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俺の騎士道!  作者: 多摩川
少年剣士修行編
77/147

さらば、友よ……

兜にある、顔面を覆う部分これまでは面頬めんほうと訳していましたが、面頬バイザーとすることにしました。

そちらの方がしっくりくる気がするのです。よろしくお願いいたします。

……練習でも試合でも、先に一本を取られると、後が無くなった気がするものだ。

フィランと俺、互いの前に引かれた開始線を見下ろすと、焦燥感(しょうそうかん)が心を急かす。

……それが恐怖を心に招いた。


「ふぅぅぅ」


呼吸を整える事にした、今はそれが焦燥感と戦う唯一の術だと思う。

だから俺は最初に太く、大きく息を吹いた。


「ふぅー」


そして次に口から(こぼ)れる、細くそして長くゆっくりとした息。

最初の息で焦燥(あせり)を吐き捨て、次の息で恐怖を吐き捨てる

立ち止まり、再び開始線を見つめる。

遠くで審判が「早く来い!」と俺を急かす。

こんな小者はどうでも良いと思い、俺は鼻で深呼吸をした。

……心は平静を取り戻す。


木で出来た剣を(たずさ)え、開始線にやってきた俺。

その俺に対し、フィランは得意げな笑みを浮かべて待っていた。


「随分と支度に時間をかけたようだね。

これからお出かけかな?」


俺を女に見たてた彼の挑発、俺は心にもう一度闘志を宿しながら、笑って彼に答えた。


「殿下は剣では無くて、口が上手く御成(おな)りの(よう)だ……」

「!」


先程俺を嗤った彼の口上(こうじょう)を真似た。

たちまち効果は表れ、彼の顔が真っ赤に変わる。


(しゃべ)るのはやめろ!」


それを見て審判が俺を叱りつける。

フィランの事は咎めないつもりらしい。

なるほど、お前も俺を嫌うのね……

安心しろ、俺もお前が嫌いだよ。

そう心で(うそぶ)いて(つか)を握る指を、確かめるように幾度も動かす。


……やがて時が経ち、審判が望んだように会話が無くなる。

そして時が満ちて、俺と彼は互いに剣を構えた。

そして審判の「始め!」の声と共に試合が再開される。


「イヤァァァッ!」


先に仕掛けたのはフィラン王子、先程の一撃に勢いを得た彼が、自信と尊厳をまとった剣を俺に突き入れる!


「クソッ!」


先程喰らった流し目斬りの影響からか、顔に迫る突きに思わず下がる。

まだ心に動揺があるのか……

剣を立て、足を下げて後退しながら(しの)ぐ。

しかし剣速が早く、そして良く動くフィランの鋭い突き。

このままでは危ないと思った。

防ぐだけだと(つか)まって斬られてしまう!

俺は(すき)の構えに移り、腰だめに剣を構えた。

しかしフィランは先程の手応(てごた)えが忘れられないのか、気にせず剣を突き入れる!

その突きに合わせ、手首をひねり、下から上に巻く様に相手の剣を上げる。


「!」


切っ先がフィランの(かぶと)に向かう、それを嫌って彼は剣を立てて俺の突きを顔の横に逃がそうとした。


(それを待っていた!)


俺はすかさず左足を前に一歩踏み出し、そして上に向けて巻いた切っ先を今度は下方角に巻き直した。

グリップが滑らかに変わり、剣の傾きが変わり、フィランの立てた剣を支点に逆に相手の顔面に突き入れる。


巻き・第2


ガッシャーン

手応えがあった!()()るフィラン。

俺は審判の方を見た。


「…………」


審判は首を横に振った、彼は有効打では無いと意思表示をする。


(浅いとみなされた?)


審判的には満足が行く一撃ではなかったのだろう。

ならば……と俺は追撃に移る!


上から強撃、下から車輪、角の如く構えてからの頭部への突き……

一撃を加え、その一撃から無駄なく次の構えに移って、そこから休む間もなく攻め立てる。

水車の如く回転する連撃の嵐。

攻撃に次ぐ攻撃、クレオンテアルテの様式(ようしき)()……

息を止める、相手を切り崩せるまで、ガムシャラに剣を振り続ける!


