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夏目漱石「三四郎」本文と解説10-8 美禰子「あなた、椎の木の下にしやがんでゐらしつたぢやありませんか」 三四郎「あなたは団扇をかざして、高い所に立つてゐた」 美禰子「あの画の通りでせう」

◇本文

 やがて、女の方から口を()き出した。

「今日何か原口さんに御用が御有りだつたの」

「いゝえ、用事は無かつたです」

「ぢや、たゞ遊びに()らしつたの」

「いゝえ、遊びに行つたんぢやありません」

「ぢや、何で入らしつたの」

 三四郎は此瞬間を(とら)へた。

「あなたに会ひに行つたんです」

 三四郎は是で云へる丈の事を(ことごと)く云つた積りである。すると、女はすこしも刺激に感じない、しかも、(いつも)の如く男を酔はせる調子で、

「御金は、彼所(あすこ)ぢや頂けないのよ」と云つた。三四郎は落胆(がつかり)した。

 二人は又無言で五六間来た。三四郎は突然口を開いた。

「本当は金を返しに行つたのぢやありません」

 美禰子はしばらく返事をしなかつた。やがて、静かに云つた。

「御金は私も()りません。持つて入らつしやい」

 三四郎は()へられなくなつた。急に、

「たゞ、あなたに会ひたいから行つたのです」と云つて、横に女の顔を覗き込んだ。女は三四郎を見なかつた。其時三四郎の耳に、女の口を洩れた(かす)かな溜息が聞こえた。

「御金は……」

「金なんぞ……」

 二人の会話は双方共意味を成さないで、途中で切れた。それなりで、又小半町程来た。今度は女から話し掛けた。

「原口さんの画を御覧になつて、どう御思ひなすつて」

 答へ方が色々あるので、三四郎は返事をせずに少しの間歩いた。

(あん)まり出来方が早いので御驚ろきなさりやしなくつて」

「えゝ」と云つたが、実は始めて気が付いた。考へると、原口が広田先生の所へ来て、美禰子の肖像を描く意志を洩らしてから、まだ一ヶ月位にしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼してゐたのは、夫れより後の事である。三四郎は画の道に暗いから、あんな大きな額が、()の位な速度で仕上げられるものか、殆んど想像の外にあつたが、美禰子から注意されて見ると、余り早く出来過ぎてゐる様に思はれる。

何時(いつ)から取掛かつたんです」

「本当に取り掛かつたのは、つい此間ですけれども、其前から少し宛(づゝ)描いて頂いてゐたんです」

「其前つて、何時頃(いつごろ)からですか」

「あの服装(なり)で分かるでせう」

 三四郎は突然として、始めて池の周囲(まはり)で美禰子に逢つた暑い昔を思ひ出した。

「そら、あなた、椎の木の下に(しやが)んでゐらしつたぢやありませんか」

「あなたは団扇を(かざ)して、高い所に立つてゐた」

「あの画の通りでせう」

「えゝ。あの通りです」

 二人は顔を見合はした。もう少しで白山の坂の上へ出る。

 向ふから車が()けて来た。黒い帽子を(かぶ)つて、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢(いろつや)()い男が乗つてゐる。此車が三四郎の眼に這入(はい)つた時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見詰めてゐるらしく思はれた。二三間先へ来ると、車を急に留めた。前掛を器用に()退()けて、蹴込みから飛び下りた所を見ると、脊のすらりと高い細面の立派な人であつた。髭を奇麗に剃つてゐる。それでゐて、全く男らしい。

「今迄待つてゐたけれども、余まり遅いから迎ひに来た」と美禰子の真前(まんまへ)に立つた。見下ろして笑つてゐる。

「さう、難有(ありがと)う」と美禰子も笑つて、男の顔を見返したが、其眼をすぐ三四郎の方へ向けた。

何誰(どなた)」と男が聞いた。

「大学の小川さん」と美禰子が答へた。

 男は軽く帽子を取つて、向ふから挨拶をした。

「早く行かう。兄さんも待つてゐる」

 ()い具合に三四郎は追分へ曲るべき横町の角に立つてゐた。金はとう/\返さずに分かれた。 (青空文庫より)


