迷えるエルワンダル人
昨日、日記に“アルバルヴェ騎士館を、明日出て行く”と書いた。
すると文字面では、大きな旅に出たかのようである。
だが、実際には隣の館に移っただけで、渡り廊下を歩いて5分の旅だった。
「……引っ越しと言う気がしないな」
思わずそう呟きながら、50メートルほどの長さの渡り廊下を歩いて、同盟騎士館の建物に向かう。
引っ越しと言う気がしないのには他にも理由があって。
荷物が肩に掛けられるだけだからだ。
それ以外だとポケットに、お休み中のペッカー先生と、幾ばくかのお金があるだけで、随分と気軽な引っ越しである。
……小姓はあまり私物を持てない職業だ。
因みにこれからお世話になる同盟騎士館には、過去何度も来た事がある。
だがこれからお世話になるんだと思うと、見慣れた筈だった、館への入り口が全く別の印象を俺に授けた。
「…………」
何とも言い難い緊張感……
先日叔父から『明日からここの所属になる』と聞かされた時は考えられなかったが。
改めてここにこの館の扉の前に来ると、正直怖い。
何故なら……俺の悪い評判が、おそらく伝わっている筈だからだ。
何せ小姓のくせに従士を川に向かって吹っ飛ばし、そして足の骨を折った奴が俺だ。
噂にならない方がおかしい……
加えてアルバルヴェ人のコミュニティの外に出たのはこれが初めてだ。
上手くやっていけるんだろうか?
こうして目の前にそびえる、重厚な騎士館の門構え。
ここの扉を叩くのに、あと少し勇気が欲しい……
こうして振り返ると、悪い事と言うのは、やっている最中は楽しいけど、終わった後がビターですな。
まぁ、いい。やっちまったモンは仕方がない……俺は気を取り直して扉を叩く。
すると扉の一部、目の所だけが、僅かにスライドした。
そしてそこから男性と思われる目が、こちらを覗き込む。
「…………」
え、『誰?』とも聞かないの?
中の人は外の様子に目を配って、そして俺に目を合わせる。
不審者を警戒しているのだろうか?
そんな彼に向けて、俺は努めて明るく、朗らかな印象を相手に残すべく語りかけた。
「こんにちは、今日からお世話になります、ラリー・チリです。
アルバルヴェ騎士館から参りました、ニフラム・ローン館長にご挨拶をしたいのですが、お取次ぎ願いますでしょうか?」
俺がそう言うと中の人間は、俺の全身を上から下まで見、次に何も言わずに開いた覗き穴を閉ざす。
……え、どうしたら良いの?
ここの騎士館て、こんなに不親切だったっけ?
とりあえず良く分からないけど、しばらくこのまま待っていると、カチャリと言う音がして扉の鍵が外れた。
そして低い潜り戸が開き、中から先程俺と目を合わせた人と思われる男が俺を手招きする。
「…………」
説明不足もここまでくると荘厳な気持ちに襲われるから不思議だ。
俺は黙ったまま、この潜り戸を抜け、中に入った。
……中は美しい祈りの歌で満ちていた。
振り香炉で燃やされた乳香の甘い香りが広がり、そして祈りの言葉が絶え間なく石の壁を反響させて響く。
その声を聴いていると、なぜか寂しさがこみ上げた……
「終わるまで待ってください……」
招き入れた男がそう言って俺に椅子の一つを指さした。この椅子で待てという事だ。
……それは良いけど、アンタ喋れたんかい。
彼はそれだけを言うと、扉の傍の粗末な椅子に腰かけ、そして傍にあった本を片手に、祈りの言葉を口ずさむ。
女神フィーリアの聖典の言葉だ……
『―女神は争いに心を痛めおっしゃった。
―お前達の心に宿るその悪しき炎、欲望の火に、お前たち自身も焼いていることが何故分からないのか。
―見るがいい、ヘーブ・ムルツを。
あの欲深い者がいかなる末路だったのかを、お前は知らない筈はあるまい。
―富を蓄え、世の中を統べて、思うがままにした者が、実につまらぬわずかな酒樽の為に、それを捨てられなかったが故に、川の中州に取り残された。
―野蛮なるモル人はそれを見て歓喜した。
―そして、船を並べてあの男を殺し、その酒樽を奪ったのだ。
―ヘーブ・ムルツの家の中には、酒樽を買いきれない程の金が蓄えられていたと言うのに。
―施しを与えず、吝嗇(ケチ)に励んだあの男の一生は、実につまらぬ理由で終わったのだ。
―僅かな酒樽と言う財産を守るその為に……
―富めるあなたが、ほかならぬ清廉なるあの男と争うのはおやめなさい。
―貴方は彼を許し難いと言うが、誰にも過ちがある、彼が膝を屈し自分の過ちを認めたならばあなたは度量を示しなさい。
―そしてすべてを奪うのはおやめなさい。
―さもなくば、あなたはこの後ヘーブ・ムルツの酒樽を手にしてしまうだろう。
……皆もこの女神の言葉を忘れるなかれ。
ヘーブ・ムルツの酒樽は今でも皆の手元にあるのだから。
神官オリエンターム・カエムの手紙より』
これは女神フィーリアの聖典に載っている欲深きヘーブと言うお話しである。
女神フィーリアの聖典スベティブルービは、古代のヴァンツェル語で書かれた、宗教書である。
描かれた年代。場所は多岐にわたるが、主にヴァンツェルと聖地を舞台にした物語が多い。
因みに神官オリエンターム・カエムと言う人は、何人もいるスベティブルービの著作者の一人と言われている。
これを我々フィーリア教徒は、歌うように皆で唱える。
これが俺達の祈りの捧げ方である……
さて、女神フィーリアは戦いの神だ。
その為教えの多くは男として、戦士として恥ずかしくない生き方をするように勧めるものが多い。
古代の神官オリエンターム・カエムの、ヘーブ・ムルツの話にもその性格が出ている。
膝を屈して過ちを認めたならば……と言うくだりだ。
逆に言うとそうでなければ、敵は殺さなくてはならないのである。
そう考えると優しさや愛を説いても、女神の教えはやはり、ダイハードなのだと思わざるを得ない。
因みにそれ以外のダイハードな教えだと。
とくに有名なのは、降伏した者をいたぶるのは良くないという教えだ。
ただし別の教えで、身代金を諦めて、捕虜を殺して仲間を救った話も聖典にあるのでケース・バイ・ケースなのだろう。
