月の光
大学生にもなれば、十代だろうが関係なく、酒の機会が訪れる。一度酒の味を覚えてしまえば、のめり込むのは早かった。安い発泡酒を買い込み、友人と飲み明かす。居酒屋に行けば、醸造アルコールと、吟醸酒の区別もわからないまま日本酒を飲み明かし、気分が悪くなることも少なくなかった。
ある日、いつものように何人かと酒を酌み交わしていると、友人の一人である竹原が悩みを打ち明け始めた。
竹原は学年が一緒であるが、1年浪人したため年は一つ上だ。学籍番号が僕の次であったため、一番最初に話しかけた人物となり、必然的に仲良くなっていった。彼は、僕よりも背が高く、スラリとした体型だったためか、よくモテた。そのため、仲間の中で一番最初に彼女ができたのは彼だった。同じサークルの一つ先輩で、彼はよくユウと呼んでいた。
「最近、ユウとうまくいってないんだ。」
彼が落ち込んで悩みを話すことなどなかったため、僕達は一瞬戸惑ったが、すぐに冗談を言い始めた。
「どうした、体の相性の話か?」
酒が絡むとすぐ下世話な話になるのは男子だけなのだろうか。いや、酒が絡まずともするのだが、竹原がきっと睨むと、場は神妙な空気になった。
「最近、ユウがよそよそしいんだ。前まではメールだってすぐ返ってきてたし、夜遅くまで電話をすることだってあったんだ。」
「なんだよ、惚気話かよ。」
「お前ちょっと黙ってろ、空気読め。」
僕は茶化す友人を諫め、竹原に続きを話すように勧めた。
「最近は、電話もほとんどしてないし、メールの返信も遅くなってて、授業があまり被らないから学校では会わないんだ。だから、サークルでしか会わないんだけどさ。やっぱり、後輩は後輩のグループ、先輩は先輩のグループで話したりするだろ。だから、そんなに会話もしなくてさ。」
「竹原って何サークルだっけ?」
「バスケ。」
「ああ、体育会系だもんな。そりゃ先輩に目ぇ付けられたらたまらんもんな。」
「でさ、今度の連休にちょっと遠出しようって言ってるんだけど、乗り気じゃなくてさ。」
「もうすぐ一年だろ?倦怠期じゃないけどさ、そんなもんだよきっと。」
僕達は、大したことないと言って竹原を励まし、話題を馬鹿らしいことに変えた。竹原も「そうだよな」と場を白けさせないように馬鹿話に加わった。
貧乏学生に二次会に行く金はない。あるとしても大概誰かの家で宅飲みだ。竹原は二次会を断り、帰路につこうとしたため、帰り道が同じ方向である僕も帰ることにした。
「高橋、お前も倦怠期だと思うか?」
共に帰路に着くなか、竹原はどうにも納得していないようだった。それもそうだ、仲間内で他人の恋愛に関して真剣に相談に乗れるほど、僕達は余裕があるわけではない。皆、明日来るかもしれない甘い学生生活のチャンスを掴み取ろうと必死なのだ。僕は彼女がいたため、あいつらよりは余裕があったが。
「あの場では気のせいという流れだったからそうしたけど、実際のところやばいと思うよ。」
「やっぱりそう思う?どうしたらいいかな。」
「おれはそんなに恋愛経験が豊富じゃないから、適当なアドバイスはしない。」
「薄情なやつだな。」
「それでおれのせいにされたら嫌だからね。大体、これはおれの持論だが、大抵悩みを相談するやつは自分自身の答えが決まってるんだ。周りの賛同を得て、後押しを貰おうとしてるんだよ。」
「うん、一理あるな。」
「で、竹原の答えは?」
「…とりあえず、一度ユウときちんと話し合う。」
「じゃあそうすりゃいい。」
「…でもさ、噂を聞いたんだよね。」
「なんの?」
「ユウが、二股してるって噂。」
「まじか!?なんでさっき言わないんだよ。」
「あくまでも噂だよ。それにお前らに話すとどこまで真面目に答えくれているかわからん。」
「それもそうだな。」
僕達は住宅街に入ると、急にだまりこんだ。住宅街には飲み屋街の賑やかさはまるでなく、まだ冷たい空気が静寂をより一層際立たせ、話すことをためらわせた。
「…もしさ…」