()めっ!」


耐えるフィランと、攻める俺との間に一本の棒が差し込まれた。

審判の裁杖が俺の視界を(さえぎ)る。


「ハァハァハァ……」


邪魔されたことに苛立ち、俺はギッと審判の面を睨みつけた。

奴はそれに対し、さらに強い目線で「下がれゲラルド!下がれっ」と命じる。

あまりの横暴に我慢が出来ず叫んだ。


「なんでだよ、止めるんじゃねぇよっ!」

「抗議するな!」

「ふざけんなテメェッ!」

「なんだと貴様っ、審判に文句があるのか!」

「はぁ、ハァハァはぁ……

クソッ!もうすぐ討ち取れたのに」


俺は聞こえよがしに悪態(あくたい)をつき、審判に守ってもらった格好になったフィランを(にら)みつけた。


「…………」


フィランは何も答えず、凄まじい目で(バイ)(ザー)の奥から俺の目を睨み返す。


(フン、守ってもらって(うらや)ましいぜ……)


俺はその目を、心の内で嘲笑いながら開始線に向かった。

その背中に向けて審判が叫んだ。


「ゲラルド警告だ!

次逆らうような真似をしたら失格にする!」


審判がそう叫ぶと、それに力を得たのか、周りの観客が俺にブーイングを盛んに浴びせ始める。

観客も審判も俺の振舞いがお気に召さないらしい。


『審判に対して敬意を持て!』

『それでも貴様は貴族かっ!』


四面楚歌とはこの事か……

試合会場に味方はおらず、視界の隅ではハルダンやオーモンが、観客席で小さく肩を寄せ合っている。


(まぁ、仕方がないか。

周りは俺に対し物騒(ぶっそう)な事を言う、数千人の観客で一杯だしな……)


……俺の数少ない味方。

オーモンやハルダンが、所在(しょざい)なさげにキョロキョロと周りを見回すのが、少し俺に悪気(わるぎ)を覚えさせる。

俺は生まれる前からの記憶も(さら)って、こんな時どうするのか?を考え始めた。


こんな時に……だが、短気な俺には珍しく、心に平穏が訪れた。

……そして、この環境が面白くなる。

意を決した俺は、辿り着いた開始線で「悪役登場だ、皆の者、我に注目……」と芝居がかった言い方で独り言を呟いた。

大見得(おおみえ)を切ってやるよ、皆見てろよ……


この時フィランが俺を睨みつけながら、開始線に近寄る。

俺は彼に向けて人の悪い笑みを浮かべると、観客席に向かって手を伸ばし、天空に向かって何度も手を挙げて見せた。

もっと俺に、罵声(ばせい)を浴びせろ、お前等……

そう言う意味だ……俺は連中を(あお)りたてる。


『…………』


一瞬会場から音が消えた。

俺に向かう敵意が、飲み込まれるように観客席に吸い込まれる。

そして、次の瞬間さらに巨大な敵意が俺に発せられた!


『ふざけんな貴様っ!』

『何様のつもりだっ!』


アハハハ、面白い面白い、あんなに人が怒るのを見るのは久しぶりだ!


