弟
『大丈夫です』
弟はいつも穏やかに笑ってそう言った。
ふらりと居なくなる兄を責める事もなく、たまに顔を見せれば嬉しそうに迎えてくれる。
葛城にとっては唯一の「家族」だ。
元々、弟とは仲がいいわけではなかった。
異母弟であり、彼の母親は葛城の実母を日の当たらない場所へと追いやった女だ。
そこには諸々「大人の事情」もあったのだが、幼い葛城が知るものではなく、父と会うことなく死んだ母を思えば、彼等と親しくする気にはなれなかった。
父が死に、その妻だった女も死んで、葛城と異母弟は互いに唯一残された家族となった。
幼い頃から「後継」として育てられた異母弟は優秀で、周囲は当然の如く彼を後継にと望んだ。
それについて、葛城に異論はなかった。
「家」から自由になれると思えば清々したくらいだ。
唯一、異を唱えたのは弟だった。
「私よりも、兄の方が後継に相応しい」
そんな言葉に何を言うこともなく、葛城は「家」を出て、都を離れた。
暫くは各地を転々とし、その日暮らしを続けた。
幸い霊力は高かったし、貧乏には慣れている。弟から強引に渡された金子に殆んど手をつける事もなく、気づけば半年が経っていた。
その男は、父の側に仕え、その後は異母弟に仕えていた。
切羽詰まった表情で葛城の前に立った男は、前置きもなく告げた。
「弟君が倒れられました」
そこからの事を葛城はあまり覚えていない。
男が乗ってきた馬を奪い、途中何度も乗り替えて走らせ続け、家に着いたのは二日後の夜だった。
予め伝令があったのだろう、寝所の奥まで遮る者はなく、葛城は草臥れた格好のまま、血の気を失って横たわる異母弟を見下ろした。
無防備な寝顔は痛々しいほどに幼く、同時に加冠前とは思えないほどに老成して見えた。
寝台の傍らに膝をつき、掛布の上に投げ出された手を握る。
『兄上、どうか御健勝で』
そう言って見送ってくれた弟を、葛城は振り返りもしなかった。
あの時、この子供はどんな顔をしていただろう?
「あ……に…………うえ…………」
はっとして視線を上げれば、丸い瞳が葛城を見つめていた。
「帰ってきて……くださったのですか?」
その瞬間、葛城は弟の身体をかき抱いた。
薄い背に腕を回し、小さな肩に額を押しつけて泣いた。
小さな手が葛城の背を宥めるように撫でる。
自分はなんと愚かだったのだろう?
両親を亡くしたばかりの幼い弟に全てを押しつけ、自分ばかりが不幸な気になっていた。葬儀が終わるまでは辛うじてとどまったが、弟がどんな気持ちでいるか、考えもしなかったのだ。
「兄上、どうされたのですか?」
甘樫は驚いた表情で葛城を迎えた。
滅多に顔を見せない葛城が一日空けずに顔を出せば、不思議に思うのも無理はない。葛城が「ここ」を苦手にしている事を、この弟はよく知っている。
「邪魔だったか?」
「とんでもない、嬉しいです」
子供のようにぎゅっと抱きついてくる弟の背に腕を回せば、不思議そうに首を傾げる。
「何だ?」
ふふっと笑って、甘樫は「いいえ」と首を振る。
「ちょっと待っててください、すぐに片づけますから」
手を伸ばす甘樫を止めて、葛城は机に広げた書簡を手に取った。
机の前にある椅子に座らせると、椅子の背に手を置く。
「兄上?」
「二人でやった方が早いだろう?」
「はい」
花が綻ぶような笑みを見て思う。
弓月の言葉は正かったと。




