夜襲、月の神殿の戦い!(後)
神殿の中は、魔物連中が灯した明かりがそこら辺に点在しており、明るかった。
その中を俺とアマーリオが駆け抜けていく。
「どこだ、アマーリオ?」
「多分こっちだ!」
アマーリオに案内された俺は、一つの隠れるのに都合が良さそうな部屋に辿り着いた。
しかしアマーリオはそれを見回すと「もうここには居ない……」と呟いて悩み始める。
次に彼は何か思い至ったようで「こっちかもしれない……」と呟いてまた走り始めた。
とにかく思い付きのままに走るコイツに振り回される。
「あれ?」
道を走ってしばらくすると、道は突然鍾乳洞への入り口に辿り着いた。
神殿の中に鍾乳洞とはまたすごい。
いつの間にやら地下階にでも辿り着いたのだろうか?
そう思っていると、アマーリオが「おかしいな、コッチで合っている筈なんだけどな……」と一言。
……おい、迷子かよ?
「おい……」
しっかりしてくれよ、と言おうと思ったその時だった。
「は、放せっ!」
遠くの方でアシモスの声が響いたのだ。
思わず聞き間違いではないだろうかと思って、アマーリオの顔を見る。
奴も驚いた顔で俺を見た。
この様子に間違いないと思った俺は、急ぎ駆け出して鍾乳洞の奥へと向かう。
そしてついに、遠くに一つの小さな神殿を見つけた。
「……見た事がある」
その神殿はいつかどこかで見た事がある物だった。
思わずつぶやいた俺にアマーリオは言った。
「本当だ、サリワルディーヌ大神殿に付随する。小神殿そっくりだ」
「なるほどね、納得がいったよ」
フム、疑問が解消された……
「あれ、でもあんなの無かったけどなぁ」
そう言ってアマーリオが何か首を傾げたので、急いで先に進みたい俺は「それよりも早く行こうぜ!」と彼をせっついた。
こうして小神殿に近づいていく俺達。
やがて距離が近くなると、神殿の円柱の隙間から、中の様子が外からでも伺える様になった。
そんな小神殿の中にはアシモスの首にダガーを突き付ける……あ、行方不明になっていた、強盗野郎のホンザーじゃねぇか!
そしてその横には巨大な猫型の怪人が立っている。
これを確認した俺は、急ぎこいつらが居る小神殿に飛び込み、突然の乱入者に驚いたホンザーにこう言った。
「ホンザーテメェ!
遂にそこまで落ちぶれやがったな!」
ホンザーが俺を見る。
次にコイツは殊更強く、アシモスの喉元にダガーを当てると、奥へとアシモスを引きずりながら俺に声をかけた。
「ふん、ラリーのクソ野郎かよ……」
「どうしてお前がこいつらと一緒に居る?
それに高利貸しの能しかない、お前みたいな騎士道に外れた奴が今まで何をしていた!」
「うるさいっ、お前こそなぜここに居る!」
「なぜって……そうか隣の魔物とつるんでお前此処で何か企んでたな?
外の魔物はほぼ片付けた。
後はお前らだけだ……大人しく降伏するんだな」
俺がそう言うと巨大な猫が俺を睨みながら言った。
「ミノタウロスもか?」
「……じきに倒れるさ。
今ソードマスターと交戦中だ……」
俺がそう返すと、猫はニンマリと笑うと「あの旦那は死なんさ、そういう運命だ」と答えた。
次に猫はホンザーに言った。
「あんたは洞窟の中に入れ、俺はこのガキとやり合わなきゃならん。
それからその男は人質にしてくれ、この神殿から逃げるときに役立つかもしれん。
どちらにせよアンタは殺人を犯したら、エリクシールになれないから大事にするしかないけどな……」
猫がそう言うと、ホンザーは「分かった……」と言って洞窟の奥へ、アシモスを連れて入っていった。
「アマーリオ、お前も隙を見て洞窟に入れ。
……あの猫が俺をご指名だ」
俺はそう言うと腰の剣を抜き払い、剣を天井に向けた。
……聖騎士流、屋根の構え。
小神殿の中は天井が高く、室内でありながら不自由さを感じない。
俺のその様子を見て猫が好戦的な笑みを浮かべて言った。
「聖騎士流かな?