「いいね、次は右の席だ!」


俺は観客席の別の場所にも“もっと(ののし)れ!”と煽り立てる。

そこが盛り上がれば別の場所、そして別の場所。

観客席が俺への罵声で満たされると俺は高笑いして、そいつらを指さし、さらに挑発して見せた。

……いい光景だ、人を怒らせるのは嫌いじゃない。


「何をしている?」


呆気(あっけ)にとられた表情のフィランが、俺の正気(しょうき)を疑うような目で差し向けて尋ねた。

それに俺は胸を張って答える。


「今日、俺の名前を、王都の皆にぜひとも覚えてもらおう。

この悪意と危機の中、殿下を倒せば俺の望みは叶う事になる」

「へぇ……大口をたたく」

「……あなたに弱い男と見られる訳にはイかないんでね。

俺の危機を、()退()ける(さま)を、それぞれ楽しんでくださいよ」

 「……()らず(ぐち)か?」

「さぁ……」


俺がそう言うと、彼の目が見る見る内に吊り上がった。

そして、フィランは凄い形相で俺を睨みつける。


ボリ、ボリ、ボリ……

彼が奥歯を()()める音が、ココにまで聞こえてきた。


「ゲラルド貴様!警……」

「さっさと始めろっ!」


審判が俺に警告を発しようとした瞬間、フィランが叫んでそれを押しとどめた。

彼は俺を睨みつけ「お前はこの手で斬ってやる!」と(うめ)くように俺に告げる。


「やれるモンならやってみろ……」


俺はそう答えると剣を天に向けて立てて構えた。

……屋根の構え。

次の瞬間発せらる試合開始の合図、フィランの構えは犂。

互いに足を使って右に一回転、二回転して踏み込むタイミングを計り続ける。

……息を飲む。

強気の発言とは裏腹に、慎重な思いが心に満ちる。


「…………」


屋根の構えから剣を振り下ろす動作を幾度となく見せる。

相手を誘うように……

早く突いてこいと、心で何度となく呟いた。


『…………』


フィランの構えが俺に合わせて屋根に変わる、俺の斬撃への対処を選ぶ。

……弱気をそこに見出した。


「…………」


俺は剣を動かす、その対処の為に、攻撃線を(ふさ)ぐようにフィランの剣が動く。

……まるで俺の剣と糸で繋がったように。

右足を前に動かし、踏み込む。

剣と剣の連動がほどけ、緊張の糸を(たわ)ませた!

グリップを変え、手首を動かし、接近しながら剣が旋回を始める。


奥義・撓め斬り!


『!』


旋回せんとする剣にフィランが素早く反応し、この剣に彼が横殴りの一撃を加えた!

カーン!

木剣と木剣が衝突し、俺の“撓め斬り”が彼の手によって拘束(バインド)される。


「!」

「ぬあああああああああっ!」


王子とは思えない野獣の様な(うな)りを上げ、フィランが力づくで俺の剣を押し込めに来る!


「この野郎っ!」


力でチビに負けるわけにいかない、俺は押さえつけるように鍔迫(つばぜ)り合いを受けて立つ。

ギッ、ギギギッ……

木剣のニスが、ボロボロになり、白い粉となって俺と彼の周りで舞い踊る。


「撓め……斬りは効かないんだよ」

「なにぃ?」

「残念だったな、貴様……ぐぬぬ」

「クソッたれめぇっ!」


力と力、()き出しになった意地と意地……

俺達は兜の奥、(バイ)(ザー)の向こうにある互いの可愛(かわい)げのない目を睨みつけながら、魂をせめぎ合わせる!


「離れろ!離れろっ!」


隣で審判と名乗ったつまらない男が、しょうも無い事を(わめ)()らした。

それを無視して相手を切り裂こうとする俺とフィラン!


「ガキがぁっ!」


次の瞬間俺は裁杖で頭を殴られ、地面に突き飛ばされる。


「何しやがる……殺すぞテメェ!」


地面に這いつくばらされ、俺は激怒して叫んだ。

その様子に、審判が目を吊り上げる。


「ラリー戻れ!

失格なんかで終わらせないぞ!」


フィランは俺を見下ろしながら、審判と俺を制止する様に叫んだ。


「…………」


俺は立ち上がった。

そんな俺を忌々しそうに審判が「審判に対して敬意を欠いた振舞いを……」等と、ゴチャゴチャ周囲に喚き散らす。

それらをすべて無視して開始線に戻った、俺とフィラン。

開始線で対峙するフィランが審判を横目で見ながら「死ね、あいつ……」とぼやく。


「本当だ……」


俺がそう答えると、フィランは初めて俺を見て“フッ”と笑った。

俺も次の瞬間つられて笑う。


『…………』


そして俺達は次の瞬間剣を構え、互いに睨み付ける。

……戦いは、終わってない。


『早く始めろ!』

『うるさいぞ審判!

お前の試合を見に来たわけじゃない!』


観客席が、剣を構えた俺達を見て、俺の処分を願って、試合を中断させ続ける審判に罵声を浴びせ始める。


『審判を変えろ!

戦場に審判なんて居ないんだぞ!』

『俺達は試合を見に来たんだっ。

テメェのスタンドプレーを見に来たわけじゃない!』


騎士階級も騒然となり、審判に向けて容赦(ようしゃ)ない『帰れ、帰れっ』と言うコールが鳴り響く。


『…………』


やがて審判は俺に憎悪に満ちた目線を投げながら、戻ってきた。

そして試合再開の合図を出す。


『わぁぁぁぁぁぁぁっ!』


観客席は盛り上がり、その声に当てられて、俺達の心も盛り上がる。

そして俺達は再び戦い始めた。

押しては引き、引いては押しながら俺達は高速で剣を振るう!

