夜襲、月の神殿の戦い!(前)
―同日夕方、月の神殿近く。
砂漠へと続く、荒れ地の夜風はひどく冷たい。
体は凍え、その特徴的な乾いた寒さ。
この乾いた寒さだけが唯一、ガーブよりもましだと思う。
……湿り気交じりの寒さは、バームス親分でなくても耐え難い辛さがある。
思い出の中から蘇る、骨身にまで沁みた、ガーブの冷気……
……ずれた話を戻そう。
荒れ地の中、月の神殿近くの岩場。
行動開始の合図を待つ俺達は、この辛い待機時間を過ごしていた。
そんな中、俺の傍らで他の騎士に仕える仲間の従士が寒さに身を震わせ、体をさすり、そして小刻みに飛び跳ねながら、しかめた顔で俺に話しかけた。
「……寒ぃー、ほんと、訓練かよ?」
「実践訓練だって、魔物を狩るって言ってたよ」
俺がそう答えると彼は「……それは実戦だろ、アホかよ」と、言って自分の主の元へと向かった。
その様子がやけにおかしかったので、他の従士と共に、笑った俺達。
皆で寒さを分かち合いながら、それぞれ主である騎士の帰還を待っていた。
時刻は夜も浅い頃、空には青白い満月が輝く。
月明りは大地を輝かしめ、松明は不要。
風は砂漠から、身を切るような冷たさで常に弱く吹き付ける……
焚火を焚けば良いと思うだろうが、夜襲前ではそれもできない
木材が燃えればその匂い、そして光が相手に気付かれる。
だから相手に気付かれることなく襲撃をしようと言う、俺達同盟騎士館の戦士達は、この寒さの中でも焚火は無かった。
俺が仕える主である、騎士ヨルダンが帰って来たのはそれから間もなくだった。
彼は俺やヴィーゾン、そしてアマーリオを集めると、こう説明した。
「今回は我々の仲間を救うのが使命だ、当然一番危険なところを担う事になる。
先鋒として正面から、騎士ラグルドの隊と襲撃する、後で挨拶に行くから覚えておけ」
『分かりました』
「さて合図だが……ラッパの音が1番なら配置完了、前進攻撃。
3番の場合は右翼が攻撃を受けている。
4番のラッパが左翼だ、本体は5番だな。
2番のラッパは敵が敗走を始めた合図。
援軍を求めている場合、右翼は魔法で青い光を放ちながら3番。
左翼は赤い光を放ちながら4番ラッパだ。
予備戦力は騎士ドルゴーが率いる20名が当たる。
質問はあるか、ラリー?」
ヨルダンがそう言って、俺の目を覗く。
「撤退や、総攻撃の合図は変わらずですか?」
「そうだ、そのラッパは変わらない。
他には?」
『…………』
俺達が沈黙でもってこの質問に答えると、ヨルダンは俺やヴィーゾン、そしてアマーリオに待機を言い渡した。
今回行動を共にする、騎士ラグルドへの挨拶はまだ後になる様子だ。
そして彼自身は中央に居る、総大将の同盟騎士館館長のニフラム・ローンの元へ向かう。
ヨルダンが居なくなると、ヴィーゾンがにんまりと笑って俺にこう言った。
「ラリー、初陣か?」
「いや、小姓時代に何度か出撃しました」
「小姓での出陣は、初陣とは言わないな……
まぁいい、分かった。
あまり気負わない事だ、何より今回一番の目的はアシモス殿の救出だ。
戦闘に勝っても彼を失えばそれは敗北だからな。
目的をはき違えるなよ」
「分かりました」
「今回は敵を追いかけるのではなく、出来るだけで良いから、アマーリオと共に急いで月の神殿に飛びこめ」
「え?」
「アシモス殿は戦いが得意ではない。
それにアマーリオの説明だと、敵はアシモス殿と同じ目標を追いかけている様子だ。
だとすると、神殿の外にいる連中に、たぶん部隊は足止めされる可能性が高い。
……アシモス殿と敵は、神殿の中で接触する可能性が大だ。
俺も行きたいが、本隊を離れる事は難しいと思う。
ローン館長も、俺がいなくなれば不安に駆られるだろうしな」
ヴィーゾンの物言いに思わず違和感を覚えると、ヴィーゾンは俺の目を覗きながら補足するように言った。
「館長は俺の事をよくご存じなのさ」
