悪魔の軍馬
夕方、日差しが黄金色に輝く。
その光に横顔を照らされながら、その男はやってきた。
垂れ目でどこか危険な目をした若い男……
一目見た瞬間、これが噂のマスターヨルダンなのだと思った。
……漂う気配に一種独特の“男らしさ”が薫る。
その後ろにはそれよりも歳が上の、これまた屈強そうな男と、さっき知り合ったアシモス、そして若くて優しさが顔から滲み出る様な尼僧が続いた。
そして尼僧の隣に寄り添うように、俺と同じ年ぐらいの少年もいる。
……自分と年が近い人が存在する事に、俺は軽い安堵を覚えた。
そんな俺に、危険な匂いのする、垂れ目の男が声をかける。
「ああ、お前さんがあのラリーか」
彼の声を聞いた瞬間“あの”と言う単語に引っ掛かりを覚える。
……俺について回るろくでもない噂が、この場にまで忍んで来た様だ。
どこか諦め、だけども腐らずに俺は「マスターヨルダン、初めましてラリー・チリと申します」と答え、そしてローン館長から預かった紹介状を彼に差し出す。
彼はそれを受け取ると「解封」と魔法の言葉を唱えて、封蝋をポトリと落とした。
そして広げた紹介状を、年嵩も上の屈強な男と眺めだす。
二人は示し合わせるように“フン、フン……”と頷くと、次に目を合わせ、そして俺の顔を見てこう言った。
「フーン……なるほど、バルザック館長の甥子さんか。
通りであんな事をしでかしても、無事でいられた訳だ。
お前さんがラリー・チリ……
こんがらがるな……ヴィープゲスケ男爵の息子さんだというのは分かった。
まぁ挨拶からだ、俺の名はヨルダン・ベルヴィーン。
俺の事は聞いていると思うが、俺は別にたくさんの兵士も小姓も雇う気はない。
そして給金も、決まったものを払うつもりはない。
そんな俺に仕えたいとかいうのは本当か?」
……うわぁ、お前なんか呼んでない感が半端無いや。
俺は歓迎されてないのをひしひしと感じ、そして少し委縮しながら「ええ、本当です」と答える。
するとヨルダンは「爺め、業を煮やして俺に問題児を押し付けたか……」と呟いた。
すごい先制パンチの嵐だ、自分が立てた数々の悪評に、今更ながら思わず顔が青くなる。
そして彼は、俺以外の人間を、四阿のベンチに座らせた。
俺は座る彼等の前に立ちすくみ、まるで集団面接会に来たような気持にさせられる。
こうした中で最初にヨルダンが口を開いた。
「お前さんの事は何と呼べばいい?」
「ラリーと呼んでください。
本名がゲラルドなので、愛称もラリーなのです」
「わかった、それじゃあラリー。
どうしてお前は数ある選択肢の中から、俺の所に来ようと思ったんだ?」
ここで俺は思わず鉛の様な、重い唾を飲む。
そして体裁を取り繕うかどうするか、心の中で逡巡した。
だが、全てを知っていそうなこの男に嘘を吐くと、たちどころに見破られ、全てを粉々にされそうだ。
彼の俺を射抜くような鋭い眼光。
それが、心に恐怖を授ける。
……なので俺は正直に言った。
「ここならソードマスターである、ヨルダン様に剣を教えてもらえると思ったからです。
修行を終えたら自分はアルバルヴェに帰り、そして騎士になります。
その為にもクレオンテアルテ(聖騎士流剣術)をもっと深く学びたいのです」
「つまり給金の代わりに、剣術を教えて欲しいのか?」
「はい、その通りです」
俺がそう答えると、ヨルダンは深くため息を吐き、そしてベンチに背もたれに肩を預け、そして背中越しに空を見上げた。
そんな彼の隣で年嵩が上の男が声を俺にかけた。
「俺もいいかな?」
「はい」
「俺の名はヴィーゾンだ。
俺達はこの条件で従士になりたいという人間がいる事が、少し信じられないんだ。
それに“この男”の評判も、君に似て芳しい訳じゃない。
加えて、俺達が出した条件と言うのは、一言で言えば酷い条件だろ?
若いうちは騎士の卵どもが、皆ピーピー言ってるのは知ってる、金が無いからな。
ましてや地方の駐屯地に居るならまだしも、聖地の中でも特に誘惑が多いルクスディーヌの街の騎士館に勤めていたんだ。
他の連中同様、君も遊びたかったんじゃないのか?