竹原が沈黙を破って言葉を出した。
「もしも、その、噂が本当だったら、どうしよう。」
僕は竹原を一切見なかった。どう答えていいかわからなかったからだ。一番適切な言葉を探したが、たとえ見つかったとしても、言葉は、休憩していた喉にこびり着いて、うまく出てこないような気がした。
「そんなこと今考える必要ないだろ。酔ってるからそんな考えになるんだよ。一眠りして明日考えろ。じゃあな。」
運良く別れ道に到達し、僕は竹原と別れた。「それもそうだな」と竹原は乾いた笑いをして家路についた。
それから一ヶ月後、また同じグループで飲み会をすることになった。今回は竹原の家で各々酒を持ち込むことになった。あの娘が色っぽいだの、カフェでバイトをしている娘がかわいいだの、相変わらずの馬鹿話に花を咲かせていると、急に竹原の彼女の話になった。
「そういえばさ、竹原、最近うまく行ってるの?」
さっきまで、あんなに馬鹿みたいに笑ってた竹原の顔が急に暗くなっていった。
「実は、前よりもメールの数が少なくなってるんだ。」
最悪の空気だ。さっきまで楽しかったのに、お前は本当に空気を読めないやつだ、と心の中で友人を罵りつつ、僕は竹原の話を聞き出そうとした。
「ちゃんと話し合ったんじゃないのか?」
「話し合ったんだけどさ、なんか、向こうとこっちの考え方のズレっていうのかな、そういうものに気がついてきてさ。」
「ズレって?」
「…うん、例えば、最初の頃は毎晩のように連絡を取り合っていたけど、最近は疎ましく感じるようになってきてるようでさ。連絡を返すのが面倒になってきてるんだって。俺は、毎日とは言わないけど、連絡が来たらなるべく早く返そうとしてるのに、向こうがそう思ってるって知ったら、やっぱりショックでさ。」
「なんか普通は逆なような気がするけどな。男の方が連絡めんどくせーってなるような気がするが、竹原案外女々しいのな。」
「うるせぇな。それで、どうしたらいいかなって思って。」
この手の話は、結局、本人が結論を出すしかない。竹原自身もそのことはわかっているはずだ。
「もう答えは決まってるんだろ?竹原はどうしたいんだよ。」
僕は真剣な顔つきで竹原を見た。竹原は観念したかのように話し始めた。
「高橋には言ってたけど、ユウが二股をしてるかもって噂を聞いていたんだ。それで、ある日、見ちゃったんだよ。ユウがユウの同級生と一緒に楽しそうに買い物してたところをさ。そいつ、前に誕生日会を開いててさ、ユウも行ってたんだけど、その日、そいつの家で泊まってるんだよね。もちろん、女の子はユウだけじゃないと聞いてたし、俺も自分の彼女のことを信用していたいけどさ。でも、一度不信感を持ってしまったら、もう元には戻れないんだよ。純粋な気持ちを持つことが出来ないんだよ。」
いつも自信たっぷりな竹原に見えなかった。こいつは本当に竹原か?同じ顔をしているが、全くの別人ではないだろうかと思った。
「それで、どうするんだよ。」
重苦しい空気の中、僕は竹原に詰め寄った。それは単純に友達を助けたいと思う一心から出た言葉だった。しかし、この言葉で竹原はきっと傷つくし、苦しい思いをする。僕はそう思った。
「わからないよ。でも、話すしかないと思う。不信感を募らせていることも、噂についても、何もかも話す。ほんの僅かな希望にかけてみようと思う。」
この飲み会のあと、竹原は彼女と別れた。噂は本当であっただの、不信感を持った竹原に彼女が愛想を尽かしただの、様々な噂が飛び交ったが、真相はわからない。
愛とは月のようなものだと思う。気持ちは満ちたり欠けたり、時には無くなってしまうこともある。男女が別れを切り出すときは、きっと新月のように何もない時なのだろう。竹原達が別れたときは、本当に新月だったのだろうか。竹原からは一方的ではあるかもしれないが、愛をずっと与えていたはずだ。しかし、愛を確かめる術が無かったのかもしれない。そう、まるで月を見るために、太陽の光が必要であるかのように。