「はぁ……」
「……もっと仲良くなったら教えてやるよ。
だからもっと仲良くしようぜ、ラリー“ちゃん”」
そう言うとヴィーゾンは目をギラっと光らせながら、斜に構えてニヤリと笑った。
……有無は言わせないつもりらしい。
俺は引きつった笑みを浮かべながら「俺も先輩剣士と仲良くなりたい」と答えた。
この俺の回答はヴィーゾンの中で100点満点だったらしく、彼は無言の内に手を差し出し、俺はその手を握り返す。
「……俺達は友人だ」
そう言うと、手を握られたヴィーゾンはその年相応に老けた顔をクシャっと、皺だらけにして俺に笑いかける。
……男らしい、なんかいいぞ、この雰囲気。
俺はなぜかこの彼と、その周りにある世界に痺れ、背中一面に鳥肌を立てた。
その後ヴィーゾンは、俺やアマーリオに戦場での振る舞いや注意を教える。
「注意を怠らないことはもちろんだが、仲間の事には常に目を配れ。
自分が孤立すれば、仲間がお前を助けようとする、その結果仲間を危険な目にあわせてしまう事は珍しくない。
逆に言えば仲間が危機を迎えていれば、普段仲が悪くても戦場では助けろ。
……それが“友愛の心”だ。
騎士を目指すラリーは特にそれを意識しろ、国は変わっても騎士道に変わりはない。
そしてもう一つ。
戦場では恐怖、そして全身を支配するような心の昂揚が常にお前達の正気を失わせようとするだろう。
そんな悪魔の囁きにも必ず立ち向かい、そして勇敢に振る舞え。
仲間が常に見ているんだ、決して恥ずかしい真似は出来ないぞ。
内なる勇気と、悪魔の声の区別は難しいが、俺の言葉を思い出せ、良いな?」
心の高揚を否定し、勇敢であれ……ってどういう事?
俺にはヴィーゾンの言葉は矛盾しているように感じられ、だけども“それは何ですか?”とも言いだせる雰囲気でもない。
そこで判った振りをして黙っていると、隣のアマーリオが「心が盛り上がっているのはだめっで、勇気を持つのが良いというのはおかしくない?」と、ヴィーゾンに質問を……
……ナァーイス、アマーリオ。
この質問にヴィーゾンは気持ちを少し害したようで、少し棘のある口調で言った。
「まぁ、感覚的な問題だが。
敵に立ち向かう心でも正気が無くて無謀なものと、果敢に危険に挑む物がある」
「はぁ……」
「はぁ、じゃねぇよ……
おい、ラリー常にコイツと一緒に居ろ!」
そう言うとヴィーゾンはこの場を離れた。
アマーリオはこの様子が面白くないらしく「くっそ、俺だけかよ……」と、呻くと、地面の砂を軽く穴を掘る様に蹴った。
(俺も良く分かって無いよ……)
そう思ったが、俺はこの事に口は挟まず、なんとなく沈黙して彼の傍で立ち尽くした。
そして俺はその場で、胸元にあるお守りに手を添えた。
このお守りの中には、たった一粒だけ持っている、エリクサーがある。
昔、叔父であるガルボルム・バルザックと、親友であるネザラス・ジスプラストの妹。
つまりジリの妹であるラーナちゃんを救う為にポンテスから譲り受けたものだ。
実家の柱の下から掘り出した時、こいつは3粒あった。
二人を救った俺は、最後の一粒となったこいつを、何時か来る時の為にずっと大事に持っていたのだ。
(今日の初陣がその日かもしれない……)
瀕死の重傷を負った時、又は仲間を救う時、こいつが役に立つ時が来るだろう。
俺は秘密の霊薬を握りしめながら、戦いを前にし、寒さとも興奮ともわからず震えていた。
周りの同い年の従士や兵士もう同様だった。
……こうして時は流れていく。
やがて斥候(戦場等を見てくる役目の兵士)が帰還して、俺達は敵情を把握した。
部隊は、敵に見付からない様に3つに分かれて移動を始める。
今回最も遠くに移動する、左翼の合図を待って攻撃開始と決まった。
……時刻は夜の7時ごろを回る。
◇◇◇◇
―同時刻、月の神殿内部。
「居たか?」
「ダメだ、どこにも居ない!
