6:取引
この岡場所である飯盛旅籠を経営している七本屋の主人、仁十郎さんは俺たちを見るなり困惑……というより格好を見てどんな奴か判断付かない顔をしている。
(そりゃそうだ。こんな格好をしている連中が主人に会いたがっているなんて言われたら警戒するわな)
少しばかり沈黙した後に、成剛が話を切り出した。
「おっと、仁十郎さん。そう警戒するのも無理はないさ、むしろ警戒しなかったらそれはそれで危ないモンさ……私は高峰成剛、隣にいるのは植付牧夫と申します」
「は、はぁ……高峰様と植付様でございますか……私に用があるとのことでしたが……」
「ええ、如何せん幕府も関わる大事な話でございますので……それに、みやさんにも関わりのある話でありますので……どうか聞いていただきたい」
成剛はそう言うと、みやさんを保護した経緯を話した上で、みやさん本人もその現場で起こった事を仁十郎さんに説明したのである。
説明としては彦七という男が、手下の仲間を連れてみやさんに因縁を付けて性的暴行を起こそうとしていたという事を伝えた。
これは俺も現場に居合わせていたこともあり、その説明を補強するように語ったのだ。
仁十郎さんは、その事に納得はしてくれたようだ。
さっきよりも顔も少しだけ柔らかくなっているのか、うっすらと警戒を解いているようにも見える。
「成程……縁日で稲荷神社に行こうとしたら、彦七とその仲間たちに襲われていた所を成剛様と牧夫様に助けられたというわけですね……?」
「はい、その通りです旦那様。成剛様がその場で彦七さんたちを咎めてくれたお陰で、私は乱暴されずに済みました」
「そうか……いや、御二人のお陰でウチの者が助かりました。ありがとうございます」
「いえ、それに関しては当然の事をしたまで……礼には及びませぬ」
「……して、成剛様……幕府も関わる話というのは、これに関係している事でございますか?」
「うむ、中らずと雖も遠からず……という所ですな。こちらを見ていただきたい」
成剛はそう言うと、先ほどしまっていたスマートフォンを取り出して起動させた。
未来技術の結晶ともいえるスマートフォンを起動させて何をしたかと言えば、成剛がスマートフォンの画像フォルダーの中から刀の写真を仁十郎さんに見せたのである。
スマートフォンという手鏡程の大きさの画面から、精巧かつ精密な刀の写真が出てきたことで、仁十郎さんは先ほどとは打って変わって、目が飛び出そうな表情をして驚いている。
まだこの時代は写真すらも撮影するのに5分以上の時間が掛かる上に、持ち運びにも
「ややっ……これは一体なんでございますか?!手鏡程の大きさかと思ったら……」
「これは”スマートフォン”と呼ばれている機械でございます」
「こ、これは……いや、どんな原理で刀がこの中に入っているのでございますか?!」
「……そうですな、今から160年後の未来では誰でも持っている道具でございます」
「ひゃ、百六十……」
「おい成剛、もう未来から来たことバラしていいのか?ネタバレ早くない?」
「いずれ露呈されてしまう前に説明したほうがいいだろ?」
「そりゃそうだけど……ほら、仁十郎さんだけじゃなくてみやさんもフリーズしているぞ」
スマートフォンを取り出して未来からきた宣言をした途端に、みやさんも仁十郎さんも目がテンになって固まってしまっている。
令和の世から江戸時代にタイムスリップした俺たちもビックリしているが、それ以上に未来人であることを道具も見せられてしまったことで、それを理解しようとして思考がストップしているに違いない。
辛うじて冷静さを取り戻したみやさんが、恐る恐る俺に尋ねてきた。
「ま、牧夫様……み、未来……本当に未来の世から来たのでございますか?」
「そうですね……成剛の言っていることは事実です。俺たち二人は160年以上後の世界から来ました」
「では……その、成剛様が出したすまーとふぉんという物も……」
「持っていますよ、ご覧になりますか?」
「は、はい……」
俺はスマートフォンを取り出して、みやさんに見せる。
成剛とは違い、製造メーカーが違うものの同じ通信会社で契約したスマートフォンだ。
成剛のはブラックだが、こっちはシルバーだ。
