ビギニング(前)
これまでの話を基礎に置き、これからは新たに仕切り直しとなります。
なので今回と次回は前説です。新章ではありませんのでよろしくお願いいたします。
幼馴染との死闘の果て……
少年時代に終わりを告げたラリーが、いよいよ世界を見に行く頃の事だ。
フィロリア世界では大いなる混沌がいよいよその姿を露わにせんとしていた。
それがラリーとその幼馴染達の運命も左右しようとしている。
まずはそのお話しから、全てを始めたい。
エルワンダルと言う地域がある。
フィロリア南方にある広大な平原で、幾つもの大河が注ぎ込む水郷地帯である。
別名で低地地方とも言われる。
その中心はリズネイ湾と呼ばれる広大な入り江だ。
リズネイ湾は複雑に入り組んだ地形をしており、故に船にとっては波除けに大変適した場所である。
こういう事情もあって広大な湾内には良港が多く、この辺りを航行する船は、風避けの為にも必ずと言って良い程、リズネイ湾の港に寄港した。
そして先程言ったようにたくさんの河川がこのリズネイ湾に流れ込む。
だからこのたくさんの河川を通じて、内陸の帝国諸地域との交通も盛んだった。
さて唐突だがここで地理の話から、税金の話を始める。
と、言うのも何故エルワンダルがフィロリアで最も豊かな地方となったのかを説明する為にも、帝国およびフィロリアにある各王国の関税制度を理解する必要があるからだ。
この世界の主要な国は封建主義国家が多い。
つまり各王国でも中にはそれぞれたくさんの領主が、半ば独立的に領土を運営している状態にある。
なので陸路で荷物を運ぶとなると、遠くに行けば行くほど様々な領主の領土を通行せねばならず、新しい領主の土地毎、又は河川に架かる橋の手前毎に、関税を取られるのが普通だった。
因みに川や橋は国王や皇帝の所有だ。
伯爵や諸侯の中には国と遜色がない程の領地を持つ者が居るが、それはこの場合は例外だと思ってもらいたい。
つまり例外的な大領主を除く大概の領主とは、荘園を王から拝領している(封土とも言う)のである。
だから通常荘園ではない、橋や川には関税を取り立てる為の関所は作られない。
領主から自由にふるまう自由都市が橋のたもとを中心に作られたのはそのせいである。(詳しくは25話参照)
繰り返すが河川は国家の物だ。
水利権、漁業権などが絡むし、そして当然河川の上は荘園ではないから、国王に与えられた封土では無い。
そして物理的に河川に関所を設ける事は出来ない。
つまり荘園と橋との境目に関所を作るのと同じ事はできないのだ。
これはつまり、陸運で運ばれた荷物と違って、河川を使って水運で運ばれた荷物は、関税が殆ど掛からない事を意味している。
しかも船の方が、物資を大量に目的地に運べる。
その結果、川沿いの自由都市で販売される商品が、他の場所で売られる商品と違って、圧倒的に安い価格で販売される事になるのだ。
だから多くの河川が流入するリズネイ湾と、それを抱くエルワンダル地方は、それぞれの河川の上流域から運ばれる品物で溢れ返り。
そして安さを求めて集まった様々な人達でごった返し始めた。
そして集まった人達を目当てに、はるか辺境から……そして海を隔てた別の国からも舟が回される。
ここでなら捌き切れない商品だって、捌けた。
毛皮や宝石など、大金持ちが居なければ消費しきれない高級品は、荷物とそれを求める客に溢れ、豊かなエルワンダルの人間なら買ってくれる。
こうして出来た経済圏は紛争を巻き起こし、そしてその紛争で仕事をしようと、戦士も集まった。
集まった戦士は傭兵となり、それはやがてエルワンダル軍へと姿を変える。
こういう理由で、いつの間にか傭兵を主体とした、軍事力を得たエルワンダル。
軍があれば権益を守る事も、そして商売敵を叩きのめす事も可能になる。
エルワンダル人、およびその権益の最大の受益者であるエルワンダル大公は、この軍隊の力を大いに活用した。
やがてエルワンダルのライバル都市は次々と兵火にくべられ、そしてエルワンダルに従属する。
こうしてますます発展し、豊かになるエルワンダル。
やがてエルワンダルは“買えない物は何も無い”と呼ばれる強固な経済力と、貨物の集積地に成長した。
このリズネイ湾の入り江では、人も、物も、金さえあれば望みのままだ。
堕落したとも、発展したとも言われる煌びやかな地域。
やがてこの地はフィロリア地方で、最も豊かな地域と呼ばれるようになった。
この結果幾つかの自由都市を除き、エルワンダル全体を支配する、元部族大公のエルワンダル大公が大きな力を持つのは当然だろう。
大公家は大きな野心を抱き、ヴァンツェル・オストフィリアに参加する有力諸侯でありながらも、大国ダナバンド王国とも姻戚関係を結ぶ。
そして、その姻戚関係によって生み出された子供には、ダナバンド王国の相続権があった。
……それが、エルワンダル大公を狂わせた。
きっかけはわずか28歳で、大国ダナバンドの国王ワラーン6世が落馬事故で死んだ事である。
エルワンダル大公の息子は、落馬事故で死んだダナバンド国王ワラーン6世の甥にあたる。
その後のダナバンド王国は、亡くなったワラーン6世の妻、エリオンティーヌ1世が玉座についた。
だが、エルワンダル大公はこれに反発する。