◇解説

広田の絵のモデルを終えた美禰子と三四郎の帰り道の場面。ふたりの会話はかみ合わず、こころはすれ違う。


美禰子の、「何で入らしつたの」という問いに、「三四郎は此瞬間を(とら)へ」、「あなたに会ひに行つたんです」と答える。「三四郎は是で云へる丈の事を(ことごと)く云つた積りである」。「あなたに会うために、わざわざ自分は広田のもとを訪ねたのだ」という意味。

しかし「女はすこしも刺激に感じない」。「しかも、(いつも)の如く男を酔はせる調子で、「御金は、彼所(あすこ)ぢや頂けないのよ」」と言う。愛の告白を、返金という事務的な用件の意味でとらえた美禰子に、「三四郎は落胆(がつかり)した」。

愛が伝わらなかったと考えた三四郎は「突然口を開」き、「本当は金を返しに行つたのぢやありません」と言う。

「美禰子はしばらく返事をしなかつた」。三四郎の意図は、彼女にももちろん通じている。しかしあくまで美禰子は、「御金は私も()りません。持つて入らつしやい」と、金の話題に限定した会話を続ける。

愛の告白をはぐらかされた「三四郎は()へられなくな」り、「急に、「たゞ、あなたに会ひたいから行つたのです」と云つて、横に女の顔を覗き込んだ」。これ以上わかりやすい愛の告白はない。

しかし「女は三四郎を見なかつた」。彼の愛を受け入れることはないという意志表示。


「其時三四郎の耳に、女の口を洩れた(かす)かな溜息が聞こえた。

「御金は……」

「金なんぞ……」

 二人の会話は双方共意味を成さないで、途中で切れた。それなりで、又小半町程来た」

…「(かす)かな溜息」には、「いまさら愛の告白をされてももう遅い」という気持ちが含まれている。確かに自分は三四郎に愛を仕掛けた。しかしそれももう終わったという気持ち。「いまさら愛の告白をされても遅いし、金を返されても仕方がない。私たちの関係も終わったし、お金はあなたにあげる」ということ。

会話だけでなく、心のすれ違いにより、「双方共意味を成さないで、途中で切れた」。


美禰子は話題を変える。

「原口さんの画を御覧になつて、どう御思ひなすつて」。「(あん)まり出来方が早いので御驚ろきなさりやしなくつて」と言われ、三四郎は「始めて気が付いた」。「原口が広田先生の所へ来て、美禰子の肖像を描く意志を洩らしてから、まだ一ヶ月位にしかならない。展覧会で直接に美禰子に依頼してゐたのは、夫れより後の事である」。「美禰子から注意されて見ると、余り早く出来過ぎてゐる様に思はれる」。

「本当に取り掛かつたのは、つい此間ですけれども、其前から少し宛(づゝ)描いて頂いてゐたんです」。「あの服装(なり)で分かるでせう」。

これらのやり取りから、美禰子と第三の男との交流は、以前から始まっていたことが明かされる。野々宮も三四郎も、まったくそのことに気づいていなかった。

また彼女は、「第三の男」との結婚は短期間・あっという間に決まったのだ、ということを言いたいのだ。


この時三四郎は思っただろう。

自分は美禰子と大学の池の端で初めて出会った。実際に結婚へと話が進んだのは三四郎と美禰子の交流後かもしれないが、それほど時期が離れているわけではないし、野々宮や自分との交流と重なっている。美禰子は三股を掛けていたことになる。

原口の展覧会での美禰子の振る舞いは、あきらかに三四郎への好意を表していた。

これらを思い、三四郎の心は複雑だろう。


美禰子が原口の求めに応じ、絵のモデルをしようとした時、彼女には自分の青春を絵に封印しようという意図があったはずだ。青春時代の最後の思い出として、三四郎と出会った瞬間を絵に封じ込める。三四郎との思い出の封印は、やはり彼女には彼への思いがあったことを表す。