聖騎士はその見極めをつけるのが必要とされる。
……さて、俺もまた騎士館の中に招き入れてくれた彼に倣って、祈りの言葉を女神に捧げる。
両手の親指を絡ませ、握手の様に手を重ねると、その手に唇を寄せて瞳を閉じる。
これは手甲を嵌めたままでも祈りがしやすいから始まったとされており、俺ら聖騎士団のみがやる祈りの手の形である。
こうして長い沈黙の後に祈りは終わり、廊下からザワザワとした人の気配がこちらにまで流れ込む。
そんなざわつきを聞いていると(いよいよだな……)と思った。
そしてそのざわついた気配を感じ、傍に居た男が満を持して俺に言う。
「ラリー、参りましょう」
彼に連れられ、飾りも何もない、粗末な修道院の中の様な廊下をひたすらに歩く。
やがて俺達は天井の高い立派な講堂に辿り着いた。
中には、ガタイのいい僧服の男達が、幾人も立っていて、それぞれがひそひそと何やら話し合っている。
見ると耳が妙な形に潰れた者が多く、レスリングで、耳を潰したのだろうと見当がついた。
……つまりここにいる僧侶は、皆聖騎士だという事だ。
案内役の彼はその中から、一人の粗末な僧服に身を包んだ男の元に俺を案内した。
「館長、アルバルヴェからやってきたラリーをお連れしました……」
館長と呼ばれた男は、屈強そうな体つきをした禿げたおじさんだった。
ただし目が尋常では無い輝きを放ち、明らかに堅気じゃない空気を漂わせる。
首から下げた剣と盾のブローチが、黄金色に輝いていて、それが周りの聖職者と、唯一違う所だった。
館長は俺を頭からつま先まで舐めるように見回すと、静かに言った。
「ドイドから話は聞いている。
ここでは大人しくしている事だ、そうじゃないと……なぁ?」
なぁ?……って言葉が、これほど胸に来るのは久しぶりです。ありがとうございます。
「はい、叔父には迷惑を掛けまして……」
「ふん、本当だ……
だがまぁいい、私の部屋に行こう」
こうして、会った瞬間軽いジャブを食らいながら、館長に連れられて俺は彼の執務室に向かった。
……一瞬心臓が止まるかと思ったよ。
その後、廊下をしばらく歩いて辿り着いた執務室。
その中には書類仕事に取り掛かる、従士なのか僧侶何か良く分からない人が居て、入って来るニフラム・ローン館長に挨拶していた。
館長は部屋に入るなり、片隅に置いてあるソファーとテーブルを指さし「あそこで座って待ってろ」と俺に命じた。
大人しくそれに従うと、彼は自分の執務用の机の中から、封蝋してある手紙を取り出しそれを持って俺の前に座った。
上下関係の厳しい騎士らしく、足を組み、ややふんぞり返る様にして俺を睥睨して彼は言った。
「ドイドからの紹介状はあるか?」
「あります、どうぞこちらを……」
俺がそう言って叔父から預かった紹介状を渡すと、ローン館長は「解封……」と、一言魔法の言葉を発する。
俺が差し出した封蝋の蝋が、その言葉に反応して青く輝き、そして紹介状からポトリと落ちた。
これは魔法の一種で、決められた人間の、決められた魔導の波長でしか封蝋が取れない仕組みだ。
無理に取ると、手紙が燃えてしまう魔法が掛かっている。
……魔法が使える人は羨ましい。
俺もパパや兄貴の様にカッコよく『解封』とかやれれば良かったのに……
ローン館長はそのまま、叔父からの紹介状を一読すると頷いて俺をじっと見た。
そして「フーム……」と唸ると、ニヤッと笑って言った。
「ゲラルド・ヴィープゲスケ。
成る程ドイドの甥、しかも嫡出子か……
最初の師はボグマス・イフリタス。
次は塩街道の勇者ゴッシュマ・グラガンゾ。
そして4年間はドイドの元で修業をし、そしてこの前武装を許されたが、まだ免状は発給されていない……
カッとなりやすく、一度キレると手に負えない……か。
白銀の騎士でもあり、ワースモンの仇を打った……10歳でか?
成る程、ドイドがどうしたら良いのか分からなくて俺に投げたという事だな」
こうしてローン館長の言葉を聞いていると、改めて自分のしたことに身が縮こまる。
俺がそんな神妙な様子を見せていると、館長が言った。
「まぁ、お前さんは文官には向かんだろ。
その代わり戦える……そうだよな?」
「はい、ご期待に添います」
「よろしい……これが最後の機会になるかもしれない。
本国に追い返されたくなかったら、少しは礼儀を身に着ける事だ……良いな?」
「もちろんです、機会を戴けてどう感謝したらよいか……」
やばい……想像以上に俺、危険な立ち位置に居たやんけ。
館長の話しぶりにその裏事情が透けて見える。
思わず息を飲む俺……
ローン館長は無表情に幾度か頷くと俺にこう説明した。
「ドイドから聞いていると思うが、お前が仕える騎士ヨルダン・ベルヴィーンは相当な変わり者だ。
今年僅か22歳で聖騎士流のソードマスターになった。
天才だと言っていい。実際に手柄も多いしな。
だが奴はどんなに言い聞かせても、自分の収入から3人以上の兵士を雇おうとはしない。
全て孤児院に使ってしまう。
それ故に他の騎士の反感も多いのだが、先の戦いでも抜群の戦功を立て、誰にも文句を言わせはしなかった。
そして、奴はエルワンダル人、ダナバンド人、そしてヴァンツェル人を信用していない。
正確には奴が雇っている、3人のエルワンダル人の兵士だけを信用している。
だから奴には小姓も従士も居ないのだ。
それでは騎士として沽券にかかわるし、世間体も悪い。
また世話をしてくれる者も必要だしな。
加えて今回奴は、君に従士としての給金は払わないつもりだ」
「えっ!」
小姓時代と違って、従士には通常給金が支払われる。
それが無いという事に俺は驚き、ローン館長に目を向けた。
「まて!今回お前さんを引き抜いたのも此処に理由があるッ。
奴は吝嗇なのか何なのか分からないが、出費をとにかく嫌う。
だけどもお前には、毎月の様に故郷から為替が送られてくるのだろう?
しかも結構な額だと聞いている」
これは事実だ。
たまに兄から仕送りを貰うのと、そして旅立つ前にワナウに出仕した分が大化けしたのだ!