成剛とのスマートフォンの違いを見るみやさんに続き、仁十郎さんもようやく頭の中で整理が出来たようで、仁十郎さんは成剛に尋ねた。
「せ、成剛様……本当に、牧夫様と同じく未来かた来たのは本当なのですね?」
「如何にも、我々は今から160年以上後の世界から参ったのです……」
「お、恐れながら……未来の世はどうなっていますか?」
「そうですな……人が八十歳を超えて長生きするのが当たり前になり、労咳(現代でいう結核の事を示す)や脚気といった大抵の病は治療を受ければ治る世の中にはなりました」
「は、八十歳まで生きられるようになるのですか?!」
「特段大きな病気を患わずにしていれば、そのくらいになりますね。私の知っている人も、九十七歳になっても化学に関する学問の先生をしている人もいるぐらいですから」
成剛は未来について、まずは明るい話題から切り出した。
江戸時代当時では治療が難しかった結核や脚気に関しては治療法が確立され、高齢者に至っては75歳を超えることも珍しくない。
この時代の平均寿命は40歳……。
昭和初期までは日本人の平均年齢は60歳程度だったし、現代みたいに80歳を超える高齢者が多くなったのは医療技術が飛躍的に向上したお陰でもある。
それに、乳幼児の死亡率も現代に比べたらべらぼうに高かった。
それ故に、女性が子供を沢山産んで育てているというのも、子供が成年を迎えるまでに3人に1人は死んでしまうから、子供を多く産んで子孫を残す意味合いが強かったのだ。
「確かに、未来は便利になりました。とはいえ、現代は子供を産む人も減り、世界を巻き込んだ大きな戦が起こり、希薄になった人間関係によって人々の心も荒んでおります……戦の映像も見てみますか?」
「……未来の戦ですか?」
「ええ、数年前に領土問題から端を発した戦です。この戦によって人々も大きく変わりました」
成剛が見せたのは、国連常任理事国が引き起こした侵略戦争の映像であった。
戦闘ヘリが対空ミサイルによって撃墜され、連射する銃を持った兵士達が家を破壊しながらも陣取りをする光景。
街は砲撃によって徹底的に破壊され、輝かしい戦とはかけ離れている光景に、仁十郎さんは言葉を失ってしまった。
「未来の世は、政治も戦も……人との関わりすらも荒んでしまっているのです。私と牧夫がこの時代にやってこれたのも僥倖でしょう。最近はペリーが来航したことや桜田門外の変が起こったことで幕府としても攘夷派を抑えたい所……今日、みやさんに襲おうとしていた彦七もそうした攘夷派と繋がりのある浪人かもしれません」
ここで成剛は攘夷派の事を引き合いに出して、彦七が攘夷派の浪人ではないかと言い始めた。
攘夷派という言葉に、ピンとした表情で仁十郎さんは聞いている。
やはり、この頃から尊王攘夷運動を掲げている浪人や武士も多かったこともあり、ピリピリした情勢なのだろう。
「で、では……幕府に関わる事というのは……」
「ええ、少なくとも幕府や治安を脅かそうとしている者がこの板橋にいる。仁十郎さんはその者を摘発するように仕向けるのです。板橋宿の中でも信頼されるようになれば、周辺からの評価も上がり、この店の利益を上げることにも繋がります」
「た、確かにそうですが……ですがどうやって……?」
「もし、よろしければ私と牧夫が未来の情報と知識を通じて仁十郎さんのお手伝いを致しましょう。七本屋で他の宿とは異なる新しい客入れの技術とやり方がございます。最も……我々は未来からやって来たために戸籍や身分証明書を持っておりません。宿を含めて衣食住を手配して頂ければ……七本屋で働きますよ」
成剛はここで俺を巻き込んで、この七本屋で手伝いをすると仁十郎さんに申し出たのだ。
確かに、他に働き口があるかといえば微妙だし、七本屋で働いているみやさんが口添えしてくれる可能性も高い。
他に行く当てがない俺たちにとっても、成剛の出した提案に乗るしかない。
仁十郎さんは、未来の技術や情報も欲しいのだろう。
彼は少し考えた末に、成剛との取引に応じたのだ。
「……わかりました。こちらで衣食住を用意致しましょう。よろしくお願いいたします」
「ええ、こちらこそ」
成剛と握手を交わし、俺もついでに七本屋で働くことになったのであった。