美禰子が三四郎に貸した3円(今の30万円)は、期せずして「手切れ金」・「慰謝料」となった。「あなたに戯れの恋を仕掛け、惑わせてしまってごめんなさい。そのお詫びに、預けたお金は上げるわ」ということ。

青春時代の入口にいる三四郎と、出口にいる美禰子は、すれ違うしかなかった。「結婚」し家庭を持つことは、まさに「身を固める」ことだ。そのような概念がまだ強い明治時代において、それを目前にした美禰子が、最後に一花咲かせたいという思いもあった、という下世話な解釈も可能だろう。実際に、「第三の男」がいながら、彼女は野々宮にも三四郎にも恋を仕掛け惑わせている。


西洋近代の風に吹かれ、自己を持つ新しい女として存在していたはずの美禰子の突然の結婚に、意外だと感じる人は多いだろう。それまで自分の思うがまま自由に振る舞ってきた彼女なのに、結局、結婚という(古くさい)制度にからめとられてしまった意外性。その驚きは、読者だけでなく、三四郎や野々宮も感じたはずだ。


『こころ』でも解説したが、「お嬢さん」も、先生とKのふたりに恋を仕掛ける。一見、多情にも見える行為だが、結婚適齢期にある女性が生涯の伴侶を得ようと考えている時に、複数の選択肢の中から最良の人を選ぼうとするのは、当然の行為だ。

女性のこの態度は、相手の男たちにとっては辛い仕打ちということになるが、女性を不実だと責めることはできない。まさに一生が掛かった選択だからだ。

だから男性には、自分が相手から選択されるのを待つ心の余裕が必要だ。一方的な情動に突き動かされた結婚は必ず後悔に至るだろう。


〇物語の時系列まとめ

まず、美禰子の証言をもとにまとめる。

・「原口が広田先生の所へ来て、美禰子の肖像を描く意志を洩らしてから、まだ一ヶ月位にしかならない」。

・「展覧会で直接に美禰子に依頼してゐたのは、夫れより後の事」

・「本当に取り掛かつたのは、つい此間ですけれども、其前から少し宛(づゝ)描いて頂いてゐたんです」。「あの服装(なり)で分かるでせう」。

・三四郎が「始めて池の周囲(まはり)で美禰子に逢つた暑い昔」。

・美禰子は「あの画の通り」、「団扇を(かざ)して、高い所に立つてゐた」

これらをまとめると、絵を描き始めたのは三四郎と美禰子が初めて出会った夏かそのすぐ後であり、完成に向け本格的に制作するようになったのは「つい此間」ということになる。


第三の男との結婚を考えている美禰子は、青春時代の自分の姿を絵に封印しようとしている。若かった時間は終わり、自分は身を固め、「家」に入ろうとしている。

彼女が絵に込めるこのような意図をはっきりと意識したのはいつからなのかがはっきりしないが、その開始時点によって、この物語における彼女の意志と行動の持つ意味が大きく違ってくる。そこが、この物語の謎・疑問として残る部分だ。

ただし、青春時代を封印する絵のモチーフとして、三四郎と出会った瞬間を切り取り残したいと考えたことは変わらない。


①三四郎と初めて会った時には既に第三の男と出会っており、男との結婚をぼんやりとでも意識していた。この場合、野々宮や三四郎への恋の仕掛けは男側からは偽りになる。野々宮や三四郎にとっては、多情な女ということになる。

②初めは原口に口説かれて絵のモデルとなっただけで、まだ誰とも結婚を考えていなかったが、「つい此間」第三の男との結婚が決まったため、絵の完成を早めてもらった。

美禰子の説明からは、②の可能性が高い。


明治という時代に女性が生きていくことを考えた場合、やはり「結婚」がその第一の選択肢となった。『こころ』の解説でも示したが、当時の女学生の一番の希望は良縁に恵まれた結婚だった。結婚による退学をうらやましがる環境と、それ以外の職業の選択肢が限られている状況にあっては、それも仕方のないことだろう。結婚=幸福と考えるとともに、女性が生きるためには結婚するしかないということ。その意味では、結婚=就職に近い。生きる糧を得るための結婚。