ワナウの会社は、あの後“LAW”と言う社名に名前を変え、そして今やセルティナの都市内部で単距離輸送を牛耳っているらしい。
そんなワナウからは昨年から2年連続で30000サルト近くの配当金が送られており、兄からもほぼ同額の仕送りが送られている。
二人からもらった分を合わせると、金貨に直して毎年60枚近くの収入があるのだ。
だからと言ってそれは俺のお金だし、給料を貰わないで良いという理由にならない。
その事で口を開こうとしたら、館長に言われた。
「ただし特別な待遇も用意してある。
通常従士も騎士見習いなら、使える主の元にずっといるのが通例だが、今回はヨルダンが住んでいる孤児院に、お前さんが住める部屋は無い。
そこでだ、私の方で孤児院の近くに厩が付いた家を借りてやる。
ただしそこでヨルダンの馬もお前が飼育するのだ!
手伝いの婆さんも派遣しよう。
だけども生活費はすべて自分で工面をして欲しい」
つまり家賃補助はあるという事だ。
だけども考えて欲しいのだが、主の傍にべったり張り付く小姓だったら、衣・食・住は全部主が持ってくれるのである。
ふざけるな!って思った。
因みに衣・食・住の話をもっと掘り下げると……
……実際には、服は親が送ってくれる物が多いかなぁ。
仕える主に冬服ケチられて、防寒着代わりに、服の下へ藁をパンパンに詰め込み『みっともない!』と、怒られた人が知り合いに居るし……
とにかく、使える小姓や従士の生活費は主が工面するのがふつうである。
そんな訳で『お前は稼いでいるのだから、自分で何とかしろ』と言うのは、暴論だと思った。
そもそも小姓仲間でも、最も剣術に秀でた俺が、何故そんなところに仕えなければならないんだよ……
……よし、ごねてやる。
せめて一人暮らしにふさわしい給金を……
「……しっかしそれにしても、羨ましい話だ、私の従士時代は、主の傍につきっきりで一秒たりとも気の休まる時が無かったというのに」
俺の不穏な気配を察知したのか、館長がことさら俺を羨ましがるような口ぶりで、俺の待遇を羨む。
……なんてあざとい男なんだ、その口ぶりには騙されないぞ!
そう警戒をしていると彼がニヤッと笑ってこう言った。
「なぁ、私が若い頃だったら、こんないい話すぐに飛びついたもんだ……
良い話だぞ、ゲラルド。
それに、そんな家に住んでいたら女の子だって呼べる」
「…………」
え、俺修行中だよ?
いいの?女の子呼んでも……
思わず心にピンク色の光が差し込まれる。
そしてその次の瞬間、俺の心の中を見透かしたかのように、ローン館長は鋭い目線を俺に投げながらこう言った。
「それにだ、悪事を働いたラリー・チリ。
もしもお前がこの話を断れば。
その時は、今すぐアルバルヴェの騎士館に帰るしかないぞ」
「そ、そんな……」
アルバルヴェ騎士館に帰れと言われても、今更どの面下げて帰れるというのか。
皆に『俺、小姓から昇進して従士になるから!』と言って、ついさっき出てきたばかりである。
日も暮れない内に帰ってきたら、今後小姓仲間に何を言われるか分かったもんじゃない。
それに従士達の俺に対する空気も、すでにかなり不穏なものを漂わせている。
かなり物騒な目つきで俺を容赦無く睨んでくるのだ。
つまり詰んだのだ、俺に『ノー』と言える権利はない。
『…………』
思わず黙って顎が落ちる。
がっかりしたというのがこの場合正しい。
そんな俺を慰めるように館長は言った。
「ゲラルド、お前さんは一人暮らしをしたことがあるか?」
言われた瞬間、呆気にとられたが、冷静に考えると一人暮らしはした事が無い。
そこで俺は「ありません……」と答えた。
すると彼は僧侶にあるまじき言葉を重ねて語り掛けた。
「若いのだから一人暮らしを楽しんだらどうだ?
厩が付くくらいだから結構広い家だぞ。
本当はヨルダンの為に借りたのだが、奴は孤児院から離れるのを嫌がってな。
今は婆さんがたまに来て、馬が住んでいる状態だ。
それに、さっきも言ったが……そんな家に住んでいたら女の子だって呼べる。
それともお前は聖騎士になりたいのか?」
“聖騎士になりたい”とは、僧侶になりたいのか?と言う意味である。
当然俺は武者修行先としてここに来たので、そのつもりは無い。
そこで俺は目を見開きながら言った。
「本当に……女の子呼んで良いんですか?」
「ああ、君が聖別していない(僧侶になっていない)なら問題はない。
もちろん他の従士には内緒だ。
何故なら通常主の館に住んで、彼等の生活から多くを学ばなければならないからな。
君のように自由な従士なんかいない」
「そ、そうですよね!
でも良いのでしょうか?他の人は多くの事を主として使える、騎士から学んでいるというのに……」
「学ぼうとする意志があればわずかな時間でも学べるし、そうでないなら多くの時間を費やしても何も身につくものでもない。
心がけ一つだ、お金に変えられない価値が今回の話にはあると思うぞ」
「……なるほど」
女の子を家に呼ぶ事が出来る……
なんて素敵なお話しなのだろう。
しかも厩付き……て、ことは俺も自分の馬を飼ってもいいって事だよね?
「やります!館長。
騎士ヨルダンにお仕えし、従士として主の助けになれればと思います!」
「よーし、良く言った!
