-ある愛の讃歌- 3
船は波間を走る。佳大の船ではGPSなどの計器が全く役に立たなかったのに、今は問題なく使えている。
( …エールがいるからか? )
潮風を受け、気持ち良さそうに目を細めているエールを見て、佳大はそんなことを思う。
海図と座標、GPSを頼りに李真が指示したポイントまで、一時間も海を行けば、
「あ、見えてきたよ」
エールが指差す方向、言われていたように、本当に何もない海の上に突如生えてきたかのような構造物が見える。
柱と屋根に床と手すりを付けただけの、周りを囲むものなどもない。所謂、ガゼボのようなもの。
「えっ、あれどうやって建ってんの?」
思ったことをそのまま口にすれば、エールが笑う。
「本来は小さな島があるんだよ、今は満潮で沈んでるけど」
「ああ、なるほど!」
「さぼって釣りをするには持ってこいでしょ?」
その言葉に佳大の目が泳ぐ。
「……なん、のこと?」
「――さぁ?」
話している間も船は進み、そうこうしているうちに、海の上のガゼボは二人の目前に。
そこから伸びる桟橋に横付けされた一台の船。船の中の人影、あれは多分操縦士だろう。もう一人――、
ガゼボの中で偉そうにふんぞり返って、こちらを見ている男がいる。
佳大は船を寄せエンジンを切ると、先に降りてロープを繋ぎ、エールへと手を差し出す。
その手を取り、ゆっくりと船から降りてきたエールは、今は絽紗のベールで顔を覆っている。出ているのは翠の瞳だけ。
別に打ち合わせた訳でもないが、何となく、わざとゆっくり桟橋をエスコートすれば、
男の偉そうな顔にイライラがプラスされたようだ。
「遅い! いつまで待たせる気だ!」
開口一番の男の発言に、…何だこいつ。と、佳大のこめかみがちょっとピクついた。
「すみません、島では時間などあまり気にしないので…。向こうに来ていただければ歓迎も出来たんですが」
島にも来れないヤツが文句言うなと、暗に込めて。
笑顔なのか、はたまた別の意味か?
唯一見える瞳を細めたエールが言う。
尊大な態度のままの男はジロジロとエールを眺めた後、
「あんたがエールか? …なんだぁ、今は女なのか?」と、ふーんと鼻を鳴らす。
いちいち…、癇に障る男だ。そりゃあ、嫌われるのも頷ける。
大体、名乗りもしない。まぁ、それはどうでもいいので、こいつは孫男とでも呼ぼう。
孫男の言うことは――、
男の祖母であるマリーが島にいた、その当時のエールは男であったから。
船の中での会話で、
「あのひどい戦争の最中、私は随分無気力に過ごしていたから…」と、エールは広がる海を見つめて言った。
父や夫、息子や兄弟。男達は自分の家族を、恋人を、または正義を守る為に戦いにその身を投じた。
それは、避けられない悲劇だったかもしれない。正しいと言える行いではなかったかもしれない。
だけど無作為にただ過ごすだけの自分と比べれば、遥かに価値のある生きざまだったのではないかと。
佳大はもちろん、エールの現在の姿であるサーシャも、映像や文章としての戦争しか知らない。
だから、痛みを含んだエールの眼差しの意味は、佳大には想像がつかないものだ。
「マリーには大分迷惑をかけたと思うよ」
そう話す、翳りを含んだ笑顔の意味も。
エールを眺める不躾な男の視線に、佳大はエールの真横へと進み出て、自分の目線より下にいる男を見下ろす。
見た目だけで言えば、若さと体格で勝る佳大の方が余裕で勝てそうな相手ではある。
最近では、暇を見つけては李真に稽古をつけて貰っているので、佳大はちょっとは自信があったりもする。
李真にはまだ全然相手にされないけど。
佳大の無言の視線に気づいたのか、男はチッと舌打ちをするとエールから視線を外し、
「早く祖母があんたに望んだ物を渡してもらおうか」と、存外に言う。
態度を改める気はなさそうな男に、エールは小さくため息をつくと、佳大が持っていた鞄からオルゴールを取り出し、
自らの手のひらに載せて男へと差し出せば、
それを見た男は眉間にシワを刻んだ。
「………? 何だ…これは?」
「何って…、これがマリーとの約束のものだけど?」
「―――はっ!?」
男はエールの言葉に、その小さな箱を引ったくると、確認するように蓋を開けた。
だけど、中は言わずと知れたオルゴールの駆動部分。
「何だこれは!?」
奪った箱を握りしめたまま、再び同じ言葉を繰り返えす男にエールは、
「まんまオルゴールでしょ。見たことないの?」と、呆れた声で言った。
「ふっ…ざけるなっっ!!」
ガシャンと―――。
床に叩きつけられ、一度微かにメロディを刻み飛び散ったオルゴール。
「――っ!? お前っ!!」
男の暴挙に、一歩踏み出した佳大だが、それをエールが手で制す。男は続けざまに、
「こんなものが望みだとっ!? あの死に損ないのババアが!」と。
その言い様に、制止を振り切って詰め寄ろうとした佳大だが、
足元に転がってきたオルゴールの残骸を拾う為に屈んだ、エールの姿に躊躇してその動きを止めた。
エールは何も言わない。代わりに、
「頼みと言うから来てやったのに……、くそっ! こんなものの為に!!」
男はそう呟くと、足元に残った部品を力一杯踏みつけた。
エールの指先が、ゆっくりと止まる。
( こいつはバカなのだろうか? )
佳大は思う。自分の一言一行が相手にどういう感情をもたらすのか理解しているのだろうか?
いや、理解出来ないから、こんな言動なのか。
現に、エールが纏う空気が変わっていることにも気づきもしない。
あんなに青かった空も、いつの間にかどんよりとして、心なしか風の匂いも変わった。
船にいる操縦席の男はちゃんとその変化に気づいたのか、窓の外を確認しては何やら船の計器をいじりだした。気象レーダーでも見ているのだろう。
昼間とは全く姿を変えてしまった空。少し強さを増した風。
動きを止めたエールの背を、佳大は黙って静かに見つめた。




