7:おめでとう、俺たちは正式採用されることになった
俺と成剛は非公式ながらも契約を結ぶことになった。
仁十郎さんがゆりさんを呼び出し、この七本屋で働くことになる上で必要な契約書を持って来させるように頼んでいる。
契約書といっても、現代みたいに雇用主が契約書を作るのではなく、労働者側が身分を証明する形で記載し、主人に提示することが殆どだったそうだ。
「今回は私が、成剛様、牧夫様の身元保証人として契約を結びますので、証文に印と名前を書いて下さってもよろしいですか?」
「それは構いませんが……成剛、仁十郎さんに身元保証人になってもらうのは問題ないか?」
「問題ないさ、むしろ仁十郎さんでやってもらわないと俺たちが困るぜ。この時代はなぁ、保証人制度の上で仕事が回っている時代さ。現代みたいに履歴書一つで働ける時代じゃないからな」
成剛曰く、自分の住んでいる場所だけではなく、宗派や連帯保証人などを記載する必要があったらしく、万が一労働者側がブラック労働に耐えきれなかった場合は、家族や連帯保証人がその際に生じた損失の補填を行うこともあったそうだ……。
さらに言えば、そうした逃亡した労働者というのは戸籍などを剥奪された状態となってしまうことも多く、現代で言うところのホームレス状態となってしまうというのだ。
「マジか、辞めるにしてもバックレたらほぼほぼ人生終わりだったのか……」
「雇用主が証文だけじゃなくて、身分証明書や金銭を管理していたからな」
「ヒェッ……めちゃくちゃえげつないな……」
「最も、そうした奉公人や丁稚を酷使するようなところは周囲からも煙たがられて評判も悪いからな……大抵は、評判とか知らない遠国の地域にいる少年少女をリクルーターに金を積ませて契約結ばせていたみたいだぜ?」
「うーん……恐ろしいな……」
「とはいえ、俺たちはそうした労働契約ではないからな。かなり好待遇だよ」
「はい、成剛様と牧夫様には手代としてお任せしたいのです」
今回の場合は奉公人や丁稚のような完全な召し使いや、お手伝いさんという扱いではなく、手代という役職を確約してくれたようだ。
板橋宿ではそうした飯盛旅籠での中間管理は手代ではなく「中どん」という称号で呼ばれていたそうだが、今回仁十郎さんは分かりやすい役職ということで手代という名称で通すようだ。
奉公人や丁稚に関しては完全に平社員ないしお手伝いさん扱いでほぼほぼ無給なのに対して、手代は現場主任クラスだそうで、つまるところ、奉公人や丁稚に関して指示を出したりすることが出来る中間管理職なのだそうだ。
流石にいきなり番頭となるのは難しいようで、かと言って紹介者の仲介や身元保証人の証明書が必須な奉公人や丁稚だと、下っ端から指示を受けているという印象を与えかねない。
そこで、手代にすれば経営にも関与出来る上に、それ相応の給料も支給されるのだ。
また、経営に大きく貢献して実績が認められたならば、番頭という役職にランクアップすることも出来るという。
それに手代という役職では、雇用主がある程度身元保証人になってくれるということもあり、連帯保証人はおろか関所で身分提示できるものが何一つない(※現代から持ってきた免許証や健康保険証……マイナンバーカードに至っては使えないのでノーカウントとする)今の俺たちにとっては、仁十郎さんが身元保証人になってくれるのは、実にうってつけの役職でもあった。
「お待たせいたしました。まずはこちらの契約書をよくお読みください」
「おっ……これが契約書か……う、うん?くずし字かコレ……」
「主人との直接契約だからな、しっかりとした契約書でないといけないからね。牧夫、俺が読んでおこうか?」
「助かる。くずし字はちょっと読みづらいからな……」
現代では殆ど見なくなった難しいくずし字で書かれた契約書を成剛はスラスラと読み漁り、誓約書内に書かれている役職や、不備が無いか確認をしていた。
「どうですか?この条件であれば問題ないとは思いますが……」
「ふむ……そうですな。雇用、労働条件としては申し分ないですね。夜勤もあれど、それは飯盛旅籠ならではの事……休みも月に6日ある……ほぉ、かなり好待遇ですな」
「つ、月に6日なのか?」
「牧夫、この時代は基本的に商人や職人は現代よりも労働時間が短かったけど、その分月の休みは4日程度だったんだぞ。だから6日間も休みがあるのは、この時代ではかなり良心的だぜ」
「そ、そうなんですか仁十郎さん?」
「ええ、ウチでは働いている女性たちにも休みも他の飯盛旅籠より多めに入れているのですよ。なので、昼間だけ休んで夜に働いたり、逆に昼間の間だけお客様のお相手をする方もいらっしゃいます」
この七本屋では、女性は働いた分だけ稼げるシステムとなっており、昼間だけ男性の相手をする人もいれば、夜間のみ相手にする人もいるという。
日勤と夜勤、もしくは両方で働いて沢山稼ぐという方法も出来るのだそうだ。
そして、飯盛旅籠という関係上、夜間でも店を営業していることになる為、手代は夜になっても誰かが起きて不測の事態に対処する仕組みとなっている。
夜勤と日勤をローテーションした上で、完全休日が6日。
これから換算すると一日の平均労働時間は6~8時間程度だろうか……。
職人や商人の労働時間から考えても、少し長く感じてしまうが、それでも、この時代を基準にしてみればかなり好待遇で俺たちを雇ってくれるそうだ。
「つまるところ、俺たちはかなり優遇されているって事だ。仁十郎さん、この契約で問題ないですよ」
「ありがとうございます。それでは名前を書いてもらいましたら正式に契約が成立致します」
「わかりました。牧夫も問題ないな?」
「あ、ああ……成剛がチェックして問題なければそれでいいよ。それで、この左の端に自分の名前を書けばいいんだな?」
「そうだ、ところで筆で何とか書けそうか?」
「ああ、とりあえず名前を書けばいいんだな?」
「そうそう、そこに筆を使って書いてくれよ」
「中学生以来だな……筆使うの……」
「安心しろ、字が下手くそでもちゃんと書けば問題ないさ」
筆を用意されたが、くずし字で名前を書くのは難しかった。
……辛うじて名前を書くことには成功する。
そして、成剛に至ってはスゴイ達筆でくずし字でしっかりと名前を書いたのである。
こうして、俺と成剛は正式に七本屋の従業員となったのであった。