-寛容という戯言- 4
いつだったか、仲間内のパーティーで気分転換に瞳を翠色にしたことがあった。
その日は家には戻らずにホテルに泊まろうと呼び出した佳大は、その私を見て時を止めた。
「……佳大?」
不思議に思い尋ねたレイチェルに、何故か一瞬、寂しげに顔を歪めた佳大は小さくかぶりを振って、何でもない。と笑った。
今思えば、その時の髪色は淡いプラチナブロンドで、
昨日とは違い明るい日の下、目の前で白い猫を抱いているエールの亜麻色の髪とよく似ていた。その瞳の色も。
「どうするか決まったかい?」
エールがレイチェルに尋ねる。
話がしたいと伝えて、連れて来られたのはどこか牧歌的な中庭。片隅では鶏が草を啄んでる。
この席にいるのは私とエールの二人、佳大はいない。今日は朝から姿を見ていない。
そんなレイチェルの心のうちを読んだのか、
「佳大にはちょっと用事を頼んだから今はいないよ」
猫を離し、その姿を見送りエールは言う。
それは牽制だろうか? それとも、これからの会話を予測しての措置だろうか?
「貴女は……」と、
「貴女が、サーシャなの…?」
レイチェルは口を開く。
エールはレイチェルからの突然の言葉に驚くこともなく、視線をゆっくりとこちらに戻すと、
「そうだよ。この体はサーシャのもの。私自身はサーシャではないけどね」
そう言ってテーブルに頬杖をついた。
「彼はそれでも、この体の側にいることを望んだんだ。
だから悪いけど、佳大はあげられない」
そう言い切るエールに、レイチェルは軽く目を見張る。
エールは、その意味を理解しているのだろうか?
それは明らかな執着。レイチェルが抱いているものと同じく。
だけど――…。
昨日の夜の、エールが消えた後も立ち去ることなくその場を見上げていた佳大、その姿を思い出す。
彼が向けるその眼差しは決してレイチェルには向けられないもの。
「でもそれは…本当の貴女をじゃないわ。 佳大が望んでいるのは!」
悔しくて、嫌みのひとつも言いたくなるのは仕方ないことだ。
でもエールは、そんなこと気にすることもなく笑い、そして、
「佳大が望む、本当ってなんだろうね?
むしろその本物こそ、…彼は望まないかも知れない」
そう静かに呟く。
……どういう、意味だろうか?
ただこちらをはぐらかす為だというには、あまりにも。笑みを浮かべたエールの顔は、どこまでも真摯で、どこまでも透明で。
「……意味が分からないわ」
全てを含めて呟いたレイチェルの言葉に、
だろうね。と、エールは笑って視線を落とした。
「――保留でいいわ」
レイチェルは告げる。ん?と、顔を上げたエールに、
「今回は望みは保留のままで。また必要になった時に叶えてもらうわ」
改めて告げる。
今の私にはサーシャに、ましてやエールにも勝つことは出来ない。勝負ごとではないけれど、想いを勝ち取る点でいえば、結局のとこ勝つか負けるかだ。
レイチェルの顔を暫く眺めていたエールは、わかったと。
「それは無期限で預かるよ。貴女が叶えなくとも、その先までずっと」
それはエールだからこそ言える約束。
「ええ――、お願い」
レイチェルは続けて言う。
「でも、私は完全にあきらめたワケではないから」
その言葉に、軽く眉尻を上げたエールにと、
最後は、気負うことなく笑った。
「あっ、ここにもあった! レイチェルー、これもあげるー」
駆け寄ってきたカティアが、はい!とレイチェルの手のひらに小さな貝殻を乗せる。
「カティア、ほらもういい加減にしないと」
佳大が少女をたしなめながら、レイチェルに小さな袋を差し出して、既に手のひらいっぱいだった貝殻は全部袋に詰められた。
船を待つ間、エールからの用事を終え、見送りに来た佳大と、エールに「佳大についていって」と言われたらしいカティアと、船着き場の横の浜辺にいる。
砂浜には影が伸びる。並び歩く二つの影と、その少し前を走る小さな影。
それはレイチェルが、正に望んでいた光景。
胸が――、…少し痛い。
「レイチェル…、本当にすまない」
砂浜に視線を向け、少し俯いていたレイチェルに、自分の影の横に並び立つ影が―、佳大が言う。
振り仰げば、やはり何処か痛みを堪えるような顔でレイチェルを見ている。
佳大は、確かに他のものは全て切り捨てた。サーシャを求める為に。でもその浮かべる表情は。
「佳大は、優しいね」
レイチェルがそう告げれば、何故か佳大はハッとした顔となり憮然とした表情をした。
そう、佳大は優しい。
だから無関心を装って、他のものに気をとられないように。
でないと、手に入れられないと。心の奥底では自覚しているから自分の優しさを、その優しさは、甘さは邪魔になると。
――入港の、高く響く汽笛が聴こえた。
「佳大、もうここでいいわ」
レイチェルは、佳大が持つ自分の荷物へと手を伸ばす。
「――え? でも…」と、戸惑った表情の佳大に、
「貴方も色々前途多難ね」そう言って、複雑な顔に変わった佳大の隙をつき、荷物を奪う。
「何か……、聞いたのか?」
複雑な表情のままで、ポツリと呟く佳大に、レイチェルは不意をつくようにキスをすると、
「いいえ、何も!」と笑った。
せめてこれくらいは、許してもらわなければ。
レイチェルは浜辺で船を見送る佳大だろう小さな姿を見る。その後ろからは彼へと近づいてくる細身の影。
高速船は速度を上げ、その姿はすぐに見えなくなる。
きっと私が想い続けた以上の時間を、佳大はサーシャだけの為に費やしてきたのだろう。
想いの深さをはかることはできないけれど、それはとても深く、この海のように。
レイチェルはガラスの外に映る景色から視線をはずすと、静かに目をつむった。