金が全てだという奴は良い騎士にはなれないものだッ」
そう言うとローン館長は、騎士ヨルダンへの紹介状と、家の鍵、そして地図が描かれた紙を俺に渡した。
「ここが孤児院で、立派な建物だからすぐに分かる。
そしてこれが家だが、孤児院から通りを2本向こうに隔てた所にある。
間取り自体は騎士が住む屋敷に近いが、いかんせん馬以外は誰も居ないので、基本的には母屋の限られた部屋だけを使うと良い。
広い家だが、全てを使うと逆に管理が大変になるだろう」
「ありがとうございます」
「いやこちらこそ助かる、あの家の管理も任せられるし、何よりあの偏屈な男に従士をつけられる。
次の戦では“盾持ち”として参戦するお前さんを楽しみにしている」
そう言うと館長は俺に鍵を渡しながら、ポンと肩を叩いた。
◇◇◇◇
「……なんだろ、これで良かったのかな?」
まるで厄介者を片付けたかったかの様だったと、館を出てから感づいた俺。
『女の子を呼べる』
そのキラーワードだけで、何か大事なものを失った気がしてならない。
……まぁ今更だけどね。
そんな訳で、おバカな俺は館長から鍵を預かり、そして聖地の街並みを歩く。
聖地の空は白い日差しの下で抜けるように青く、その下にはやはり白い家が軒を連ねる。
そこはシルトで見た風景と何も変わりはしない。
そんな街中を、時折風が吹いた。
巻き上がる砂はアルバルヴェのそれよりも肌理が細かく。直ぐに巻き上がる。
今だに馴れない、粉の様な軽い砂……
そんな忌まわしき砂が、風と共に波の様に目の前を飛び去る。
……風と砂を避けるように、人々が服の袖で口と鼻を覆い隠して、俺とは異なり、馴れた足取りで歩き去る。
この国特有の、手足をすっぽりと覆う袖と丈が長い独特の服装が、皮膚を削るような砂から身を守っていた。
そんな服を見ていると、それがこの国に生きるという事なのだと思う。
……さて話は変わる。
聖地と言うからには、ここには宗教にまつわる様々な建物がある。
どれもこれも数百年も前からあるモノで、聖典に出ている有名な事跡の舞台となったモノも多い。
そして町中にある小さな祠の様な神殿には、絶える事無く祈りが捧げられ、その軒先に吊るされた香炉から様々な香料の匂いが漂った。
その永遠に続くような清らかな言葉と、香料の香りにこの地の人々の信心深さが表れている。
さてこの国の人の祈りの言葉は、基本現地で一般的なフォン語で話される。
俺自身、苦労しながら4年も住んでようやく覚えた。
フォン語の文法自体は、ペッカー先生が話すペッカー語と全く一緒なので、単語さえ覚えてしまえば、個人的には全く難しくない。
今や流暢に会話もできる。
それにペッカー先生には、分からないところを教えてもらったからね。
と、言うわけでこんなアホな俺でも、気が付けばバイリンガルになっていた。
小姓仲間の多くが、いまだフォン語は話せない中、これは重要な事だった。
剣の腕とこの語学力が評価されて、部屋長に抜擢されたからだ。
だから町の雑踏で話される声に耳を傾けると、面白いモノが聞こえる。
……例えば、隣で聞こえてくるコレ。
「なぜその解釈なのだ?
ヘーブ・ムルツはあなたの言うように、本当に大商人なのか?」
「だから言っている!ヘーブ・ムルツはフォーザックの大商人だ!
私は子供の頃からそう聞いている!」
俺の隣でまだ若年の、ほっそりとした貧しい身なりのフィロリア人と思われる男が、身なりのいいサリワルディーヌ神殿の、神官服を着た男に食って掛かっている。
ここ聖地ではこのような論争は珍しい話ではないのだ。
ただし、喧嘩腰なのは、決まってフィロリア人だ……
「だとしたらなぜ女神は“富を蓄え、世界を統べる”と、彼の事を評したのだ!
彼は王か領主だったとみるべきだろう!」
「私はこの町の神官だぞ!
子供の頃からそう聞いているんだ、だったら間違いない!」
「調べたのか?」
「いや、調べてはいない……」
『だったらなぜわかる!
真理を知ろうともしない、堕落したサリワールめッ!』
最後の言葉はお国柄が出たのか、ヴァンツェル・オストフィリアの訛りが出た、フィロリア語である。
彼はサリワルディーヌ信徒を、サリワールと呼んで罵った。
因みに俺達フィーリア信者はフィロリアン。
ラドバルムス信者はバルミーと呼ばれる。
……さて、話を戻そう。
他人を罵ってタダで済むはずも無く、この瞬間、さっと眼の色を変えたラドバルムスの神官が、このフィロリア人を突き飛ばした。
そして突き飛ばしながら、彼の事を指さして「フィロリア語で話していても、お前が私を侮辱したのはわかっているんだぞ!」とか、「謝罪も無しに引き下がったりはしない!」と叫ぶ。
周りの人間も、喧嘩が始まってワラワラと集まり始め、よそ者である、フィロリア人に侮蔑的な言葉を投げかけ始める。
基本サリワールやバルミーは、侵略者であるフィロリアンを嫌う。
なので何かトラブルが起きると、フィロリアンを袋叩きにするケースが多いのだ。
(あ、これはまずいな……)
この様子を見た俺は、仕方なくフォン語で大声をあげながら、今まさに群衆からリンチを受けそうな彼に近づいた。
「おおガストン!ガストンおじさん、久しぶりですね!」
とっさに適当な名前が思い浮かばなかった俺は、名前の方は勝手にガストン・カルバンの名前を拝借した。
俺はわざと目立つ様に聖騎士団のマークが入った、鎧覆い(バーク)を見せつけ、両手を広げて彼に抱き着いた。
いきなりの事に戸惑うフィロリア人。
俺は彼の耳元で「俺に合わせてください」と言って体を離すと、芝居がかった声でこう言った。
「騎士ゴッシュマはお元気ですか?
貴方はあの勇者から大変可愛がられておいでだ。
そう言えばゴッシュマは、この前の戦いでも騎士を二人も一騎打ちで捕えたとか……
あの時の戦場ではあなたも参加していたとお聞きしました、お話を聞かせてもらえませんか?
聖騎士内での話のネタになりますから」
騎士二人を一騎打ちで倒す勇者なんてそうそういるものではない。
ましてやその身内と揉めるとなると、面倒な事になるに決まっている。
今日、鎧は来てないが、上からホバークを外套代わりに着てきた俺がそう言えば、信憑性も出るだろう。
何せこっちは本物の聖騎士団の身内なのだから。
周りの人の昂った気持ちも、俺が水を差した事で急速に熱を失っていく。
そんな呆気にとられた周りをよそに、俺は彼の肩を抱いて「おじさん、向こうでお話しをしましょう」と言ってこの場を離れた。
◇◇◇◇
「はぁ、アンタ何をしているんだよ?」
こうして人影もまばらな通りの奥に彼を連れて行くと、俺は彼にそう声をかけた。
彼は年の若い俺に、何か言われるのが嫌なようで、黙ったまま下を向く。
質問に答えようともしないその姿に、俺も正直良い感情は持てず、思わず「面倒臭い事に首を突っ込んじまったな……」と呟いた。
……この言葉に(何かリアクション取るかな?)と思っていたが、彼は身じろぎ一つせず俯くのみだ。
俺は思わず「礼も言えねぇのかよ……」と再度呟いて、この場を離れようと思った。
「すまない、私は危険だったのか?」
俯くままの姿勢で、彼がようやく声を上げる。
俺は足を止め、彼に顔を向けなおすと「ああ……」と返した。
すると彼は「だとしたら感謝する……」と答えた。
……それにしても“だとしたら”と来ましたか。随分と余裕だね。
俺は黙ってここを去ろうと再び踵を返した。
「ま、待ってくれ……あなたは聖騎士なのか?」
彼がそう言って立ち去ろうとする俺を引き留めた。
俺はもう一度振り返り「いや、昨日まで小姓で今日から従士に昇進した」と答える。
すると彼が泣きそうな目で、俺に「神はいると思うか?」と、唐突に言った。
……え、なに?
