夏目漱石「三四郎」本文と解説10-7 恋に慣れた女と恋に慣れない男の物語
◇本文
三四郎は此画家の話を甚だ面白く感じた。とくに話丈聴に来たのならば猶幾倍の興味を添へたらうにと思つた。三四郎の注意の焼点は、今、原口さんの話の上にもない、原口さんの画の上にもない。無論向ふに立つてゐる美禰子に集まつてゐる。三四郎は画家の話に耳を傾けながら、眼丈は遂に美禰子を離れなかつた。彼の眼に映じた女の姿勢は、自然の経過を、尤も美しい刹那に、捕虜にして動けなくした様である。変はらない所に、永い慰藉がある。然るに原口さんが突然首を捩つて、女に何うかしましたかと聞いた。其時三四郎は、少し恐ろしくなつた位である。移り易い美しさを、移さずに据ゑて置く手段が、もう尽きたと画家から注意された様に聞こえたからである。
成程さう思つて見ると、何うかしてゐるらしくもある。色光沢が好くない。眼尻に堪へ難い嬾さが見える。三四郎は此活人画から受ける安慰の念を失つた。同時にもしや自分が此変化の源因ではなからうかと考へ付いた。忽ち強烈な個性的の刺激が三四郎の心を襲つて来た。移り行く美を果敢むと云ふ共通性の情緒は丸で影を潜めて仕舞つた。――自分はそれ程の影響を此女の上に有して居る。――三四郎は此自覚のもとに一切の己を意識した。けれどもその影響が自分に取つて、利益か不利益かは未決の問題である。
其時原口さんが、とう/\筆を擱いて、
「もう廃さう。今日は何うしても駄目だ」と云ひ出した。美禰子は持つてゐた団扇を、立ちながら、床の上に落とした。椅子に掛かけた、羽織を取つて着ながら、此方へ寄つて来た。
「今日は疲れてゐますね」
「私?」と羽織の裄を揃へて、紐を結んだ。
「いや実は僕も疲れた。また明日元気の好い時に遣りませう。まあ御茶でも飲んで、緩りなさい」
夕暮には、まだ間があつた。けれども美禰子は少し用があるから帰るといふ。三四郎も留められたが、わざと断わつて、美禰子と一所に表へ出た。日本の社会状態で、かう云ふ機会を、随意に造る事は、三四郎に取つて困難である。三四郎は成るべく此機会を長く引き延ばして利用しやうと試みた。それで、比較的人の通らない、閑静な曙町を、一廻り散歩しやうぢや無いかと女を誘つて見た。所が相手は案外にも応じなかつた。一直線に生垣の間を横切つて、大通りへ出た。三四郎は、並んで歩きながら、
「原口さんも左う云つてゐたが、本当に何うかしたんですか」と聞いた。
「私?」と美禰子が又云つた。原口さんに答へたと同じ事である。三四郎が美禰子を知つてから、美禰子はかつて、長い言葉を使つた事がない。大抵の応対は一句か二句で済ましてゐる。しかも甚だ単簡なものに過ぎない。それでゐて、三四郎の耳には、一種の深い響きを与へる。殆んど他の人ひとからは、聞き得る事の出来ない色いろが出でる。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がつた。
「私?」と云つた時、女は顔を半分程三四郎の方へ向けた。さうして二重瞼の切れ目から男を見た。其眼には暈が被(かゝ)つてゐる様に思はれた。何時になく感じが生温く来た。頬の色も少し蒼い。
「色が少し悪い様です」
「左うですか」
二人は五六歩無言であるいた。三四郎は何うともして、二人の間に掛かつた薄い幕の様なものを裂き破りたくなつた。然し何と云つたら破れるか、丸で分別が出なかつた。小説などにある甘い言葉は遣いたくない。趣味の上から云つても、社交上若い男女の習慣としても、遣い度くない。三四郎は事実上不可能の事を望んでゐる。望んでゐる許ではない、歩きながら工夫してゐる。
◇解説
「三四郎は此画家の話を甚だ面白く感じた」