正直に言ってお金が欲しくないのか?」
「お金は欲しいですが……
俺は親も叔父もお金があるので、その仕送りで何とかなります。
それに剣を磨けば叔父の道場を継ぐことになります。
なので、今の自分はお金があまり必要ではないのです。
それよりも自分のクレオンテアルテの実力を、向上させたいと思います」
俺がそう正直に言うと、ヴィーゾンは斜に構えてにやりと笑った。
彼はそのまま微笑みを、あからかさまな苦笑いに変えると「なるほど……羨ましいご身分だ」と、俺をからかうように言い放つ。
……ここで怒ったら台無しになる、得意ではないが、辛抱をする俺。
思わず額から汗が流れる……
売り言葉に買い言葉で“それなら代わります?出来るなら……”と言いそうだった。
「まぁまぁラリー、さっきは君の力量を見せてもらった。
君が他の同い年の子よりも勇気があるのは知っているから、私はあなたを尊敬してますよ」
ここでアシモスが、俺を慰めるように声を上げた。
その言葉で少しは溜飲が下がる。
ところが隣に居た俺と同い年ぐらいの少年が「でも、コイツ有名な“悪”なんだろ?」と、俺を前にして……
この野郎……
思わずメンチを切ると、その様子を見てヨルダンが苛立たし気に「ふぅぅぅ」と溜息を吐く。
俺はその音で正気に戻り、そして床のタイルに目を落とした。
間違いなく人の目が無かったら、突っかかって行っただろう今のシチュエーション。
必死にこらえる。
アシモスはそんな俺を見て、隣の少年に「アマーリオ!口が過ぎますっ」と言ってたしなめる。
「だって神官様、コイツ本当に強いの?
どうせ親の七光りで粋がっているボンボンじゃないの?」
こ、この野郎……この俺に面と向かってこうも侮辱したのはお前が初めてだ《注・嘘、ポンテスとフィラン殿下に続いて3人目》もう我慢がならねぇ!
「だったら試したら良いじゃないですか。
それともアンタは、剣よりも口が上手いだけの男かな?」
俺がそう挑発すると、アマーリオとかいう小僧は「なんだと!」と言ってベンチから立ち上がる。
「よせ!ガキどもっ」
ヴィーゾンはそう言って俺とアマーリオを叱責した。
『…………』
俺とアマーリオは、互いに顔を背けた。
ヴィーゾンの迫力は、愚かな二人に、これ以上の諍いを許さない。
それに従う俺とこの小僧……
そんな俺の様子に、騎士ヨルダンが溜息を吐きながら俺の目を覗いて教え諭した。
「ああ、新入りのお前の態度はなって無い。
最初に言っておくが、俺達は騎士団に所属する戦士だ。
……言うまでもないが、諍いをするのが仕事だな。
だから口喧嘩なんて物はしょっちゅうだ。
だがしかし手を出したものはご法度だ、それがどんな理由であれ、手を出したらそれが後々まで遺恨になる。
戦場で同じ旗に集いながら助け合わない、なんて事の前触れにもなりかねん。
もしも決着をつけたいなら、決闘裁判が立会人の元許される。
そうでないなら絶対にダメだ。
分かったな?」
俺は唇を嚙み締めながら「分かりました」と答えた。
そんな俺の様子を見て、ヨルダンはふっと笑ってヴィーゾンに話しかける。
「ヴィーゾン、あなたはこの子をどう見ますか?」
ヴィーゾンは俺を見てニヤリと笑うと「会ったばかりじゃ分からないよ、ただスパイでは無さそうだ」と答える。
「とりあえず中に入れようか?」
ヨルダンがそう言うとヴィーゾンが「どちらにせよ従士は雇わないといけないんだろ?だったらこの子を試してみよう」と答えた。
ヨルダンはそれを聞くと周りを見回し、そして次に尼僧に向かって声をかけた。
「義姉上、何かこの子に聞いてみたい事はありますか?」
尼僧は淡く優しげに微笑むと「私は大丈夫」と答え、次に俺に顔を向けて言った。
「ラリーこれからよろしくね。
男手が必要な事が多いから、頼むかもしれないけど……」
この一言で、どうやら俺は合格したらしいと、感づいた俺は「は、何でもお申し付けください」と答える。
これで挨拶は終了だった。
◇◇◇◇
その後、俺はヨルダンに連れられ、通りを二つ隔てた川沿いの館に連れていかれた。
「これが、今日からお前の家だ」
家は相当立派なもので、騎士達が居住する館と同様のものである。
それを前にして、ヨルダンがさして感情も込めずにこう言った。
「男爵様が住む家よりも、みすぼらしいかもしれないが、まぁ我慢してくれ」
「いえ、すごく立派です。
6年前にガーブウルズで修業していた時に住んでいた家より大きい。
びっくりしました、一人でこんな立派な家に住んでもいいのかと……」
「うん?お前はガーブウルズで修業したのか」
「はい“白銀の騎士”に出場する直前まで住んでいました」
「白銀の騎士か、以前会場に行った事がある。
子供とは言え、なかなかどうしてレベルの高い子が多くてびっくりしたものだ。
お前さん、順位は幾つになったんだ?」
「幼馴染のフィラン王子と同位で一位です。
なので“白銀の騎士”に選ばれています」
「!」