尋ねられた俺はびっくりしながら「いるんじゃない」と、かねてから思っていた事を答えた。
すると彼は縋り付くような眼で俺を見上げてこう言う。
「なぜ居ると思う?」
俺はたどたどしく、頭を回転させながら答える。
「だってこの世界に本当にいなかったら、誰がそれを神だという?
例えば俺たちの服は全部植物からできている、だけども虫からできる服がもし有ったら、それがあると皆言うだろ?
でも無いから誰もそんな事を言わない訳じゃん。
神は居ると誰かが言う言って事は、どっかの誰かが会った事があるというのが正解なんじゃないの?」
この世界に絹は無い、蜘蛛はいるけど蚕が居ないのだ。
その為世界の常識として、服は全部植物の繊維からできる。
でも俺は前の世界で絹製品を扱った事があるから、その存在を予想する事は出来る。
そこでそれを言ったのだが彼は「いや、虫から服なんか作れるはずがない……」と言って首をふるった。
……論点をずらされたと思ったらしい。
彼は改めて「神が居るのか、居ないのかの話だ」と言った。
まぁ、そうだよなぁ。
居るかもしれない、居ないかもしれないという対象はあくまでも神なのだからそう言うよな。
そこで俺は「逢ってみるまでは分からないというなら答えは出ているじゃん」と返す。
すると彼は怪訝な表情を浮かべた。
なので俺はこう言葉を続ける。
「あんたはきっと神に会うまで、神が居るかどうかを悩み続ける。
だとしたら神に出会うまで、神は居ないと言った方が正しいんじゃないの?
だってそうじゃないと納得できないでしょ?」
すると彼は俯き「もしかしたらいるかもしれない……」と呟く。
……堂々巡りかよ。
「いや、だったら居るんじゃない?
信じるも信じないもあなた次第でしょ?
俺ならお勧めは、神様は居ないと信じる事だけどね。
誰かが会ったって言うんだから、居るんじゃないの?って意見に納得できないなら……
きっとあなたは神に会うまで、神は居ないと思った方がいいと思うよ?」
「…………」
面倒臭ぇ奴を助けたなぁ……
俺はげんなりして「じゃぁ、俺は用があるから行くよ?俺今日から新しい主に挨拶しなければいけないから」と言ってこの場から離れようとする。
「あ、居ました!」
すると、狭い路地の俺を指さしながら、なんだかガラの悪そうな男が誰かに俺の存在を伝える。
すると路地を回ったところから他に二人の男が顔をのぞかせた。
「お、でかしたぞ!」
3人は敵意ある笑みを浮かべて、俺と後ろに居る“神は居るのか男”に目をやりながら近寄ってきた。
「ああ、厄介な事に首を突っ込んじまった。
どうして俺は考えも無しに、行動したのか……」
おバカな俺はモタモタしすぎて、チンピラに絡まれたらしい。
さらに言うと運が悪い事に、ここは土地勘も無い。
そんな細い路地で、奴らから上手く逃げ切れるとは思えなかった。
もう腹を括るしかなかった俺は、ホバークを脱ぐと、それを“神は居るのか男”に渡しながら言った。
「あんたのせいだからな。
このホバークを絶対に汚すなよ……
俺はこれから新しい主に挨拶に行かないといけない。
奴らを片付けたらここからずらかるぞ……」
「路地の向こうに行かないのか?」
「……逃げるのは恥だ」
俺はそう答えると、顎を上げ、連中を挑発的に見ながら待ち構える。
その様子は連中からは大層気に頂けたようで、奴らは斜に構えて俺を嗤うと、尊大にもこう言った。
「ガキがぁ……逃げなかったのは評価してやる」
「そいつはどうも、アンタらは俺とやる気か?」
「生意気なガキだ、神官様がテメェらに用があるんだとよ。
二人そろってコッチに来な」
相手の言葉に俺は振り返り、様子が知りたくて“神は居るのか男”を見た。
彼は不安そうな目で俺を見る。
助けて欲しそうな顔だ……
なので“仕方がない”と、再度腹をくくった俺は「嫌だって言ったら?」と、乱入者に尋ねた。
すると連中は『いっひっひっ……』と、俺に挑発的な笑みを見せると、凄んだ目でこう言ったのだ。
「だったら腕の一本を引きちぎってやるまでよ」
……話し合いは無しだ。
俺がさっきまでホバークを羽織っていたのを、こいつらは知っているだろうに……
ここまであからかさまに挑発されたんだ。
これで俺が逃げたら、ホバークにあしらわれた、騎士団の紋章に泥を塗った事になる。
こうなるとこいつらに敬意を払わせるまでは騎士館には帰れない……
「そいつは良かった……
俺も、お前たちチンピラと喧嘩をする理由が出来ちまった。
……このままだと叔父貴にぶっ殺されるんでね」
俺はそう言うと両手を広げ、顔の高さまで腕を上げ、そしてそのまま少し腰を落とす。
レスリング、正面の構え。
「来な、男かどうか確かめてやる……」
俺がそう言うと、怒りも露に一人が俺の正面から走って来る、もう一人は横。
俺は躊躇う事無くまっすぐ向かう。
「ガキがぁっ!」
相手は重たい拳を俺に振るった!
「…………」
それを躱しながら上から腕を抑えつけた俺は、そいつを腕ごと振り回し、奴の仲間の行動を妨害する。
回り込めず一歩後ろに下がる、敵の仲間。
俺はそのまま手首を捻じりながら腕を引き、肘関節を上から押し下げる。
レスリング技、ストレート・アームバー。
ボキン!
「ぐぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
生々しい音を立て、関節を破壊した。
その瞬間、相手がのたうち回りながら悶絶する。
すかさずその手を放し、俺に殴りかかるもう一人に体を向けた。
「やろう!」
怒りに任せて殴り掛かるもう一人の男。
俺はそのままそいつを左手の掌底で、右頬を貫く!