…三四郎が特に興味を持ったのは、次の事柄だ。
「画工は」「心」そのものではなく、「心が外へ見世を出してゐる所(表情)を描く」。「だから、見世(心が外・表情に現れているさま)さへ手落ちなく観察すれば(して描けば)、(その絵の鑑賞者は)身代(しんだい・モデルの心)は自ら分かる」(10-6)。
他者の心(感情や思考)を理解する手段としては、相手の言葉や、仕草・表情なども含む行動によって判断するしかない。原口の作画の心得の説明は、一般的に人が他者の心情を理解する場面でも同じだ。
もちろん三四郎の興味の焦点は美禰子にあり、彼女が何を考え、自分をどう思っているのかが知りたいと思っている。それは彼女の様子から推察・判断するしかないのだが、なかなか美禰子の気持ちが分からないことに悩んでいる。
恋愛や対人関係における三四郎の経験値の低さ・未熟さもあり、ますます美禰子が謎に見えるのだ。
「自分に好意を持ちまたそれを実際にはっきりと示しているのに、なぜ野々宮にも気のあるそぶりをするのだろう?」
「彼女が本当に好きなのは誰なのか?」
「彼女の好意は戯れなのか?」
「そもそも彼女は何を考えどうしようとしているのか?」
自分が好意を持つ相手の心情が知りえない憂鬱・やるせなさ。
恋に悩む三四郎。
恋愛は、それまで全く違う環境で育ってきた者同士が、互いをその存在丸ごと受け入れるという行為だが、三四郎は美禰子という存在を十分に理解したいと思っている。その上で、彼はさらに進んだ恋愛関係を持ちたいのだ。だから美禰子の気持ちが分からないうちは、彼の恋愛は進行・発展しない。【相手が好き→互いの理解・意思の確認→恋愛】という図式が、彼のやり方だ。
だから三四郎は、意外に情動に突き動かされるということをしない、理性的・客観的な人だ。(たまには褒めないとね)
その点で三四郎は、「こころ」の先生とは違う。
「三四郎の注意の焼点は、今」、「無論向ふに立つてゐる美禰子に集まつてゐる」。「画家の話に耳を傾けながら、眼丈は遂に美禰子を離れな」い。その「眼に映じた女の姿勢は、自然の経過を、尤も美しい刹那に、捕虜にして動けなくした様である」。美禰子の外側に表れている「姿勢」は、彼女のこれまでの人生の積み重ねを、最も美しい今という瞬間に切り取り、固定したものだ。そうしてそのような美禰子に自分はいま、「捕虜」となっている。
「変はらない所に、永い慰藉がある」。彼女の美しさが、彼女のモデルとしての静止のために固定されている様子に、こころの安寧を感じる三四郎。
しかし美禰子のこころは既に、他の男に「変はり」つつある。三四郎はまだそれに気づいていない。次の場面はそれを暗示している。
「然るに原口さんが突然首を捩つて、女に何うかしましたかと聞いた」。画家はモデルの変化に敏感だ。「其時三四郎」が感じた「恐ろし」さは、美禰子の「移り易い美しさを、移さずに据ゑて置く手段が、もう尽きたと画家から注意された様に聞こえたからである」。美禰子の美しさに幻惑されている三四郎にとって、それが変化し失われるのではないかという不安・危惧。しかし美禰子の変化の本当の理由・内実は、モデルに疲れたからでも、そばに三四郎がいるからでもない。その最も大きな要因は、他の男にこころが移ったからだ。
しかし三四郎はその事に気づいていない。だから、「成程さう思つて見ると、何うかしてゐるらしくもある。色光沢が好くない。眼尻に堪へ難い嬾さが見える」という変化を、単に、モデルとしての疲れとしてだけ捉えている。
恋に迷う三四郎は、「もしや自分が此変化の源因ではなからうかと考へ付いた。忽ち強烈な個性的の刺激が三四郎の心を襲つて来た」。「自分はそれ程の影響を此女の上に有して居る。――三四郎は此自覚のもとに一切の己を意識した」。これは、自分勝手な思い込みであり、うぬぼれにもほどがある。
