夏目漱石「三四郎」本文と解説2-2 「夜に此静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中からあの眼玉の様なものを覗くのです」
◇本文
あくる日は平生よりも暑い日であつた。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君は居るまいと思つたが、母が宿所を知らせて来ないから、聞き合せ旁(かた/″\)行つて見様と云ふ気になつて、午後四時頃、高等学校の横を通つて弥生町の門から這入つた。往来は埃が二寸も積つてゐて、其上に下駄の歯や、靴の底や、草鞋の裏が奇麗に出来上つてる。車の輪と自転車の痕は幾筋だか分らない。むつとする程 堪らない路だつたが、構内へ這入ると流石に樹の多い丈に気分が晴々した。取っ付きの戸をあたつて見たら錠が下りてゐる。裏へ廻つても駄目であつた。仕舞に横へ出た。念の為と思つて推して見たら、旨い具合に開いた。廊下の四っ角に小使が一人居眠りをしてゐた。来意を通じると、しばらくの間は、正気を回復する為めに、上野の森を眺めてゐたが、突然「御出でかも知れません」と云つて奥へ這入つて行つた。頗る閑静である。やがて又出て来た。「御出ででやす。御這入んなさい」と友達見た様に云ふ。小使に食つ付いて行くと四角を曲がつて和土(たゝき)の廊下を下へ居りた。世界が急に暗くなる。炎天で眼が眩んだ時の様であつたが少時すると瞳が漸く落ち付いて、四辺が見える様になつた。穴倉だから比較的涼しい。左の方に戸があつて、其戸が明け放してある。其所から顔が出た。額の広い眼の大きな仏教に縁のある相である。縮(ちゞみ)の襯衣の上へ脊広を着てゐるが、脊広は所々に染がある。脊は頗る高い。瘠せてゐる所が暑さに釣り合つてゐる。頭と脊中を一直線に前の方へ延ばして、御辞儀をした。
「此方へ」と云つた儘、顔を室の中へ入れて仕舞つた。三四郎は戸の前迄来て室の中を覗いた。すると野々宮君はもう椅子へ腰を掛けてゐる。もう一遍「此方へ」と云つた。此方へと云ふ所に台がある。四角な棒を四本立てて、其上を板で張つたものである。三四郎は台の上へ腰を掛けて初対面の挨拶をする。それから何分 宜敷願ひますと云つた。野々宮君は只はあ、はあと云つて聞いてゐる。其様子が幾分か汽車の中で水蜜桃を食つた男に似てゐる。一通り口上を述べた三四郎はもう何も云ふ事がなくなつて仕舞つた。野々宮君もはあ、はあ云はなくなつた。
部屋の中を見廻すと真中に大きな長い樫の机が置いてある。其上には何だか込み入つた、太い針線だらけの器械が乗つかつて、其 傍に大きな硝子の鉢に水が入れてある。其外にやすりと小刀と襟飾が一つ落ちてゐる。最後に向かふの隅を見ると、三尺位の花崗石の台の上に、福神漬の缶程な込み入つた器械が乗せてある。三四郎は此缶の横腹に開いてゐる二つの穴に眼をつけた。穴が蟒蛇の眼玉の様に光つてゐる。野々宮君は笑ひながら光るでせうと云つた。さうして、斯う云ふ説明をして呉れた。
「昼間のうちに、あんな準備をして置いて、夜になつて、交通其他の活動が鈍くなる頃に、此静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの眼玉の様なものを覗くのです。さうして光線の圧力を試験する。此年の正月頃から取り掛つたが、装置が中々面倒なのでまだ思ふ様な結果が出て来ません。夏は比較的堪へ易いが、寒夜になると、大変凌ぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくて遣り切れない。……」
三四郎は大いに驚ろいた。驚ろくと共に光線にどんな圧力があつて、其圧力がどんな役に立つんだか、全く要領を得るに苦しんだ。
(青空文庫より)
◇解説
「休暇中」は、当時の大学は秋から新年度が始まったので、夏休みは学年変わりの休みとなる。「理科大学」は、東京帝国大学の理学部のこと。野々宮はここで研究している。
三四郎と同体となった語り手は、「野々宮君」と「君」付けして呼ぶ。これは三四郎の野々宮への親しみ・関係の近さを表しているのだろう。前話(2-1)に、「勝田の政さんの従弟に当る人が大学校を卒業して、理科大学とかに出てゐるさうだから、尋ねて行つて、万事よろしく頼むがいゝで結んである。肝心の名前を忘れたと見えて、欄外と云ふ様な所に野々宮宗八どのとかいてあつた」とある。
「午後四時頃」というと、夏の日はまだ高い。「高等学校の横を通つて弥生町の門から這入つた」。
「往来は埃が二寸も積つてゐて、其上に下駄の歯や、靴の底や、草鞋の裏が奇麗に出来上つてる。車の輪と自転車の痕は幾筋だか分らない。むつとする程 堪らない路だつた」…まだ「普請中」の日本。