「がふっ!」
相手はそう言うと、突っ込んできた自分の威力も鼻で受け止め、そのまま前のめりに潰れた。
良い感じでカウンターが入った……
「はぁ、はぁ……」
俺のたうち回る二人から離れ、もう一人に目を見やる。
相手は顔を真っ赤にして「ガキがぁ!」と叫ぶと懐から短剣を出した。
ぎらつく刃物、思わずこちらの心にも寒々(さむざむ)とした何かが流れてくる。
自分の獣性が目覚め、頭がパンパンにはれ上がっていくのを感じながら、俺は高揚した声音でこう言った。
「あんた剣を抜いたな……覚悟は良いのか?」
「ウルセェ!ガキに舐められてたまるかっ!」
俺はそれを聞くと、思わず舌で唇を舐めた。
……ぶっ殺してやると思いながら。
太もものダガーホルダーから、ダガーを抜き、右手に構える。
親指を柄頭に置き、握った掌の小指から、体の外に向かってダガーの刃を伸ばす。
そしてダガーを頭上に掲げた。
刃がまっすぐ相手をさし示す。
ダガー、上段の構え。
「……テメェ、本物の聖騎士か?」
俺の構えを見て、彼は何かを悟ったらしく、そんなことを言った。
「まさか……俺ごときが騎士な訳ないだろ。
それよりも早くかかって来いよ、実戦は3週間ぶりなんだ……」
俺がそう言うと、相手は何も言わず短剣を懐に収めて、この場を立ち去る。
「おい、逃げんな!」
俺は急いで奴のいた場所に走っていったが、彼はもう視界から消えていた。
「…………」
俺は「クソッ」とつぶやくと、ダガーをダガーホルダーに戻し、呻き続ける男二人に言った。
「おい、もう行きな。
あの薄情なメス野郎は、お前らを置いて逃げ出したぞ」
俺がそう言うと、二人は支えあうようにしてこの場から立ち去った。
俺はそれを見届けると、砂埃で汚れたズボンを手で払った。
「まいったな、今日だけは揉め事は勘弁して欲しかったんだけど……」
こんな汚れたズボンで孤児院に行ったら、新しい主に何と言われるやら……
そう思ってげんなりした。
するとこの様子を見て、例の“神は居るのか男”が明るい声を上げる。
「いや、お若いのに随分と強いんですね」
俺は「いや、先輩はもっと強いから」と言いながら、そっけなく向こうを向いた。
すると彼は「あなたは随分と若いようですが、お幾つですか?」と言った。
なぜか“そっけないマン”の俺は「今度15になります」と出来るだけそっけなく答えた。
……何故そうしているのかはわからない。
ニマニマしちゃいそう……
すると彼は「15歳でこの腕は素晴らしい!将来はきっと名前を残す騎士になるでしょう」と言った。
……もうね、この人100点満点。
もっと言って、俺をもっと褒めて……
「いや、まぁまだ免状何も貰ってない身ですから、自分なんてまだまだですよ」
「いやいやそんなことはない、素晴らしいレスリングでしたよ。
貴方のような人を家臣にする男はきっと幸運でしょう。
勇敢な男だ……お名前を聞いても?」
「あ、自分はラリー・チリと言います」
俺はにやけが止まらない顔で、そう自分を紹介すると、彼は「ラリー?」と言って、次に大きく目を見開いた。
「?」
この様子に違和感を覚えた俺は、思わず首を傾げる。
そんな俺に、彼はどこか浮ついた、弾むような声で語りかけた。
「もしかしてアルバルヴェから来た?」
「え、なんで知ってるんですか?」
まさか俺の事を知っている人に出会えるとは思わなかったので、思わずそう尋ねると彼が答えた。
「ああ、なんという巡り会わせ。
申し遅れました、私はアシモス・フラーダル。
貴方はこれから騎士ヨルダンにお仕えするんですよね?
私はそこで雇われている兵士なのですよ」
「ええっ!なんと。
先輩でしたか、いやはや……」
助けた男が、これから訪問先の人間だと知ってさすがにびっくりする俺。
するとアシモスは力なく笑ってこう言った。
「いや、つい4年前まで神官だったんですよ。
訳在って故郷からここまで流れてしまいましてね。
兵士とは名ばかりの、役立たずですよ。
戦いの術がまるで分らない」
「いや、実際のところそんなものだと思いますよ。
それに昔神官だというなら、勉学は出来たんでしょ?
文官を目指したらいいと思いますよ」
俺がそう言うと彼は悲しげに笑って、こう言った。
「そう言う訳にもいかないのです。
我が家は文官の家ではなく、もっと責任のある……
そんな話はどうでもいいか、それよりもラリー、よろしければご案内しましょうか?」
先輩であるアシモスの言葉に俺は早速「ではよろしくお願い致します」と、言って甘える事にした。
すると彼は優しげに微笑み、俺にホバークを返しながらこう言った。
「噂通り強そうで良かった。
孤児院では子供に優しくしてください。
そして子供たちを守ってください」
「わかりました、子供たちを守ります。
あんなチンピラが孤児院の周りにはウヨウヨいるのですか?」
「ええ、居ます。
チンピラならまだマシな方ですよ。
最近ではエルワンダル人だと思うと、妙な探りを入れる輩が多くてね。
あ、そうそう。孤児院にいる、働き手はエルワンダル人だけです。
因みにラリー。あなたはダナバンドやヴァンツェル・オストフィリアに親戚は居ますか?」
「いや居ないです、全員アルバルヴェの王都か、ガーブ地方です」
「なるほど、それは良かった。合格です、覚えておいてください。
エルワンダルやダナバンド、そしてヴァンツェルから来た人間を信用してはいけません。
決して孤児院の中に入れない事です。
いいですね?」
「わ、わかりました……理由は聞いても?」
俺がそう尋ねると、アシモスは沈黙を持って答えた。
教えられないという事だ。
俺もそれなら無理に聞く必要はないと思い、口をつぐんで彼と歩調を合わせる事にした。
俺達は路地の向こう、道の先へと歩いて行く。
◇◇◇◇
「ラリーすみません、サリワルディーヌ大神殿に寄っても良いですか?」
道の途中でアシモスはそんなことを言った。
寄りにもよって何故今日?
さっきそのサリワルディーヌの神官に論戦を申し込んで、袋にされる寸前だったじゃないか。
俺はこんな非常識な提案を受ける気になれず、首を振りながらこう答えた。
「ついさっき襲われたばかりですよ?
なんでサリワールどもがウヨウヨするところに行きたいんです?」
「いえ、神の声が聞こえるか?と思いまして……」
急いでいるというのに、なんて奴だと思った俺は、彼を少し咎めるように言った。
「また今度にしませんか?
