妖狐、再び百貨店に行く6
笠間のいなり寿司をたくさん買ってもらった僕はホクホク顔で家に帰った。玄関に入ったところで袖口からするりと外に出ると、ホウキを持ったコマジが顔を覗かせる。
「おかえり……って、おい小狐、おまえちょっと大きくなってないか?」
(へ? 何? ……って、首を掴むな!)
まるで子犬を掴むように首根っこを掴まれてしまった。そのままブラブラと吊り下げるように持ち上げられ、見せ物みたいに全身をぐるりと観察される。
(下ろせってば! それに僕は小さくないよ!)
「うるさい。ちぃっとばかり大きくなったからって小狐のくせに威張るな」
(なんだと!)
両手でコマジの手をベシベシ叩いていたら、奥から割烹着を着たコマタが出てきた。
「こら、玄関で騒がない……って、イナリ、ちょっと大きくなった?」
叩いていた手を止めてコマタを見る。コマジそっくりの茶色い目がパチパチと瞬きしてから「うん、やっぱり少し大きくなってるね」と言ってにっこり笑った。コマジに言われるとムカッとするけれど、コマタに言われるのは悪い気がしない。
「それに少し変わった匂いもしてる」
僕に近づいたコマタがクンと鼻を鳴らした。
「おいしそうないなり寿司の匂いに大勢の人間……それに鵺の匂いだ」
コマタの言葉にコマジが「はぁ!?」と大声を出した。
「おい孝志郎、おまえ鵺に会ったのか?」
「会ったよ。というより、今日の仕事が鵺絡みだったんだ」
「おまえ……! んな危ない相手のときは俺たちのどっちかを連れて行けって何度も言ってんだろ!」
コマジが僕をブンと振り回して怒り出した。慌てて「だから下ろしてってば!」と叫ぶと、コマジの隣に立ったコマタが「コマジの言うとおりだよ」と困ったような顔で孝志郎を見る。
「やれやれ、俺の使い魔たちは心配性だな。鵺絡みといっても今回は救出するのが仕事だったんだ。邪魔をしてくるのは人間だけで、しかも百貨店の中だ。おまえたちを連れて行くほうが騒ぎなるだろう?」
「だからって、おまえ……!」
「コマジは優しいなぁ」
孝志郎の言葉にコマジが顔を赤くした。もう一度僕をブンと振り回してから「ぐぅ」なんて変な声を出す。
「ま、そういうことだから何の問題もない。むしろ帝の鵺に恩を売ることができたくらいだ。銭もたんまりもらったし、いやぁ働いた働いた」
「はい、これお土産ね」と言って、孝志郎がコマタに大きな風呂敷包みを渡した。
(あっ、僕のいなり寿司!)
「はいはい、おまえのいなり寿司も入っているし握りも買ってきた。お新香と佃煮も入っているから、それでちょっと早い夕飯にしようか」
のんびりした孝志郎の言葉に、眉をつり上げていたコマジが「はぁ」とため息をついた。僕をポンと放り投げるように下ろして「体洗ってこい」なんて偉そうに言う。
(どこも汚れてないよ)
「鵺の匂いがプンプンしてんだよ。そんな匂いさせてちゃ、妖どもが怖がって飯を食いに庭に入れないだろ」
(えぇ、そんなに匂うかなぁ)
「これだから鼻の利かない小狐ってのは駄目なんだ」
(うるさい! 僕は犬じゃないからいいの!)
