8:まずはこの時代の生活に慣れる必要がありそうだ
「……問題はないですかな?」
「ええ、これで正式に契約は成立しました。後は住み込みで働くことになりますので、家内が案内します、ゆり、ゆりはいるか?」
「はい、ここにおります」
「正式に手代としてここで働くことになった成剛様と牧夫様だ。御二人は色々と初めての方だ。手代の部屋に案内して簡単に仕事の事を説明しておきなさい」
「承知しました」
「では、明日の明け六つから覚えてもらう仕事がありますので、それまではゆっくり休んでいてください」
「ありがとうございます、仁十郎さん」
「ありがとうございます、恩に着ます」
正式に七本屋の従業員となり、手代としてスタートすることになったわけだが、仁十郎さんの奥さんであるゆりさんが案内してくれることになった。
「あ、みや……先ほど五反田の平蔵さんが来てご指名があったから、すぐに部屋に来て頂戴」
「はい、ゆりさん。成剛様、牧夫様、今日はありがとうございました」
「いえいえ、また何かありましたらよろしくお願いいたします」
「ありがとうございました。みやさんもお仕事、頑張ってください」
「ありがとうございます、それでは行ってまいります」
これまで怒涛の展開についてきてくれたみやさんは、指名をしてくれたお客さんの相手をするようで、一旦ここで分かれることになった。
飯盛旅籠が遊郭の一種であると最初説明を受けたが、飯盛というだけに旅館としての慣わしも一応行っているらしく、そこからお客さんとの同意を経てからサービスを受けるという仕組みになっているようだ。
旅籠の中を抜けてから、奥の方に進むと従業員専用の建物に入ることになる。
ここで働いている男性陣が利用している泊まり込みの宿のようなものであり、それ相応に綺麗にしている状態だ。
奉公人や丁稚の人達が寝泊まりしている部屋の戸が少し開いていたので、俺はチラリと見てみたが部屋にところ狭しと布団が敷かれており、窮屈そうにしながらも大きないびき声を出して寝ている人も複数人いるのが見えた。
恐らく、夜勤で働いていた人達だろう。
「ここが、男衆が住み込みで住んでいる場所になります。人数は十人程度だけど、手代は二人一部屋なのでここから更に奥の方になります」
「あっ、これは女将さん!お疲れ様です!」
すると青い服を着て雑巾がけをしているパッと見て14歳ぐらいの少年がゆりさんに頭を下げて挨拶をしてきた。
彼もここで働いている従業員のようであった。
「半兵衛、こちらは明日から手代として働くことになった成剛様と牧夫様だよ。お二人にも挨拶をしなさい」
「は、はい……お初にお目にかかります。ここで丁稚をしている半兵衛と申します、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、私は高峰成剛です。今後ともよろしくお願いいたします」
「植付牧夫です。よろしくお願いいたします」
「男衆に関しては私の方から説明しておきますので、半兵衛は掃除をしっかり頼みますよ」
「はいっ!」
半兵衛と名乗った少年は雑巾がけを再開し、床も綺麗に磨いている。
丁稚と言っていたので、ほぼほぼお手伝いさんのような感じなのだろう。
これは成剛曰く、吉原の遊郭とは違って規則などは比較的緩く、飯盛旅籠で働いている従業員に関しても、必要最低限の仕事ができればそれでよかったようだ。
一応、半兵衛のような少年などもこうしてお店の下っ端とはいえ、従業員として働いているようだが、彼らはどのような仕事をしているのか気になり、ゆりさんに尋ねる。
「ゆりさん、ここでは奉公人や丁稚の人達はどのような事を任されているのですか?」
「基本的に掃除や家事全般ですね……それから、ウチは飯盛旅籠ですので夜の間は灯りが途絶えないように油差しをしたり、料理を提供する際に調理を行う者が常駐しております。いつも十から十五人程度が働いておりますので、その日によって違いがあります」
「なるほど……」
「さて、こちらが御二人のお部屋です」
ゆりさんに案内されて通された部屋は四畳半ほどの部屋であった。
押入れもあり、おまけに簡素ながら机も用意されている。
ここで俺と成剛は暮らす部屋だ。
「ほぉ、四畳半ですか……いいですね、落ち着きのある部屋だ」
「丁度一昨日まで手代として働いていた者が使っていた部屋です。片付けてはおりますが、それでも部屋は常に綺麗に使ってください。長屋のように乱雑に使ってしまうと畳が傷んでしまいます」