一方で、生涯の伴侶を選ぶ場面では当然慎重になるし、選択肢も多い方がいい。親からあてがわれる相手だけではない選択肢を求めて、お嬢さんも美禰子も行動している。


三四郎が、「始めて池の周囲(まはり)で美禰子に逢つた暑い昔」を記憶しているのは当然だが、美禰子も同じくはっきりと覚えていた。

「そら、あなた、椎の木の下に(しやが)んでゐらしつたぢやありませんか」、「あの画の通りでせう」と、二人の記憶を確認しあう。

三四郎はこの記憶と記憶の共有にすがりたい気持ちがあった。

しかしこのすぐ後に、第三の男が(非情にも)登場する。「向ふから車が()けて来た」。突然の出来事に、三四郎は驚いただろう。


〇第三の男の特徴

・「黒い帽子を(かぶ)つて、金縁の眼鏡を掛けて、遠くから見ても色光沢(いろつや)()い男」

・「若い紳士」

・「前掛を器用に()退()けて、蹴込みから飛び下りた」。身のこなしが軽く、スマートな行動。

・「脊のすらりと高い細面の立派な人」

・「髭を奇麗に剃つてゐる。それでゐて、全く男らしい」。

当時は髯が流行っていたようだが、この男には若々しい清潔感がある。その上、男らしさも備えたイケメン。金の余裕もありそうだ。

既に社会である位置を占めた、経済的に余裕のある若い紳士。身軽で高身長。まだ駆け出しの三四郎のかなう相手ではない。


「此車が三四郎の眼に這入(はい)つた時から、車の上の若い紳士は美禰子の方を見詰めてゐるらしく思はれた」からは、第三の男の登場を敏感に察知し観察する三四郎の様子がうかがわれる。


これ以降の部分は、わざと「~た」と客観的に重ねて述べることで、第三の男の登場にあっけにとられる三四郎の様子を表す。

「「今迄待つてゐたけれども、余まり遅いから迎ひに来た」と美禰子の真前(まんまへ)に立つた。見下ろして笑つてゐる」…男の余裕が感じられる。

「「さう、難有(ありがと)う」と美禰子も笑つて、男の顔を見返した」…男に素直に従う美禰子。

「「何誰(どなた)」と男が聞いた」…ざっくばらんな言葉と態度。

「「大学の小川さん」と美禰子が答へた」…端的に事実だけを伝える美禰子。

「男は軽く帽子を取つて、向ふから挨拶をした」…スマートな行動。

「早く行かう。兄さんも待つてゐる」…彼女が他の男と何やら話をしていても意に介さないのは、美禰子を信頼し、美禰子の愛を確信しているからだ。もう結婚も決まっているかもしれない。


()い具合に三四郎は追分へ曲るべき横町の角に立つてゐた」

…二人のスマートで信頼感あふれる愛の会話を聞かされた三四郎は、もう美禰子のそばにいることはできないし、その必要もない。だから、「追分へ曲るべき横町の角」は、ちょうど美禰子と「()い具合」に別れる場所だった。


「金はとう/\返さずに分かれた」

…この説明の一つ目の意味は、美禰子と男の関係の濃密さに金を返しそびれたということ。もう一つは、三四郎は美禰子から三円を借り、同額を返そうとした。もし返したとしても、彼は美禰子に何もあげていない。これに対し美禰子は、困っている三四郎を助けてあげた。つまり三四郎は、たとえ借りた金を返したとしても、美禰子の恩は受けたことになる。更にその金が返せなかったので、金と恩の二つを受けたままだ。