聖騎士団に所属しているならそうだろ?」
何かを探ろうというのか、この猫は……
俺はにじり寄りながら、口で三味線を弾くこの猫を睨みつける。
そして不意に思う事があったので逆に聞いてみた。
「おい、お前。語尾に取って付けた様に“ニャ”とか言わないのか?」
「そんなフィロリア語は無い筈だが……」
「ああ、気にしないでくれ。
そんな猫が居たら、斬りたくないなと思っただけさ」
うん、猫を斬るのは抵抗があるが、こいつは猫じゃない。
要は猫型怪人だという事だ。
そう確信できただけでも“収穫”だ。
『…………』
奴の尻の筋肉がわずかに膨らんだ、そしてすごい速度で接近する!
読んでいた俺はその脳天に、強撃をくらわす。
タンッ!と足音を響かせ、猫は次の瞬間トリッキーな動きで横跳びに逃げる。
俺はそのまま腰だめで下段の構えである、“犂”に構えを直し、切っ先を奴に向ける。
猫はそれを見ると、楽しそうに言った。
「こいつは楽しめそうだ……」
猫はそう言うと背中に手をまわし、そこに隠していた一本の剣を手に取った。
そして剣を突きに構える……
『…………』
俺は黙って剣をさらに下げた。
剣の切っ先は相手の踝に向かう。
鉄門……別名愚者の構え
その構えを見て猫がたじろぐ。
その様子を見ながら俺は言った。
「突いて来いよ、猫……どうした?
頭がガラ空きなのが見えないのか?」
俺の挑発に堪忍袋の緒が切れたのか、猫が踏み込んで突きを入れる!
俺は下から真っすぐ、最短の道を取って剣を摺り上げ、相手の剣を弾く。
そして次の瞬間再び上げた剣を最短の道を走らせ、相手の頭めがけて振り下ろした!
鉄門より……二段斬り!
猫は類稀な身体能力を生かして体を倒す。
俺の剣刃は奴の頭を捉える事が出来ず、眉間の皮を切り裂いた。
体を捻じって逃げ出す猫。
その隙にアマーリオが部屋の奥の道へと飛び込んだ。
一瞬気をそちらに向けてしまった猫、その太腿に俺はすかさず剣を突き入れる!
ドンっっ!
手応えが剣から俺の掌に伝わる。
すかさず後ろに飛んで逃げる猫。
気が付くと奴は顔も足も傷を負う。
「よそ見するんじゃねぇよ。
お前が俺をご指名したんだろ?」
そう俺が不注意に傷を負った奴を挑発すると、猫は怒りで目を吊り上げながら、剣を構えた。
俺は再び“屋根”に剣を構えながら、奴を嘲る様に言った。
「その構えで良いのか?
突きの構えで……また斬られちゃうんじゃないのか?」
挑発に乗った奴はすさまじい勢いと共に、俺に切り込んできた。
◇◇◇◇
アマーリオは背後で鳴る剣戟音を聞きながら、ひたすらに鍾乳洞の中を走っていた。
目印はあった。
と言うのも、ホンザーがアシモスに魔法を使わせ、その光が遠くでチラチラと輝いていたからだ。
暗がりに気を付け、足元が良く見えないながらも、必死にその光源を追いかけるアマーリオ。
いくつかの小神殿を抜け、彼はついに大きな大神殿の前に辿り着く。
そしてそこにはホンザーと、彼に連れられてここまで引っ張ってこられた、アシモスの姿があった。
「やい、貴様ついに追い詰めたぞ!」
アマーリオがそう言うと、ホンザーが振り向いて、アシモスの首にダガーを突き付けながら言葉を返した。
「追い詰めただと?
お前如きに追い詰められた覚えはないわ!
