兄
兄と初めて会ったのは、十二歳の春のことだ。
それまで甘樫はその存在すら知らされず、父の唯一の後継として育った。
都から離れた西の地で実母と暮らしていたという異母兄を、父は周囲の反対を押し切り自らの側に連れてきた。
その事で母と言い争っていたのも知っている。
兄は美しい人だった。
琥珀の瞳に艶やかな黒髪、凛とした佇まいは、兄の存在を厭う者達さえも一瞬で黙らせた。
甘樫は嬉しかった。
仲良くなりたくて、姿を見れば話しかけ、食事やお茶にも誘った。
けれど、兄は無表情で短く断りの返事を返すばかりだった。
兄の複雑な生い立ちや、甘樫との歪な関係を知ったのは、半月も経った頃だ。
兄にとって、甘樫は実母を辺境の地へ追いやった「敵の女の子供」で、親しくする気になどなれる筈もない。
「子供」に当たる事も出来ず、無表情を貫いていたのだと悟った。
それからは、姿を見ても話しかけることも出来ず、遠くからその姿を見るだけになった。
それから数ヵ月後、父が亡くなり、母も亡くなった。
突然の事に茫然とする甘樫の前に立ってくれたのは兄だ。
父母の葬儀は勿論、やらねばならないことは山積みで、泣いている暇などなかった。
大方の事は父の代からいる者達が取り仕切ってくれたが、細々とした面倒事を、引き受けてくれたのは兄だ。
広く冷たい褥で甘樫を抱きしめ、泣かせてくれたのも。
葬儀を終えると、兄は都を離れた。
あの時の甘樫は兄を引きとめる言葉も持たず、金子を押しつける事しか出来なかったのだけれど。
「愛されていたんですね…………私」
甘樫が倒れたと聴いて戻って来た兄は、目が合うなり瞳を濡らした。
痛いくらいの力で抱きしめられながら、甘樫が感じていたのは、どうしようもない喜びだった。
父からも、母からも感じられなかった、期待も、打算も、含みもない「愛情」を、この兄は与えてくれたのだ。
抱きしめられながら「ちょっと臭いなぁ」と思ったのは兄には内緒だ。
隣で眠る兄を見て、甘樫は微笑む。
寝室の三分の一を占める寝台は、大人が五、六人寝られるほど広々としている。
兄と一緒に寝たいがためにこの寝台を作らせたのだと言ったら、どんな顔をするだろうか?
「この歳になって、兄弟で一緒に寝るなんて」と葛城は躊躇したが、この顔でねだれば渋々と頷いた。
「添い寝」というより「雑魚寝」だが、同じ空間で過ごせることが、甘樫は嬉しかった。
無防備な寝顔を見つめながら、甘樫は枕に小さな頭を乗せて目を閉じる。
仄かな梔子の香を感じながら。