それを聞いた、ヨルダンは目を見開き、そして俺を見て「もしかしてお前が“北の子狼”か?」と尋ねた。
「ええ、そうですが……」
俺がそう返すと彼は首をふるって「マスターストリアムが、俺に試練を与えたのか?」と言った。
「どういうことです?」
俺がそう尋ねると、彼はしかめ面を見せてこう言った。
「ラリー、俺の師匠はストリアム・ガスカランと言うのだが……
お前、マスターストリアムは知っているか?」
俺は(ああ、あのどこか適当そうな人か)と思いながら答える。
「ええ、いつも剣を教えてくれると言って、まだ一回も教えてはくれませんが知ってます」
俺がそう言うと、ヨルダンは「ぷっ!」と吹き出し、次にニヤニヤしながら「まぁ、あの人らしいな」と言って、家の門の鍵を開けた。
「マスターストリアムがどうなさったんですか?」
開いていく扉を見ながらそう尋ねると、マスターヨルダンがこう言った。
「お前さんの事を頻繁に話題に挙げていた。
名前を上げるか、潰れるか二つに一つだってな。真ん中は無いそうだ……
いつか俺に育てさせたいと言っていた。
人に剣を教える時は、自分もまた剣を見つめ直す良い時間なんだそうだ。
色々な気付きができる、だから素質があって末は剣士かマスターか……とにかく上を目指せる子を育てさせたいとおっしゃった」
「…………」
「ただし、お前は相当手がかかるだろうと言っていたな」
ヨルダンがどこか埃を被ったような笑みを浮かべて、俺にそう告げる。
……それを聞いて俺は思った
今日はどれだけ、俺についての悪い噂を聞かされるのだろうか……と。
肩を落とした俺に、憐れみを覚えたのか、ヨルダンが溜息を吐きながら優しい声でこう言った。
「心配するな、俺もそう言われた」
「!」
ヨルダンはその後、何も言わずに俺を連れ立って館の門の中に入る。
中は孤児院同様に緑が茂り、中庭の向こうに馬の姿が見えた。
馬はヨルダンの姿を見ると嬉しそうにそわそわしだし、それを見てヨルダンも嬉しそうに微笑む。
彼はそのまま厩に行くと「よーしよしよし、いい子だ」と言って馬の首を撫で回した。
「紹介しよう、ファボーナ、こいつが今日からお前の世話をするラリーだ」
ヨルダンはそう言って、愛馬に俺を紹介した。
俺はおずおずを手を伸ばし「よろしく」と言って、ヨルダンの愛馬ファボーナの顎の下に手を差し出す。
ファボーナは最初に俺の手の匂いを存分に嗅ぐと、濡れた鼻を手に押し付け、次にぺろぺろと手を舐めた。
……可愛い、騎士の馬だから軍馬だよね?この子。
軍馬とは思えない程、気性が穏やかだ……
逞しく大柄な体と筋肉が、この馬が軍馬であることを示している。
「どうやらファボーナもお前を認めたみたいだな。
今はこの馬だけだ、お前が面倒を見ろ。
この厩はまだあと4頭は入る、後に増やすかもしれないからその時は、そいつらの面倒もお前の仕事だ。
それと、お前の馬もいるならここで飼っても構わんぞ。
飼葉は業者が持ってくる、ただ持ってこない場合もあるから、その時は川沿いの草でも食べさせてやれ。
それからここの砂は肌理が細かい、なので清潔な水で時折目を洗え。
さもないと人も馬も失明する時がある。
その際、川の水を汲む時は必ず煮沸して、冷ましてから、洗眼に使う事、分かったな?」
「わかりました」
「それと……剣はしばらく教えない、それよりも盾を持って走らせる」
それを聞いて、俺はびっくりした。
思っていたのとは違うからだ、声を上げようと口を開いた瞬間、それを黙らせるようにヨルダンが言った。
「盾持ちである従士の仕事で重要なのは、俺を補佐する事だ。
戦場への武器・武具の運搬、そしてそれらの修繕、必要があったら俺に鎧を着せる手伝い、鎧だって魔導士が出張ってきたら聖甲銀の甲冑を装備しなければならない。
……その他諸々(もろもろ)をするのがお前の仕事だ。
お前はそれらもできない内に、剣の事だけを学べばいいと思っているのか?」
「!」
それは道理だった。
小姓も従士も居ない騎士ヨルダンに対し、これら盾持ちとしての仕事をする人間は俺一人なのである。
それに次の戦争がいつ始まるのか全く分からない、明日招集がかかるかもしれないし、半年後かもしれないのだ。
もし明日だったら、他の従士が仕事をしているのを、ただぼんやりとみるしかなくなってしまう。
つまり、これらの技術は早急に習得しないとならないのだ。
俺はそれを思うと、ヨルダンの言う事がもっともだと思い、彼の言葉に賛同してこう言った。
「かしこまりました、まずは盾持ちとしての修業に励みます。
よろしくお願いいたします」
俺がそう言うとヨルダンは大きく一つ頷き、そして「朝は4刻の鐘の音(朝8時に鳴る鐘)の前に、孤児院の中に入れ」と言った。
「そのまま建物の入り口から廊下をまっすぐ進むと祭壇に出る。
この時刻は子供達とお祈りを捧げる時間だから、その時間を子供たちを一緒に過ごすこと。
いいな?」
「かしこまりました」
俺がそう答えると、ヨルダンは孤児院の方へと帰って行った。
バシャバシャバシャバシャ!