俺はな、選ばれた人間なんだ。
お前みたいな小さな人間に何が分かる!」
「テメェ……」
「動くなよ、動けばこの男の命は無い!」
「卑怯だぞ……」
「卑怯なものか……俺は成功するんだ。
エリクシールになれれば、俺はダナバンドでもエルワンダルでも、望んだ場所に荘園を持つことができる。
俺をこんな目に合わせた奴に思い知らせてやることだってできるんだ。
お前はそこで俺が大いなる存在になるのを指を咥えて見ていると良い!」
ホンザーがそう言うと、その声に反応してアシモスが言った。
「エルワンダル?
誰がそんなことを約束したのですか?
あれはダナバンドの土地じゃない!
先祖から受け継いだエルワンダル人の土地だ!」
するとホンザーが目をひん剥いて言った。
「知らねぇよ!
摂政様がそう約束してくれたんだ!
俺みたいん外国人だってチャンスを与えてくれるんだ。
あの方は力のある方だ……エルワンダル大公の様な弱い人間じゃねぇんだよ!」
ホンザーがそう言った瞬間、アシモスは怒りで心が塗り潰され、そして全力でホンザーを押し倒した。
「貴様っ、大公様を愚弄するのかっ!」
その気迫に思わず大神殿の敷地内に入ったホンザーは、ダガーを構えると、怒りも露にアシモスにそのダガーを突き立てようとした。
……その時である。
ダガーを握るホンザーの手が宙で止まる。
何者かが彼の腕を掴んだのだ。
思わずその手を見るアシモスとアマーリオ。
するとそこには真っ赤な目をした鬼の様な形相の男が、古代の神殿のレリーフでよく見る服をまとって立っていた。
彼は大神殿の敷地内に入ったホンザーに告げた。
「この神殿に入る者は殺人を犯してはならないのがしきたり。
それを破った貴様が何故ここに居る?」
アシモスと、アマーリオは(これが神?)と思って見上げた。
ホンザーもその気迫に押されて、思わずタジタジになりながら言った。
「な、なにを言ってる。
俺は人を殺した事は無い!」
「嘘を重ねるのか?
お前は人を確かに殺した」
「ふざけんな!でたらめだ。
俺は人を殺せなかったんだ、戦場で他の人間に殺させてそれで手柄にしていたんだ!」
「そんなことを聞いているのではない。
まだ分からないのか?
お前の悪徳、人に押し付けた借財でお前は3人の人間を、自殺に追いやったのを忘れたのか!」
「あ、あれはあいつらが勝手に……」
「言い訳は無用だ、罰を受けるがよい!」
すると次の瞬間、ホンザーの体が歪み始め、そして黒い空間に飲み込まれていく。
「お前の罪は虚偽と冒涜だ!
悪意に満ちたその心を打ち砕いてやろう!」
ホンザーは叫ぶことも忘れ、そして手をヒクつかせながら、黒い空間に飲み込まれていく。
やがてホンザーの姿は完全に闇に飲み込まれ、そして姿を消した。
『…………』
赤い目の男はそれを見届けると、神殿の中に入ろうとした。
その背中にアシモスが声をかける。
「お、お待ちください!」
赤い目の男は振り向いて、アシモスの様子を見た。
アシモスは跪き、片足を立てながら、彼に尋ねた。
「私はエルワンダル人の、アシモス・フラーダル。
隣は同じくエルワンダル人の、アマーリオ・コレドール。
神よ、私の願いを聞いてください。
どうか、どうか……」
赤い目の男は、アシモスとアマーリオの顔を見ると顔を和らげて言った。
「フム、お前たちは人を殺した事は無いようだな。
では何なりと申せ、望みは何だ?」
そう言われたアシモスは喜び勇んで言った。
「では、お尋ねいたします。
エルワンダルでは戦争が続き、多くの者が傷つきそして倒れました。
私は彼等の為に、儀式を行い、魂を導いたと思っていました。
ですが本当に彼等は救われたのでしょうか?
そもそも救いはあるのでしょうか?