三四郎の、「御金は……(返します)」という言葉に、「金なんぞ……」と美禰子が「溜息」まじりに言ったのは、三四郎・青春との決別と、自分の愛が相手に伝わらなかった愁いが込められている。「金なんぞはいりません。私はあなたの強い愛がほしかった。でももうそれも今は遅い」ということ。


〇美禰子の男性の好み

野々宮も第三の男も背が高く、野々宮は痩せている。美禰子の男性の好みなのだろう。これに対し、「三四郎は四寸五分しかない」(11-6)。広田の身長が「五尺六寸」(約170㎝)とある後に述べられているので、「5尺4寸5分」の意味であり、1尺は30.3㎝、1寸は3.03㎝、1分は0.3㎝なので、約165cmとなる。

「湯から上って、二人が板の間に据えてある器械の上に乗って、身長たけを測って見た。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない」(11-6)


〇感想

西洋近代の価値観や都会的なセンスを身につけた美禰子の恋の相手は、世界に名が知られた有為な野々宮や、若くしてダンディーな第三の男だった。そんな彼女がなぜ少しの間だけでも三四郎に好意を持ったのか。九州の田舎から出てきたばかりの大学新入生の彼に、彼女を引き付ける魅力があったのかというと、本文中にはそれに該当する説明がない。美禰子が三四郎の何を好きになったのかがよくわからない。本文を読む読者も、彼の真率さや真面目さは感じるが、まだ未熟で教養も無く、将来の展望も無い、大成するかどうかがまったく未知数な青年。未完成なところに逆に何かしらの魅力を感じたのだろうと推測することはできる。しかし繰り返しになるが、彼女の言葉や行為・行動に、三四郎のどこが好きなのかが説明されないし、愛の言葉もはっきりとは示されない。

美禰子の愛の表現は、三四郎に金を貸したことだ。金を媒介としたはかない愛の交歓。


「あなたが好きだ」とか、「あなたの○○が好きだ」とか、はっきり言う時代ではもちろんない。美禰子と三四郎のやり取りの方が高級だ。

しかし、美禰子がそうであるように、三四郎も愛の表現をしない。もう手遅れになってからやっとつぶやくのでは、「間が悪い」・「間抜け」だ。

美禰子は自立しているようで、男性にリードしてもらいたい女性だ。人生にも恋にも未熟な三四郎は、その期待に応えてあげられなかった。美禰子をさらったのは、大人の男だった。


大学で『三四郎』を受講したときに、私が、「地方から出たばかりの青年が都会の女に翻弄された物語」と述べたら、教授が一笑に付したことを覚えている。その頃は、「近代的自我」という語の全盛期で、今思うとその教授も、それに沿った考えだったのだろう。

しかし今回再読して、あながち間違いとも言えないどころか、むしろ合っているように思う。確かに言葉は足らない。でも、青春時代の出口から旅立とうとしている美禰子と、やっと都会の文化的空気に触れ始めた三四郎とでは、文化的にも人としても、成長の度合いがまるで違う。だからふたりがかみあうことはなかった。

素朴で生真面目な三四郎。都会的ウイットに富んだ美禰子。子供と大人の恋愛は成立しない。初めから釣り合わない恋だったのだ。


当時の流行りの言葉である「近代的自我」を用いて美禰子を解説すると、西洋近代の風に吹かれた彼女は「近代的自我」に目覚め独立の思想を抱いたが、最終的には「結婚」という古来の「家」制度の中に回帰したと言える。彼女のアンニュイの原因は、そこにある。


急転直下の婚約は、結婚に対する美禰子の焦りではないのだろうが、もしそうだとすると、第三の男は彼女にとってよほど魅力的だったということになる。独立の思想を抱く彼女が、すべての「自由」を捨ててでも結婚したいと考えた男。三四郎や野々宮をはるかに上回る何かを持つ男。

結婚の決め手は何だったのだろうと考えながら、読者はこの後読み進めることになる。

(だがそれは最後まで明かされない。だからよりいっそう、三四郎・野々宮・読者の疑念は残されたままとなる)

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