ヨルダンと別れた後、俺は早速ファボーナの馬房を掃除し、水を替え、飼葉を新しくした。
そして館の隣に流れるペリート川に連れて行くと早速ファボーナを洗い始めたのだ。
ひとしきり洗った後、早速ファボーナが全身を震わせて水を切り出す。
「うわ、冷たっ!」
勢いよく吹き飛ぶ水しぶき、それに驚く俺の様子を、ファボーナは面白そうにしていた。
「なんだお前、主(ヨルダン)の前では大人しいのに、俺の前ではイタズラ好きか」
思わずフォン語で話しかけると、ファボーナは良く分からないみたいでじっと俺を見つめる。
なので今度は全く同じ言葉を、フィロリア語で話しかけた。
すると今度は俺の頬を長い舌でペロッと舐める。
……ムッチャ可愛い奴や。
成る程、聖地で働く騎士の多くは、敵に捕まっても馬が言う事を聞かないように、調教ではフィロリア語を使うと言うが、どうやらヨルダンもその口らしい。
つまりこの子はフィロリア語の命令しか分からないという事だ。
その事が分かった俺は、今度はこの子に川沿いの草を食べさせる。
「げーげ、ぐわぁーぐわ(あーよく寝た、ここはどこだ?)」
この時これまでどんなにうるさくしても起きなかったペッカーが、鉄枠で保護された俺のカバンのポケットから出てきた。
「やっとお目覚めか。
今新しいおうちについたよ、あそこに見える大きな館が今度の家だ」
俺は今度の家を指で指し示すと、ペッカーはその家を見上げ、そして大あくびをした。
「ゲーゲー、ぐわぁーぐぁーげ(聖地は昼間暑いから、夜の方が楽しいんだよな)」
「ああそうなんだ、因みに俺の隣にいる馬が今度の同居人だ。
他に誰も居ないから仲良くな」
「ぐわぁ(わかった)」
そう言うとペッカーはファボーナの傍に飛んでいき、隣で何事かを話しかける。
しばらくすると二人は仲が良くなったようで、ペッカーはその背中に乗ってそこから見える風景を楽しみだす。
もう太陽が沈もうかと言う時刻、水面がキラキラと輝く。
そこに美しくも逞しい軍馬の姿は非常に映え、ここで始まる新しい暮らしにどこか期待を持たせた。
……そんな予感がした。
さて夜になり、俺はアルバルヴェ騎士館から持ってきた私物を、自分の部屋に広げて眺めていた。
同時にご飯も食べる。
実は館内にある食べ物は果物しかなかったので、今日はそれを食べているのだが、それを食べながら私物を見ると、一つの私物に目が留まる。
銀拍車が付いた乗馬用のブーツだ。
拍車と言うのは踵についた歯車の様なもので、これで馬の脇腹を刺激し、馬を走らせるというもの。
両手を盾や武具で塞ぐため、鞭を持てない騎乗兵の必需品だ。
そしてこれを見ながら俺は思うのである。
……俺も軍馬が欲しい、と。
さて軍馬について説明しよう。
軍馬とは普通の馬とは違って、血筋も良く、体格も良くて、甲冑をつけた騎士や馬鎧をつけても戦場を駆け巡れる馬の事だ。
どれぐらい差があるのか?と、言うと……
例えるなら軽自動車とスポーツカーぐらいの違いかなぁ。
そもそも普通の農耕馬や、乗馬用の馬とは全然育て方も、気性も異なる。
ファボーナのように、穏やかな軍馬と言うのはほぼいない。あの子は特別である。
お尻を見てみると牝馬だったので、それが影響しているかもしれない。
ただ……今思い出したんだけど、小姓時代、自分の方が偉いと言わんばかりの叔父さんの牝馬に、毎日相当てこずらされた俺は、その事が脳裏をよぎる。
あのクソ馬……叔父さんの威を借りて偉そうにしてやがって。
アイツのおかげで馬の飼育の仕方を学べたけど腹立つわ。
こう考えると、牝馬牡馬の関係はないかもな……
以上が軍馬と言うものの、ざっくりとしたご紹介だ。
ところが実は軍馬には一つ大きな問題がある。
軍馬と言うのは非常に高額なのだ。
家一軒買うのと同じくらいか、それ以上する。
これもまたスポーツカーの世界と同じで。
イタリア製の真っ赤な(〇)車は、新車を購入するにもマンション4部屋分ぐらいのお金が必要だから、それと全く一緒だ。
それだけではなく、馬は毎日維持するだけでも大金が減る。
相当飯を食うのだ。
それに病気になれば医者も呼んでこないといけない……
それを思うととてもじゃないが手が出ないのだ。
「はぁ、でも戦場では徒歩でヨルダンについていくのは無理だぞ……」
当たり前だがヨルダンはファボーナに乗るのである、歩いて追いつけるはずもない。
だからやはり馬は必要なのだ。
……妥協して普通の馬で、体格のいい馬を購入しようかなぁ。
給料も払わないケチなボスが、その分の費用を負担する筈も無いので、これも全部自腹だ。
俺はそれを思うと頭を抱える。
「げぇーげぇーぐわ、ぐぅぅぅぅわぁ、ぐわっ(おいおいどうしたよラリー、元気が無いみたいだな俺に相談してみろよ)」
頭を抱えた俺を見て、ペッカー先生が声をかけた。
「ああ、いやね。俺も晴れて従士になったんだ、これからは主について戦場を本格的に駆け巡らないといけない」
「ぐわぁ(そうだな)」
「つまり馬が必要なんだよ。
しかもできれば軍馬が、年も若い馬だね。
でも軍馬は高いだろ?
