秘匿された過去への旅行計画 2/6
―その翌日
「さぁさぁ、買った買った!」
「今なら、棗一籠4フローリン(アルバルヴェのお金で3サルトぐらい)だよ!」
ルクスディーヌの市場では、店を構える近場の農民や、商人たちが声を張り上げて商品を売る。
市場は本日の食材を求め、多くの人がごった返していた。
ラリーが謹慎を言い渡された翌日、孤児院傍の市場はあの騒動が嘘の様に、変わらない日常を繰り返す。
その市場の中で、ひときわ目立つ美しい女が、買い物籠を右手に下げて歩いている。
長い髪を一纏めにして、右肩から体の正面に流す、大人と少女が混ざった怪しげな美貌。
どこか凛とした表情を見せ、そして覗いた店の店員と楽しげに談笑する。
そして何よりも印象的なのは、とても澄んだオリーブグリーンの瞳だ。
……最近この市場に良く買い物に来るようになったこの女性を見て、多くの男がニヤニヤと笑いながら溜息を吐いた。
そして今日も、果物屋の店前で店員二人が彼女の事を噂しあっていた。
「可愛いな、あのツンとしたところがたまらない」
「いやいや、ツンとしているのは見た目だけだって。
俺の叔父さんがあの子に、髪留めを売ったんだけど、愛想が良かったってよ」
「今日は、あの背の高い彼氏は来てないみたいだな……」
「なら、声をかけるチャンスだな……」
彼等はそう互いに声をかけると、早速彼女に声を掛けようとした。
……するとその傍の、香辛料屋のおやじが彼等に急いで声をかけたのである。
「やめとけ、お前ら」
止められて面白くなかった彼等は食って掛かる様に、香辛料屋のおやじに声を上げた。
『どうしてだよ!』
すると香辛料屋のおやじが、警戒心も露に声を潜めて果物屋の二人にこう説明した。
「お前ら、あの子の背の高い彼氏の正体を知らないだろ?」
「ああ、なんかこの近辺で頻繁に喧嘩していると聞いた事があるぐらいだが……」
「……それだけじゃない。
昨日大神殿傍のスラムが、聖騎士団に逆らった挙句、聖騎士団に焼き払われたのは知っているだろ?」
「あの貧民窟の話?
ああ、もちろん知っているけど」
「実際に聖騎士団の誰が焼き払ったのか、までは知らなさそうだな」
「ああ……」
「あの子の彼氏だよ」
「ええっ!」
「あの子の彼氏はな、想像以上にやばい……完全に頭がイカれてる」
そう言うと、香辛料屋のおやじは、素早く周囲を見回すと、声を潜めて彼等に話した。
「俺も今日初めて知ったんだがな。
あの子の彼氏は、聖騎士団の中でも有名な従士だ。
名前はラリー・チリ。
別名は“狂犬”ラリー……
アルバルヴェ人だが、あまりにも素行が悪く、何でも小姓だったころに従士の両足をへし折り、そして川に投げ捨てた男だ」
『ええっ!』
「それだけじゃない、侮辱を受けたらたちどころにキレ、そして相手を半殺しにするまで決して許さない。
また剣術の腕も確かで、アルバルヴェ騎士館の中でも、騎士を除けば3本の指に入る腕前だそうだ。
そして相手を剣で切ったり、刺したりすることに無上の喜びを覚える、生まれついての殺人鬼なんだとさ」
「そ、そんなやばいのが、どうして聖騎士団に居るんだよ!」
「そこまでは俺もわからん。
だが言えるのは、アイツはそんな血に飢えた“狂犬”で。
それを危惧したアルバルヴェ騎士館ではとても奴が、手に負えないから追い出したんだ。
そしてそれを拾ったのが、“狂犬”ラリーよりも何倍も強い豪傑である、ソードマスターの騎士ヨルダン。
だから奴はアルバルヴェ人でありながら、同盟騎士館に所属して、騎士ヨルダンの盾持ち従士を務めている」
香辛料屋のおやじの話に、果物屋の二人は顔を青くした。
そして人ごみの中に消えようとしている“狂犬”の彼女の後姿を見る。
そんな彼等に香辛料屋のおやじが言った。
「ラリーを見ても、たぶんそうは見えないだろうがな。
だが昨日、俺の知り合いが貧民窟で遊んでいて、夕方から騎士団に包囲されたから仕方なく酒場で飲んでいたんだ。
