レオニード・バルクホルン
夢……ではない。さっきの場面は昔本当にあったことだ。
粗末なベッドから降りて壁に掛かっている曇った小鏡の前に立つ。たわわに実った小麦畑のような金髪と紺色の瞳、どちらも魔王だった時とは違っている。そしてなによりぼくは人間だった。
ぼくの名前は前と同じレオニードだけど、苗字は違ってバルクホルン。
父さんは騎士で、ぼくは四人兄弟の一番下。兄さんたちから聞いた話からおおよそ千年くらい経っているみたいだ。
あとはえーっと……。記憶が混乱しちゃって上手く思い出せない。でも、とにかく騎士の家庭の四男で、好きな人生を選べるということに間違いはない。あの女神たちぼくの話を全然聞いていないようで聞いてくれていたのかな。一応感謝しておこう。
騎士とはいっても領地は二十軒ほどしかない小さな集落だけで、百人にも満たない村人と支えあいながら細々と暮らしている貧乏騎士だ。
鏡をみながら記憶の整理をしていると、部屋の扉が乱暴に開かれた。
「なんだ、起きてるじゃないか。さっさと着替えて仕事をしろ」
ぼくとは違う青っぽい黒髪と同じく黒い瞳。この人は確か…… 僕の兄で年齢は十二歳、名前はダドリーだったはず。
「魔法の才能がある俺様と違って、お前はただの無駄飯くらいなんだからサボらず働け!」
「ごめんなさい。すぐ着替える……」
ベッドサイドに掛けられている粗末な衣服がぼくの服。まだ上手く思い出せない事ばかりだけど、どうやらぼくは本当に普通の一般市民として転生することができたようだ。
魔王や勇者として生き方を定められているわけじゃない。これだけで今は十分な事だと思えた。
「俺はみんなと遊んでくるからな。お前はこの薪を全部割っておけよ!」
ダドリーはそう言い残して行ってしまう。今思い出したけど、薪割りって今日はダドリーが当番だよね。というかぼくはまだ小さいからって仕事は割り振られてなかった記憶があるんだけど……。
雨がかからないようにする簡易的な屋根の下に、山のように薪が積んである。ぼくの家位の規模でも一日にこんなに沢山の薪を使うのか、魔王の頃の城だとどのくらいの薪を一日に使っていたのだろう。知らなかったことばかりで薪割りなんていう雑用を押し付けられたのにあまり腹は立たないな。
量は結構あるが、生活用の下位魔法で割ればすぐに終わるだろう。試しに二、三個割ってみる。うん、問題ないな。魔王だったころに比べれば少し威力が低いが、まだ六歳だし成長すれば前と同じくらいにはなると思う。一般市民としては能力が高すぎる気もするけど抑える事は出来るから問題ないのかな。
「レオくんなにしてるのー?あそびにいこーよ」
確かこの声は、近所に住んでいる狩人の孫娘ライカだ。ぼくと同い年の幼馴染だ。両親が人狼族に襲われて亡くなった事がきっかけで、狩人の祖父母に育てられている。
「なにそれー、すごーい」
ライカは隣にやってきてぼくの手元を覗き込んでいる。薪を割る程度の生活用魔法の何がすごいのだろう。
「薪をわってるだけだよ。なにがめずらしいんだよ」
「えー、だってそんなの見たことないよー?」
「なにを言ってるんだ。生活用魔法だぞ?誰でもつかえるだろ」
「そうなのー?あ、これたべるー?」
そういってライカは体に合わない大きなサイズの皮鞄から紙で包んだものを取り出す。肩の所で切りそろえた炎のような赤毛に、意志の強そうなとび色の瞳をしている。
「はんぶんこねー。どうぞー」
ライカは紙の中から出てきた小さな焼き菓子を器用に半分に割ってぼくの口に向かって差し出してくる。ぼくは遠慮なくそのお菓子を食べる。甘いものは魔王だったころは苦手だったのだが、子供の味覚に戻っているせいか非常に美味しかった。
「ありがとう。美味しかったよ」
「えへへー、おばあちゃんが特別に焼いてくれたんだ」
このあたりの家はどこも貧しい生活を送っている。お菓子を焼いてくれるなんてよほどの事だ。そうか、今日はライカの両親の命日だ、それでお菓子なのだろう。
ライカにお礼を言おうとしたその時、遊びにいったはずのダドリーが視界にはいってきた。なにやら怒っている様子でずんずん歩いて近寄ってくる。
「お前ら何してるんだ!ライカは俺の嫁になるんだぞ!」