せめて体格のいい馬が見つからないかな?と思ってさぁ……」
「ぐわぁ、ぐわぐわっ(よし、それなら協力してやろう)」
「どうやって?」
「げーへーげーげ、ぐわぁげぇっ!(色々情報を集めてやるよ、期待してな!)」
そう言ってペッカーは誇らしげに胸を張り、ドヤ顔を決めて見せた。
何か勝算がるらしい彼の様子を見た俺は、その姿に頼もしさを感じ、そのままペッカーにお願いする事にした。
「げーげーぐわぁ、ぐぃっぐわぁーぁーげ(ああ任せろ、できれば格安の軍馬で年が若い奴が良いんだよな!)」
「そうそう、でも難しかったら体格のいい馬でもいいから」
「ゲーゲーぐわっ(良い相棒をお前に紹介してやるよ)」
そう言ってペッカーは昼間あれだけ寝たにもかかわらず、自分の寝床を箪笥の上に用意してそこに収まった。
(まだ、話の途中なんだけどなぁ)
それを見ながらそう思った俺。
まぁでも、寝不足のペッカーは何をしでかすか分からないので、俺はそのまま大人しく私物の整理を始める。
こうしてこの家で過ごす最初の夜は更けていった。
◇◇◇◇
翌日、山のように積まれた武具の数々に埋もれ、俺の従士生活が始まった。
何のことはない、鎧の修理だ。
最初はヨルダンも居てくれたが、そのうち俺が一人で修理が出来ると分かったら、そのまま作業場に残してどこかに立ち去った。
そして俺は一人で作業に没頭するのである。
さて鎧だが、悪い鎧制作師が作ったものでない限り、凹みぐらいなら裏から叩けば元の形に戻る。
戻らないものは鏨やハンマーを駆使して、何とか着れる状態に持っていくのも俺の仕事だ。
因みに今、俺は3人の兵士の分の鎧も修理している。
さてこの世界、鎧と言えば鎖帷子だ。
理由は魔法をレジストする、聖甲銀で全身を覆う場合、こちらの方が魔法に対して有効だからである。
そして鎖帷子だが、この鎧の修理とは、切れた鎖に対して自分で針金を用意して鎖を作り、切れた部分を編み込んで補修を行う。
なのでまずは鎖の様子を見たのだが……これが中々酷い有様だった。
「しかし、ひどい鎖だなぁ……見えない所が錆で真っ黒じゃん」
鉄製なら真っ赤、聖甲銀製なら真っ黒に錆が浮く。
それを丹念に拭くと、鎖のいくつかはもう切れていた。
こうなるまで放っておいたのかと思うと、びっくりである。
がさつで有名なガーブ人、ゴッシュマ率いるグラガンゾ家だって、武具の手入れは念入りに行っているのにここの連中ときたら……
「あーあ……針金足りるかなぁ?」
ペンチとニッパー片手に、手慣れた手つきで鎖を作る俺。
それを一つ一つ丁寧に鎧に編み込んでいく。
「ふ、ふふふ……」
こうして作業に没頭していると、不意に子供の笑い声がした。
なので顔を上げると、そこには美形の小さな男の子と、同じく顔立ちの整った男の子、そして恥ずかしがり屋でさっと顔を隠した男の子が居た。
子供たちは俺の様子を物陰から見ると、何が面白いのかケラケラと笑った。
(そう言えば、イリアンやシド、そして殿下達がこんな感じではなかったっけ……)
この子たちを見ていると、ダレムの山荘で出会った幼馴染の事を思い出す。
色々あったけど、今でも大事な仲間だ。
俺はそれを思うと嬉しくなり、この単調なリペアの仕事から遠ざかりたいのもあって「コラッ」とおどけて叱ってみた。
3人のお子様たちは『きゃぁ』と言って大笑い。
そして何を思ったのか俺のところにやってきて口を開いた。
「ねぇねぇ、おじさんなにしてるの?」
一番顔がきれいな子がそう言った。
「おじさんじゃない、お兄さん」
「おっぱい星人」
「おっぱい星人じゃない、お兄さん!
て、言うかどこでそんな単語を知ったんだ!」
そう言うと子供はケラケラと笑い出した。
子供達は“おっぱい星人”と言う、どこかクラシカルなこの単語が妙に気に入ったらしく、おっぱい星人を連呼しながら俺の周りを飛び跳ねる。
……なんて将来が楽しみな子達なんだ。
この顔だと、将来実力のある、立派なおっぱい星人に成長しそう。
そしてペッカー先生に川に放り込まれそうだ。
「そんなことを言うもんじゃない。
子供のうちは良いけど、大人になるとだなぁ」
「お前もおっぱい星人!」
「違うわ!俺は脚フェチだ!」
『きゃははは、脚フェチ脚フェチ』
く、くっそぉ―、こいつらめ……
俺の隠れた趣味嗜好を暴きやがって!
俺はリペアを諦めて、子供たちを捕まえる事にした。
キャーキャー言って逃げる男の子たち。
捕まえるなり空に高い高いをして処罰を加え、次の子も捕まえて高い高いをする。
『きゃははは、きゃははは』
ところが男の子達には全然効き目が無く、逆に俺に捕まりに、来て高い高いをせがむ有様。
それに景気よく答えてやると、部屋の入り口で尼僧がその様子を見て微笑んでいるのに気が付いた。
「あ、すみません……」
やば、ヨルダンのお姉さんじゃん……
さぼっているのがばれた俺は、急いで子供たちを下す。
「お母さまぁー」
彼女が現れたのを見て、例の顔が一番整った子供が、ヨルダンの姉に飛びついた。
「マスカーニ、遊んでもらっていたの?」
「うん、すごく面白かった!」
それを聞くと、善人そうな優しい顔をほころばせ、ヨルダンの姉は俺に頭を下げた。
「ラリー、ありがとうね」
「い、いえいえ。こちらこそ……」
俺がそう言うと、子供たちはまるで脱兎の様にこの場から逃げだした。
「あ、こら!待ちなさいマスカーニ、ルッカ、モリソ!