自分の息子こそ、ダナバンド王国の王につくのがふさわしい彼は主張したのだ。
エルワンダル大公はそう発言するだけに、行動を留めたりはしなかった。
彼は遂に挙兵し、ダナバンドに対して継承戦争を引き起こす。
ダナバンド王国よりも多くの兵数を動員し、当主は優位とみなされていたエルワンダル軍は、その望みを達成するかと思われた。
それが叶わなくても、何か有利な講和条件をダナバンドの新しき女王から引き出すだろうと考えていた者は多い。
……ところがそうはならなかった。
ワラーン6世の弟でダナバンド王国摂政のヴァーヌマとヒルワン丘で戦い、エルワンダル大公は戦死してしまったのである。
その後ダナバンド王国は、逆にエルワンダルに侵攻し、大公国全土を占領した。
この豊かな地域をヴァンツェル・オストフィリアから切り離される事を恐れた、ヴァンツェル・オストフィリア国皇帝は、ダナバンド王国にエルワンダルからの撤退を要求。
ソレを拒絶したダナバンド。
やがて両国はエルワンダルを巡って、血みどろの戦争を開始した。
これが、約4年にも及んだエルワンダル戦争である。
当初は兵力で勝るヴァンツェル・オストフィリア国が有利とされていた。
だが年月の経過と共に状況は一変。
魔術に優れ、剣術に優れ、智謀にも優れた7人の騎士を擁したダナバンド王国の勝利が揺るがない状況になった。
そしてヴァーヌマは恐ろしい事に、エルワンダル大公家の血筋に繋がる者を、全員を殺し始めたのである……
これは当時、ありえない事だった。
あまりにも道徳の無い振舞いだからである。
特に継承権がある嫡出子は、異常なほど執着され、そして殺された。
エルワンダルから離れても、暗殺者を送り込まれて殺害される嫡出子たち。
この事を非難されたダナバンドの摂政ヴァーヌマは、野心を隠すことなくこう言った。
「今後、エルワンダルは我らダナバンドが支配し、エルワンダル大公がこの地に現れる事は二度とないだろう……
彼等に、我らが土地を支配する権利は無い。
その事が分からないと言うなら、生きている資格なんてないのだ……」
薄情にして、恐怖の的となる悪魔のような男ヴァーヌマ。
それに反発する帝国諸侯の連合軍。
それらを、ことごとく粉砕したヴァーヌマは、それを非難する全てを炎と剣の蹂躙によって黙らせた。
……恐怖は正義を亡きモノとした。
こうして行われた血で血を洗う4年にもわたった戦争は、栄華を極めた帝国ヴァンツェル・オストフィリア国と、それを構成する諸侯を疲弊させる。
ただ勝者のダナバンド王国も、けっして損害が無かったわけではない。
膨大な戦費が、ダナバンド王国とエルワンダルの経済にのしかかったのだ。
この問題の戦費を取り返したいと思ったヴァーヌマは、過酷な命令をエルワンダルに下す事にした。
まず彼は帝国皇帝が認め自由都市に与えられた、自由の勅許を無効としたのである。
そして代わりに新たなエルワンダル公爵となったヴァーヌマの代官が、かつての自由都市を統治した。
こうして都市の空気から自由は消え、そして戦費を取り返そうとする王国の徴税請負人が乞食にまでも税を要求する事態となる。
彼等徴税請負人は野蛮で知られたダナバンドの荒くれ者を従え、豊かさで知られエルワンダルの商人を取り締まる。
……取り締まるとは、払えなければ拘束されると言う事だ。
エルワンダル商人は、次々と拘束され、そして確実に財産をむしり取られていった。
こうして徹底的に絞られ始めたエルワンダル商人。
さらに商人たちにとって悪い事は続き、河川の上流域から流れてくる商品が、帝国の方針から著しく減少し始めた。
当たり前の事だが、かつてのエルワンダルと違い、今のエルワンダルは帝国にとって敵国の領土なのである。
皇帝としても、そんな場所に今までの様に商品を卸したくは無い。
結果何が起きたかと言うと、品物不足からなる、深刻なインフレである。
こうして経済が停滞し、エルワンダルは今まで経験した事が無い様な、不景気へと突入した。
政治的に都市を締め付ける代官達。
言いがかりをつけては、税を取り建てようとする徴税請負人達。
運搬する物資を失い、失業者で溢れた港の人達。
値段が上がり、かつてのように物が売れなくなった商人達。
仕える主を失い、暴力を持て余したかつてのエルワンダル大公の家来達。
その家来が失職したことで、新たに赴任してきた……徴税意欲を剥き出しにして、これまで戦争に投資した分を取り戻そうとする新興の騎士達。
その結果、これまでとは比較にならない重税を課せられた農民達。
そして……ダナバンド王国に媚びを売り、エルワンダル大公に近かった、年老いた神官を追い出した若い神官達。
これらがこの狭い地域に跋扈する。
新しい支配者となった、ダナバンドに対する不満で溢れ返るエルワンダル。
この地で渦巻く不穏な空気は、やがてフィロリア地域全体へと波及を始める。
聖竜暦1210年年末、ダナバンド王国とヴァンツェル・オストフィリア国との間で和議が結ばれ、ヴァンツェル・オストフィリア国は、この地をダナバンド王国に割譲した。
だけどもこれは戦争の終わりを告げたのでは無く、逆に新たな動乱の時代の幕開けを告げたのである。
だから空けて1211年、ゲラルド・ヴィープゲスケ11歳のこの年を持って、新時代の始まりと言われる。
