-モイライが差し伸べる手- 1
「マティスさーん、どうしますー? ここまで切っちゃいますか?」
「――ああ。そこも切ってもらって構わないよ」
佳大は今、中庭の壁に立て掛けられた梯子の上にいる。
下にいるマティスの指示のもと、勢力を伸ばしすぎたブーゲンビリアをカットしているとこだ。横の屋根の上にいる猫が、何してんだ?というように一鳴きした。
作業を終えて梯子を降りれば、カティアがせっせと庭のテーブルにお茶や食事を並べている。切り落とした植栽を片付けたマティスが戻ってきて、
「さぁ、お昼だ。休憩しよう」と、佳大を誘った。
佳大がこの島に来てから10日ほど経つ。
エールと李真は忙しいのか見かけないことが多かったが、他の人達とは大分仲良くなった。
といっても、この邸宅にはその二人と自分を含め、6人しか人はいない。
今、仕事を教えてもらっているマティスと、カティア、そして家事をしてくれているイリアナはカティアの祖母だ。
この周囲7キロほどの島内には小さな村もあり20人ほどが暮らしていて、忙しい時などにはそこから何人か通ってくる。
「イリアナさんは?」
カティアに代わり、カップにお茶を注ぎながら佳大は尋ねる。何時もならここにイリアナも加わっているのに姿が見えない。
「おばあちゃんは今日は本土だよ。明日帰ってくるって」
イリアナが用意してくれていたのだろう。お菓子を頬張りながらカティアが言う。
そう言えば今日は朝から姿を見ていない。朝食も村の女性が用意してくれていたのを思い出した。
本土とはここから船で約4時間ほど離れた有名な観光地。そこは某大国の領土だが、一応この島は何処にも属さない。
まぁ、大国のその息の届く範囲であることは確かで、李真が漏らす言葉の端々を聞くに、色々と融通をきかされることも多いようだ。
そして正に今、その本土に大国の重要人物が来ているらしく、その為に二人は今日も慌ただしい。
それにしても。
「李真って、どういう立場の人なんですか?」
足元の鶏達にパン屑をやっているマティスに佳大は尋ねる。
「――ん?」
どういう意味だろう?と顔をあげた老人に、
「ここは一応何処の国にも属さず中立を保っているじゃないですか。
あの人はボランティア的な感じなんですか? 容姿や名前からしたら…」
アジアの、あの大国から送り込まれた者なのではないか?と、最後までは言わずに。
でも、理解したのか、「ああ――。」とマティスは頷いて、
「ボランティアというか…、元々は前のエール様と共にここに来たんだ。
まぁ、彼だけが一緒に来れたんだけどね。他の者は誰も島には入れなかったから」
再びパン屑を撒く為に、視線を鶏達に戻したマティスは、昔を思い出すように呟く。
「君の思う通り、前のエール様はあの国の人で、その為に李真は付けられたのだろうね。
だけど、君も聞いてるだろうけど、元の人間の意思は受け継がれないものだから。結局は意味がないことだ」
「………」
佳大は無言になる。マティスは佳大とサーシャの関係を知らない。
「自分達の思い通りに出来るかと思ったようだけど、それも出来なくて、前のエール様が亡くなってからは静かになったよ」
マティスは残りのパン屑を全部落とすと、佳大を見て、
「――で、新しく来たエール様が、国に戻ろうとしていた李真を引き留めたんだ」
「サーシ…、エールが?」
「みたいだね。その時、僕はちょうど本土に戻っていたから、ここには居なかったんだ」
そう言って立ち上がると、
「さっ! 午後からの仕事を片付けてしまおう。カティア片付けを頼めるかい」
うん。と返事を返したカティアを残して、マティスと佳大は再び作業に戻った。
午後の作業は早めに方がついて、イリアナの代わりに手伝いに来ていた女性に頼まれた用事もこなし、そのまま台所で談笑していた佳大に、
「――楽しそうだね」
急に顔を除かせたエールが言う。
「あら? エール様、ご用ですか?」尋ねた女性に対して、
「いや、ちょっと佳大を借りていくよ」
「ええ、どうぞ。私の用事は終わったので」と、
本人の意志は関係なくやり取りされる会話に、何だかなぁ。と思いながらも、仕方なくエールの後について行く。
まぁでも、こうやってサーシャの姿を目に止めておけるのは佳大にとっても嬉しいことなのだけど。
( ……我ながら女々しいな… )
10年、いやそれ以上も想ってきたのだ。そんな急にきっぱりとあきらめれるものでもない。
彼女の背を見つめ歩く佳大に、ふいにエールが振り返る。
何を言う訳でもなく、こちらを見上げてニコっと笑ってまた前を向く。その笑顔が。
何だか少し怖かったのだが、別にエールを怒らすようなことはした覚えがないので、きっと気のせいだろう。