まぁ、本当に逃げ足の速い……」
「はぁ、まぁ子供だから仕方がないですよ」
俺がそう言うと彼女はにっこりと微笑んで俺に声をかけた。
「そう言えば自己紹介がまだでしたね。
遅れてすみません」
「ああ、いえこちらこそ……」
「私はアイナ・ベルヴィーンと申します。
実はヨルダン殿とは血は繋がって無くて、昔彼の兄と結婚をしていたんです」
「ああ、そうだったんですか」
「ええ、そしてあの一番元気のいい子は、私の息子でマスカーニと申します」
「へぇ、将来モテそうな子ですね」
俺がそう言うと、それが妙におかしかったらしくアイナさんは「オホホホホホ」と上品に笑うと「父譲りですわ」と言う。
どうやら父は、ヨルダンに似ずに美しい顔だったらしい。
そう思っているとアイナさんは俺の顔を見て、尋ねた。
「何を思ってらっしゃる?」
「え、ええっと……」
「正直におっしゃって……」
「ああ……きっとお兄様とマスターヨルダンは顔が似てないんだろうな、と」
俺がそう言うと、その答えは予想してなかったのか、彼女は目を大きく見開くと「あっはっはっはっはっ!」と大笑いした。
やがて彼女は笑いを抑えると、目に涙を溜めて言った。
「あー可笑しい。
こんなに笑ったのは、4年ぶりです。
本当に面白い子ねぇ」
「あ、あの。これはマスターには内緒にしてください……」
慌てたのは俺である、この事がバレたら何されるか分かったものじゃない。
この騎士世界は超縦社会の、体育会系なのである。
するとアイナさんは目頭を抑え、時折吹き出しながら言った。
「分かりました、プ、クスクス……
黙っています、その代わり私と仲良くしましょう、ラリー……」
そう言うと彼女はこの部屋から出て立ち去った。
その背中に(約束守ってくださいよ、頼みましたよ……)と願いを掛ける俺。
……はぁ、優しそうな人だから大丈夫だろう。きっと、たぶん。
とにかく俺は今回の件が無事に切り抜けられるよう、女神に祈るしかない。
……効き目無さそうだけどな。
そう思った俺は鎧のリペアに戻る。
しばらくして夕方になると、アシモスが現れた。
「ラリーこんにちは」
「ああ、アシモスさん……」
「ラリー、今日はもう帰っていいそうです」
「え、まだ鎧が残って……」
「残りは明日です、子供たちが畑仕事から戻って来るので、もう終わりなんです」
「そうなんですか」
小姓時代はここから主の食事につき従って、手を洗う用の水盆を持って、傍に立っていないといけなかったりするので、拍子抜けする。
まるでブラック企業から、ホワイト企業に転職したかのような違和感だ。
体がまだ労働時間だとささやいている。
俺が床に散らばる修理品や、その部材を片付け始めると、改めてアシモスが声をかけた。
「どうです、誰かとお話ししましたか?」
「え?ええ。アイナ様とお話ししました。
それとアイナさんの息子さんのマスカーニ君と少し……」
俺がそう言うとアシモスは微笑みをやめ、一瞬真顔になる。
そして次にまた微笑んで俺に尋ねた。
「マスカーニはどうでしたか?」
「マスカーニ君ですか?
イタズラ好きですよね、元気があっていいと思います」
「それだけ?」
「……何かあの子にあるのですか?」
さすがに違和感を感じてそう言うと、彼は首をふるってこう言った。
「ベルヴィーン家の跡継ぎですからね。
皆気にしているのです、失職してしまいますから」
「ああ、そういう事ですか」
俺がそう答えるとアシモスは「また明日、あとは私が片付けますから」と言って俺に再度退室を促す。
その様子に思わず違和感を覚えるが、俺はそのまま言葉に従って外に出た。
ヨルダンへの挨拶も不要と言う事で、俺はそのまま孤児院の外へと直行する。
「……なんだ、この家?」
とにかく怪しい家である。
だが特に深く突っ込むわけにもいかず、俺は目と鼻の先の自宅に帰ろうとした。
バタバタバタ……
この時羽根音を響かせながら、近くの枝にペッカーが止まった。
「やぁ、ペッカーお散歩かい?」
俺がそう尋ねると、彼が得意げになってこう俺に伝えた。
「ぐわぁーぐわ、げぇーげ!(いや昨日言っていた軍馬なんだが、安いのがあったぞ!)」
「え?どういう……」
「ぐわぁーあ、げぇげぇっ!(買うのはお前なんだ、とにかく見に来てくれ!)」
ペッカーはそう言うと、俺に自分についてくるよう促した。
安い軍馬ねぇ……とにかく見に行ってみるか。
「分かった、でも夕方だけど大丈夫なのか?」
夕方の市場に売る物が少ないのはこの世界の常識である。
どちらかと言うとフリーマーケットに考え方は近い。
ペッカーはそれを聞いても「げー、ぐわっ!(大丈夫、今ならまだ間に合う!)」と言って、そのまま空に飛び立つ。
「じゃ、行くだけ行ってみるか……」
俺はそう呟くと、飛んでいくペッカーを追いかけて、道を走った。
ペッカーは途中で旋回をしながら俺を待ち、そしてサリワルディーヌ大神殿の付近まで俺を誘導した。
するとそこには、立派な体格の若くて黒い馬が鬣をなびかせてそこに立っていた。
……そしてその傍では、この世の終わりみたいな顔で男が一人座っている。
「げぇーげ、ぐわぁぐわぁ(さっきあのおやじ、あの馬を金貨15枚で売ろうとしていた)」
金貨15枚!