「なんだ、狛犬の俺に喧嘩売ってんのか?」
コマジの銀毛の髪がゆらりと揺れた。少しだけ尻尾が垂れ気味になりながらも「何を!」と必死に睨み返す。
「ほらほら、二人とも喧嘩しない。おまえはこれを台所に持っていく。イナリはほら、池で水浴びをしておいで」
コマタが指さしたのは庭にある小さな池だ。池のそばには祠があって、そこからいつも綺麗な清水が湧き出ている。
「いなり寿司とお茶、それに味噌汁と大根を炊いたものも用意しておくから。水浴びしたら人間の姿になるんだよ」
(はぁい)
コマジはいけ好かないけれど、コマタの言うことなら聞いてやってもいい。なんたってコマタは出汁が染みたおいしい油揚げを作ってくれるいいやつなんだ。
僕はコマタに言われたとおり清水で水浴びをしてから、ブンブンと二、三度体を震わせた。それから人間の姿に変化して髪の毛を手拭いでしっかりと拭う。こうしないと着物の肩部分が濡れて冷たくなるって知ったのはここに来てからだ。
ついでに尻尾も拭ってから引っ込めて、縁側に置いてあった浴衣を着た。そうしていい匂いがしている座敷に小走りで向かう。
(それにしても、鵺ってかっこよかったなぁ)
何度思い出してもかっこいい。目指すなら、やっぱりただの妖狐よりも鵺みたいにムキムキでドンとした体だ。そんな決意をしながら両手を見る。
(いつか絶対に大きくなってやる)
小さい手を見るたびに情けない気持ちになるけれど、この手を見るのもあと少しの間だと思えばがんばれる。
この日、僕はいなり寿司を五つ平らげた。それで妖狐の僕が大きくなれるわけじゃないけれど、食べないより食べたほうが力が湧くような気がする。そんな僕を呆れ顔で見たコマジが「こいつ、やっぱりちぃっと大きくなってるよな」と言いながらコマタを見た。
「少しだけどね」
「なぁ孝志郎、何かあったのか?」
「うん? あぁ、そういえば鵺の電気にビリッとされていたな」
酒をくいっと飲みながら、もう片方の手で孝志郎が僕の頭をポンと撫でた。まるで子どもにするような仕草は好きじゃないけれど、孝志郎にされるのはそんなに悪い気はしない。
「どうやらイナリは鵺に気に入られたようだぞ」
「うわ……」
なぜか眉をしかめるコマジに、コマタが「こら」と叱る。
「そういう顔で見ない。聞けば御所に棲む鵺だって言うし、悪いことじゃないと思うよ?」
「そうかもしれないけど、鵺に好かれて電気流されるってどんなだよ……って、そうか!」
コマジが何かに気づいたようにポンと手を叩いた。
「前にさ、何とかって変わった人間がエレキテルとかいう道具を作ったことがあっただろ? あれで病を治すんだとか言ってたけど、小狐が大きくなったのもそういうことじゃねぇの?」
コマジの言い方にカチンときた。
(僕が小さいのは病気じゃないからね!)
生まれてすぐに棲み着いた場所が寂れた神社だっただけで、体が小さいのも妖力をうまく集められないのもそのせいだ。もし立派な稲荷神社に棲んでいたらたくさん妖力を集められただろうし、体も大きくなっていたはず。
それに僕はこれからどんどん大きくなるんだ。そうすれば妖力だってどんどん集められるようになる。
(って、あれ? 妖力を集めたら大きくなって、でも大きくないと妖力は集められなくて……)
体が大きくないと妖力が集められないと教えてくれたのは、古い稲荷神社に棲んでいた妖狐だ。でも大きくなるためには妖力をたくさん集めないといけない。
(ええと、それってどっちが先ってこと?)
考えてみたけれどよくわからなかった。わからないけれど、僕は絶対にムキムキの妖狐になってみせる。今回ちょっと大きくなったのだって、これからもっと大きくなるぞってことに違いない。
「エレキテルとはまた懐かしいな」
「知ってるのか?」
「聞いたことはある。実際に効果があったのかは知らないがな」
「そうなんだ。僕たちがまだ狛犬だったときは結構流行ってたよね?」
「エレキテルで体がよくなったって近所のじいさんが自慢してたよな」
「ま、ビリッとされたのがいいことか悪いことかは別にしても、鵺に好かれる妖狐というのも悪くはないだろう。嫌われるよりはずっといいさ」
孝志郎の言葉にコマジが「小狐のくせに面倒な奴だな」と顔をしかめた。その顔と言い方にカチンとくる。
(そのこぎつねって、絶対に小さいって意味で言ってるよね?)
「なんだ、その目は」
(何だよ)
「やろうってのか?」
(負けないからね)
コマジの頭に狛犬の耳がぴょんと飛び出た。僕も負けじと妖狐の耳を出す。それを見たコマタが「食事中に喧嘩しないの」と叱り、孝志郎は「どっちも子どもだなぁ」と盃を煽りながら笑った。