外の足跡が、風で消されてやがる!」
月の神殿の中では、男達が消えた侵入者を探していた。
だが彼等が把握した情報はあまりにも少なく、そして真偽がはっきりしないモノばかり。
ただ神殿内部に残った足跡から考えて、どうやら外に向かったらしいと推測できた。
……そしてその憶測は、彼等にとって最も好ましくはない。
「外に出たのは間違いないか!」
慌てる手下の様子を、バルドレは怒りも露にして見ていた。
「旦那、間違いねぇよ。
神殿の中にあのガキはもういねぇと思うぜ」
彼等はそう言うと、バルドレの顔を見て更に言葉をつづけた。
「旦那、悪い事は言わねぇ。
アイツがルクスディーヌで聖騎士を呼んだら、連中は今夜にも襲撃に来ちまう。
何せあの町とこの場所は、2時間程度の距離だ。
エリクシールだか何だかの伝説なんか放っておいて、大人しく撤退した方が……」
「馬鹿野郎!
エリクシールが加われば、俺達の目標の達成が早まるんだぞ!
あの3神を抹殺し、復讐を果たすその日まで俺たちの戦いは終わる訳にはいかねぇんだっ。
エリクサーがあれば、多くの魔物も復活できる。
今やただの肉片にすぎねぇアイツらを蘇らせ、再び世界に恐怖と混乱が巻き起これば、今虐げられ連中が、必ず立ち上がる。
エリクサーが20……いや10あれば無秩序が、必ず世界に広がるんだ!」
バルドレはそう言った瞬間、周りの表情が引きつった事に気が付いた。
そしてその引きつった表情の理由に思いが至ったバルドレは、隣に居る“人間”の顔を見る。
バルドレが右後ろを向くと、そこには若者としか言いようがない、あどけない顔の青年が立っていた。
青年は、傲慢さが浮いた笑みを浮かべると、バルドレや、その取り巻きを見回し、よく落ち着いた堂々とした声でこう言った。
「お前さんたちがエリクサーとかいう霊薬で、なにを蘇らせたいのかは知らんが……
俺がエリクシールとかいう、世界でただ一人の特殊能力を得るという事にしか興味がない。
あ、いや……もう一つあったな。
約束の報酬はきちんとくれるんだよな?」
青年が悪そうに笑いながらそう念を押すと、バルドレは安堵し、ニンマリと笑いながら「ああ、もちろんだ」と、答えた。
そして彼は、打って変わって威厳を放ちながら言葉を続けた。
「ホンザー、だが忘れてもらっては困るが、ボスはあくまでも俺だ。
判っているだろうが、お前は俺の下だぞ」
「ああ、わかっているよボス。
アンタを立てるよ……
だけども俺も約束の報酬が必要なんだ。
俺は生まれ故郷である、アルバルヴェを裏切る事になるんだからな……」
「分かった、分ぁーった。
ちゃんとダナバンド王国の騎士爵が貰えるようにするさ。
そして領地だ、エルワンダルでもルワーナ(ダナバンド王国王都)近郊でも好きな荘園を貰えるようにする。
金貨もたんまりだ、俺が摂政(ヴァ―)様に頼んでやるから安心しろよ」
ホンザーはそれを聞くと、幾度か頷き、そして目に険しさを浮かべてこう尋ねた。
「それだけか?」
「あん?」
ホンザーは次の瞬間怒りを抑え、目をヒクヒクと動かしながらこう言った。
「あのクソ野郎だよ……
ドイド・バルザックのお気に入りだか何だか知らねぇが、たかが小姓のくせして、俺を散々に貶めた、ラリー・チリの首だよ!」
「ああ、お前さんより(歳が)3つ下の……」
「そうだよ、俺を川の中に落とし、俺の足を折りやがったあのクソ野郎だ!
アイツを殺す手伝いをするって、アンタは俺に言ったよなぁ?
アイツは俺を強盗野郎呼ばわりした挙句、俺の財産を奪いやがった!
俺の借金の証文を紙くずに変えたんだ!
足を直すために中級ポーション(高価)だって買わなきゃならなかった。
そして俺は騎士にもなれず、謂れの無い不名誉を加えられた……
このまま故郷に戻っても、俺は騎士修行先すら見つけられない……
アイツは俺と言う騎士を殺したんだ!