だが本当の始まりは?と言うとその少し前に起きた、少し不道徳な最後のエルワンダル大公と、その滅亡時期に遡る。
この話の最初の場面は、だからエルワンダル大公国、完全滅亡のその時だ。
しかしエルワンダル大公家は滅亡したりはしなかった、最後の希望となった赤子の誕生秘話を見て頂く。
◇◇◇◇
―1210年、帝国側最後の拠点フラルダル城。
「諸君、もはやこれまでだ……
800年に渡ってこの地を治めてきた、エルワンダル部族の歴史を、ここで終えよう。
海上は数十隻のガレー船で封鎖され、陸地も柵と兵士で十重二十重に塞がれた。
もはや援軍が来る可能性も無い。
……これまで大公家を支えてくれ、皆に感謝の言葉も無い。
諸君らの降伏を認める。
貴公等は、今この時を持っていずこかへと落ち延びると良い……」
今年41歳を迎えたエルワンダル大公家、最後の生き残りである、マスカーニ・ルワーダルはそう言って、騎士達に退出を促した。
だが騎士は誰も退出せず、ただ重苦しい沈黙の中で、身じろぎ一つせずに立ちすくんだ。
豪奢な椅子に深く腰掛けたマスカーニは、再び声を上げる。
「どうした、早くここから立ち去るのだ……」
その声に反応し、老いた騎士がおずおずと声を上げた。
「殿下は、如何為されるおつもりですか?」
マスカーニは正式には継承していないが、皇帝からは次期エルワンダル大公と言う、名ばかりの称号は与えられている。
それが為、家臣は“殿下”と彼を呼称した。
マスカーニは答える。
「我が一族はここで潰える。
戦士たちの傍らで、エルワンダルの土くれへと変わるのだ。
落ち延びたいとは思わない、エルワンダル人はエルワンダルで死ぬ。
……私がその最後の一人となろう」
それを聞き、騎士たちの多くが『お供します』と答えた。
……玉砕を選ぶ男達。
その顔触れを見たマスカーニが、目を閉じ、感謝と悲しみの中で涙を流したとき、一人の女官が入ってきた。
その様子を見たマスカーニが、目を見開いて「どうだった?」と尋ねる。
女官は答えた。
「アイナ・ベルヴィーンは妊娠しております……」
その知らせでざわつく部屋の中。
この部屋に居る騎士達は、その事が何を意味しているのか知っているのだ。
褒められた話ではない……
それを知るマスカーニは女官の声を聞いて、溜息を吐くと、澱みなく用意された言葉を吐いた。
「これも運命だろう。
諸君、玉砕は許す事が出来なくなった。
アイナ・ベルヴィーンのお腹にいる子は、私の子供である。
これはすなわち、大公家の継承者がまだ生き残る可能性がある事を意味している」
「で、殿下!アイナはすなわちシスクト・ベルヴィーンの妻ではありませんか!
一体どういう事です!」
「……すまない、シスクト戦死の後の事だ」
大公の告白に動揺する騎士達、やがてこの話を聞いた騎士の何人かが、腹立たし気にこの部屋を去った。
そして残った僅かな騎士達に、マスカーニは悲しげに言った。
「見下す者が居るのも当然だな。
だが私にも心の支えが必要だった」
残る騎士達は「不義の結果だとは思いませぬ、人間は弱く、不完全なのです」と答えた。
そんなわずかに残った忠臣たちにマスカーニは言った。
「最後に頼みがある……」
『なんなりと……』
「1つ、これから神官のアシモスをここに呼び、アイナと結婚式を行う。
正式に妻として、生まれてくる我が子を嫡子とするつもりだ。
それを証人として立ち会って欲しい。
生まれてくる子が男なら私の名前を、女なら母の名前を付けてくれ」
息を飲む騎士達、その顔に怒りの色が濃く浮かぶ。
そんな彼等にマスカーニは「頼む、この子が最後の嫡出子なのだ……」と、懇願した。
やがて騎士達は、苦渋の浮いた顔で、絞り出すようにこう答えた。
『かしこまりました』
その言葉に肩を落として謝意を示す、エルワンダル大公。
やがて彼は背筋を伸ばして最後の命令を騎士達に下した。
「さらに2つ目、アイナとその子を安全な場所に落ち延びさせてくれ。
私はその間、時間を稼いでこよう……」
思わず大公の顔を見る騎士達。
この様に完全に包囲された中でどのような手段を使うのか?と尋ねたそうな顔で見た。
それを見て大公は言った「私は命を懸ける、だから諸君等は我が子を頼む……」と。
それ以上は何も言わなかった。
しばらくの沈黙の後大公マスカーニは、言葉を続ける。
「そして3つ目に、その子がエルワンダルに帰還し、大公家を再興する事となったら、その子を支えて欲しい。
だから玉砕は許す事が出来ない。
その日が来るまでアイナとその子は死んだと噂を流せ。
今出て行った者が、必ずその子の命を狙う筈だ。
それらから身を守るためにも、出来るだけ遠くにアイナ達を落とすのだ」
『…………』
今出て行った者は彼等の同僚である、残されたものは彼等への悪口は避けた。
それを見たマスカーニは、物憂げに溜息を吐くと「急ごう、神官アシモスをこちらに……」と言った。
◇◇◇◇
城門は破れ、ダナバンドの荒くれ者が城への乱入を試みる。
守備側の城兵は懸命に防戦し、僅かな時間を稼ごうと試みる。
時刻は夕方、城の中では貴賤結婚式が行われている。
そして夜になる、城に勤める文官が白い旗を掲げて城の中から飛び出した。
「戦いをやめよ!戦いをやめよ!
