5:漢は度胸、何でも試してみるもんだよ
奥に案内されると応接室と思わせる立派な部屋にたどり着いた。
思っていたよりも広い。
ワンルームタイプの部屋といえば分かりやすいだろう。
畳がびっしりと敷かれており、一般人が真っ先に思い浮かべるような和室であった。
テーブルも無ければ、ちゃぶ台のようなものすらもない。
その代わりに、座布団はしっかりと置かれているし、真ん前には虎の絵が描かれた掛け軸が飾られており、その下には花が活けている古い壺が置かれている。
(宿の中でもいい部屋って事だな……恐らく、空いている部屋の中でもいい部屋を選んでいるわけか……それに、障子の戸を開ければすぐに外なのか……)
応接室のような雰囲気も出ているが、部屋には障子を通じて外の明かりが入り込んでくる。
この時代……窓ガラスが本格的に導入されてくるようになる明治時代までは、障子を開ければすぐに外に繋がっているような状況だ。
富裕層向けの建物などには障子を守るために雨戸もあったが、基本的に障子が外部との接続を繋ぐ戸としての役割も担っていた。
つまり、これだけでも『明治時代以前の建物』という事が分かるのだ。
現代のように部屋の中や廊下との間や、窓ガラスの手前にカーテンの代わりに障子の戸が置かれているようになるのは明治時代以降から本格化していったそうだ。
歴史的建築物に指定されている建物の中でも、明治時代以前の建物に関しては障子の戸は『原則として内側』に設置されているのだ。
……無論、どうして知っているのかと聞かれると、ゼミの課外授業で習った上に、隣にいる成剛が教授と一緒に説明をしていたからだ。
うん、教授の説明の機会を奪う程に詳しいからな成剛は……。
「すぐに主人を呼んでまいります。みや、それまでお客様の相手をしていなさい」
「はい、ゆりさん……」
「それまで、ごゆっくりおくつろぎください……」
ゆりさんはそそくさと部屋を出ていく。
七本屋の主人を呼ぶらしい。
というより、成剛みたいなお客が来たら戸惑うだろう。
何というか……扱いに困る客が来たなという認識だろう。
服装は変わっている人間がいきなり主人に内密の話があるから部屋を通してくれと依頼してきたら、満額通りに受け取るのではなく、最低でも主人に「何かヤバい人来ています」と呼び出すのが筋だ。
きっとゆりさんも裏で主人にそう言っているに違いない。
「せっかくだ。有り難く座らせてもらおうかな」
「そうするか……みやさんも座りますか?」
「え、ええ……お言葉に甘えて……」
俺たち三人は敷かれている座布団に座る。
成剛は胡坐をかくようにドシッと構えるように座り、すぅ~っと息を整えて空気を吸い込んでいく。
畳の部屋の匂いを嗅いでいるようであった。
「ふぅ~っ……畳の香りっていいよね……」
「うん?まぁ確かに……畳の家って少ないからな……俺たちの世代だと……」
「田舎の古い家か……もしくは物好きな人間じゃないと畳の部屋を使わない……って事だろ?」
「ご名答、それにな牧夫……。こいつは良い畳だ、藺草の香りが芳香剤を使わずとも、しっかりと香ってくる上に、畳縁の所にもしっかりも模様が施されているだろ?ここの主人は良い畳を使っているな」
「すごいな……それだけでも分かるのか……」
「分かる。歴史ガチ勢なめるなよ」
どうやら成剛曰く、高級な畳を敷いていることもお見通しのようだ。
これだけの部屋で一体何をしているのだろうか……。
飯盛旅籠と言っていたけど……これは旅館という意味だったはずだ。
随分と広い部屋だなと思っていたら、僅かではあるが男女が交わっているような声が聞こえてきたのだ。
それも、中々激しい遊びをしているようで、声がここにも届く程であった。
「むっ……これは……おいおい、すげぇ声だな……」
「結構激しくやっているな、なんかズシズシ音がこっちまで響いているぞ……さぁ激しく!もっと激しく!」
「そうやって煽るのはやめないか!……にしても、確かに音はスゴイですね……」
「あっ、あの声は……よねさんですね……あの人いつも声が大きいので有名なのです」
「うん?いつもこれをやっている……?」
みやさん曰く、どうも女性の声の主は「よね」という人らしい。
いや、これ凄く目立つ声だな……。
さっきから「あああっ!」とか「いいいっ!」とか、声だけで「あいうえお」が出来そうな感じだぜ。
……それも、一回や二回だけではない。
耳をすませば、色っぽい声と振動音が交互に聞こえてくる。
いつもやっているというフレーズが気になる上に、二階からもズシズシと交わっている際に発生しているであろう肉体同士の交差音が聞こえてくる。