お教えくださいませ……」
アシモスがそう言うと赤い目の男はがっかりした顔でこう言った。
「エルワンダルと言うのは北にある土地だな。
そしてフィーリアが統べる国でもある。
ならば幾人かは救われていよう。
だが地獄に落ちた者もいる。
だが多くの者はいまだあの地をさすらい。
本当の主はどこだ?と叫んでいる。
何と業の深い事だ……」
「……ああ」
アシモスはその言葉を聞いた瞬間、そう呻いてこの場に倒れ伏した。
そして地面に寝そべりながら、両手で顔を覆うと大泣きに泣き始めた。
「私は、彼等を救済できなかったのか……
戦いを終えても尚、彼等を苦界に沈めていたのか……
あ、あああああああっ、ああっ、わぁぁぁっ」
アマーリオはその様子をみて目を伏せた。
そんなアマーリオに赤い目の男が声をかける。
「お前は何を望む?
金か、力か……あるいは名誉か?」
「え?ああ……まぁそれは欲しいんですけど。
それよりも頭が良くなりたいなと思って……」
アマーリオのその言葉を聞いて、赤い目の男は、じっとアマーリオの顔を見た。
そして彼に改めて尋ねる。
「どうしてそんなものが欲しいのだ?」
「いえ、俺の知り合いに力馬鹿が居まして。
そいつが現れてから、俺はどっちの方面に行けばいいのか分からなくなったんです。
アイツみたいに強くなれるとは思えないし。
それに金を手に入れても、騙されて全部獲られる奴も多いじゃないですか。
うちの孤児院にも、それで親から“育てられないからお願いしますッ”て来る子も居ますしね。
だったら頭が良くなれればいいのかな?って……」
アマーリオがそう言うと、赤い目の男はじっとアマーリオの顔を見てこう言った。
「すなわちお前は、力もお金も名誉も要らない、ただ知恵だけが欲しいというのだな?」
「ええ、まぁそう言う事です」
「私に改めて願うと良い」
「何をです?」
「……さっき私が言った言葉を繰り返すだけで良い」
赤い目の男は、じっとアマーリオの表情を伺いながらそう告げた。
アマーリオはさっき言われた言葉を繰り返してこう言った。
「えっと、力もお金も要らない……」
「名誉は?」
「ああ、それも要らないです。
ただ知恵だけが欲しい……」
アマーリオがそう言うと、赤い目の男の目の色が優しい紺色に代わった。
そしてアマーリオの頭に手を当てるとこういった。
「汝アマーリオ・コレドール。
今日よりお前をこの私ジスパニオの依り代として、この地に遣わす。
これより死に果てるまでお前は、エリクシールとして霊薬製造を許される」
「……あの、それより頭を良くしたい」
「おめでとう、エリクシール」
「あの、ああ……ありがとうございます。
でもそれより……」
次の瞬間大神殿の中より光がこぼれ、アシモス、そしてアマーリオの体を包み込んだ。
光は洞窟全体を包み込み、全てを飲み込んでいく。
◇◇◇◇
―少し前の小神殿。
「ガキのくせに!」
猫型怪人は、そう言って俺を呪った。
俺はその問いに何も答えず、まっすぐ剣を振る。
それに合わせて剣を構えた猫。
……再び屋根に構えた俺の剣。
そんな俺に押される形で、焦った猫が剣を振るう。
剣の動きに合わせ、まるで糸が付いているかの様に、俺は剣を動かした。
そしてその糸が文字通り“撓む”様に、相手の脇を抜けるように歩を進めると、剣を旋回させる。
落ちる剣の裏刃が、剣を握る猫の手首を切り落とした。
……奥義、撓め斬り!
剣を握りしめたまま、毛むくじゃらの奴の手首が宙を舞う!
“あっ”と驚く猫、そしてそのガラ空きの胴に下から切り上げる。
……車輪斬り!
肉を切り裂き、骨を断ち切り、右わき腹から左の肩までまっすぐ剣が走る!