あのクソだけは必ずこの手でぶっ殺してやらないと気が済まねぇ!」
バルドレは(お前は騎士ですらなく、従士でもなく金貸しにすぎねぇけどな……)と内心笑いながら答えた。
「ああ、もちろんだ。
お前がぶっ殺してやりたいラリー君は、必ず始末してやるよ。
それとあと何だっけ……
借金を踏み倒した連中から取り立てるんだったな?」
「ああそうだ。
まだ金を返さない連中がいる!
俺から金を借りるときは恩人の様に持ち上げて、返す段になったら途端に掌を返したあの恩知らず共にも報いを与えたい。
それがエリクシールになる条件だ!」
バルドレは面倒臭そうに頷くと「分かってるよ……」と答えた。
その様子がホンザーは気に入らないらしく「本当に分かってるのか?俺が協力しなかったら、全てが終わりなんだぞ!」と、自分の立場の強さを攻撃的にまくしたてた。
それを聞いたバルドレは、怒りを抑えてニッカ!と笑うと「俺に任せろ、全てが上手くいくさ」と告げた。
そして、ホンザーの肩を叩いて言葉を続ける。
「それよりもジスパニオに会った時にどんな口上を言うのか覚えているか?」
「あ、ああ……富も力も名誉も要らない、ただ大いなる知恵が欲しい。
そう言うんだよな?」
ホンザーはまだまだ言ってやりたい気持ちを持ったが、そこはぐっとこらえて、バルドレに言葉を返す。
それを聞いたバルドレは愛想良く頷くと、こう言った。
「そうだ、そして誰も殺していない人間であることだ。
頼んだぜ、上手く行ったらお前は世界でただ一人の偉大な薬師様だ」
「ふん、まぁ……大して難しい話ではないな。
それだけで伝説のエリクシールになれるというなら、悪い話ではない」
その後、ホンザーはトイレに行く為にこの場を離れた。
やがてホンザーが消えた後でバルドレや、周りの取り巻き立ちはこう会話を始めた。
「不機嫌で嫌な野郎だ……」
「テメェはただの金貸しだろうが。
昔の事を未だに根にもって、女が腐った様な野郎だぜ」
「旦那ぁ、他に居なかったんですか?
人間なんてごまんと居るじゃないですか。
なんであんな勘違いした野郎に、旦那までもが気を使っているんですか?」
するとバルドレは溜息を吐きながらこう言った。
「仕方がねぇ、聖騎士に密告せず、それでいて“魔物と手を組んでも良い”と思える裏切り者なんざ、そうは居ねぇからな。
ああいう、何も失うものが無い奴って言うのは貴重だ。
自分の事しか考えない奴って言うのも、使い道があるってもんだ」
「へぇ……
因みにどこであんなクソ野郎と知り合ったんですか?」
「ああ、借金の取り立てに協力してやったのさ。
聖騎士団の鎧覆い(ホバーク)が着れなくなった、元従士の金貸し相手だと、人間って奴は殆どの連中が金を返そうとしないらしくてな。
それで顔役だと偽ってルクスディーヌに潜伏していた俺に、話が回ってきたんだ。
だからこの仕事をそこに居る“猫”にやらせた、それからの仲だ」
そう言うとホンザーは猫によく似た男に目線を投げた。
猫によく似た男は「金を貸す方も貸される方も、問題のある奴ばかりだ」と言って凄みのある顔で笑う。
バルドレは次に、声を潜めてこう皆に告げた。
「ただ、エリクサーを相当数調達したらもう用済みだな。
摂政もセクレタリスも、あんな忠誠心が当てにできない奴を、このまま騎士にし続けるつもりは無ぇだろうよ。
相当に使えるなら別だがな……
ま、それはビブリオとかセクレタリスが頭を悩ませることさ。
……俺はそこまで知らねぇ」
そう言うとバルドレはニヤッと笑って、床の石材を蹴る……
……でこの様子を見ていた男がいる。
アシモスだ……彼はこの会話に聞き耳も立てており、内心の動揺が隠せない。
(何という事だ、恐ろしい陰謀を聞いてしまった!)
今すぐ逃げようと、考えたアシモス。
しかし彼は物陰でこうも思った。
(だが、今私までもが逃げたらあんな恐ろしい連中がエリクシールになってしまう!
今連中の企てを阻止できる人間が居るとしたら、私しかいないのではないか?)