騎士ヨルダンに挨拶をしたいのです」
ところがアシモスの答えは、やはり個性的なものだった。
「ヨルダンならこの時間は子供たちに剣を教えています。
今行ってもどうせ待たされるでしょう。
夕方の方がきっと歓迎されますよ」
そんなバカな……と思うが先輩が言う事を疑うのもおかしい。
でも、さすがにこれは……と思うと彼はにっこり笑ってこう言った。
「ヨルダンなら大丈夫、何かあったら私が引き受けます。
こう見えても私はヨルダンには強いので」
随分と自信満々に言う兵士である。
事情が全く分からず、思わず「はぁ……」と答えた俺はなぜか彼の言うままにサリワルディーヌの大神殿に向かう事になった。
先程居た場所からそう遠くないところに、その目的地は存在していた。
世界最大の神殿、サリワルディーヌ大神殿。
大神殿は、巨大な岩石の上に建てられた、数千年も前から存在する、壮麗な大神殿で。
そんな神殿がある岩石の上と、下界には何段もの階段で繋がれている。
そしてその大神殿へと向かう道の途中で、道は7つもの小さな神殿を通り過ぎる造りになっている。
最上部にある大神殿に辿り着くのは、その全てを巡った後だ。
面白いスタイルの神殿である。
俺たちはその大神殿へと続く階段を、多くの巡礼者と同様に登り始めた。
……結構急な勾配の階段道。
そして目の前に現れる、いくつも並んだ小さな神殿……
こうして辿り着いた小神殿の一つ一つにも恩寵と言うものは存在し、人生で犯した罪を数年分の免罪を授けてくれる。
ただし殺人は2000年分の罪だったりして、そこはちゃっかり簡単にペイできない仕組みなっていたりもする。
この事が宗教も現世利益には勝てないのだなぁと、改めて俺に考えさせた。
とりあえず空気が読める男である俺は、本当に罪が無くなるかどうかではなく、周りに合わせて小神殿に辿り着く度、何となく祈りを捧げる。
隣に居るアシモスはもっとがっつり、祈りの言葉を高速で唱えながら祈りを捧げた。
そして祈りを唱え終わると、どこか悲しげな顔で「行きましょう」と言って、俺を促す。こうして次の神殿へと向かって、階段を登る俺達。
こんなことを7回程繰り返した後、ついに白く輝く壮麗な建物が階段の先に見えた。
あれがサリワルディーヌ大神殿である。
何度ここに来ても圧倒される迫力だ。
だが、その景色に実に残念なものが目に飛び込んでくる。
実は崇敬を集める神殿の入り口の階段では、両替商を兼ねた高利貸しが卓を連ねているのだ。
因みにこの光景は珍しくも無く、他のラドバルムスやフィーリアの神殿でも、規模の小さな神殿なら、聖地のどこでもやっている。
けれども時折ラドバルムス神殿の前の店は、たまに一掃される時もある。
だがまた神殿が経済難に陥ると、再び高利貸しが集まって来るのだ。
……随分と、世知辛い世の中だ。
4年前に会ったあの僧服のおやじ、とんでもない俗物だよな……高利貸しの親玉だぜ?まったく。
そう思うとあの人の良さそうな顔が、詐欺師の顔に見えてくる。
因みになぜここで商売をしているのが高利貸しか?と言うと。
恐らく神殿の入り口と言う誰もが集まる場所の場所代を払ったうえで、さらに儲かる職業が高利貸しだからなのだろう。
ここの場所代は神殿の収入にもなる、良い場所の場所代が高いのは自然の摂理だ。
それにしても高利貸しの方が野菜を売るワゴンよりも、神の近くに居るべきだと神殿が考えているなら嘆かわしいと思うのは俺だけなのだろうか?
……これだけはどうしても納得できない。
そして神殿を中心にして、一番神殿に近い所に高利貸し、そしてその下に振り香炉や、それで使う様々な香料、そして聖典などを売るお店が軒を連ね、そしてその香料を口に含んで楽しむ水タバコの店が軒を連ねる。
そして、神殿の敷地の外には乞食が群れを成していた。
壮麗な建物の周りにこそ汚濁が集まる、神聖の周りにこそ邪悪がのさばる。
そんな悲しい事実が、目の前ではびこっている気がしてならない。
とにかく、今日は元神官だというアシモスのお供だ、そう思って大神殿の中に行こうとすると、アシモスが俺の袖を引いた。
いったいなんだ?と思って彼の方に目を向けると、彼は悲しげな顔でこう言った。
「帰りましょう、ラリー」
「どうして?」
「ここに神は居ません、神がいればあの高利貸しは粉々にされているでしょう」
この回答に、思わず俺は拍子抜けして「はぁ……」と答えた。
そして次の瞬間思った、
結構きつい階段を登り切った後で、この結末は無いだろう……と。
ところがアシモスはそれを知ってか知らないでか、悲しげな表情を俺に見せて自嘲うと、迷いも無く静かに来た道を戻る。
「はぁ……」
溜息を吐きながら、彼の隣を歩いて道を引き返す俺。
そんな俺に彼は、階段を下りながら、おもむろにこう話を切り出した。
「実は4年もこの町に住んで、今日初めて大神殿に行ったのです」
「えッ?」
「驚きでしょう?
でもどうしてもなかなか行く勇気が持てなくて。
なので今日初めて行ってみたんです。
神の声が聞こえるかと思ってね」
この告白に、思わず呆気に取られて、彼の顔をしげしげとみる俺。
そんな俺に、彼はこう言葉を続ける。
「だけど、聞こえなかった……聖地とは何でしょうね?