大公殿下は降伏を決意された!
ダナバンドもエルワンダルも戦争は終わったぞ!」
その声を聴き、戦士たちは戦いの手を休めた。
その人ごみの中を、旗を掲げた文官が、おびえた目をあちらこちらに投げながら叫ぶ。
「戦いをやめよ!戦いをやめよ!
大公殿下は降伏を決意された!
ダナバンドもエルワンダルも戦争は終わったぞ!」
彼はテープレコーダーの様にこの言葉を繰り返しながら、戦場を隅から隅まで歩いて戦争を辞めさせて回る。
『戦いをやめよ!』
『大公のクソが降伏したぞ!』
その声に反応して上がる戦士の叫び。
その声を聴き、苦しい死闘から解放された人々が、色々な感情を含ませながら、自分の言葉で戦争の終結を叫んだ。
……その声で、自分が生き残った事を悟る男達。
喜びを爆発させた、ダナバンド人。
悔しさで涙を流し、腹立たしげに手にした盾や武器を地面に投げ出した、エルワンダル人……
反応は二手に分かれた。
戦士から戦士へ、言葉が次々と伝わり、血みどろの戦いが次々と終わりを告げた。
やがてダナバンド軍の中から、立派な銀の甲冑を着こんだ騎士が現れ、そして旗を掲げる文官の元に向かった。
騎士は兜の面頬を跳ね上げ、土埃に汚れた典雅な顔を戦場に晒すと、文官に尋ねた。
「そなたは使者か?
マスカーニ殿が降伏を決めたと言うのは本当か?」
文官は怯えながらも、どこか腹の据わった顔で胸を張ってこう答えた。
「もちろんだ。その前に貴公の名前をお聞きしたい」
「これは失礼した。
私はエルワンダル公爵様に仕える騎士で、サピーレと申す。
戦が終わったと言うが、マスカーニ殿は今はいずこに居ますか?」
「大公様は城内にて、私の帰還をお待ちしております。
大公様はご自身が摂政様に首を差し出す覚悟を決めております。
ただ、残された城兵を一人でも多く救いたいとお考えです。
そこでその為の交渉を摂政様に行いたい。
お取次ぎをお願いいたします!」
それを聞いた別の騎士がフンと鼻で笑って、文官を嘲笑った。
「降伏すると言うのに、随分と居丈高ではないか。
エルワンダル人は実力差と言うモノが分からないのか?
お前達の降伏など待たずとも、我等はこの城を落とし、エルワンダルを征服するのはたやすいのだぞ!」
押しつぶすほどの恐怖と怒りをぶつけられ、文官は怯え、そして足を震わせる。
……怖いのだ。
だが彼は全身からなけなしの勇気をかき集め、精いっぱいの虚勢を張ってこう言った。
「し、城の中には大公国の財宝が貯められている。
城に兵が突入すれば略奪され、又は我等が城に火を放ち、財貨の多くがいずこかへと消え去る事だろう。
賢明なる摂政様は、その結末をお望みになりますでしょうか?
全ては摂政様のものとなるのです。
降伏をお認めになれば、そのお慈悲に必ず我等は感謝も致しましょう」
文官は胸を張り、目をしっかと騎士達に向けて降伏旗を見せた。
自分の言葉に命を懸けた文官の彼。
この性根を据えた文官の言葉に、周囲の戦士達もざわつく。
サピーレと名乗った騎士も、隣で文官を嘲笑った騎士も、深刻な顔で相談を始めた。
「サピーレ、いかがする?
あ奴の言っている事にも道理があるぞ」
「ああ、バルドレ。
財貨が無くなるのは困る。
戦士達の給料は2か月間払われていない。
略奪の権利と言ったって、これからはこの土地は占領するのだから領民に恨まれるのは困りものだ。
略奪するよりも、財貨は接収の方向で行った方が良い」
彼等は話し合うと文官に向き直っていった。
「今から摂政様に伺いを立てる。
兵は城に入れるが良いな?」
文官はワナワナと震えながら言った。
「それはダメだ!
城の中に兵は入れられない。
もしも入れたら、城は燃やされる手筈を整えている!」
「なんだと!」
「兵は城に入れない、もしも入るとするなら兵士や女官たちの身の安全を、担保されてからの事だ!」
「なんだと!降伏しようとするものが随分と……」
「金銀財宝、木綿に毛皮。
お前達の物となるべき財宝が、燃えていく様を見たいのならそうするがいい!
お前達はその財貨の主と成り損ねたいのかッ?
繰り返すが我が主は兵士や女官の安全が保たれない限りは、城も財貨も明け渡すつもりは無い!
