酒家
弓月が向かったのは、朱雀通りを二つほど西に抜けた場所にある建物だった。
看板もなく、入口には灯籠がひとつ吊られているだけで、開け放たれた引戸を覗くとそう広くはない店内に客が犇めいている。
酒と炙った肉の匂いが立ち込め、酔っぱらい達の意味のない会話が飛び交う。
とにかく騒がしい。
「いらっしゃ……あら、弓月」
大皿を手に、並んだ卓の間をすいすいと歩いていた女性が、此方に気づいて破顔した。
「こんばんわ、伯母さん。席空いてる?」
「いいわよ、二階に上がんなさいな」
「ありがとう」
弓月は葛城を促し、慣れた様子で酔っぱらい達の間を抜けると、店の奥にある細い階段を上る。
突き当たりに狭い板の間があり、右手にある引戸の先に、(*)三間四方ほどの部屋があった。
天井は低く、中央には座卓が置かれている。
腰を屈めながら中に入り、二人は向かい合うように藁で編んだ円座に腰を下ろした。
「ここは?」
「俺と東雲の行きつけの店」
「酒、飲めるのか?」
「お前…………俺を幾つだと思ってる?」
弓月は呆れたように葛城を見る。
和国では、加冠を過ぎれば大人と見なされ、出仕も出来る。
宴席では酔った上官に飲まされることも少なくないため、酒に強いのは出世の条件のひとつと言われるくらいだ。
幸いなことに、弓月は酒に強かった。
あの吉野に「ザル」と言わしめるほどである。
因みに東雲もそこそこ強く、後輩たちが受けた杯を二人で飲み干し、酒癖の悪い上官を潰したことも一度ではない。
「酒聖」と書いて「うわばみ」と呼ばれていることを本人だけが知らない。
暫くすると、先ほどの女性が引戸の向こうから顔を覗かせた。
弓月は立ち上がると、女性が差し出す大皿と、酒器の乗った盆を受け取る。
「足りなくなったら、声かけな」
「ありがとう」
弓月は女性に礼を言って、引戸を閉めた。
階下の騒がしさが一気に遠ざかる。
「さあ、食おうぜ。飲めるだろう?」
酒で満たされた杯を、葛城は黙って手に取る。
弓月は自らの酒杯を目の高さに上げ、一気に飲み干す。
倣うように葛城も、一気に呷った。
喉の奥が焼けるように熱い。
「……強いな」
「やっぱり、イケる口だな? この酒は特殊な方法で酒精を上げてある。通称『命の水』だ」
目を丸くした葛城に、弓月は可笑しそうに笑う。
「ここは肴も美味いんだ」
そう言って、串に刺した肉を差し出した。
弓月を真似て串にかぶりつく。
「…………美味いな」
「だろう?」
肉は炭火で焼いてあり、甘辛いたれが焦げて香ばしい。皮はぱりぱりで、淡白だが旨味が強く歯ごたえがある。
串焼きは、旅先でも何度か食べた事があるが、それとは比べ物にならないほど美味だった。
「さっきの女性、伯母さんと呼んでたな?」
「うん、亡くなった父方の親戚。父の弟の奥さんだった人のお姉さん」
「血は繋がってない?」
「うん。だから親戚だって知ったのも、偶然なんだ」
偶々、東雲に連れてこられ、顔を見た瞬間に名前を問われた。
吉野にも言われたが、弓月は亡くなった母親によく似ているらしい。
妹の甥だと分かると、彼女はぼろぼろと涙を溢しさがら、ふくよかな腕の中に弓月を抱き締めた。
「母親」の温かさを知らない弓月は、不覚にも泣いてしまったのだが、一緒にいた東雲がその事をからかうことはない。
「よく来るのか?」
「んー、月に一回くらいかな?」
他愛のない話をしながら杯を交わせば、あっという間に酒の入った壺は空になった。
大皿も空になった頃、見ていたように追加の酒と菜が運ばれてくる。
「あんた、初めて見る顔だね」
「葛城だよ。今、家に居候してる。葛城、こちら巴さん」
「葛城と申します」
葛城は座ったまま、両手を重ねて頭を下げた。
「あら、ご丁寧に。綺麗な子ねえ…………弓月はちょっとぼんやりしてるところがあるから、面倒見てやってね」
「俺の方が、歳上だよ」という弓月の言葉を綺麗に無視して、巴はさっさと階段を下りて行った。
(*)一間は約1.8m