原口も、美禰子の心の「変化」には気づいていない。彼女の変化は、心変わりのためだ。
だから原口の「今日は疲れてゐますね」に対し、美禰子は「私?」と答えたのだ。彼女は疲れてはいない。美禰子は、「青春」との決別にアンニュイを感じている。
「夕暮には、まだ間があつた。けれども美禰子は少し用があるから帰るといふ」。三四郎も、「美禰子と一所に表へ出た」。「日本の社会状態で、かう云ふ機会を、随意に造る事は、三四郎に取つて困難で」あったからだ。
「三四郎は成るべく此機会を長く引き延ばして利用しやうと試みた。それで、比較的人の通らない、閑静な曙町を、一廻り散歩しやうぢや無いかと女を誘つて見た」。できるだけ長い時間、好きな女と一緒にいたいと考える三四郎。
「所が相手は案外にも応じなかつた。一直線に生垣の間を横切つて、大通りへ出た」。自分への好意を感じていた三四郎は、美禰子の拒絶に驚いている。「自分は美禰子と一緒にいたい。そうであるならば、相手も同じはずだ。それなのになぜ拒絶するのか?」。
美禰子の心が読めない「三四郎は、並んで歩きながら、「本当に何うかしたんですか」と聞く。それに対する美禰子の答えはやはり「私?」というものだった。「自分は疲れてなどいない」という返事。ますます美禰子の気持ちがわからない。
「原口さんに答へたと同じ事である」ことは、美禰子にとって三四郎の存在が原口と同じになったことを表す。彼女は三四郎への興味も愛もなくなっている。ふたりは完全にすれ違う。
美禰子の短い答えに、三四郎はまた勝手な解釈をする。
「美禰子はかつて、長い言葉を使つた事がない。大抵の応対は一句か二句で済ましてゐる。しかも甚だ単簡なものに過ぎない」。だから、彼女にとってこの言い方が普通なのだと。「それでゐて、三四郎の耳には、一種の深い響きを与へる。殆んど他の人からは、聞き得る事の出来ない色が出る。三四郎はそれに敬服した。それを不思議がつた」。愛する人からかけられた言葉には、「深い響き」、「色」を感じるだろう。しかしここでの三四郎は、自分勝手に「敬服」し、「不思議」がっている。彼女に彼への思いはない。
「「私?」と云つた時、女は顔を半分程三四郎の方へ向けた。さうして二重瞼の切れ目から男を見た。其眼には暈が被(かゝ)つてゐる様に思はれた。何時になく感じが生温く来た。頬の色も少し蒼い」
…美禰子の心にも「暈が被(かゝ)つてゐる」。美禰子は思っている。「この人は自分を本当には理解していない。自分の変化の本当の理由に気づいていない。気づけない」と。
だから、「色が少し悪い様です」にも、「左うですか」としか答えようがない。「二人は五六歩無言で」歩くしかない。
美禰子の心は既に三四郎から離れている。しかし「三四郎は何うともして、二人の間に掛かつた薄い幕の様なものを裂き破りたくなつた。然し何と云つたら破れるか、丸で分別が出なかつた」。「小説などにある甘い言葉は」「趣味の上から云つても、社交上若い男女の習慣としても、遣い度くない」。この様子を語り手は、「三四郎は事実上不可能の事を望んでゐる」と批評する。
次話に、第三の男が登場する。それを知らされていない三四郎には、全く思いもよらなかったようだが、少なくとも彼は、美禰子の一見体調不良に見える「変化」の理由を深く考えるべきだった。
それができない男だから、彼女は別の男を選んだともいえる。
「恋に慣れた女を相手にした恋に慣れない男」の未来には、無様な敗北しか待っていないのだろうか。
『三四郎』を、「恋に慣れた女と恋に慣れない男の物語」と定義づけしたら、批判されるだろうか?