そう思い至った彼は、世界を救うのは自分しかいないのではないか?と思った。
次に彼は頭を抱えて「これは試練だ……」と呟いた。
こうして僅かばかりの逡巡を経た彼の気持ちはやがて定まり、彼は自分のすべき事をすると決めた。
魔物達は、この月の神殿に潜り込んだのはアマーリオ一人だと思ったらしく、アマーリオ一人を探すために、現場を手荒く探した。
結果残っていたアシモスの痕跡は、彼等の荒っぽい捜索の為に、かき消されてしまったのだ。
なので未だにアシモスが居る事を、彼等は予想もしていない。
彼等が言う捜索とは……アマーリオが最後に目撃されたあの行き止まりから、全ての痕跡を辿る事だった。
加えてそこから神殿の奥へと、アマーリオは逃げていないから、そこまで推理を働かせた者が居ないのだ。
神殿の奥にあった人間の痕跡は、全て外に向かって逃げて行ったアマーリオのモノだと思われている。
だから魔物達は全くの無警戒状態に、この神殿内を置いてしまっていた。
……だがその代わりと言っては何だが、外の方には厳重な警戒を敷いている。
予想される敵の襲撃に備えての事だ。
そんな中バルドレ達は、方々に魔物を派遣して神殿の中で何かを探している。
「まだ、洞窟は出ないのかよ……」
痺れを切らしたようにバルドレがそう呻いた時だった。
風が運ぶ肌理の細かい砂に、銀色に光る粒子が混ざり始めた。
それは神殿の中でもキラキラと輝き、そして周りを漂いだす。
次の瞬間、人間に擬態していた魔物も、その姿を維持できなくなり、猫やウサギ、魚やトカゲの様な異形の姿に変わった!
そして外から響くラッパの音、響く太鼓と人の喚声。
空気を切るヒュン……と言う音が響き、そして悲鳴がこだました。
「旦那ッ、聖騎士だ!」
「クソこんな時に!」
バルドレは悔しそうにそう呻くと、仲間を連れて喚声が起きる方角へと走って行った。
それを見て(今だ!)と思ったアシモスは、気になっていた場所に向かった。
昼、アマーリオと来て、引き返したあの場所である。
アシモスの勘がアソコだと告げているのだ。
……どうしてもあの場所を見てみたい。
その場所に向かうアシモス。
やがて彼は死体が転がる、あの場所に辿り着いた。
「……安らかに眠りたまえ」
転がる死体は黒光りしており、苦悶の表情をこわばらせている。
そしてそんな彼に祈りを捧げていると、目の前がゆらりと揺らぎ始めた。
「?」
周囲を見渡し、この様子を見ていると、やがて彼の前に一つの石棺が現れた。
彫刻の隙間から中の様子は伺えるが、中には色あせた女性の衣服と、緑色の液体だけが詰まっている。
「洗濯桶ですかね?」
この神殿が作られた時からある物なのだろうか?
これが何か全く分からなかったが、何か意味があるのだろう。
「さっきまでは無かった気がしたのですが……はぁ、若いころはもっと鋭敏だった気がするのですがダメですね。
もう歳だろうか?」
そう思って、自分の年を考えたアシモス。
20代の時は10代が、30代の時は20代をそれぞれ懐かしむものだが、その病にかかったらしい。
そんなアシモスだが、この部屋の奥にぽっかりと穴が開いているのに気が付いた。
見ると中は奥まで結構続いているらしく、果ては見えない。
アシモスは「聖霊よ、私に僅かな灯を与えたまえ……」と呟いた。
やがて彼の目の前に親指の爪ほどの大きさの魔法の光源が現れる。
アシモスはその光源で穴の奥を見たが、それでも底が見えない。
それどころか、穴の奥には鍾乳が垂れ下がっているではないか。
それで思わず振り返ると、なんとこれまで自分が歩いていた道までもがこれまでの様相を変え、まるで鍾乳洞の様になっている。
この変貌に驚くアシモス。
「……そ、そうか。
これが、この奇跡こそが!」
アシモスはこの瞬間全てを確信した。
「これがあの奇跡の洞窟、忘却の洞窟……」
伝承は本当だったのだ、と知った。
「神に会える……今日こそ、今日こそ私は」
アシモスの体を感動が貫いた、今日自分は神の啓示を受ける事になる!