ここで俺は感づいてしまった。
この宿泊施設はただの宿泊施設ではなく……男性客を呼び込んで女性が相手をする店ではないかと……。
つまるところ、コレ遊郭だわ。
「……なんかさっきから色っぽい声や動作音が多いな……なぁ成剛、もしかしてこのお店って……」
「ふふふっ、気が付いたか牧夫……ここは男性のムラムラを発散させるために作られた宿場の一つだ。そしてここはソッチ系の宿泊システムを採用している店だ……」
「ソッチって……いや、普通はこういう場所って幕府から違法扱いになっていたんじゃないか?」
「あっ、それでしたら大丈夫ですよ牧夫様……」
「……と言いますと?」
「飯盛旅籠が多くある板橋や品川などは遊里として幕府によって認められていますから……お客様を受け入れて、お相手するのもお上から認められております」
みやさんが説明してくれたのだが、江戸時代初期の頃には幕府が定めた遊郭以外の場所での娼婦を提供するお店は御法度とされ、そうした場所は岡場所とよばれて取締の対象になっていたようだ。
「取締も何度か行われておりますし、天保の改革では江戸四宿である品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿以外の岡場所は取り潰しや移転されたといわれております」
「そんなに……でも、取締が行われていてもなぜ何度も復活したりしているのですか?」
「やはり宿場町ですから、人が多く行き交うのです。人が多ければその分商売も成り立ちます」
だが、吉原以外の場所でそうした岡場所を行うケースが多い上に、宿場町が与える経済効果を鑑みて、そうした店に関しては一店舗につき二人までという制約を加えた上で営業許可を出すように至ったという。
こうして誕生したのが飯盛女であり、飯盛女が所属している旅籠を飯盛旅籠と呼ぶようになったそうだ。
「つまるところ、人間は本能を切り離せないという事だよ……幕府だって人のそうした性までは強制的に取り潰すことは出来なかったんだよ。なにせ庶民や下級武士の多くが愛好していたからね」
「成程、人間の性というわけか……」
「天保の改革が失敗したのも、一説には江戸の四宿以外の岡場所を潰しまくったせいで、庶民層が猛反発しまくったというのも理由に挙げられているんだぜ?」
「マジか……性の恨みは怖いねぇ……」
「今では人数制限も緩和されておりますし、役人の方にはしっかりと話を付ければ余程の事が無い限りでは咎められることはございません」
江戸時代後期からは一店舗につき二人までという制約も撤廃されて、この板橋宿だけでも表向きは150人もの女性が在籍して働いているらしい。
実際には過少報告されているようで、300人以上の女性が身体を張って飯盛旅籠で働いているそうだ。
そして吉原との違いは、幕府公認であるか否かであるかというのもあるが、ここでは店に入店したりする際の手続きが簡単だという。
何でも、吉原に赴く際には仲介手数料などを引手茶屋を通じて支払う必要があり、さらに引手茶屋で遊郭に通されたとしても、そこで飲食をしたりするなどしてかなり出費も多く掛かったという。
一方の岡場所では、そうした手数料システムを採用しているところは殆どなかったこともあり、吉原に比べたら良心的な値段で遊ぶことが出来るという。
女性にとっても吉原は豪華な反面規則も躾も厳しいらしいが、岡場所ではある程度の制約を除けばそうした規則はかなり緩かったようで、人気が出ればかなりの金額を稼ぐこともあったそうだ。
ここで俺は話をまとめることにした。
「……幕府公認の吉原遊郭は、上級武士や高級商人といった富裕層向けの場所であり、警備も厳しい場所、岡場所は宿場町の中にも点在しており、料金も吉原に比べたら安価という事か……」
「そう言う事だ牧夫、みやさんの説明……とってもわかりやすかったですよ、説明してくださってありがとうございます」
「あ、ありがとうございます……!」
……みやさんも、飯盛旅籠で働いている一人ということだ。
あどけない笑顔で受答えをしているみやさんを見て、俺は少し心が苦しくなった。
きっと、大変な苦労をしているんだろう。
現代でも性産業で働いている女性は体調管理も大事だし、何よりもそこで働いていることを軽蔑している人も一定数いるのも事実だ。
(現代ですらそういったことがあるくらいだから、この時代で遊女をしているってことはリスクなどを受け入れてやっているってことだよな……)
そんなしんみりとした瞬間に、部屋の襖が開いて恰幅の好い男性が入ってきた。
どうやら、この飯盛旅籠の主人のようだ。
「お待たせいたしました……七本屋の仁十郎でございます」