心臓が破け、鮮血が傷口から吹きあがり、その中で猫は観念したかのように眼をつぶり、そしてこの場で倒れた。
ヒュン、ヒュン……
剣を振るって、血糊を弾き飛ばした俺。
起き上がって最後に意地を見せるかもしれない、こいつを見やった。
やがて猫はこの部屋を覆うような、大量の血の中で静かに息絶える。
こうして奴の死を持って解かれた緊張。
無意識に抜かれていく筋肉の力み……
……思わず溜息を吐く。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
下ろした兜の面頬の奥、血の匂いで昂揚する自分の心を抑える。
そして平静を取り戻しつつある心とその眼で、ようやくこの部屋の事を見回す余裕を得た。
「え、死体?」
今気が付いたのだが、部屋の中に真っ黒にミイラ化している、乾燥した死体があった。
「うわぁ、女神フィーリアあの死体は全く俺と無関係です。
どうか俺を呪わないように口利きして下さい……」
俺自身、初めて聞く様な祈りの言葉を吐きながら、親指を合わせて聖騎士流の祈りを捧げた。
すると目の前の死体は少し顔を上げて俺を見て……
「え?え……嫌ぁぁぁぁ!」
来ないでぇぇぇぇぇぇっ!
辺りを覆う血しぶきの中で動き出した、死体。
未だ成仏できない奴が俺を呪おうとしているぅぅぅぅぅっ!
発狂した俺に、奴は言った。
―エリクサーをこの中に……
「ああ、俺は子供の頃から幽霊が見える体質だった。
最近では一年に一回ぐらい、ワースモン・コルファレンしか見ていないから忘れていたけど。
俺はムッチャ霊媒体質なんです、許して、本当に悪気はないんですぅ……」
告白と謝罪に一生懸命な俺に、死体は石の棺を指さして見せた。
そして、そのまま俯き、沈黙する。
俺は恐ろしくなって周りを見回す。
次に猫が起き上ったらシャレにならない。
猫はさすがに死んだばかりだから、起き上がる事は無かった。
怖ぇええよぉ、マジで俺はオカルトが苦手なんだよぉ……
早く逃げ出したい。
……少なくとも一人でココに居るのはチビリそう。
そこで急いでどこかに行こうと思ったのだが、ここで“幽霊?”の言葉を思い出した。
(……エリクサーをこの中に)
そう言って石の棺を指さしたよね。
つまり……俺がエリクサーを隠し持っている事がばれていたって事?
で、もし俺がそれを無視して此処を去ると。
コイツが夜、俺とダーブランの家をご訪問して、呪ってやるぞぉ、っと……
オーマイガッ!
俺に選択肢が無いのかよ!
将来、死にかけの俺を救う予定の霊薬と、明日呪いに来そうなコイツ……どっちが怖いかと言うと。
……圧倒的に幽霊だった。
「……さよなら、俺のエリクサー」
俺は涙を呑んで、幽霊の言う事を聞く事にした。
首からお守りを外すと、例の石の棺に向かう。
中には緑色の液体と、色の褪せた女性の服が浮かんでいる。
それが割れた蓋の隙間から見えた。
俺はその隙間に、最後のエリクサーを入れた。
……赤い丸薬が緑の液体の中に沈んでいく。
ボコ、ボコボコ、ボコボコ……
やがてエリクサーが入った緑の液体は、ボコボコと沸騰しだし、そして棺の蓋の切れ目より緑色の煙を噴き上げる。
この煙を吸い込むと体に悪影響が出そうだと思った俺は、後ろに下がった。
「なんまんだぶ、なんみょうえーと。
フィーリア様、サリワルディーヌ様に、この際ラドバルムス様。
誰でもいいから俺は呪われませんように……」
もはや自分の宗教が何教なのかもどうでもよくなり、ご利益がありそうだったらとりあえずどこの神様でも拝みたくなった俺。
やがてそんな俺の前で石の棺が、青く優しい光に包まれた。
恐る恐るその様子を見る俺。
やがて石の棺の中から、呪いの声が響いた。
「開けろっ、開けぬか貴様っ!」
ひぃぃぃぃぃっ、怒っていらっしゃるぅぅぅっ!