ただしそれらが認められれば、ご自身の命も、財貨も城も直ちに明け渡そう。
摂政様にそのようにお告げ願いたい!」
文官は目を吊り上げ、だけども足をプルプルと震わせながら、最後の使命を果たすべく懸命に声を張り上げる。
その様子を見ていたバルドレは「クソッ!」と忌々(いまいま)しげに吐き捨て、サピーレが「死を覚悟したか……」と呟いた。
文官の決意が、その主の決意の深さを物語っていると二人の騎士に理解させる。
やがてそっぽを向いたバルドレ、代わりにサピーレが言葉を続けた。
「使者殿、今より摂政様にお尋ねしてくる。
ここでお待ちになれ」
使者は「感謝いたします、騎士サピーレ殿」と答えて、白旗を空に掲げたまま立ちすくんだ。
その目に敵意に満ちたダナバンド人の目線が突き刺さる。
お前さえ出て来なければ、略奪が出来たのにと思って。
◇◇◇◇
「……アイナ、申し訳ない」
「いえ、大公様……その様なお顔をなさらないでください」
大公の新妻は、顔立ちから母性と女らしさ、そして優しい心根がにじみ出る様な若い女性だった。
そんな彼女と最後の挨拶をする大公は、泣き腫らした顔も露に、玄関前のエントランスホールに立っていた。
周りには様々な人間が嗚咽の声を上げている。
合計26名にもなる女官、文官が涙を流して、主とその妻の最後の別れを見守っていた。
大公は妻に女官服を渡した。
これに着替えろと言う事だ。
黙って頷き、女官服を頂戴するアイナ。
そんな彼女に大公は、一つの袋を渡した。
彼は静かにこう言った。
「初代エルワンダル大公より、当家は代々黄色の大ダイヤ“女神の涙”を当主は継承してきた。
そしてそれは、代々の大公が持つ、錫杖に嵌められていたものである。
これをそなたに託す。
私の子が……私の子がもしも女神の恩寵によって成人し、そして立派になった暁には、これを渡して、私が本当の父親だったと伝えてくれ」
「殿下……承りました」
アイナの返事を聞き、大公は瞳を閉じた。
そして鼻をすすり、目からは大粒の涙を流しながら、言葉をつづけた。
「グス、ぐぅ……本当は、本当は私がその子を守らねばならぬのに。
不甲斐ない……不甲斐ない……」
「……お任せください、私がこの子を育てますだから。
グス、うぅぅっ……じんぱい、じないで」
「アイナぁ!」
大公は感極まり、涙を流した妻の体を抱きしめた。
周囲の悲嘆も、もはや止める事も出来なくなり、慟哭がエントランスホールに響き渡る。
誰憚る事無くワンワンと泣き、大公国の最後をその涙で彩るエルワンダル人達。
大公はその中で自分の指にはめていた、大公の印章が刻まれた指輪を妻に渡すと涙を拭って言った。
「少ないが財貨を女官服のポケットに入れた。
もしも兵士にとられそうになったら、口に入れると良い、最悪飲み込める。
わかったな?」
「……グス、は、はい」
「お別れだ、アイナ……」
「大公様、ありがとうございました」
「礼を言うのは私の方だ、もう行きなさい……
(周囲に居る)皆も財貨を持ったな?」
マスカーニがそう言うと、周囲の者たちはみな声を揃えて『はい』と答えた。
その声に満足したように頷く、マスカーニ。
彼は最後に静かに、感謝の念を込めてこう言った。
「皆のこれまでの忠誠に感謝する。
最後の仕事を頼む……」
『はい、殿下……』
女官や文官がそう声を揃えて再度答えた時、先程降伏の使者として外に居るダナバンド軍に赴いた文官が戻ってきた。
文官はエントランスホールに入り、そして扉を閉めた瞬間、崩れるようにその場にへたり込み。
真っ青な顔で「ぜぇ、ぜぇ……」と荒い息を吐きながら大公に顔を向けた。
大公は「どうだった?」と尋ねる。
彼は脂汗を額に浮かべながら、微笑んで大公にこう答えた。
「上手くいきました、古式にのっとって降伏すると言ったら、疑いもせずこちらの要求を呑んでくれて……
助命受け入れられました、ヴァーヌマは『女官共は何所となりと好きな所に行け』と……」
「そうかっ、でかしたぞっ!」
マスカーニはそう言うと周りの人間に彼に一杯の水を与えるように言った。
そして彼自身は、たった一人の近侍を従えると、そのまま外へと向かったのである。
先程までは戦闘が、そして歓呼の叫びが上がっていた外の世界。
時刻は夜、空に漆黒の闇が広がっていた。
そしてその暗がりに生える、城壁の中の至る所で燃える焚火の群れ。
ぽつんぽつんとまばらに、そして赤々と揺らめく炎の光が、彼が来るのを待ち望む。
燃える火と、その匂い……
戦場に舞い踊る、白い煙。
……そこに降り立つ、エルワンダル大公マスカーニ。
『…………』
最後のエルワンダル大公が現れた時。
その瞬間に沈黙が広がった。
そして誰もが彼の顔を見る。
それは生ける者も、死せる者も彼の到来を待ち望んでいたかの様だった。
……こうして戦場に現れた、静寂の世界。
ゴーゴーと吹く風が土埃を巻き上げ。誰しもが最後のエルワンダル大公の姿に、目を止める。
『…………』
エルワンダル大公国最後の瞬間。
その中を悠然と歩くマスカーニ。
彼は無表情に自分を見るエルワンダル兵に向けてこう言った。
「お前達を生かしてここから出す。
助命は認められた、最後に古い降伏の儀式を執り行う。
この場にかがり火の用意を……
儀式を終えたモノから、この城から退去を許される」
『…………』
兵士は“分かった”とも“はい”とも答えずに、立ち上がり、そして使われなくなった馬房や、砕けた扉、そして天幕などを壊して、木材や布などを大公の傍に積み上げる。