はたき斬り。

強撃。

カウンター。

フェイント。

放たれる斬撃の数は技量に優れる互いの、実力に見合い多彩を極める。

接近してハーフソード。

バインドして剣取り、そこから離れてつけ込み……


「ハァハァハァ……」

「ハァハァ、んぐっ!ハァハァ……」


互いに粘り強く戦い続ける、いつまでも、いつまでも……

俺は彼がこんなにもたくさんの引き出しを持って、俺の技に合わせてくる様に驚愕(きょうがく)し。

フィランもまた苦々(にがにが)し()な目で俺を睨む。

互いが肩で息をした。

苦しそうに幾度も背中が上下した。

観客席が……しんと静まり返った。

世界が俺と彼とを注目する。

熱気が鎖帷子(くさりかたびら)の中に(こも)り。(ひたい)から垂れた汗がホバークに染みを作る。

足の小指の開いていく様にすら神経を張り、剣のわずかな握りの力にも気を配る。

何も考えられない……

そして何が正しい振舞いなのかが良く分かった。

フィランがわずかに剣を右に倒す、そこから俺に向かう攻撃線が見えた。

空中に引かれる一筋の攻撃線。

それを遮る様に頭の横に剣を構え、角のように地面に垂らした。


「止めっ!」


そんな俺達を審判が止める。

開始線に戻れと言いだす。

それを聞いて俺はがっかりして開始線に戻った。

ふと横を見ると、フィランも同じ思いなのか、ひどくつまらない、そして不愉快そうな目で虚空を睨む。

それを見ると、なぜか心に光が差すようだった。

今、この瞬間。決闘を楽しんでいるのは俺だけじゃない。

フィランも俺の目線に気が付き、そしてまた“フッ”と笑った。

そして開始線に立ち、対峙(たいじ)する俺達。

フィランが剣を構える前に俺に声を掛けた。


「ラリー、楽しくないか?」


それに俺は親しみの籠った笑みを返して言った。


「ええ、楽しいです。

殿下、あなたは私から何かを引き出した」


すると彼は、昔の俺が良く知る真っ直ぐな笑みを浮かべて言った


「そうか、今僕たちはポテンシャルを越えている……

君も、僕から何かを引き出した」


そう言うと彼は兜の(バイ)(ザー)を跳ね上げ、額の汗を手荒に(ぬぐ)う。

俺も彼に(なら)った。

汗が拭われ再び降りる、互いのバイザー。

剣を構えたフィランが呟いた。


「ラリー、僕は剣が好きだ」


俺は「僕もです、殿下……」と告げた。

そして俺達は再び野獣のような目つきで互いを睨みつける。

そして審判の声も待たずに激突を始める!

熱気が舞い上がる観客席、そして俺とフィラン!

放たれる鋭い突き、そこに合わせる受け流し!

そこからさらに被せられた受け流し・第2!

首をよじって必死に逃げる俺!


「まだまだぁっ!」


剣を立てて切り刻む、そこに放たれる鋭い突き、そこから側頭部目掛けて剣が滑る!

奥義・流し目斬り!

カッコ悪いがさらに踏み込んで、頭突きでフィランのあご先を打ち抜いた。


ガーン!


仰け反るフィラン、そこにはたき斬りをかぶせる。

それに対して遮二無二(しゃにむに)の片手突きで、俺の胴体を貫こうとするフィラン。

その闘志の前にはたき斬りは途中でひっこめざるを得ない。


「ハァハァ……」


目まぐるしく変わる攻防、腕が腫れ上がり、剣を掴む手が細かく震えだす。

長丁場で握力が落ちていく……


“若者よ覚えておけ、こちらが苦しい時は相手も苦しい。精神の強さはこんな時ほど試されるのだ……”


この時、不意にゴッシュマの声が脳裏(のうり)に響いた。

練習中幾度となく発せられた、彼の経験から出た金言。

その言葉を支えに、俺は自分に言い聞かせる。


(耐えろ、耐えるんだラリー……)