見たところ間違いなく軍馬の血統の馬である。
それが金貨15枚と言うのは破格だ……
実家で働いていたワナウの給料が毎月金貨2.5枚だった。
彼はガーブウルズに行った時、給料がその2倍になったが、基本それくらいが相場だと言っていい。
つまり半年分のサラリーで新車のスポーツカーを買えるようなモンなのである。
これくらいなら俺でも手が出る。
俺は思わず傍に近づいてこの馬を見てみようと思った。
俺の肩にペッカーが止まる。
馬は“なんだお前っ?”みたいな目で早速近寄った俺にメンチを切る。
……全く躾の成って無い馬だ。
「坊や、こいつは売りもんなんだ。
どこか行っててくれないか?」
近くで座っていたおじさんが、長い袖で顔を覆い、呻く様な声で俺に注意を促す。
俺はそれを聞き、彼に尋ねた。
「随分と立派な馬だね、これならすぐに売れるでしょ?」
「……はぁ」
すると男は顔を袖で覆うのを辞め、次に悲しげな顔で道行く人を見ながらこう言った。
「神がいるこのルクスディーヌの街も、本当の男なんてどこも居ない。
こんな立派な馬なのに、誰も御す奴が居ないんだ。
一応先週騎士にこの馬は売った。
ところが一昨日になって、この馬を引き取れと言ってきた。
タダで良いから、とな……
この馬は悪魔の化身なんだとよ。
ふざけやがって、お前の乗馬の腕が下手クソだからそうなんだろうが!
俺はコイツを立派な軍馬として育てたんだ!
今更コイツを農耕馬に出来るかってんだ。
俺の一族は軍馬の生産しかしてこなかった。
こいつだって見事な体をしているし、立派な男に買われりゃどんな甲冑を着た男だって、戦場を駆け巡れるんだ!
……だのに悪い噂が広まり、そして誰も買い手がつかない。
乗りこなす意思がある男が居ないのさ。
この町の連中は、全員しけたツラしたメス野郎だ……
ルクスディーヌは腰抜けの集まりだ……」
腰抜けの集まりとは穏やかではない。
俺は明らかに目つきだけで“夜露死苦ッ!”と言いそうなこの軍馬を見ながら、このおじさんに尋ねた。
「この馬はいったいいくらで売るんだ?」
「ガキには売れないよ」
「従士でも?」
俺がそう言うと、おじさんは初めて俺の目をマジマジと見つめそしてこう言った。
「幾らなら出せる?」
「金貨10枚なら……」
「10枚は安すぎる、20枚は欲しい」
「一回売ってタダで引き取ったんだろ。
それなのにその価格はおかしいよ」
「だったら金貨18枚」
「ちょっと待ってよ13枚だとどう?」
「いや、それは……17枚なら」
「おじさん、間を取ろう」
「15枚か?」
「うん」
「売ったらもうタダでも引き取らないぞ、それでいいなら……」
「分かった、この馬を買うよ」
こうして俺とおじさんは手早く取引を終えた。
互いに固い握手をし、そして馬を連れて自宅に帰る事に……
この時、馬を売ったおじさんはそのまま俺についてくることになった。
理由は今現在、さすがにそんな大金を俺が持っていなかった為だ。
なので、俺の家の前で渡すことにした。
こうして歩く帰宅の途中、俺はおじさんに尋ねた。
「この馬、調教は終わっているんだよね?」
「ああもちろんだ、俺の牧場では鞍もつけて人を乗せて走る事も出来る」
「この子は何歳?」
「3歳だ、もっと体は大きくなる」
「分かった、ありがとう……」
「ああ、従騎士さんコイツで大活躍をしてくれよ」
こうして俺はこの馬を連れて家に辿り着いた。
俺は館の門の前で彼を待たせると、お金を持って引き渡した。
代わりに馬の手綱を受け取る。
「これで取引は完了だ、どうもありがとう」
「いやいや、軍馬がこんな破格の値段だなんてびっくりだよ」
俺がそう言うと、彼は何も言わず“すぅーっ”と目線をそらし、そしてそそくさとこの場を後にした。
「?」
何か引っかかるサヨナラの仕方である。
とにかくこうして彼の姿が見えなくなった俺は馬の手綱を引いて館の中に入ろうとした。
「うん?」
ぐっ、ぐぐぐっ……
強く手綱を引いても全く動く気配が無い。
どういうことだ?と思って馬の様子を見ると、奴は両足を踏ん張って中に入ろうとしないのである。
「ぐ、ぐぐぐぐぅ早く入れよ!」
「ひひーん」
何が嫌なのか全く動こうとはしない馬。
そのうち何が気に入らないのか、俺の手を強く噛んで……
痛たあたたたたたたっ!