「はい、大事に使わせていただきます」
相部屋とはいえ、先ほどの大部屋でギッチリと人が密集している部屋に比べたらかなり好待遇だ。
それに四畳半といえば、日本を代表する有名漫画家たちが寝泊まりしていたアパートの部屋の広さが四畳半であったり、四畳半という部屋の狭さを題材にした文学小説が有名だろう。
狭いながらも、ここがこれから住んでいく拠点となる部屋でもあるのだ。
「では、荷物を置いてください。これからここでの働き方についての作法を教えます」
俺たちはゆりさんに言われた通り、手提げかばんやリュックサックといった持ち物を部屋の片隅に置くと、ゆりさんはここで働くために必要なルールを教えてくれた。
「さて……御二人はここで働くのは初めてのようですので、くれぐれも注意して頂きたい事がございます。まず第一に、手代として採用されたとはいえ、奉公人や丁稚の人達にはくれぐれも敬意を払ってください」
「勿論です、先任者である彼らのほうが知識も経験も豊富ですから」
「先任の手代は……あまりそうした敬意を払うばかりか、奉公人や丁稚をイジメておりました。結果として、イジメを受けていた側が耐えかねて手を出し、手代の両目を潰す事案が発生しましたので……」
「えっ……そんなことがあったのですか」
「幸い、すぐに手を出した者を取り押さえる事は出来ましたが、手代は目が見えなくなりましたので寺に入り、そこで一生を過ごすことになるでしょう……なので、くれぐれも威張ったり、相手を見下すような言動は謹んでください」
まず第一に、同じ従業員同士仲良くしろとまではいかないにしろ、イジメが原因による傷害事件があったようだ。
現代でも職場いじめによって退職を余儀なくされるケースは多いが、イジメた側を物理的手段でとっちめてしまうケースは珍しいと言える。
最も、江戸といえば「喧嘩と火事は江戸の華」ということわざがあるぐらいに、江戸では火事も多ければ喧嘩も派手なぐらいに乱闘沙汰になるぐらいな事が多かったと聞く。
つまるところ、江戸っ子は気が短いのだ。
俺と成剛は目を合わせ『もし注意したりする際は、大声ではなく個室等の場所でしっかりと行ったほうがいい』事を再認識した。
そして、二番目がこの飯盛旅籠で働く際に重要な事項だ。
「ここで働いている女性たちは遊女であり、主人との契約によって働いている者達です。決して、彼女たちには手を出さないで下さい。もし、手を出せばその時点で御法度であり、発覚した時点で町奉行に突き出します」
そう、ここで働いている遊女への手出しだ。
後で成剛が説明してくれたのだが、例え遊女との相思相愛の関係になったとしても、勝手に手を出すことは許されないものであり、そうした間柄になって行為をするにしても、身元を隠した上でわざわざ飯盛旅籠にいかなければならない程であったと言う。
これが許されるのは、正式に身請け金を雇い主に支払って、遊女を買い取る形で契約をしなければならない。
それも、身請け金はまちまちではあるにせよ、飯盛旅籠での遊女の身請け金は一般庶民の年収の2年から3年分が相場であったという。
吉原の花魁に至っては、このさらに数十倍だったらしいので最低でも金1500両以上だという。
現代の紙幣価値にして2億円以上の支払いを要求されたのだそうだ。
これには現代でも高級ブランドなどを若い女性に貢いで遊んでいる成金のおじさんもビックリだろう。
禁断の関係が発覚すれば最後、男女関係を強制的に引き裂かれる上に、手痛い仕打ちが待ち構えているようだ。
ゆりさん曰く、こうした禁断の関係に陥ってしまう遊女が年に数件発生している事も明かしてくれた。
「分かっているとは思いますが、毎年数人はこのような事案によって身分を剥奪され、島流しや最下層送りとなりますので、決してそのような事をしないように……」
「はい、肝に銘じておきます」
「よろしい。では、明日から仕事に励んでください。服に関しては後でお持ちしますので、その服に着替えてから仕事をしてくださいね」
「分かりました。色々と教えてくださりありがとうございます」
「ええ、頼りにしていますよ」
俺と成剛は案内と仕事のルールを教えてくれたゆりさんにお礼を言った。
ゆりさんが部屋から去った後、一先ずこれからの事についてどうするか成剛と相談することにした。