ゴン、ゴンッと、音を立てて、跳ねるように動く石の棺。
俺は恐る恐る石の棺に近づくと、その中に居るであろう、呪われた存在に声をかけた。
「あの、すみません、俺を呪わないですか?」
すると棺の中の存在は、女性の声で叫んだ。
「殺すぞ、貴様っ!」
あ、これ……関わっちゃいけない奴ですわ。
「それでは失礼いたします……」
とにかくエスケープしようとすると、中にいる呪われた存在が叫んだ。
「呪わぬから私をここから出せっ!」
「……はい」
今日はなんて日だ……そう思いながら石の棺の蓋を外した俺。
「…………」
石棺の中には、すっごくスタイルが良い、足がムッチャキレイな、気の強そうな美女が裸でいた。
もうね、太ももが程よくむっちりして、それでいて締まる処はちゃんと締まった、理想的なふくらはぎが目の前に……
「あの……好きです」
思わずルーシーの時同様、そう言ってしまった俺。
……そうなのだ、俺は知っている。
あの日もルーシーの乗馬用のズボン姿を見て、惚れた俺。
つまり俺は……脚フェチなのだ。
彼女はそんな俺を裸で見上げると「チッ!」と舌打ちをして、そのまま立ち上がる。
そして周りを見回すと、部屋が血溜まりの中なのに驚きそしてこう俺に尋ねた。
「あそこにいる猫の化け物はお前がやったのか?」
「ああ、そうだよ。
さっきまで戦闘していたんだ」
そう答えると、彼女は少し俺を見直したのか、少しだけ目線を和らげてこう言った。
「あの手首が飛んでいるところを見ると、撓め斬りか?」
「知ってるの?」
「うむ……それよりもアキュラはどこ行った!」
「誰?それ……」
「なに?」
俺がそう言うと、彼女はじっと俺を値踏みするような目で見ると「王剣士アキュラ・リンドスを知らぬ筈はあるまい?」と言った。
それなら知っている。
「今から100年近く前の人だよね。
それなら知っている、しかもその人は俺の夢にも出る人だ」
「?」
「どうしてその人の事を知っているの?」
「何を言っているのだ?お前……」
今度は俺が“?”だ。
やがて彼女は自分が裸である事に気が付くと、棺の中にある女性ものの服に手を触れる。
残念ながら服はボロボロになって千切れた……
「…………」
これ以上裸を見るのはよろしくないと思った俺は、後ろを向いて目線から彼女の姿を外した。
そんな俺に彼女が声をかける。
「おい、お前が着ているのは鎧だな?」
「ええ……」
見りゃ分かるだろ?そう思いながらドキドキした俺。
そんな俺に彼女が驚くようなことを言った。
「だったらその下に着ている服はいらぬな」
「え?」
「裸になるのを命ず……」
……大人の階段って、こうやって上るんだっけ?
―120秒後。
彼女に手伝ってもらって鎧を脱いだ俺は、鎧の下に来ていた肌着や、薄手の防寒用の長袖のズボン等を剥ぎ取られ。
そしてすっぽんぽんで鎧を再び着る事になった。
あ、鎖がひんやりして結構辛いかも、コレ……
彼女は俺から強奪した服を、袖を幾重にも折りながら着こみ、そして俺を見てこう言った。
「私の裸を見た事は咎めぬ。
お前もこの事を広言せぬ様に……」
「あ、うん。あの……一ついいかな」
「なんだ?」
「その服、気にっているから用が済んだら返して欲しいんだ。
そうしたら御飯をごちそうするよ?」
正直に言うと、別にこの服に未練はない。
ただこんなかわいい子を逃したくない!
