理由
その夜、客室を訪ねて来たのは弓月ではなく、邸の主だった。
時刻は既に日付を越えた頃だったが、彼が来ることは分かっていたから、葛城は浅緋色の衣を纏ったままだった。
「夜分に失礼します、葛城殿」
「お待ちしておりました」
互いに承知していたように、葛城は吉野を招き入れた。
吉野が持つ盆の上には湯呑みが二つ乗っている。それを卓子に置き、二人は向かい合って座った。
「我が家の畑で採れた茶です」
「いただきます」と言って、葛城は湯呑みに口をつけた。香ばしい香りが鼻に抜け、喉を通る熱さが肌冷えた身体を暖めてくれる。
「……美味しいです。これはどの様に?」
驚いたように呟く葛城に、吉野はふふっと笑みを溢す。
「葉先だけを摘んで、蒸して揉んで干してを繰り返すのです」
「それだけですか?」
「それだけです。手間を惜しんては、美味しいものは出来ませんから」
葛城は湯呑みを卓に置き、目前にある端正な顔を見つめた。
白い額に深い色の涼やかな瞳、鼻梁は高く、口許には柔らかな笑みを湛えている。決して女性的ではないが、絹糸のような髪を払う仕草には独特の艶やかさがあった。
三十歳は越えているだろうに、童顔の弓月と並んでも、歳の離れた兄弟にしか見えない。
「私と姉、弓月の母親は出雲で生まれました」
一瞬揺らいだ心を見せぬように、葛城は吉野を見る。
「山深く、神気が満ちた地です。玉泉も多く、故に出雲には霊力の高い者が多く生まれる」
「弓月殿も?」
吉野は苦笑して首を振る。
「あれは全く霊力を持たない。逆に稀有な存在です」
吉野は視線を落としたまま、手の中の湯呑みを揺らす。
「そのくせ、『見る』力だけは強い。そして彼の地の『加護』がある」
「お気づきでしょう?」と問われ、葛城は黙り込んだ。
葛城は忙しく思考を回転させる。微笑の裏にある男の思考が読めない。何処まで此方の事情を知っているのか…………考えて、腹を括る。この男に嘘やごまかしは通じない。一度でも偽りを口にすれば、二度と葛城の言葉に耳を貸さないだろう。
「羅羅の話を?」
吉野は頷く。
「どうも大陸の者達は、故意に和国へ怪異を送り込んでいる節があるのです」
和国を囲む海は天然の防壁で、大陸からの怪異の侵入を防いでいる。時折、迷い込むことはあっても、人命を奪うほどの凶悪な怪異が現れる事は稀だった。ところがここ数年、その数が急激に増えている。
「まさか……」
けれど吉野にも思い当たる事があるのか、思案するように目を伏せた。
「力のある怪異ほど貪欲で狡猾です。怪異が増えれば陰の気が溜まり、更なる凶魔を呼び寄せる。飛鳥に敷かれた守りの陣が破られることがあれば…………」
どうなるか、互いに言わなくても理解した。
吉野は葛城を見つめ、深く息を吐く。
「それで、君がここに来た目的は何だ?」