「あんたなんてダイキライ!絶対イヤよ!ライカはレオ君が好きなの!」
「女のくせに生意気だ!!」
ダドリーはライカを殴ろうと腕を振り上げる。さすがに黙ってみているわけにはいかない。僕はライカをかばうようにダドリーの間に割って入り、振り上げたダドリーの腕をつかむ。
「女の子に手を挙げるなんて最低だな。ダドリー」
「うるさいぞレオニード!弟のくせに生意気だ」
ぼくの手を振り払おうとダドリーは力を入れるがびくともしない。軽く力をいれてダドリーを投げ飛ばす。吹き飛ばされ尻もちをついたダドリーは涙目で喚く。
「いってえ、なにしやがる。もう許さないからな」
「どう許さないのさ?ダドリー」
「焼き殺してやる……」
ダドリーは魔法を使うつもりのようで魔力を集めている。言葉通りなら炎系の魔法を撃ってくるつもりのようだが、僕の記憶にないもののようだ。魔力の濃度が低すぎる、何か新開発の効率のよい魔法なのだろうか。ぼくも魔法攻撃に備えて障壁を貼る準備をする。
「燃え尽きろ!ファイア!!」
「え?」
つい間抜けな声が出てしまう。だってそうでしょ、自信満々にダドリーが放ったのはオリーブの実ほどの小さな火の玉。そのうえぼくに向かってヘロヘロと少しとんで届く前に消えてしまったのだ。
「なんだそりゃ……」
バカバカしくなってきた。兄弟げんかはもう終わりでいいだろう。僕は間合いをつめてけがをさせないギリギリの力でダドリーにデコピンをしてやる。
「たわばっ!」
ダドリーは白目を剥いて倒れてしまった。手加減というのも難しいな……。
「わー、レオ君かっこいい!」
ライカは無邪気に喜んでいる。そう言えばさっきのお菓子のお礼がまだだったな。
「ライカ、その鞄大事にしてるんだろ?ちょっと貸してみろ」
「うん……、お父さんの形見だから……」
受け取った鞄は革製で頑丈なものだが、保存魔法も収納魔法もかけられていないごくごく普通の鞄だった。形見で大切にしたいなら保存魔法と収納魔法はかけておいた方がいいだろう。ぼくは魔王として君臨した長い時間の中で加工系の魔法は一通り学んでいる。なにせあの魔剣レーヴァテインはぼくが作ったし。
「なにしてるの?」
「うん?お菓子のお礼に、鞄が壊れないようにする保存魔法と、容量を増やすための収納魔法をかけてるんだ」
話してる間に魔法をかけ終わる。技術系の魔導士なら居眠りしながらでも出来る簡単な作業だ。加工の終わった鞄をライカにかえす。
「すごーい!鞄の中が広くなってる」
「収納魔法ははじめてか?元の鞄十個分くらいは中にはいるよ」
ぼくは薪割を再開する。どんどん風の魔法で薪を割っていく。何が面白いのかライカは薪を割るのをじっとみている。
「ダドリーなんでこんなところで寝ているんだ?」
父さんの声が聞こえた。久しぶりに遠征からかえってきたみたいだ。だけど、まだ薪割が終わっていないから薪割を続けないと。ライカは父さんの声のした方へ、とたとたと走っていく。父親が居ないせいか父さんにもの凄くなついているのだ。
「おじさんおかえりー」
「お、ライカちゃん大きくなったなー。レオはどこだ?」
「レオ君ならあっちで薪割してるよー」
父さんが近づいてくる気配がするが薪割はまだ終わらない。
「レオ、お前なにしてるんだ?」
「なにって薪割だよ。もうすぐ全部割り終わるから……」
早く終わらせようと魔法の出力をあげて二、三本まとめて割っていく。
「いや、そうじゃない。その薪どうやって割ってるんだ?」
「風の下位魔法だけど……?」
父さんは凄い勢いで近くまで来て、ぼくの魔法を覗き込む。
「こんな薪が割れるような強力な風魔法なんて騎士団の魔法剣士以上だ……」
「え……?」
風の下位魔法なんて誰でも使えたはずだけどどういうことなんだ。なにかの冗談かと思ったけど、父さんの表情を見る限り冗談を言っているとは思えなかった。
「いいか、レオもライカちゃんもよく聞くんだ。レオの魔法の事は絶対に誰にも言っちゃダメだからな」
理由を聞くと、教会から異端として処刑される可能性があるからという事だった。このくらいの生活魔法でも一般市民は使えないのが普通らしい。
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