-ある愛の讃歌- 1
今日は朝からエールの機嫌があまりよろしくない。
朝食のサラダをフォークでぐさぐさと刺しては一向に口には運ばずに、
「エール様、食べ物を粗末に扱わない!」と、イリアナに叱られた。
仕方なく、突き刺したレタスを渋々と口に運ぶエール。だけど一口食べただけでフォークを置いた。
食べ終わった食器を流しに運びながら、佳大はそれを横目に眺めて。
遅れて食堂へと入ってきた李真に、
「なんか、あったのか?」
エールへと視線を送り尋ねれば、男は、ああ…、と頷く。
「きっと今日の客に会いたくないのだろ」
「エールが会いたくないのに客なのか?」
望まれない客なら会うことも出来ないのでは?と。
「約束らしい、遥か昔の」
李真も詳細は知らないのだろう、微かに首を傾げた。
入口で話すそんな二人に気づいて、「―李真」とエールが低い声で男を呼んだ。
その様子では今は関わらない方が良さそうだと、男と入れ違いに部屋を出ようとした佳大をエールが止めて、
「後でちょっと部屋に来てよ」
こちらを見てそれだけ言うと直ぐに、側に来た李真と難しい顔で話し出した。
何の用か聞こうにも、とりつく島も無さそうな雰囲気に、まぁ、仕方ないか…。と、
佳大はマティスを探しに部屋を出た。
麦わら帽子のつばの隙間から見える空はどこまでも青い。
とてもいい天気の中、建物から少し離れた岩場で、佳大はマティスとのんびり釣糸を垂らしている。
「佳大ー、エール様が探してたよー」
岩場の向こう側からカティアの声がして、覗いてみれば岩をよじ登ろうとしている少女の姿。
佳大は慌ててカティアの元へと向かう。
「カティア、危ないから登っちゃダメだ」
「えーー…、はーい。 ――あっそうだ、おばあちゃんが戻ったら先に台所に寄ってだって」
少女を注意した後に、岩の上から顔を覗かせたマティスに戻ることを告げ、
またよじ登り出しそうなカティアに麦わら帽子を被せると、少女のことを頼み佳大は一人先に戻った。
戻ってから、言われた通りにイリアナの元に向かえば、――はい。とトレーを渡される。載っているのは昼食の用意か?
「結局、エール様ったら朝はほとんど食べなかったんだから…」
それじゃなくても線が細いのに。と、自らの、細いとはお世辞にも言えないふくよかな腰に両手を当てた。
「佳大の分もあるから一緒に食べちゃって」
イリアナはそう言ったが、エール様がちゃんと食べるか見張ってろ。と、その顔は言っている。
佳大は苦笑いで、分かったと。
「エール様は中庭にいたわ」というイリアナの言葉で、佳大はエールの元へと向かった。
中庭の、シェードが広げられた机の上にトレーを置き、辺りを確認するがエールの姿はない。
ブーゲンビリアが絡むパーゴラの梁の上で、シーザーが気持ち良さそうに昼寝をしているだけだ。
中庭からエールの部屋へ続くテラス戸は開いていた。
佳大が土間へと足を踏み入れると、部屋の中から微かに聞こえる音色。それはオルゴールの。
どこかで聴いたことのある曲だが、
「エール、いるのか?」
尋ねた佳大の声にその音は止んだ。
そのあと直ぐに奥の部屋から姿を見せたエールに、
「イリアナからお昼を渡されたから、天気も良いし外で一緒に食べよう」と誘って、
中庭の机へと向かい合い座った。
心持ち、朝よりは機嫌が直ったのか、エールはイリアナの心配を余所に黙々と食事を進めている。朝が少なかったらしいのでやっぱりお腹が減ったのだろう。
梁から降りて来たシーザーが佳大の足元にすり寄って、ニャーと一度鳴いた。
ソースのかかっていない鶏肉の端をちぎって、シーザーの催促に応じる佳大に、少し満足したのかエールは食事の手を止めて言う。
「佳大って、船の運転出来るんだよね?」
「出来るけど?」
「ちょっとお客のとこまで着いてきて欲しいんだけど」
「……? 今日の客ってやつ? 何で船が?」
会うだけなのに何故船が必要なのかと、不思議に思い尋ねた佳大に、
「島に…、入れないからねぇー」
仕方ない。と、面倒くさいという表情を隠すこともなく言う。
なるほど。そういえば李真が言っていたな、エールが合いたくない客だと。
今日のエールの機嫌の悪さの原因。そして、やはり島には入れないんだ。と、佳大は改めて思う。
「……李真は?」
いつもならエールが言うその役割は李真がこなしている。船も運転出来るし、ボディーガードとしては男の方が遥かに上だ。
……そう考えて少し切なくなった。
「今回は佳大にお願いしたいんだよ」
しんみりとした佳大に、エールがそんなことを言う。笑顔を浮かべて。
今日初めて見たエールの笑顔。それだけで、他にも聞きたかったことあったけれど、その全部がどうでも良くなった。
分かった。と頷く佳大に、満足げな顔のエールは、止めていた食事の手をまた再開した。