妖狐、百貨店へ行く2
(どうしよう)
人間に捕まった妖はひどい目に遭う。とくに妖狐や妖狸は昔から大変な目に遭うって決まっているんだ。
(そういえば皮を剥がされて毛皮にされた妖狐がいるって話も聞いたことがある)
もしかしたら噂の狐鍋という料理の材料にされてしまうのかもしれない。ここは百貨店だから、狐を売る店があってそこに連れて行かれるんじゃないだろうか。
(だ、大丈夫。だってそう簡単に妖狐だなんてわかるはずがない)
そうだ、僕はいま人間の子どもの格好をしている。それに僕だって生まれて二十年は経つ妖狐だ。そんな簡単にばれるはずがない。
「さぁて、子狐は一体どこに行こうとしていたのかな?」
(えっ?)
「妖が昼日中から百貨店で悪さをするとは思えないが、子狐だし理屈は通じないだろうからなぁ」
僕を抱えた男がそんなことを言った。慌てて顔を見るとにやりと笑っている。
僕は真っ青になった。まさかこんなに早く妖狐だとばれるなんて思わなかったからだ。
(どうしよう、どうしよう。この男はきっと僕をどうにかする気だ)
何も悪さはしていないけれど、人間は妖を嫌っているから人間の場所にいるだけで折檻されてしまう。僕たちだって人間のことは好きじゃないから、普段は人前に出たりなんかしない。
でも、僕はどうしてもあれがほしくて百貨店まで来てしまった。がんばって人間に化けたっていうのに、捕まった挙げ句に妖狐だということまで見抜かれてしまうなんて最悪だ。
(どうしよう……毛皮か狐鍋か……そんなの、どっちも嫌に決まってる)
ブルブル震えていたら「尻尾が出ているぞ」と言われて「ひぃ」と鳴き声が漏れた。慌てて尻尾を隠してから、耳が出ていないか両手で頭を撫でる。
「耳は出ていない。よし、尻尾もちゃんと隠したな。それで、どこに行こうとしていたんだ?」
男が顔を覗き込んできた。顔は笑ったままだけれど、さっきみたいな怖い感じはしない。
(……もしかして、悪い人間じゃない?)
妖が好きな人間がたまにいると聞いたことがある。そういう人間はひどいことをしない。もしこの人間がそうなら、あれを買う手伝いをしてもらえるかもしれない。
(だけど、僕は人の言葉が話せない)
だから答えられない。そう思って俯いたら、どこからいい匂いがしてきて耳がぴょんと出てしまった。慌てて両手で隠しながらキョロキョロと周りを見る。
(この匂いは……間違いない。あれの匂いだ!)
僕は抱えられているのも忘れて、必死にクンクンと鼻を鳴らした。余計な匂いがたくさんしてわかりづらかったけれど、たぶんあっちのほうから匂っている。
顔をそっちに向けたまま夢中でクンクン鼻を鳴らしていたら、男が「なるほど」と口にした。慌てて顔を見ると「ま、狐の好物だと言うしな」と匂いのほうへ歩き出す。
「まさか、わざわざ人の子に化けてまで買いに来るとはなぁ」
大勢の人間の隙間をするすると掻き分けながら男が笑った。どうして笑っているのかわからないけれど、たしかに僕はあれがほしくてここまで来た。あれがあるところに連れて行ってくれるなら、このまま大人しくしていよう。
「さぁ、おまえが探していたのはこれだろう?」
(……あった)
目の前に黄金色の塊がいくつも並ぶ大きな木箱がある。どれも三角の綺麗な形で艶々と輝いていた。
「いつもは出店していないんだが、もうすぐ秋祭りがあるからと期間限定なんだそうだ。それを嗅ぎつけるなんて、よほど好物なんだな」
男が何か話しているけれど、僕は目の前に並ぶ三角のものに夢中だった。早くこれを買わないと、そう思って腕から飛び降りようとしたのに男は離してくれない。
「まぁ待て、俺が買ってやろう。お嬢さん、これを三つ包んでくれ」
「いらっしゃいませ。三つですね」
「あぁ、三つだ」
男がそう答えると、着物姿の女が艶々の三角を三つ容器に入れた。それを綺麗な包み紙で包んで、最後に赤い紐でキュッと結ぶ。
僕は涎が出そうになるのを必死に我慢した。ほかの妖狐は「中身はいらないだろ」なんて言うけれど、僕は外側と中身が揃ってこそ最高だと思っている。味が染みていて噛むとじゅわっと滴る外側と、甘酸っぱい中身が合わさるからたまらないんだ。
(そう、油揚げをおいしく食べるならいなり寿司が一番だ)
ようやく僕は念願のいなり寿司を手に入れることができた。
いなり寿司を受け取った男は「せっかくだから屋上庭園にでも行くか」と言って歩き出した。そうして今度は上下に動く箱に僕ごと入る。
体の奥がひゅっとなるのに驚いていると、男が「尻尾が出ているぞ」と笑った。慌てて隠したものの、またひゅっとなって尻尾が出てしまう。僕は何度も尻尾を出したり隠したりしながら箱に乗り続けた。
(建物の上に庭……?)
箱の扉が開くと、目の前に大きな庭のような場所が現れた。そこは建物のてっぺんなのか上には青空が広がっている。そんな場所で大勢の人間があちこちに座ってお喋りしたり何か飲み食いしたりしていた。
「さぁ、召し上がれ」
庭の真ん中あたりに座った男が、にこっと笑いながら包み紙ごと容器を渡してきた。僕は戸惑いながら差し出されたいなり寿司と男を交互に見る。
「食べないのか?」
本当に食べていいんだろうか。人間からもらうのはお賽銭と妖力だけだと思っていたのに、こういうものもくれるなんて初めて知った。
「遠慮せずに食べるといい。それにおまえが食べないとこれは無駄になってしまう。俺は無駄なものは持ち歩かない性分だから捨てることになるぞ?」
(そ、そんなのもったいない!)
僕は慌てて包み紙を解いた。そうしていなり寿司を手にとって大急ぎで食べる。はむっと噛みつくとじゅわっと染み出す汁がおいしくて顔がにんまりした。
「さて、人の世に出てきた妖をどうするかだが……。一般的には妖の世界に追い返すんだが、抵抗するならそのまま消し去ることもある」
男が隣で何か話している。でも、いまの僕はいなり寿司のほうが大事で男の話はどうでもよかった。
「悪さをしたかどうかは関係ないし興味もない。人の世に出て来た妖をどうにかするのが俺の生業だからな」
(はぁ~、おいしかった)
指についた汁までぺろりと舐め取る。それから懐にしまっていた手拭いで綺麗に拭い、包み紙を丁寧に畳んでから赤い紐をその上に載せた。
(相手は人間だけど、こういうときはお礼を言うべきだよね)
隣に座る男をチラッと見る。「おいしかったかい?」と聞かれて大きく頷いた。
「じゃあ、もう未練はないな」
男の言葉に、僕はきょとんと見つめ返した。