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海を渡る二刀流  作者: 沢村俊介
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大選手の心の支えになれるのか

 寺坂は北海道の札幌に本拠地を置く球団事務所に勤めている。といっても、臨時職員で一年間の期限付き採用である。

 12月も早や11日となり中旬に入る。北海道も今年の冬は例年になく寒い。帰りにコンビニに寄り、おでんでも買って帰ろうと小間生。机の上のパソコンを閉じ、帰り支度をはじめている。

「おお、寺坂、おまえの机の上は、けっこう片付いているなあ」

「いやまぁ」

「今日は、ちょっと、俺に付き合え」

「はい」

 二つ返事である。何しろ、事務局長の吉田は自分をかわいがってくれている、と寺坂は思っているからだ。

 吉田が誘ってくれたのはおでん屋だった。テーブル席に、向かい合って座る。

「いやぁー、僕、今夜は、おでんを買って帰るつもりでした。偶然ですね」

「そりゃ、よかった」

 最初はビールだったが、次はふたりともレモンスライスを入れたチューハイを注文した。

「おまえ、ロスに行ってごせや」

 寺坂は局長が何を言っているのか、わからなかった。それでチューハイを舐めるように飲むしかなかった。

「おまえも知っておろうが。うちの宮本がロスの大リーグ、LAAという球団に入ることになった。で、おまえにマネージャーとして付いて行ってもらいたいのよ」

 目の前の皿にある、おでんの大根が食べたいのだが、と思いながらも、これを口にすると、局長に反論の言葉が発せられないので、止めてチューハイを飲む。

「局長、すみません。僕は臨時雇いですし、第一、英会話ができません」

「向こうの球団には、一杯通訳がおるがな。ともかく、俺はおまえしか頼むものがおらん」

「局長の期待に応えられるかどうか、全く自信がありません」

「そう言わずに頼む。このとおりだ」

 見ると、局長が頭を下げながら手を合わせている。

 顔を挙げた吉田は、俯いてしまった寺坂を心配そうに見遣る。吉田は臨時雇いながら、寺坂の能力を買っている。経理課の女子社員が中間決算期の前、突然産休に入った時、寺坂は小気味よく棚卸をやってくれた。役員会議に掛ける中間決算分析のレポートの下書きをやらせてみたが、エクセルで棒グラフや円グラフを入れながら、なかなかの原稿を書いていた。今、球団としては、ボール・パークというアミューズメント・エリアの構築と新球場の建設という大型プロジェクトを抱えている。来年1月の球団職員採用試験には、是非この男にも受験を勧めたいと思っている。だが、今、吉田の心づもりは変わっている。本社から、海外行きの宮本武治に付き人をつけろ、という指令がやってきた。うちの球団社長も、球団代表も、『たぶん、オーナーの意向だろう。是非、吉田君、そういう適切な人材を見つけ、すぐに実行に移してくれ』という伝言だった。

 そのとき、困ったと思いながらも、吉田の頭の中にひらめいたのは、寺坂治郎という部下だった。あいつなら、宮本選手の相手ができるかもしれない、と思った。

 吉田は、今、そのひらめきを信じるしかなかった。

「まぁ、おまえが迷うのはわかる。むずかしい仕事だしな。だが、俺が見るに、宮本と対等に話ができるのは、おまえしかおらんのだ」

「どうしてですか?」

 寺坂が、こっちを見返している。が、吉田の目はたじろがない。

「考えてみろ。あんな時速165キロの速い球を投げられるピッチャーがいるか?。あんな、あっという間に右中間スタンド上段に突き刺さるような打球を打てるバッターがいるか?。そういう選手を前にしたら、誰だってビビる(=気おくれする)だろうが」

「局長、それはないですよ。僕だって、ビビりますよ」

「まぁ、そう言うな。俺の周りにいる若い連中の中では、おまえが一番、ヒビリが少ない」

「しかし……」

「しかしもくそもない。おまえは組織の中でがんじがらめにされるより、自由にのびのびとやりたいから、これまで派遣社員や臨時的任用の社員をやってきたんだろう。だから、おまえには、何ものにも縛られない発想や考え方がある。そして、それをズバスバと周りの人間に言える強みがある。宮本選手だって、一歩球場を離れば、ただの心やさしい青年にしか過ぎない。そういう彼とコミュニケーションをとれるのは、おまえしかおらん」

吉田は、チューハイをあおる。そして、舌にレモンスライスがからまってきたので、それを舐めた。これほど言ってだめなら、他の人間を当たるしかないなと思う。

すると、吉田の耳に、か細い声がした。

「しかし、僕は野球はやっていませんし」

 吉田は、それが寺坂の声だと知る。今は、そんな野球ができるとかできないとか、そういう話をしているわけではない、と少々腹立たしい思いを感じながら、寺坂の顔を覗く。 寺坂の視線は珍しく、弱々しい。で、吉田は励ますように言った。

「俺は、おまえの履歴書を見ている。おまえは学生時代、軟式野球部に入っていたじゃないか。キャッチボールができるだけでいいさ。選手じゃなくて、マネージャーなんだから」

「それはそうですが……」

「俺が見るに、宮本選手だって、ゲームを離れれば精神的には孤独だと思うよ。それに、右足首の怪我、左足太腿の肉離れ、右ひじの不具合と、肉体的な不安もある。それをカバーしてやって欲しいのだ」

「えっ、右肘ですか?。どこが悪かったんですか?」

「俺も、医者じゃないから、詳しくはわからんが。ともかく、右肘の内側側副靭帯がちょっとばかり痛んでいたらしい。それで、右足首の三角骨を削る入院をした時があったろう。その時に併せて、靭帯の修復治療を受けたらしい」

「そうでしたか。何か、ひっかけて、ワンバンウドするような球を投げていて、僕も心配はしていたんです。下半身に不安があれば、どうしても上半身にばかり頼って、投げてしまいますから」

「あれっ、おまえも、そんなこと、気にかけてくれていたのか」

「いえ、その、一ファンとしてですよ、単に……」

「いや、それが貴重なのよ、そういう無欲・無心の気持ちがね」

 吉田は、正規採用とか昇進とか、そういう鼻先にニンジンをぶらさげて誘うようなことは止めなくては、と思う。まずは、海外行きを寺坂自身がどう思うかだと考えている。

「まぁ、二、三日、考えてみてくれないか」

 吉田はそう言い、あとは仕事の話は止め、寺坂と楽しく飲もうと思った。 (つづく)


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