彼の頬から、涙が流れた。
神に出会ったら、仲間の消息を聞こう。
魂が救われたのかどうか、私の儀式が正しかったのかどうかを尋ねよう。
父や母、兄や弟、妹。
仲間や大公殿下達の魂の行方を……
アシモスは我に返ると「……急ごう」と呟いて道の先に進んだ。
部屋の奥に、彼が望んだ答えが待っていると信じて。
◇◇◇◇
―少し前、月の神殿の外。
地面の高低差を利用して、俺達は身を敵の目から隠すように潜める。
風向きは南の砂漠から吹く風がやや西寄り。
俺達は中央から攻める事になっていた。
神殿の外には幾つもの篝火がたかれ、そこに数十人もの人間の顔が浮かんでいた。
「魔物を殺すんじゃないのかよ……」
従士の誰かが、不安と恐怖で震えた声を発した。
気持ちはわかる、人間を殺すのは気が引ける……
そんな中でヨルダンが声を上げた。
「安心しろ、間もなく風上の右翼が聖甲銀を川下に風と共に流す。
そうしたら奴らの化けの皮が剥がれるだろう。
左翼を見ておけ、旗が振られたら合図だ」
ヨルダンはそう言うと、頼りになる落ち着いた声音で俺にこう言った。
「ラリー、俺から離れるなよ。
ヴィーゾンに何かけしかけられたかもしれないが、今のお前は俺の装備を携える盾持ちなんだからな。
俺の許可なしに勝手な事をするなよ」
「分かりました」
「だが、状況を見て合図を送ったらあの廃墟の中に飛び込め」
彼の言葉に思わず驚く。
「中に入ってもいいんですか?」
「……(アシモスが)他の隊の奴に救われたら、俺達の名折れだ」
ヨルダンはそう、まるで猛獣のような目つきで神殿の前に居る連中を睨みながら言った。
やがて、この場を風の音と、不気味な沈黙が支配する。
やがて左翼から旗が振られた。
中央も旗が振られ、情報が右翼に届く。
次の瞬間、右翼から風に乗って銀粉が風下に舞い始めた。
……銀流しだ。
風は銀粉を孕みながら神殿に辿り着き、やがて篝火を包み込む。
次の瞬間、人間だと思った神殿前に陣取った連中が次々と、正体を露にし始める。
コボルドだったり、オークだったり、さまざまな種類の魔物が姿を現した。
そして高らかに1番ラッパの音が吹き上がる。
「撃てぇぇぇっ!」
騎士ラグルドの絶叫と共に、弓兵が矢を放ち、それらが風を切り裂きながら、敵に迫る。
聖甲銀は触れただけで魔法をレジストし、そして光へと変換してしまう。
この様に戦場全体が聖甲銀の銀粉に汚染されてしまえば、もはや魔法など使う事が出来ない。
魔法で反撃しようとした敵が、手から赤・青・黄と言った色取り取りの光を放つのみとなる。
そしてそんな連中の上に雨あられと降り注ぐ矢玉の嵐。
その備えを怠ったこいつらは弓兵のいい餌食となった。
密集して敵に備えたこいつらは良い的になり、次々と矢に倒れていく。
「散開しろ!」
敵の中でそんな声が上がる、まばらに散らばる事で矢の被害を防ごうというのだ。
これを見てヨルダンが叫んだ。
「500数える間にケリをつける!
俺に続けぇっ!」
ファボーナにまたがり、駆け出すヨルダン。
俺もダーブランにまたがり、彼の盾を担いで後を追いかける。
上がる喚声、高まる精神の昂揚。
「うわぁぁぁぁぁぁっ!」
自然と叫び声をあげ、歩兵に合わせて早歩きで戦場を駆けるファボーナ、そして馬上のヨルダンの後を追いかける。
ダーブランの体温がいつもよりも熱く、彼もまた興奮している。
散開した敵は接近する俺達に対抗するために、再び密集しようとするが、それをさせまいと味方の弓兵が更に矢を射かけた。
こうして密集を許さない俺達はついに敵と交戦を始める。
ヨルダンは長い槍を携えて中に突っ込んでいく。
「邪魔だ、貴様らっ!」
そう言うなりヨルダンは瞬く間に次々と、魔物達に槍を突き入れていく。
1閃、2閃……穂先の鉄が篝火の赤々とした煌めきを受けて輝く度、敵の胸元や首筋に槍が突き立つ。
その度に上がる悲鳴。
3体目の魔物が、自分を犠牲にしてでも止めようと思ったのか、胸元をヨルダンに刺されたのち、槍をしっかと抱きしめる。
いらだつヨルダンはまるで魔王のような恐ろしい声で「クソがぁぁぁぁっ!」と叫ぶと、その魔物ごと槍を振り回す。
圧倒的な力技……
やがて魔物は吹き飛び、そしてヨルダンの槍も折れて用をなさなくなる。
「寄越せぇっ!」
普段怒鳴るなんて全く想像ができない、ヨルダンが鬼のような形相で俺に命じた!