「やんのかテメェ!」
強引にこのクソ馬の口から手を引っこ抜く。
次に俺は太ももに巻き付けたダガーホルダーを抜きはらい、ダガーを地面に落とすと、この革製のダガーホルダーで盛んにこの馬をひっぱ叩いた。
「言う事を聞け!」
それでもさらに抵抗して見せるこのクソ馬。
もう我慢の限界だと思ったその瞬間。
ひひぃーん……
遠くでコイツとは全く真逆の良い子、ヨルダンの愛馬ファボーナがいなないた。
「ブフッ?」
クソ馬は次の瞬間、ファボーナの方を向き、次にあれだけ抵抗を見せたのに、今度は俺を振り切って厩の方に突進をした。
「あの馬、今度一体何なんだ!」
俺は走り、ペッカーが奴の頭上を飛び回る。
こうして奴に追いついた俺。
「ひ、ひひぃぃぃぃん」
「ヒヒひぃーん、ブルクフフフっ!」
奴は馬用の防柵の中に居るファボーナ相手に、がむしゃらな求愛をしていた……
なんて奴だ……
「離れろクソ馬!ファボーナが怯えてるだろうが!」
「ぶひん、ぶひん、ぶひっひひーん❤」
俺は厩の中にあった鞭を手に戻ると、盛んにそれで欲情するコイツを打ち据える。
「大人しくしろ!」
さすが鞭は堪えた様で、馬は俺を睨みつけながら大人しくなった。
「畜生、お前はいったい何に似たんだ?
ああ、安いには安いなりの理由があるんだな」
次の瞬間、こいつは俺から逃げ出そうとしたので、俺も本気で手綱を引いてこれを阻止する。
「油断もクソも無い!
この悪魔め!」
俺はとにかくこの馬を何とかしたくて、ファボーナから一番遠くにある馬房にコイツを連れて行った。
そして馬房の中に押し込めるとその中に寝藁をボンボン中に放り込み、そして言った。
「俺はこれからファボーナの馬房と体を洗ってくるから、お前はそれまで大人しくしておけよ」
こうして俺はこのとんでもない悪魔を、繋いでおき、ファボーナの元へと向かった。
可哀想にファボーナはすっかり怯えている。
「ああ、ごめんよファボーナ。
あんなドチンピラが怖かったよね、ごめんねぇ、少し外に出ようか、今お部屋をキレイにするからね」
こうして俺はファボーナの糞尿を馬房から取り除くと、汚れた寝藁を取り除き、新しいモノと入れ替える。
水も新鮮なものを入れ飼葉を取り換える。
「よしじゃあ、体をキレイにしようか」
俺はそう言うと彼女を連れて、すぐそばのペリート川に連れて行く。
こうして昨日と同様に、手にしたブラシで手早く彼女の体を磨き上げた。
そうすると落ち着きを取り戻した彼女が、大人しくなる。
この様子にほっとしていると突如、ファボーナがそわそわしだした。
「?」
俺が首をかしげていると、厩の方が騒がしくなり、そして……
馬房の中に居るはずのあのクソ馬が川辺に現れたのだ。
「嘘だろ、おい……」
つまりアイツは勝手に抜け出した。
ちゃんと繋いだ筈なのに、なんて奴だ……
そう思って急ぎ捕まえようと、あいつの方角に向かって一歩踏み出した。
その時だ……
逆にあのクソ馬が俺めがけて突進してきた!
「な、な?ええっ!」
ドーン……
俺は空を飛んだ……
拝啓おふくろ様……
アルバルヴェは今過ごしやすい季節でしょうか?
コッチは季節も雨季と乾季しかなく、そして暑いです。
そんなときには川で遊ぶが数少ない娯楽の一つです。
ただ……空を飛びながら入るのはちょっとどうかなと思います。
この前も馬に吹き飛ばされて飛びながら川に入りました。
この前別の従士を川に放り込んだのでこの報いですかね……因果応報と言う言葉を思い出します。
それではまた……
ドッボーン……
頭ん中で親への手紙の文面を作りながら、川に放り込まれる。
川の水をたっぷり飲みながら、俺は立ち上がり、そしてあのクソ馬を見た。
奴は盛んにファボーナに自分の首をこすりつけ、そして隙あらば背中に回り込もうとする。
それを嫌がるファボーナがあのクソ馬から遠ざかろうと、川の中を行ったり来たりした。
「こ・の・クソ馬ぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
もう俺は我慢がならなかった、川の中を全力ダッシュでクソ馬めがけて突進する!
俺の様子を見て2頭は示し合わせたかのように逃げ出した。
「まてクソ馬!待ちやがれっ!」
こうして俺と2頭の馬は全力で追い駆けっこをし、最初に逃げ出すのを辞めたファボーナを取り返そうとしたアホ馬の首にしがみついた俺が、奴を屈服させたことで勝敗はついた。
こうして俺は愛馬と言うか、クソ馬を手に入れた。
何とか従士としての体裁を、見た目だけでも整えるべく前進できたのである。
……と、信じてる。
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