やがてそこに火が放たれた。
燃え盛るかがり火、その傍でマスカーニが声を上げた。
「非戦闘員から先に退出する、女官や文官の為に道を空けよ」
城は、マスカーニが言うエルワンダル古来の儀式に基づいて開城された。
先に城から去った女官や文官達。
もちろんその中に先程結婚したばかりのアイナの姿もある。
そして文官たちの中に、神官のアシモスの姿もあった。
そして文官に身をやつした、信頼された騎士達の姿も。
……遠退くそれらの姿を目で追うマスカーニ。
彼等の列が消えた時、マスカーニはさらに時間を稼ぐべく、架空の儀式を再開させる。
彼は兵士や騎士達を一列に並ばせ、鎧や剣をマスカーニの足元に置いた後、一人一人がマスカーニに礼を述べてこの場から立ち去るのを見送る。
面倒くさい儀式を創出する事で、時間稼ぎを試みるマスカーニ。
ダナバンドの摂政ヴァーヌマは、武装を解いた男達がいずこかに去る権利は認めていた。
なので兵士や騎士達は着の身着の儘でこの場から立ち去る。
やがて最後に近侍の者も、マスカーニに頭を下げ、この場から走り去った。
……こうして、全てのエルワンダル人が大公の元から消える。
孤独になった、マスカーニ。
そんな彼の元に、まだ20代の若い貴族が、サピーレ達を従えて現れた。
彼は皮肉めいた笑みをマスカーニに向けると、こう言った。
「マスカーニ殿、気は済んだかな?」
「ヴァーヌマ殿か?」
「いかにも……歴史ある大公国の最後、しっかと見届けました。
今のお気持ちをお聞かせ願えませぬか?」
「知ってどうする?」
「個人的な興味です、深い意味はございません……」
「死ぬのは怖くない、ただ……汚名を帯びる事だけが残念だ」
「生きる事は選ばれぬので?」
「摂政殿のお望みは、我が大公家の族滅であったと思ったが……」
「ふふ……心がけ次第ですよ。
王太子殿下の顧問として、我等の女王にお仕えされて如何ですか?
エルワンダルの統治について意見も聞きたい。
この地を我らの土地とするに、有益であるならあなたを生かしておいてもいいのですよ」
これは偽りである。
ヴァーヌマは、新たに統治するエルワンダル地方が安定するまでは、生かしておこうと思っただけである。
……用が済めば殺すつもりだった。
それを見越して、思わず苦笑いを浮かべるマスカーニ。
『…………』
彼は黙って何度も首を横に振ると「敗者は何と悲しい……」と、誰にも答えも求めず、独り言をつぶやく。
やがて彼は微笑みを浮かべ、質問の回答を待つヴァーヌマにこう答えた。
「ならば、これが私の答えだ……」
次の瞬間、大公は野獣のような目をヴァーヌマに投げ寄越して叫ぶ。
「ヴァーヌマ、貴様が来るのを。
……地獄の深淵で待っているぞ!」
「!」
直後、マスカーニはおもむろに懐から短剣を取り出し、左胸に突き刺した!
あっと驚くダナバンド人達……
マスカーニは激痛の中、目を憎悪でギラギラと光らせ、ヴァーヌマを見た。
やがて大公の口から血が滴る。
その姿に凍り付くヴァーヌマ。
やがて大公は、ヴァーヌマの前で胸の短剣を引き抜いた。
噴き出す血しぶき。
大公の血が摂政ヴァーヌマの衣服を汚す。
戦慄するヴァーヌマ。
彼の目の前で崩れ落ちる、最後のエルワンダル大公。
駆け付けるダナバンドの兵士。
やがて兵士は、傷口がどす黒く変色しているのを発見する。
それみて、毒に詳しい兵士が一瞬で死ぬ、特別な毒がダガーに塗られていたのを知った。
やがて兵士は、ヴァーヌマに「死んでます!」と告げた。
それを聞いたヴァーヌマは怒り狂った。
「最後の最後で……
不愉快だ!こいつを乞食と一緒に燃やしてしまえッ」
それだけを言うと、この場から立ち去るダナバンド摂政のヴァーヌマ。
それを見て大慌てで、ヴァーヌマに付き従う兵士たち。
こうして彼等が立ち去った後に残されたのは、処刑ではなく自殺を選んだ憐れな貴族の死体である。
こうして名称上、最後のエルワンダル大公となったマスカーニ・ルワンダルは、かがり火の光に照らされ、武具が煌めくその傍で死んだ。
つい4年前にはヴァーヌマを圧倒するほどの兵力を持ち、ダナバンド王国をその影響下に置こうとした、エルワンダル大公国。
栄えるものはいずれ衰える、それを人々に改めて知らしめるかのような、その滅亡……
だがマスカーニの努力は無駄ではない。
でっち上げた古来の儀式と言う名の、時間稼ぎによって女官たちは逃げ出し、その中に彼の子を宿したアイナ・ベルヴィーンが居たからである。
生き残りの中から事情を知る者が、この事実をヴァーヌマに密告し、その翌日にはすべてが明るみに出る。
それを知ったヴァーヌマは昨日に引き続いて更に激怒し、エルワンダル全土でアイナ・ベルヴィーンを捜索させた。
しかし神官アシモスもアイナ・ベルヴィーンも見つからない。
これはこれからエルワンダル地方を統治する、ヴァーヌマにとって非常な痛手となった。
……結婚自体を否定したいヴァーヌマ。
だが貴賤結婚が行われ、神官アシモスが式を執り行い、加えて何人もの騎士が見届け人となっている。
そして新妻のお腹の中には、最後のエルワンダル大公マスカーニの子供が宿っていた。
すなわち世界のどこかに、エルワンダル大公家の嫡出子が居るのだ……
これを放って置くと、時が来て大人になったこの子を誰かが担ぎ、エルワンダル大公家の再興を画策するかもしれなかった。
……例えば。
自由都市を失い、失った多額の税収を取り戻したいヴァンツェル・オストフィリア国の皇帝がこの事を知ったら、この子を利用しないでおくだろうか?