俺は「ハイッ!」と答えると、新しい槍を彼に差し出す。
「お前もぶっ殺せぇっ!」
ヨルダンはそんな俺の様子になぜかブチ切れ、槍を奪うと新たな敵めがけてファボーナを走らせる。
……ヴィーゾンが言っていた、正気を失うなとはいったい何だったのか?
まぁいい、この流れ……嫌いじゃない!
俺はすかさず抜剣すると、預かった盾を肩ひもでぶら下げながら、手綱を取りヨルダンの元へと向かう。
最も混乱する激戦の最中にあえて突入する、恐れ知らずの我が主は、盾を構えてその攻撃を防ごうとする敵を蹴倒し、倒れた所を槍で突き貫いていた。
……なんて男だ。
この様な事があった後、ヨルダンが通る度に、敵は恐慌状態になって逃げ惑い、もはや集団の態をなさなくなる。
やがてヨルダンが、目を血走らせながら振り向き、俺に叫んだ。
「小僧!手柄はどうしたッ?」
「!」
その眼は俺までも殺そうとしているようだった。
敵を倒さないと殺される気がしてならない。
ヨルダンが後ろを向いた瞬間、彼に槍を突き入れたオークが現れた!
アッと思った俺の前、ヨルダンはオークの方を見ることなく槍でその攻撃を払いのけた。
驚くオーク。
俺は馬の上からダガーをオークに投げると、ダガーはオークの右目に突き刺さる。
それを確認した俺は急ぎダーブランを走らせ、そして横をすれ違いざまにに、下方角に袋斬りで剣を振りぬいた。
鈍い手ごたえ、そしてオークの首が宙を舞う。
(やった……)
そう一安心するのもつかの間、恐るべき我が主は「ボサボサするな、次の手柄はどうした!」と絶叫。
俺はその鬼の形相に恐れをなし「ハイッ!」と叫んで、次の敵を探し始めた。
ところが敵もヨルダンの様相に恐れをなし、散り散りになって敗走していく。
一部の敵は防御の為の備えがあるのか、月の神殿に逃げていく。
追いかけようとすると、ヨルダンが声を上げた。
「待てラリー」
「追いかけないんですか?」
「アマーリオを置いていくのか?」
アッと思った俺が周りを見回すと、アマーリオが居ない。
そんな中でヨルダンは、先程の鬼の形相を辞め「水を……」と、俺に命じた。
俺は鞍に下げてある水の入った革袋を差し出すと、ヨルダンはそれを飲み、そして残りをファボーナに与えた。
俺もそれに倣って自分の水袋を飲み、残りをダーブランに与える。
「少し残しておけ、アマーリオが来たら残りを分けてやるんだ」
え、ダーブランが飲んでますけど……
間接キス……まぁ、アマーリオだからいいか。
俺はもっと飲みたそうなダーブランから水を奪うと、アマーリオの為に残しておいた。
……アマーリオが来たのは、それから間もなくである。
息も荒げ、必死にやってきた彼に、俺は水を与えた。
「ぷはぁ、美味い!」
そう言って一息つくアマーリオ。
美味しそうで何よりだ。
ただし味の何分の一かは、ダーブランの唾液味だ……
「すまないラリー、待たせてしまったようで」
「ああ、気にしないでいいよ」
むしろ気にしないで欲しいのはこちらの方だからさ……
戦場では僅かな時間の間にほぼ勝敗は決し、辺りに散らばる無数の魔物の姿と、喚声を上げて逃げる敵を追い詰めようとする、聖騎士団の姿が移ろいゆく。
この様子を見てアマーリオが「これで今日の戦闘は終わりだね……」と呟いた。
そんなもんか……そう思っているとヨルダンが変な事を言い出した。
「空に悪い気がある……」
「はい?」
何を言っているんだろう?