「が、構内へ這入ると流石に樹の多い丈に気分が晴々した」…学問の最高府である東京帝国大学は、俗世間の「埃」とは隔絶した空間にある。
「廊下の四っ角に小使が一人居眠りをしてゐた」。来意を通じると、「御出ででやす。御這入んなさい」と友達のように言う。身なり・風貌から、自分と同類と思われたのだろう。
目当ての野々宮は、「和土(たゝき)の廊下を下へ居りた」、「世界が急に暗くなる」場所で静かに研究を重ねている。「炎天」の俗世から離れた大学の、そのまた静謐な空間に、彼はいる。三四郎の「炎天で」「眩んだ」目が「少時すると」「漸く落ち付いて、四辺が見える様になつた」。野々宮の空間へと入り込むのだ。その環境は、「穴倉だから比較的涼しい」。
次に、ようやく面会がかなった野々宮の風貌・様子が説明される。
・額の広い眼の大きな仏教に縁のある相…知性と人格の統合を感じさせる
・縮(ちゞみ)の襯衣の上へ脊広を着てゐるが、脊広は所々に染がある…貧しい暮らしぶり
・脊は頗る高い…高身長はイケメンの要素の一つ
・瘠せてゐる…これも同様
・頭と脊中を一直線に前の方へ延ばして、御辞儀をする…ロボットみたい。いかにも理系という感じ。律義さや慎重さを感じる。
「頭と脊中を一直線に前の方へ延ばして、御辞儀をした」野々宮は、「此方へ」と言ったまま、「顔を室の中へ入れて仕舞つた」。研究が忙しいのか、コミュニケーションが苦手なのか、いかにも理系な簡略化した様子なのか。「戸の前迄来て室の中を覗」くと、「野々宮君はもう椅子へ腰を掛けてゐる」。そうして、「もう一遍「此方へ」と云つた」。初対面の者同士には普通、挨拶というものがある。それを野々宮は全く無視・省略している。
「此方へと云ふ所に台」があり、「四角な棒を四本立てて、其上を板で張つた」だけのものだった。これも普通であればもう少しちゃんとした椅子を準備するだろう。いかにも実験室の中の備品だ。しかも手作りかもしれない。研究費が貧弱なのだろう。
やっと「三四郎は台の上へ腰を掛けて初対面の挨拶」をした。「それから何分 宜敷願ひますと云つた」。これに対し「野々宮君は只はあ、はあと云つて聞いてゐる」。ここも、「こちらこそよろしく。遠い道のりご苦労様」ぐらい言うべきところだ。だから三四郎は、「其様子が幾分か汽車の中で水蜜桃を食つた男に似てゐる」という感想を抱くのだ。通常とかけ離れた応答・対応に、どう対処すればよいかがわからない。従って、「一通り口上を述べた三四郎はもう何も云ふ事がなくなつて仕舞つた」。三四郎が黙ったので、「野々宮君もはあ、はあ云はなくなつた」。野々宮は、愛想のよい会話ができない人なのだ。会話が続かない、必要最低限のことしか言わない人。
三四郎は仕方なく、「部屋の中を見廻す」ことになる。
真中に大きな長い樫の机。其上には何だか込み入つた、太い針線だらけの器械。其 傍に大きな硝子の鉢に水が入れてある。其外にやすりと小刀と襟飾が一つ落ちてゐる。向かふの隅には、三尺位の花崗石の台の上に、福神漬の缶程な込み入つた器械が乗せてある。缶の横腹に開いてゐる二つの穴が蟒蛇の眼玉の様に光つてゐる。いかにも実験室といった様子だ。
三四郎は「一部」の「文科」に進学するため文系だ。だから理学部の研究実験室は新鮮で神秘的だったろう。
いささか興味をひかれている三四郎の様子を見て、「野々宮君は笑ひながら光るでせうと云つた。さうして、斯う云ふ説明をして呉れた」。
「昼間のうちに、あんな準備をして置」く。そうして、「夜になつて、交通其他の活動が鈍くなる頃に、此静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの眼玉の様なものを覗く」。夜中に「光線の圧力を試験する」。俗世間から離れた大学の実験室で、ひとり静かに実験に取り組む野々宮の姿を、三四郎は想像する。「此年の正月頃から取り掛つたが、装置が中々面倒なのでまだ思ふ様な結果が出て来ません」からは、この実験が思うような結果・成果を生むまでには、長い時間がかかるということが分かる。さらに、「夏は比較的堪へ易いが、寒夜になると、大変凌ぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくて遣り切れない。……」。時間もかかり、成果がいつ出るともわからぬ状態。さらに冬の寒さは体にも心にも耐えがたい。「遣り切れない」と、その後の「……」が、野々宮の研究の辛さ・厳しさを表している。
それらすべてに、「三四郎は大いに驚ろいた」。「驚ろ」きはあるが、しかしその具体的内容は、「全く要領を得るに苦しんだ」。訳が分からないなりに、驚嘆だけは強く感じている様子。
夜に静かな暗い穴倉で光線の圧力を試験する野々宮。このような世界があることを、これまで三四郎は知らなかった。上京から現在まで、彼の驚きは続くのだった。