に書けるものは一人もないんだからなあ」
与次郎は真面目である。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪はれて、却つて迷惑してゐるのかも知れない。三四郎は馬鹿々々しくなつた。
「君、先生に話したか」と聞いた。
「さあ、其所だ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だつて、僕だつて、どつちだつて構はないが、事先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはゐられない。あゝ云ふ先生だから、一向知りません、何か間違でせう、偉大なる暗闇といふ論文は雑誌に出ましたが、慝名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさい位に云つて置けば、さうかで直ぐ済んで仕舞ふ訳だが、此際 左うは不可。どうしたつて僕が責任を明らかにしなくつちや。事が旨く行つて、知らん顔をしてゐるのは、心持が好いが、遣り損なつて黙つてゐるのは不愉快で堪らない。第一自分が事を起して置いて、あゝ云ふ善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がして居られるものぢやない。正邪曲直なんて六づかしい問題は別として、たゞ気の毒で、痛はしくつて不可い」
三四郎は始めて与次郎を感心な男だと思つた。
「先生は新聞を読んだんだらうか」
「家へ来る新聞にやない。だから僕も知らなかつた。然し先生は学校へ行つて色々な新聞を見るからね。よし先生が見なくつても誰か話すだらう」
「すると、もう知つてるな」
「無論知つてるだらう」
「君には何とも云はないか」
「云はない。尤も碌に話をする暇もないんだから、云はない筈だが。此間から演芸会の事で始終奔走してゐるものだから――あゝ演芸会も、もう厭になつた。已めて仕舞はうかしらん。御白粉を着けて、芝居なんかやつたつて、何が面白いものか」
「先生に話したら、君、叱られるだらう」
「叱られるだらう。叱られるのは仕方がないが、如何にも気の毒でね。余計な事をして迷惑を掛けてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、烟草は」と云ひかけたが途中で已めて仕舞つた。先生の哲学を鼻から烟にして吹き出す量は月に積ると、莫大なものである。
「烟草丈は可なり呑むかが、其外に何にも無いぜ。釣をするぢやなし、碁を打つぢやなし、家庭の楽しみがあるぢやなし。あれが一番 不可い。小供でもあると可いんだけれども。実に枯淡だからなあ」
与次郎は夫れで腕組をした。
「たまに、慰め様と思つて、少し奔走すると、斯んな事になるし。君も先生の所へ行つて遣れ」
「行つて遣る所ぢやない。僕にも多少責任があるから、謝罪つて来る」
「君は謝罪る必要はない」
「ぢや弁解して来る」
与次郎は夫れで帰つた。三四郎は床に這入つてから度々寐返りを打つた。国にゐる方が寐易い心持がする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎に来て連れて行つた立派な男――色々の刺激がある。
(青空文庫より)
◇解説
「「何故、君の名が出ないで、僕の名が出たものだらうな」
与次郎は「左うさ」と云つてゐる」。
…佐々木に多少ののんきさを感じる。
「矢っ張り何だらう。君は本科生で僕は撰科生だからだらう」
…「撰科生」であることの佐々木のコンプレックスに触れた論文があるが、もしこれが同じ学校という組織の教員と講師であれば、教員の名が出るだろうのに似ている。
しかし、「三四郎は依然として迷惑である」のに変わりはない。
「全体僕が零余子なんて稀知な号を使はずに、堂々と佐々木与次郎と署名して置けば好かつた。実際あの論文は佐々木与次郎以外に書けるものは一人もないんだからなあ」
…佐々木は「真面目」に誇るが、悔しがる前に今問題になっていることは何なのかを考えるべきだ。彼の考えや心配は的を外れている。語り手が言うように、「三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪はれて、却つて迷惑してゐるのかも知れない」。要らぬ悔しがりように、「三四郎は馬鹿々々しくなつた」。迷惑をこうむっているのは自分の方であり、それに対する謝罪もなく、自分の名誉ばかりを気にしている佐々木への呆れ。
「君、先生に話したか」という三四郎の問に、佐々木は、「さあ、其所だ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だつて、僕だつて、どつちだつて構はないが」と、三四郎の迷惑を全く考えていない。