俺が首を傾げていると「お前には見えないのか?」と呟いて、ゆっくりと月の神殿に向けてファボーナを歩かせ始めた。
空に悪い気……夜空にはきれいな満月が、星を従えて煌めき、雲一つない。
悪い気と言っても、どこにもそんなものは見当たらなかった。
ただ、戦士として尊敬できそうだなと、改めてヨルダンに敬意を抱き始めた俺は、悪い気とやらを探しながら彼に続いて歩いていく。
戦況は一方的な展開になっていた。
逃げ惑う魔物、追い詰める聖騎士団、
ヨルダンが宣告したように500を数える前に決着はつく。
そう思っていた時の事だ。
ヨルダンが眉を顰めた。
「ラリー“気”が乱れた。中で何かあるぞ……」
「え?」
「次はこちらが崩れて、敵が中から出てくるかもしれない。
そうしたら馬から降りて下馬して戦え。
……ファボーナとダーブランの命を奪われるかもしれん」
それを聞きながら俺は自分の主がどんな人なのか、全く分からなくなった。
だがどうやらこっそりエキセントリックな人らしいと、察しがつく。
とは言え、ヨルダンに逆らうなんて自殺物のミッションに挑むつもりは無く、大人しく俺は彼に従う事にした。
「あ、そう言えばヴィーゾンがアソコに居るかもしれません」
アマーリオはそう言って、ヨルダンに声をかけた。
(……そう言えば今まで忘れていたけど、ヴィーゾンはどこに行ったんだ?)
俺はヨルダンという、究極にエキセントリックな存在に頭を埋め尽くされていた事に今更ながら気が付き、そしてヴィーゾンの事を思い出した。
するとヨルダンが「ヴィーゾンなら大丈夫だろう、彼が過ちを犯すとは考えられない」と答える。
どうやらヴィーゾンは自由を与えられているらしく、俺は(どんな兵士だよ?)と思いながら月の神殿へと向かった。
こうしてゆっくりと息を整えるように、月の神殿に向かっていた時の事だ。
血の匂いが月の神殿の中から濃厚に漂い始め、その匂いにヨルダンが顔をしかめた。
「ラリー下馬しろ、何かがおかしい……」
やがて月の神殿から騎士団の仲間達が、悲鳴を上げながら飛び出してきた。
「怪物だ!怪物が出たぞっ!」
……次の瞬間の事だ。
見た事が無いほどの巨大で毛むくじゃらの怪物が、兵士を追いかけて神殿から飛び出してきた!
牛の頭を持ち、毛むくじゃらで筋骨隆々の肉体を持つ魔物がそこに居る。
漂う圧倒的な暴力の匂い……
俺はこの姿に心当たりがあった、昔殿下と一緒に見た本で見たミノタウロスそっくりだったからだ。
鎧を着込んだはずの兵士は、巨大な筋肉質の体を持った、大きなミノタウロスに粉砕された。
飛び散る血と肉片。
助けを求める人々の叫び声。
立場が逆転し、今度は騎士団側が恐慌状態に陥る。
「…………」
俺はその姿に見覚えがあった、その暴虐さも……
あれは……憤怒のバルドレ。
バルドレは俺の方を見た、そして殺意に満ちた目で俺を見ると「ぶもぼぉぉォォォォッ!」と咆哮する。
「ラリー、アマーリオ!
奴はこのままこっちに来るつもりだ。
俺が引き受ける、お前たちは急いで神殿に飛び込んで、アシモスを救出しろ!」
「でも一人で?」
「盾は置いて行け!奴は危険だ!」
次の瞬間バルドレと思われるミノタウロスは、天高く跳躍し、こちらに向かって降ってきた!
「行けッ!」
ヨルダンはそう俺に命じると、落ちてきたミノタウロスの足に剣を突き立てる。
「ぐぅわぉぉぉぉぉッ」
太く長い咆哮が、鼓膜に激痛を走らせる!
俺は肩に下げていた盾を下すと、それを砂地に下ろした。
「ラリー、コッチだ!」
アマーリオがそう言って、俺を急かす。
こうしてアマーリオを伴って、月の神殿に向かう事になる俺。
俺は戦場を、そして仲間を置いて去るのが、名残惜しくて、神殿の入り口で後ろを振り返り、ヨルダンの様子を伺う。
彼は魔法を身に纏い、宙を飛び跳ねながらミノタウロス相手に互角に戦っていた。
「クソ……」
逃げるようでもあり、自分が役立たずのようでもある。
俺はその戦いに参加しない自分を口惜しく感じながら、神殿の中へと入っていく。
今回は前後編でお送りいたします。
次の更新は明日の夜12時から1時の間です。よろしくお願いいたします。