弱まったとはいえ、フィロリア一の大国ヴァンツェル・オストフィリア国は未だに健在なのである。
それがエルワンダルを割譲後に、大義名分を得て攻めてくるとしたら……
エルワンダル内の騎士達も、まだ忠誠を誓うべき対象が滅んでいないと知れば、ダナバンドに対して協力的にならないだろう。
……表では従い、裏では裏切る。いわゆる面従腹背の輩を大量に生み出す。
新たにエルワンダル公爵となったヴァーヌマはこの事実を恐れた。
占領し、自らの領土としたエルワンダルだが、戦争の結果経済は破壊され、領内には不穏な空気が常に蔓延している。
ここに、将来。成人した男の、元大公の嫡出子でも出現されたら……
その後のエルワンダルの混乱は説明するまでも無いだろう。
ヴァーヌマの統治開始から間もないが、既に民衆は嘗て部族大公だった“エルワンダル大公国時代の方が良かった”と噂しているのだ。
今はそれを必死に押さえつけているが、何かのきっかけで抑えの利かない状況になりかねない。
ヴァーヌマはこの状況に頭を抱えた。
◇◇◇◇
―エルワンダル戦争終結から1カ月。
こうして時が経った頃の事だ。
モーザンリップ城の一室に8人の男が集まった。
モーザンリップとはエルワンダル地方及び、旧エルワンダル大公国の都だった町である。
豪奢で知られた美しい城を持つ街で、その中心にある城がモーザンリップ城である。
リズネイ湾を見下ろす、海抜40メートルほどの高台に位置したこの城は、別名“白鳥城”とも呼ばれる。
明け方の、まだ多くの人間が眠りから目覚めたばかりの頃から始まった会議だが、非常に重々しい内容となった。
ヴァーヌマ達は、未だにアイナ・ベルヴィーンも、神官アシモスも見つけられていない。
明るい話題になりようも無いのだ……
まずは会議に参列した者を、上座から順に紹介する。
ダナバンド王国摂政ヴァーヌマ。
軍の指揮を委ねられた伯爵のセクレタリス。
ヴァーヌマの顧問を務める伯爵のビブリオ。
東の騎士館長を務める騎士のスーロニューム。
西の騎士館長を務める騎士パネム。
衛兵長を務める騎士アルマ。
東の騎士館副長のサピーレ。
西の騎士館副長のバルドレ。
会議の席で、ヴァーヌマが7人の騎士達を睥睨ながら口を開いた。
「あれから時間は経った。
まだあの女は見つからないのか?」
“あの女”とは、アイナ・ベルヴィーンの事である。
他の7名は互いに目を見やり、消息を確認するが首を振るばかりだ。
やがてビブリオが意を決したようで、口を開いた。
「あの女の消息はまだ分かりませんが、幾つか目星はついております」
ヴァーヌマは「ほう?」と呟き、目線でビブリオに言葉を続けさせる。
「エルワンダルは多くの国の船が多く寄港します、東は大森林地方、西はアルバルヴェ、北はマルティール同盟。
その内で当時エルワンダルに入港していた船の船籍は、マルティール同盟の船が殆どでした。
そしてフラルダル城陥落時に湾外へと出港したのは、ナシュドミルに向かった船のみ。
ここまで探して見つからないのです。
だとすればあの女は陸路を伝って帝国の内陸に逃げ出したか、さもなくばこのナシュドミルへの船便に乗り込んだ可能性が高いと思われます」
「それ以外の船は無いと言い切れるのか?」
「情勢が安定して以降は、船便の検閲を強化しております。
逃げられる可能性があるとしたら、おそらく戦争が終わってからわずかな期間だけかと……」
「はぁ……結局は分からんと言う事か」
『…………』
「あの女の身元は?」
「はい、女の実家は調べがついております。
摂政様へ忠誠も宣誓しており、内部に我々の手の者も入り込んでおります。
実家を頼ればたちどころに捕まえられます」
「それ以外には?」
「エルワンダル大公家の者は、全員殺害済みです。
そしてベルヴィーン家ですが、こちらも全員討ち死にを遂げております。
ただ一人だけ当主だったシスクトの弟でヨルダンと言う者が生きておりますが、遠く海のかなた、聖地で従騎士についているとの事です。
流石に距離から言っても此処に逃げ込むとは思えません。
ましてやあの女はベルヴィーン家から見れば、不貞を働いた女。
流石に助けを求めるとは……」
それを聞いたヴァーヌマは「なるほど……」と呟きそして腰に下げた煌びやかな装飾の剣を撫でながらこう言った。
「だとしたら貴公等には手分けしてあの女の消息を、引き続き探してもらうしかあるまい」
『…………』
「セクレタリス、そしてビブリオは引き続きエルワンダル領内を監視せよ。
スーロニュームとサピーレは海で逃げた可能性を追え。
身近な所に潜むかもしれんからアルマは、城内の内部を探り続けろ。
パネムは陸路で逃げた事を探れ。
そしてバルドレ、貴公は聖地に向かえ」
聖地に行けと言われ、バルドレは目を見開いて「なんで俺が?」とヴァーヌマに言った。
ヴァーヌマは不愉快そうに眼を細めて答える。
「お前とサピーレのせいで、取り逃がしたのだぞ?