とにかく何らかの理由をつけて、この子と接点を持ちたいのだ。
少しおどけて彼女にそう言うと、彼女はどこか警戒したような目を俺に向けてこう尋ねた。
「お前、名前は?」
「ラリー・チリ。
ルクスディーヌの東に流れている、ペリート川傍にある孤児院に居る。
騎士ヨルダンに仕えているんだ」
「騎士ヨルダン?知らぬ名だな……」
「同盟騎士館に詰めている聖騎士なんだ。
それよりも名前を教えてよ」
「……ああ、私は」
そう言うと彼女は俺を伺うように、俺の目の奥を覗き込んだ。
……可愛い、ムッチャドキドキする。
俺がその目線に耐えきれなくて、笑みを浮かべながら「ちょっと、そんなに見ないでよぉ」と言うと、彼女は初めて親しみの浮かんだ笑顔でこう言った。
「私の事をレミと呼ぶのを許そう」
「え、レミちゃんなの?
うん分かった、おいしいモノ今度用意するから必ず来てね。
俺待ってるから」
ああ、可愛い、本当に可愛い……
俺が好き好きビームを発しながらそう言うと、彼女は笑い。
やがて俺の前で宙を舞うと、親父や兄貴のように空を飛んでこの場を飛び去った。
「……親方、棺から女の子が」
あれ、それは空だったかな?まぁいいや。
どうやら彼女は魔導士だったらしいね。
姉弟の中で、俺だけがその辺の素養が全くなかったからアレだったけど。
今度から、パパに頼んで魔導書を送って貰って、貢物攻撃に打って出るのもいいかもしれない。
マンドラコラ大好きな義理の姉の事もあるし、魔導士ってああいうのが好きな人多いかもしれないしね。
それにしても立ち去る時はそっけないモノだったなぁ、あの子……
再会したい、出来るだけ直ぐに……
俺がそう思ってボーっとしていると、洞窟の奥から光が零れ、そして俺を包み込んだ。
俺が次に気が付くと、そこは月の神殿の外だった。
そして俺の傍には、アマーリオと、アシモスが居る。
二人は何か信じられないモノでも見たのか、ボーっとした目で、虚空を見つめていた。
「おい、大丈夫か?」
俺がそう声をかけると、二人は正気に戻り、そして俺の存在に気付くと、アシモスがこう言った。
「ジスパニオ……ジスパニオに会いました」
「誰それ?」
ジスパニオ……聞いた事が有る様な、無い様な。
そして、同じく呆けた様子だったアマーリオが声を上げた。
「ラリー、どうしよう……
すごい力を手に入れたぞ」
「どう言う事?」
「分かるんだよ、この砂の薬効とか、武器の効果とか」
「はい?」
「この砂は……美容に良いそうだ」
「…………」
……知らねぇよ。
ほんの数十分離れた間に、悪い方向に覚醒してしまった二人の知り合いに、思わず曖昧な笑みを浮かべて見守る俺。
『体が、体が治った!』
やがて月の神殿近くに居る戦友達の間から、そんな歓喜の声が上がり始めた。
思わずそちらに目を向けると、理由は分からないけど嬉しそうに飛び跳ねる、戦士達の姿がそこにあった。
そしてその傍には、剣を肩に立てかけ、地べたに座る騎士ヨルダンの姿もあった。
「二人とも、行きましょう……」
俺はアシモスやアマーリオを連れて、ヨルダンの傍に赴いた。
ヨルダンは近寄る俺に一瞥を加えると、あとは黙って月の神殿を見ていた。
「マスター、アシモス殿の救出に成功しました」
「見たら分かる……」
ヨルダンはそれだけを言うと、俺ともう話をしたくない様子だった。
その後、同盟騎士館より100人ほど増援が訪れ、俺達はそれらと交代するようにルクスディーヌへと帰還した。
その間も、我が主は誰とも会話をしようとはしなかった。
◇◇◇◇
……ヨルダンが何故そんなにそっけない態度を取ったのか?
と、言う事が分かったのは次の日の事だ。
俺が同盟騎士館にアシモスと共に赴き、昨日の件について礼を述べに行くと、あの日の事を館長にフラム・ローンが語ってくれたのだ。
要約すると、昨日の戦闘では、マスターヨルダンはその剣技でミノタウロスを圧倒していた。
だが、ミノタウロスはどんなに切り刻んでも、瞬く間に傷を癒し、そしてヨルダン相手に戦い続けた。
戦いは長期戦となり、そして遂にあのミノタウロスの拳が、一瞬の不覚をついてヨルダンの体を打ち抜いた!