故郷に居た頃は、聖地に来れば知らない事が分かり、見えないものが見える気がした。
この空気を吸い込めば、今や眠りにつき、惑い続けるこの心から、迷いも悩みも消えると思った。
だけどもそうではなかった……」
「…………」
「それを知れただけでも、収穫だと思うべきなんでしょうね。
……でも、それは私の望んだ答えじゃない」
そう言うとアシモスは、憂いの含んだ目で空を見上げる。
俺は彼のその様子を見ながら、こんな知り合いは初めてだなと考える。
彼は兵士では無く、やはり神官になるべき人なのだろう。
そう思うと、彼と言う存在に興味が沸くのだった。
◇◇◇◇
この後、俺達はまっすぐヨルダンが居る孤児院へと向かった。
孤児院は、このルクスディーヌの町の東端を流れるペリート川の傍にあり、そこから南に通り二つほど行くと、大きな建物も見えた。
あそこが今日から俺の家になる場所だろう。
勤務地から近くて助かる。
孤児院自体も、町中にあるそこそこの規模の神殿と遜色が無いほど大きい。
やはり騎士が贅沢を封印してでも、金をつぎ込むというだけあって、こんな立派な孤児院は見たことが無い。
アシモスは俺を孤児院の中に招き入れると、中にある四阿の一つに俺を招いた。
「ラリー、ここでヨルダンをお待ちください」
こうして、この数時間で随分と仲良くなれた彼と、俺は微笑みあって別れた。
……さてそんな四阿から見える孤児院の様子。
孤児院の塀の中にある庭園は広かった。
そして広いだけではなく、ほぼ芝生が敷き詰められていた。
緑が貴重なこの国で、随分と贅沢な事だ。
だけどもこの光景は悪くない……
荒地ばかりの国で、芝生の緑が眼に心地良い。
そしてどうやら川から水路を引いているらしく、庭のあちらこちらで水が流れていた。
遠くの花壇には、子供たちが作った、随分と前衛的なフォルムの案山子が、可愛い顔で立っており、それが故郷のセルティナを思い出させる。
孤児院の建物の中からは、キャーキャー騒ぐ子どもの声が聞こえ、それがなぜか、孤独になった自分の里心を掻き立てた。
……セルティナに帰りたい。家族に会いたい。
「遠くに来たんだなぁ……」
思わずそう呟くと、隣で声が聞こえた
。
「やはり生まれ変わると、ここを遠くだと思うのだな」
思わずそちらに目向ける、するとそこには4年前に会った僧服の男が……
「あ、詐欺師……」
俺が思わずそう言うと、4年ぶりにあったサリワルディーヌは苦笑いを浮かべた。
「随分とひどい事を言う。
分かるぞラリー、お前がなんでそのような事を言ったのか。
だが私にも言い分はある」
俺は今しがた見た光景を見ながら、そっぽを向く。
「高利貸しはあなたにとって重要な方なんですか?」
その後、俺は目線を彼に向け直しながらそう棘のある言葉を口にした。
すると、サリワルディーヌは溜息と同時にこう答えた。
「まさか……あれは穢れた連中だ。他人を食い物にしている。
私は金を貸すという事を否定はしないが、だが100貸したものは、来年200にして返すというのはやりすぎている。
こんなものを認めるつもりはない、むしろ利息なんてものがあるのがおかしいと思う」
「嘘ですよね、それ……」
「そう思うか?昼間見た光景のせいだな。
だがそれは違うぞラリー。
私はそれを許可した覚えはない」
いやいやそれは無いでしょう……
一番偉い存在が許可してないのに、他の者が認めたって言うの?
それは通らないよ……
そう思って首を振っていると、サリワルディーヌは不機嫌そうに息を吐き、こう言った。
「それについて、少し関係のある話なのだが語っても良いか?」
「ええ、どうぞ」
「……一つ確認しておきたい。
私は、フィロリアの世界では消えてしまったと言われていると聞いたがどうなんだ?」
「ええ、そのように聞いてます」
「では、昼間見た光景だが、私の名前が付いた神殿に行くと、皆数年分免罪が受けられたり、はてまた恩恵が受けられるという。
だから巡礼に訪れる人が後を絶たないのだ。
そうであろう?」
「ええ、そうですね」
「だが私はここに居る、では聞くが……
あの大神殿に居て、私の名前を名乗りながら恩恵を授ける存在とはいったい何なのだ?」
「へ?」
「私が消えたというなら、神殿にいるのは“空虚”でなければならない筈だ。
だがあそこには確かに恩恵を授ける何かが居て、何もいない、誰も居ない筈のあの神殿の中で確かに何かが免罪やら恩寵を授けている。
だがこれは変ではないのか?
神殿の中に、何かが居なければそんな事が起きるはずが無い。
そうは思わないか?」
「…………」
言われてみればそうである、もちろん恩恵自体が嘘なら悩むことはないが、それなら崇敬を集めるはずもない。
そして俺たちは“サリワルディーヌは消えた”と聞かされている。
だけれども昼間見た光景は、サリワルディーヌが居ると仮定して、巡礼者が集まっているとしか思えない光景である。
俺は、改めて疑問を胸に抱いて、首をかしげているとサリワルディーヌが言った。
「ラリー、こういう時は、私が偽物かもしれないし、神殿の中に得体のしれない者がいるかもしれないと思わないか?」
「お、思います……」
「正直に言おうラリー。
今から100年近く前、私は何者かに力を封印されてしまった。
だから今や私は神殿の中にも入れない。
あの神殿は、私に捧げられたであるにも関わらず、今や私とは関係が無いのだ。
そんな私は今やお前たち一族について回る、力なき存在なのだ。
そしてその100年の間に、私の神殿は堕落し、そして私が育てた国は、ついにあの女、フィーリアの手で滅ぼされるに至った。
……私が導いた国、フォーザック。
だがラドバルムスはもっと危険だ、彼は美しく、そして妥協を知らない。
私はあの二柱を疑っている、私の力を封印し、私の代わりとなる何者かに私の神殿を乗っ取らせたのではないか?とね……」
「そんな……」
「だがそうではない、皆なぜか知らないが私が居なくなったことを知りながら、私が居る事を当然のように思っている。
私は何かに騙されている気がしてならない
そうは思ないかね?ラリー……」
俺は彼の話を聞きながら、確かにその通りだと思った。
やがてそんな俺に彼は言う。
「ラリー、4年前に話した事を覚えているか?
アキュラは王剣グイジャールの剣刃だけを保護したが、その守護者である7臣は放棄した。
7臣は最後の最後でアキュラを裏切り、私を殺そうとしたからだ。
恐らく、私の神殿を乗っ取ったその存在の影響を受けたのだと思っている。
だからその正体を知る者も、奴ら王剣7臣に他あるまい。
ラリー、お前だけがあの連中を始末できる。
奴らの謎を解くのだ!……」
「ちょ、待って……あれ?」
俺は、サリワルディーヌの方に目を向けると、そこには誰もおらず、ただ虚空が広がっていた。
相変わらず突然現れ、そして突然消えるサリワルディーヌ。
その様子に思わず顔をしかめていると、遠くの方から足音が聞こえた。
目を向けると一人の若い騎士と、壮年のたくましい男、尼僧とアシモス、そして俺と同じ年くらいの若い男が歩いてくるのが見えた。
俺は彼こそが、自分の新しい主なのだろうと思った。
サリワルディーヌの話は不気味だった。
彼は忘れようとも、忘れられない違和感を俺の胸に残した。
最近スケジュールがぐちゃぐちゃで、申し訳なく思います。
何でもいいので気が付いた事はおっしゃってください。
しばらくは評価は難しいかもと覚悟はしております、見せ場まではコツコツとストーリーを練るしかありませんし、それは覚悟の上ですが、もしよろしければブックマーク・評価のほどをよろしくお願いいたします。