続いて、「事先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはゐられない」と述べる佐々木。「あゝ云ふ先生だから、一向知りません、何か間違でせう、偉大なる暗闇といふ論文は雑誌に出ましたが、慝名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさい位に云つて置けば、さうかで直ぐ済んで仕舞ふ訳だが」とは、「事が旨く行つて、知らん顔をしてゐる」場合だ。「此際 左うは不可。どうしたつて僕が責任を明らかにしなくつちや」いけない。「遣り損なつて黙つてゐるのは不愉快で堪らない」。「第一自分が事を起して置いて、あゝ云ふ善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がして居られるものぢやない」。「たゞ気の毒で、痛はしくつて不可い」。
これらの佐々木の言葉に、「三四郎は始めて与次郎を感心な男だと思つた」。しかし、佐々木の言葉をよく見てみると、自分の仕損じが不愉快だとか、広田に迷惑をかけてしまい気の毒で平気な顔はしていられないだとかいうものだ。つまり、広田に迷惑をかけたこと自体に対する悔恨・反省の情が薄いのだ。ここは、広田がかわいそうではなく、迷惑をかけて申し訳ないと言うべきだ。だからここでも佐々木の考えはズレている。そうして、三四郎はそれに気づいていない。単に広田への同情に感動してしまい、そこに自省がないことを見逃している。ここは、「感心」していてはいけない場面だ。未熟な二人。だから佐々木は思慮の無さゆえに他者に迷惑をかけ、三四郎は幼いゆえに美禰子に振られるのだ。
「先生に話したら、君、叱られるだらう」と言う三四郎に、佐々木は、「叱られるだらう。叱られるのは仕方がないが、如何にも気の毒でね。余計な事をして迷惑を掛けてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、烟草は」、「烟草丈は可なり呑むかが、其外に何にも無いぜ。釣をするぢやなし、碁を打つぢやなし、家庭の楽しみがあるぢやなし。あれが一番 不可い。小供でもあると可いんだけれども。実に枯淡だからなあ」と同情を表す。広田にしてみれば、いらぬおせっかいだ。それこそ、「未熟なお前にそのようなことを言われたり心配されたりする筋合いはない」と怒るだろう。「慰め様と思つて」の「奔走」など、まったくの不要だと。
「君も先生の所へ行つて遣れ」と、広田に対しても三四郎に対しても上から目線の態度。愚者がよくやることだ。
これに対し三四郎の方が、まだましだ。「僕にも多少責任があるから、謝罪つて来る」と素直に罪を認め、謝罪しようとする。
「君は謝罪る必要はない」とは自分の責任だという意味だが、社会ではこのような場合、佐々木が前に出て謝罪し、三四郎もその後ろについて謝罪するのが礼儀だ。
佐々木が納得しないので、三四郎は、「弁解して来る」という表現をした。やっと「与次郎は夫れで帰つた」。
「三四郎は床に這入つてから度々寐返りを打つた。国にゐる方が寐易い心持がする」
…心配事や考え事があると、なかなか寝つけないものだ。そのため何度も寝返りを打つことになる。嫌なイメージが何度も想起され、心身に悪影響を及ぼす。
そのような時に人は、故郷を懐かしく思い出す。まだ子どもだった日々。何の憂いもなくただ遊び回っていた。無邪気な自分をあたたかく包んでくれた家・親。それらを思いだし、帰りたくなる。
ある時には古くさく、他者との関係性が濃密すぎると拒絶していたのに、今は困難や不愉快からの逃避に都合良く使われる。それが、「故郷」だ。
「偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎に来て連れて行つた立派な男――色々の刺激がある」
…これらが「寝返り」の原因となる「刺激」だが、「広田先生」と「美禰子」の関連性が、他と比較して薄い。やや無理やりな感がある。
一方それは、それほど三四郎はふとした時につい美禰子を想起してしまう様子を表している。彼の「刺激」・心配事の第一は、「美禰子」と「美禰子を迎に来て連れて行つた立派な男」のことだ。三四郎の胸のどこかにいつもつかえている美禰子。美禰子への不安、不満、心配という継続的なわだかまりを抱える三四郎。
○感想
それほど美禰子が好きならば、今からでも会いに行き、愛の言葉を熱く伝えればいい。自分がどれほどあなたを愛しているのかという自分の思いを語り、あなたの何が好きなのかというあなたの良さを列挙し、この自分の思いに対しあなたはどう思うのかを問う。それが若者に許される特権であり、三四郎もそうすべきだ。
確かに第三の男の持つ魅力は圧倒的だった。先日の衝撃はまだ鮮明に残っている。三四郎に勝ち目は無いに等しい。
この後三四郎がどうするのかがとても気になりますね。「刺激」への能動的・積極的な反応が、具体的行動となって表れることが望まれます。これまでの彼の様子では、あまり期待できませんが。