すると聖騎士団に追われて、男が逃げ込んできたんだが、そこにラリーが現れた。
奴は躊躇いも無く人を斬りつけ、そして奴に逆らったその酒場の店主の太腿を顔色一つ変えずにブスッと剣で刺した!」
『…………』
「酒場の床は血まみれさ、酔いが醒めるような光景だったそうだ。
酒場の店主はそれでもラリーを罵った。
そうしたらどうなったと思う?」
「分からねぇよ……」
「……あの女の彼氏は嬉しそうに笑うと。
ナイフで店主の鼻を削いだんだ……」
『!』
因みにこの話は嘘である。
だが今更真実を知る術もない。
そして何よりも重要なのは……話としては、ソチラの方が面白いという事だ。
話を聞いた人の心臓を、嘘は鷲掴みにする。
これを聞いた果物屋の店員二人は、無意識のうちに、自分の鼻を触った。
そして恐怖が胸を締め付ける。
それを見た香辛料屋のおやじ、彼は再び周囲を見回すと彼等に言った。
「本当にやばい奴は、やばそうには見えないモンなんだ。
ラリーの事はよく知っている、奴はウチで頻繁に生姜を買うからな。
アイツはウチの生姜が大好物なんだ。
しかも値切ったりもしないし言い値で買う。
よく笑うし良い奴なんだよ……
だけど一言でも奴を侮辱してみろ、アイツは本当に血の気が多い。
しかも人を殴るのに一切躊躇しねぇ。
実際、この市場でも何人かの奴がラリーに殴られてる。
だから俺は、ラリーが買う生姜は、その日獲れた一番いいモノにしている。
アイツは言い値で買うから、それでちゃんと儲けも出るしな。
お前らもおかしな物を売らない方がいい、だったら良い物を少しだけ高く売った方がまだマシだ。
それと……ラリーの女には手を出すな。
お前達の鼻がなくならない様に、忠告しておくからな」
そうまで言われたら、二人はあの可愛い“狂犬”の彼女に声をかけるのを諦めた。
あんな美しい女の子はそうそういないが、だからと言って彼氏に自分の鼻を削ぎ落されるなんて御免である。
遠くでは野菜を買った彼女に、野菜売りのおやじが「あんたの彼氏に、俺が親切だったと伝えておいてくれ!」と言っているのが聞こえる。
美しいオリーブグリーンの目をした彼女は、それを聞くと、顔を真っ赤にして微笑み、そして足早に市場の奥へと向かう。
あそこは肉屋が並ぶ通りである。
香辛料屋のおやじと果物屋の二人は『きっと鶏肉を買うのだろう……』と話しながら、しばらくラリーの話をし始めるのだった。
◇◇◇◇
ここ最近、俺の趣味が変わった。
この家の俺の城と言えば台所である……
俺はその台所の中にある、香辛料が入った小瓶が並ぶ、戸棚を眺めるのがマイブームなのだ。
クミン、ナツメグ、グローブにチリ……そして生姜、にんにく、胡椒にオリーブオイル。
食べる物を美味しくしてくれる、素敵な仲間達。
こいつらの手にかかれば、あの酷い匂いがする塩漬けの豚肉だって早変わりする。
塩漬けの豚肉にグローブをさっとまぶし、そしてオーブンから取り出すときの姿が分かるだろうか?
肉汁やタレを何度も上から重ね掛けし、飴色に変わった豚肉が、油をジュープシューと噴き上げながら、グローブの甘く香ばしい香りとともに現れるその様を。
そして一緒に焼いた豚肉が乗ったプレートの野菜が、豚肉の旨味を十分に吸い込み、怪しく輝くその姿。
……香辛料がこの世に在ってよかったと思える瞬間である。
俺は今日の献立を考えながら、代わりに買い物をしてくれた、レミの帰宅を待っていた。
「今日は何を買ってくるかなぁ……」
買い物をレミちゃんにお願いした俺は、細かい注文を付けずに、彼女の食べたいものを買ってくるようにお願いした。
明日も時間があるので、時間がかかる料理でも、作ってやろうと考える。
こうして待っていると、ついにレミちゃんが帰って来た。
「お帰り、何買ってきたの?」
そう言って出迎えると……
明らかに不機嫌そうな彼女が立っていた。
……何が起きたのでしょう?
