姓の本分2
「おや、お帰り弓月」
「…………ただいま戻りました」
母屋の最奥にある自室で白湯を飲みながら、吉野はのんびりと振り返った。
湯殿で旅の汚れを落とし、さっぱりした顔で単衣を纏っている。
「霞台の方々がお待ちのようですが?」
「知っているよ」
いつもと変わらぬ様子の吉野に呆れと、同時に安堵を覚えた。
吉野は慌てる風もなく湯呑みの白湯を飲み干すと、家人の老爺が広げた紫紺の上衣に袖を通す。
幅のある黒い帯を締めると、項の後ろで髪を束ね、弓月を見た。
「では、決着をつけに行こうか?」
吉野のあとについて客間に入ると、明らかに高位と分かる壮年の男が、憮然とした表情で立っていた。
その後ろに立っているのは、一晩庭で過ごすことになった面々だろうか、疲れたように見えるのは気のせいではないだろう。
側には霞台から弓月と共に邸に来た男の姿もある。
「お待たせしたようで、申し訳ない」
吉野は悪びれる様子もなく、客間に一つだけ置かれた長椅子に腰を下ろし、足を組む。
「霞台の寿白と申します」
「昨夜は甥が世話になったようだ」
「とんでもない。遠方にいらっしゃると伺っていたのだが、聞き間違いでしたかな?」
「いえいえ。急ぎの客が来たと知らせを受けて、船を急がせて戻って来たのですよ」
「それはそれは。見られて不都合なものでも?」
「とんでもない。其方こそ、主不在の邸に押し入るとは、よほど急がねばならない理由があったのかな?」
互いに含みを持たせた物言いだが、吉野の方が棘がある。
そもそも、普段の吉野は客人を立たせたまま、待たせるようなことはしない。家人に対してさえ、そういう事を嫌うのだ。
客間の椅子をわざわざ運び出すとは、邸に押し入り、ありもしない罪で弓月を連れ出した事に、余程腹を立てているらしい。
礼を欠いた吉野の態度に、寿白は頬をひきつらせながら口を開いた。
「此方の邸で『大麻』を栽培している疑いがあります」
「聴いているよ。それで?」
「裏の茶畑を調べるために此方に伺ったのですが…………」
「とうぞ、納得するまで調べてくれて構わない」
「貴方がそれを妨害したのでしょうっ?」
「妨害ねえ……」
語気を荒くして叫んだ寿白は、吉野の表情に言葉を詰まらせる。
「それは聞き捨てならないな。先に礼を欠いたのは貴殿方の方では?」
口元に笑みを浮かべてはいるが、その目は全く笑っていない。
立ち上る怒気に、後ろに立つ弓月でさえ震えがきた。
「そもそも、霞台では許可なく他人の邸に入り、証拠を見つける事が許されているのか?」
「そ……れは…………」
そんな返しをされるとは思っていなかったのだろう、寿白は狼狽えたように、黙り込む。
「証拠を見つければ、何とでもなると? それとも、証拠を『作る』つもりだったのかな?」
「まさか…………」
「元々、私は寛大な人間なのだけれどね」
「どこがっ」と心中で叫んだのは、弓月だけではないだろう。
「売られた喧嘩は買う主義なんだ」
そう言って、吉野は一つ手を打つ。
入ってきたのは、寡黙な雰囲気の、怜悧な美貌の男だった。
歳は三十前後だろうか、碧の帯と髪紐を身につけている。
「璃寛殿…………」
「璃寛」と呼ばれた男は吉野に揖をすると、動揺する寿白の前に歩を進める。
「此度のこと、白群様は大層ご立腹だ」
「わ、私は樺様の命に従っただけで…………」
「樺は不当な職権乱用で更迭された」
「そ……んな…………」
璃寛が手を上げると、後ろに控えていた武官が寿白を拘束した。
「お、お待ちください。霞台の事に介入するのは璃寛殿と言えど越権行為では?」
「そうだな。だが、ここまで証拠を揃えられてはさすがに動かぬわけにもいかない」
璃寛は懐から取り出した紙の束を、寿白の胸元に叩きつけた。
それを数行読んだだけで、寿白の顔が青くなる。
「連れて行け」
寿白に続いて霞台の者達が退室すると、璃寛は吉野に頭を下げ、弓月に向き合った。
「此度は大変な迷惑をかけました、此方の落ち度です。改めて報告に伺います」
簡潔に言って、璃寛は踵を返した。