これは罰だと思って諦めろ」
「だ、だけどよ……」
「それにお前達“召喚獣”共が探している、王剣とやらの消息も調べるいい機会だ。
私も野望を叶えるために、お前達に消え去られても困る。
サリワルディーヌとやらを殺すためにも、王剣とやらが必要なのだろ?
そして聖剣も奪取したいと言っていたではないか。
色々と調べ物をするいい機会だ」
「ふ、ふぅー」
バルドレはそう呻くと、他の騎士達の顔を見回した。
その内セクレタリスがニヤリと笑ってこう言った。
「良い機会ではないか、バルドレ。
サリワルディーヌの手から逃れて、間もなく90年になる。
良き主にも巡り合え、こうして復讐の為に力を蓄えさせて貰っても居る。
今の貴様ならサリワルディーヌもおいそれと手出しは出来まい。
王剣の行方を探るいい機会だし、ヨルダンとやらの元に女が逃げ込んでいるかどうかを調べるだけの事だ。
いずれにせよ“しなければならない事”をするいい機会。存分に働いてこい」
セクレタリスがそう言うと、バルドレは諦めたようにガクリと首をうなだれ「分かったよ、アンタの言葉に従う……」と呻いた。
それを見たヴァーヌマはクスリと軽く笑った。
そして、次の瞬間表情を引き締め、一枚の書付を皆に見せた。
これを見たバルドレが「これは?」と尋ねる。
ヴァーヌマは表情を変える事も無く言った。
「アイナ・ベルヴィーンの結婚の見届け人となった騎士の名前だ……全部で5人いる」
「…………」
「分かるな?
あの女と、神官アシモス……そしてこの5人の合計7人。
見つけたら必ず殺せ、生きていては困る」
ヴァーヌマの言葉に2人の伯爵と5人の騎士が頷いた。
その後7人の男達はこの場を後にして、早速仕事にとりかかる。
◇◇◇◇
―同時刻、アウベン河。
エルワンダルの陸地に大きく抱かれた巨大な入り江、リズネイ湾。
その湾内を転々としながら、神官アシモスとアイナ・ベルヴィーンは、騎士ヴィーゾンと共に逃避行を続けていた。
彼等は約一か月の間逃げ続け、そしてもはや一刻の猶予も無く、エルワンダルを離れると決断した。
一行は、今は亡き大公に心を寄せる漁民から船を買い上げ、この細くて頼りない船に帆を張って大河アウベンを遡る。
と、言うのも水の上には関所が無く、比較的自由に航行できる。
……それこそが、彼等がこれまで見つからずに済んだ大きな理由なのだ。
さて会議がモーザンリップで行われている同時刻……
神官とアイナは、船底に積み荷と共に横たわり騎士ヴィーゾンが漁師のふりをして上流を目指していた。
積み荷の中身は、樽の中で塩漬けにした魚である。
エルワンダルではよく食べられる保存食で、村でも食べれば、軍にも販売する。
故にダナバンド軍も、こうした漁師の船は大目に見る事が多かった。
……軍の食糧事情の改善に役立つからである。
その事を知るヴィーゾンは、明け方のまだ薄暗い河を遡りながら、見かけたダナバンドの兵士に愛想よく手を振り、上流を目指した。
彼は河底に竿を差しながら、船底に寝そべる二人に声を掛けた。
「神官様、アイナ様……もう少しでロップの村につきます。
その後は獣道を通って帝国の中に入ります」
それを聞いたアイナは涙ぐんで呟いた。
「ありがとうございます、騎士ヴィーゾン。
この事は決して忘れません。
本当にありがとうございます……」
それを聞いた神官アシモスは「アイナ様、まだ試練は終わっておりません。もうひと踏ん張りですよ」と言って微笑む。
この様子に騎士ヴィーゾンは、溜息を吐きそして周りを見回す。
やがて彼はアイナにこう尋ねた。
「アイナ様、本当に聖地に向かうのですか?」
するとアイナはコクリと頷いてこう言った。
「もう私にとって頼りになる親類縁者は、ヨルダン殿しかおりませぬ。
他の者は皆大公様を裏切り、そしてシスクトに何も手を差し伸べませんでした。
私もヨルダン殿にとって裏切り者の一人かもしれませんが、それでもあの連中にすがるのだけは死んでも嫌です。
どうせこの世に身の置き場所が無いなら、いっそ神の宿る聖地で墓を持つのもよいと思います。
お願いします、せめて聖地に向かう船までは送ってください……」
ヴィーゾンはそれを聞くと、苦しげに溜息を吐き、そしてまた力強く河底に竿を突き入れる。
目指すロップの村はもう間もなくだった。
3人はやがてそこも抜けて南へ、帝国の奥地へと逃げる。
彼等もまた聖地を目指すのだった。
更新に時間がかかり申し訳ございません。
だいぶ構想を練るのに長引きました。加えて会社の都合により色々と引っ張られた格好です。
明日も12時から1時の間に更新しますので宜しくお願い致します。