『…………』
レミちゃんは俺を睨みつけると、そのまま俺の脇を通り過ぎ、険しい空気を纏わせたまま台所に入る。
俺はそのまま彼女の後ろを追いかけ、そして声を掛けた。
「な、何……何か市場で言われたの?」
すると彼女は「はぁ……」と殊更不機嫌そうに溜息を吐き、俺を睨むとこう言った。
「市場はお前の噂でいっぱいだった。
お前のせいで私までも“狂犬”だと思われた」
「誰がそう言ったの?
言った奴を見かけたらそいつに礼儀を……」
「だからなんでそうなるんだ!
騎士は昔から“礼儀だ、敬意だ”とうるさいが、その中でもお前は特におかしい!
お前の代わりに買い物に行くだけだと思っていたら、野菜を売る店で、お前に”俺が親切だったと伝えてくれ“と言われた。
それ以外の奴も、お前を恐れて私に声もかけない。
お前のこれまでが、何もしていない私の評判までも下げ貶めている!」
お……おうふ。
なんかムッチャ切れてるぞ。
だけどそれ、言いがかり……
「サリワールに至っては、私が居るだけで敵意むき出しにして睨みつけて……
広場には無数の貧民が住処も無くたむろし、その嘆きの声が市場にまで聞こえそうだ。
どうしてあそこまでやった?
ただ鎧覆い(バーク)を取り返せば良かったのじゃないのか?」
「いや、だからあれは勝手に燃えたんだ!
俺は誰もあの日殺してないし、家にだって火を付けてはいない!」
俺がそう言うとレミは、そのオリーブグリーンの瞳でまっすぐ俺の目の奥を覗き込み、次に溜息を吐きながら「それが事実でもだ……」と呟く。
それに苛立ちながら俺は言い返したッ。
「俺だけが悪い訳じゃない!
アイツ等は俺達騎士団の名誉を傷つけたんだ!
しかも町の中には当たり前の様に魔物が潜んでいた。
多分あの日だけじゃなくて、連中はずっとそうしてきたんだ……
聖騎士団は毎年戦死者を出しながら、聖戦を継続している、そうやって領地やこの町を守ってきた。
バルミーとも戦うし、魔物とだって戦った。
それなのにあの町はそんな俺達を嘲笑うかのように……」
「私は騎士団の話はしてない!
お前の性格の話をしているんだッ!!」
「!」
「どうしたらお前のその気の短い性格が治るのだ?
お前はむしろ、気が短いを通り越して少し異常だ……」
そう言われた瞬間俺の心臓が冷えた様に、冷たくなった。
胸が痛み、そして背中から寒気が走る。
思わず顔色も青ざめていった……
それを見てレミは、あわてて訂正するように言った。
「別にお前の全てが悪い訳ではない。
他人にも優しいし、話をしていても面白い。
子供や老人にだって親切だ。
卑怯な性格でもないし、真面目なところもある、面倒見だって悪い方じゃない。
だけどもほんの少しでも侮辱されたら、もう駄目。
相手を徹底的に叩きのめした……
どうしてそんなに手が早い?
何も考えず、躊躇いも無くどうして人を傷つけてしまうのだ?」
「だって、そいつが相手を見ずに俺に対して喧嘩を……」
「だぁかぁらっ!
……はぁ、もう無理」
そう言うと何も答えを出すことも無く、レミは台所を後にした。
「話は終わってない!俺は……」
そう言って彼女の後を追おうとしたところ、彼女と入れ違いに一人の僧服の男が入ってきた。
「こんにちは、久しぶりだな」
「!」
それはどこにでも居そうな僧侶服を着た男で、白髪で清潔感が漂う僧侶だった。
……彼はサリワルディーヌと名乗る、俺にしか見えない男である。
彼は台所にある椅子の一つに目をやりながら「座らせてもらってもいいかな?」と尋ねた。
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