-象徴《しるし》を持つ者- 1
先日の不機嫌だったエールから数日後、同じく不機嫌顔の李真が、中庭の横の通路を横切った。その様子に、
「どうかしたのか?」
中庭で鶏達の世話をしていた佳大が、気になって話しかけてみれば、
足を止めた李真は、佳大を見て眉間のシワを深くする。
元々普通でも黙っていたら不機嫌に見える李真だが、見慣れた今ではその違いは一目瞭然で、現在は不機嫌を通り越し、最早凶悪だ。
「何してんだ? …お前」
その凶悪顔に逆に問われて、佳大は掃除の道具を両手に掲げて、
「見ての通り鶏小屋の掃除だけど?」と、
暢気に返事を返せば、
李真は眉間のシワを刻んだまま、フッと器用に口元に笑みを浮かべた。
「暇そうだな? そんなんじゃ体が鈍るだろ?
…………見てやるからちょっと付き合え」
せっかく浮かべた笑みも最後は消して、
佳大に向かって顎をしゃくった。
( え……? 何か嫌な予感しかしないんだけど…? )
そして、そういう時の予感はほぼ確実に当たるもので。
戦闘訓練と称して、所謂かわいがりを受けた佳大はよろよろになって、
ちょっと自室で休憩しようと、一旦台所に寄り、イリアナの手伝いをしていたカティアに後で湿布を貰えるように頼んでから部屋へと向かった。
ここのところの李真の忙しさは半端ないようで、島に居ない日も多い。
絶対憂さ晴らしに付き合わされたな。と、部屋に着くと直ぐにベッドに倒れ込む。
( 大体、戦闘訓練て何なんだ? そんなもん必要あるのか? )
呻きながら仰向けになった佳大は腹立ちついでにそんなことを思う。それにしても―、
本当に手も足もでなかった。李真は笑みさえ浮かべれるほど余裕だと言うのに。
はぁ…。とため息をついて、頭の上にあった枕を自らの顔に被す。
同時にコンコンとドアを叩く音が聞こえて、
カティアが湿布を持ってきてくれたのだろうと、佳大は「空いてるよ」と枕の下からくぐもった声で伝えた。
カチャリと扉が開く音が聞こえた。いつもなら同時にカティアの元気な声がするはずなのに、今日は静かなままで。部屋に入ってきた人物は、静かにこちらに歩み寄る。
ギシッと、軋み僅かに沈むベッド。
「――…?」
不審に思い枕をずらして視界を開ければ、
覗き込むようにこちらを見下ろすサーシャの顔。
「―――!?」
佳大は勢いよく身を起こす。
「わっ! 何? 急に……」
急に起き上がった佳大に、ベッドに腰かけたエールが驚いた顔で言う。
そう――、サーシャではないエールだ。
佳大は、小さく息をついて額を押さえる。
「何?、じゃないだろ。 エールこそ……」
男である佳大の部屋に入って来て、ましてや今、その本人が寝転がっているベッドに腰かける。状況的にそれはよろしくない。
今は女性ではあるが男性でもあったはずのエールだ、そんなの百も承知だろうに。
「カティアに湿布頼んだでしょ? 代わりに持ってきたよ」
はい、これ。と、湿布を差し出して、
佳大を見つめ、エールは悪びれる様子もなく言う。
寧ろ、分かってわざとやっているのか?
エールの佳大への接し方はかなり近い。親しみ…いや、それ以上の好意を感じる。
それがサーシャの体であることが一因ならば、それならば何となく納得はいくのだが、その体にサーシャの意思はないという。
体を変えても続くのはエールの魂。それはこの前も目の当たりにしたこと。
でもそれは、その確信は僅かに揺らいではいたのだが……。
( 逆に、サーシャ自身であればこんなに側には近づいてもらえないか… )
脳裏に甦った記憶に、佳大は小さく頭を振った。
間近にある翠の瞳。手を伸ばし、抱きしめて口づけても、驚きはしても拒まれることはないと思う。
それは自分の願望かも知れないけど。
だけどその行為は、自分も、サーシャも、そしてエールも。全ての想いを裏切ることの様に感じて。
佳大はふっと視線を落とすと、ありがとう。と湿布を受け取り、エールを避けてベッドから降りた。
小さく、エールがため息をついたのは佳大には聞こえなかった。
「それにしても、えらくこっぴどくやられたね?」
椅子に座り、貰った湿布を痛めた部分に貼る佳大に、笑いながらエールが言う。
「さっき李真を見掛けたらちょっとスッキリした顔してたよ」と。
笑い事ではない。憮然とした表情の佳大は、
「いつもより更にしかめっ面になってたけど、何なんだあれ?」
李真の不機嫌、もとい凶悪顔を思い出しエールに尋ねる。
「ああ――、アレはね……」
言い掛けたエール。だけど、部屋の外からパタパタと急ぐ足音と、勢い良く開けた扉から飛び込んで来たカティアに、一旦言葉を止めた。
「どうしたんだ? カティア。そんなに慌てて」
「あのねっ、今ね、あの…そのっ」
かなり急いだのか肩で息をし、焦ったように喋り出す少女に、佳大は落ち着かせる為にポンポンと軽く背を叩く。だけどそんなことよりもと、
「エール様っ、あのね、さっきおっきな人が来たの! それでねっ、李真がねっ」
エールを見て、少女は身ぶり手振りを交え一生懸命説明するのだが、佳大には全然意味がわからない。
でもエールにはちゃんと通じたらしく、
「――ああ! もしかして!」
そう言って何故か急いで腰を浮かした。が――、
「あ、ここに居たのか!」
そんな声と共に、開けっぱなしの扉から部屋に入って来た大きな男。
扉の直ぐ側にいる佳大とカティアには目もくれずに、チッと舌打ちしたエールだけを見つめたまま、
男は大股で近づいていくとカバッとその身を抱きしめた。