吹き飛んだヨルダンは剣に縋る様にして立ち上がり、そして相手と更に交戦をしようとした。
その時にあの光が溢れだし、そしてその光に飲み込まれた瞬間ミノタウロスは消えた。
そして重傷を負ったはずのヨルダンの傷は癒えたのだ。
勝ちきれなかったヨルダンは、その時からずっと気落ちしている。
誇り高い男、ヨルダン・ベルヴィーンの誇りはこうして汚され、彼は苦悩を抱いて沈んだのだ。
同盟騎士館からの帰り、アシモスはとても清々(すがすが)しい眼差しで空を見ながらこう言った。
「私のせいで2人の兵士が死んでしまいました。
それはひどく私にとって悲しい出来事ではありますが、ですが私の悩みは大きく晴れた気がします」
「…………」
二人も死んだのだ、少しコメントに困る。
そう思って黙っているとアシモスが言った。
「ラリー、私は新しい救済の道の存在を知りました。
それを世に広め、そして世界を救う使命を授かったのかもしれません」
「どう言う事です?」
「あの後、私はアマーリオとよく話し合いました。
彼はあの時、ジスパニオから素晴らしい力を授かったからです。
そしてその力は、今苦しんでいる人を、投薬や医療によって治し、癒す力なのです」
「はぁ……」
「これまで私は女神の救いを信じていました……いや信じようとしていたんですね。
そしてそれは半分本当で、半分嘘だった。
心と魂は体の中に入っているのです。
心・魂・体、この3つは分けてはならないのです。
だとしたら、体を癒し、そしてそこから心や魂の治癒に入らなければ、ソレが救済に至らないのは当然ではないのか?
つまり私が何を言いたいのか?と言うと……」
そう言うとアシモスは、怪しげに何かに魅了された笑みを浮かべ、そしてこう俺に小声で耳打ちした。
「救済をもたらす神は女神フィーリアではなく、ジスパニオだと分かったんです」
「!」
流石にそれは禁忌である、思わずアシモスの顔を見ると、彼は不思議な笑みを浮かべてゆっくりと微笑みそして帰りの道を歩いた。
(もしかして……背教者になったのか?)
女神の教えを捨て、ラドバルムスの教えを選んだ者を、人は背教者と言う。
アシモスは確かに俺に打ち明けた、救済をもたらすのは女神ではなくジスパニオだと。
「…………」
流石にその事を他人に知られたら、彼は無事では済まない、たぶん殺されてしまう。
実は、フィーリア信徒は敵よりも裏切り者を憎む。
……それはフィーリア信徒に限らず、実際には人間の性なのかもしれない。
なので俺はこの事を黙る事にした。
そうしないと、せっかく拾った仲間の命が無くなってしまうかもしれない。
今回の襲撃では、甚大な被害を被ったと思われた騎士団に、奇跡が起き、被害は軽微なものにとどまった。
月の神殿内部からこぼれた光を浴びた者は、その傷が治り、瀕死の者も助かったからだ。
ただ絶命した者は助からなかったらしく、あのミノタウロスに殺された者は生き返る事は無かった。
それが2人の死者である。
それと同時に、聖騎士団本部近くにあれ程たくさんの魔物が潜んでいた事に、人々は驚いた。
そしてあの月の神殿の秘密を探るべく、多くの騎士団関係者が、月の神殿の調査に乗り出した。
今後、それによって多くの謎が解明されることを期待して……
バルドレの出現は、聖地に大きな動揺を今後もたらす事になる。
聖戦の新しい局面の訪れは、もう間もなくの事だった。
長らく更新が止まってしまい、申し訳ございません。
精神的なものと、インフルエンザ的なもので体が止まっておりました。
いつもご覧いただきありがとうございます、またよろしくお願いいたします。