そして息を飲んだ、思わず相手の疲労を(うかが)う。

ところがフィランは疲れていないように剣をかざす。

疲れただなんだと、心に思い浮かべた自分を俺は恥じた。

……そしてその疲れ知らずの、彼の剣の構えが、俺の心に火をつける。


「……ハァッ」


俺は剣を天に向け、そして大きく背中に倒す。


(負けてたまるか、見くびられてたまるか……)


尊厳をかき集め、俺は彼の前に自分の決意を見せつける。

誇り高き、貴婦人の構え……

傲慢(ごうまん)なる、決死の一撃を放つための構え。

フィランはそれを見ると怒りも(あらわ)に突きを放つ。

足を使ってそれを(かわ)し、そして振り下ろした!


クワァァァァン!


フィランの剣の防御の構えの上から、俺はフィランの頭を撃ち落とす。


『!』


たたらを踏んで後ろに下がるフィラン、逃すまいと俺は下から剣を上に跳ね上げる。

相手の手首を下から攻撃する技。

まっすぐ前に伸びた相手の腕に対し、十字に交差させて上に真っ直ぐ振り抜く動き。


切り落とし!


「ギッ!」


この時酷使し続けた俺の足がついに悲鳴を上げた、右足がこむら返りを起こす。

思わず足が止まる……

踏み込みが足らなくなり、剣は手首ではなく、フィランの小指の下を叩いただけに終わる。

ポロリと落ちたフィランの剣、しかし俺の足は言う事を聞かず、俺は足を触ってこむら返りを引きずって歩こうとした。

追撃をするなら今しかない……


「止め!」


審判が無情にも、俺の好機を認めなかった。


(くそ、クソ、クソぉっ!)


忌々(いまいま)しい審判、あの男が俺の戦いを(けが)している。

八つ裂き(やつざき)にしてやりたい。


俺はゆっくりと、それでいて相手に足が限界であることを悟られぬように、努めて普通に歩いて見せた。

……もう時間が無い。

歩きながら、足に力を加え、そして(わず)かに揺すり、こむら返りの治療にあたる……


「殿下、足を使ってください!」


俺のこの様子を見て、ボグマスが声を上げた。

俺の異変に気付いたらしい!

それを無視して俺は開始線に戻る。

そしてフィランの目を見た。

そして剣を構える。

そして試合は再開された……

フィランは足を使って俺を責め上げ、そして俺はそれを懸命にしのぎ続ける。


(チャンスはある、必ずある!)


足をためる、使いどころを間違えればまた足が()ってしまう。

耐える俺、焦りを浮かべながら必死に攻撃を続けるフィラン。

やがて俺は振り下ろして防御した剣を、相手の前目で上に振り上げた。

パッと下がるフィラン、どうやら先ほど見た切り落としをひどく警戒しているらしい。


(ここしかない!)


俺はイチかバチかの賭けに出ると決めた。

剣の構えを右利きから左利き用の握りに変え、そして剣を下に立て、いつも使う鉄門の構えよりも切っ先を自分に近付ける。

そして再び切り落としを仕掛けるような動きを見せる。

その攻撃線を塞ぐように、フィランの剣が俺の剣に引っ張られて動く。

糸を撓ませるように……踏み込む!

地面すれすれ、切っ先が小さな小石を跳ね飛ばしながら、旋回(せんかい)を始める。

何時もよりも右と左の手首の位置を柄の中で離し、てこの原理を使って強引に下回しに剣が回る!


独自の技、影摺(かげず)り・撓め斬り!


ガッシャーン!


凄まじい音を立てて、俺の剣がフィランの手首を裏刃で叩く!


(とった!)


練習で幾度も失敗した下段の撓め斬りが、本番で初めて成功した。

地面と言う障害物に阻まれ、制御が難しいこの技がぶっつけ本番で出来たのだ。

技を食らって引き下がるフィラン、彼はそれでも構えを崩すことなく、俺に剣を犂で構えて見せる。


「……ハァハァ」


俺は肩で息をしながら、一本の合図が上がるのを待った。

試合にブレイクが(はさ)まれる筈だと思って。

審判はそんな俺に言った「浅い!」と……

聞いた瞬間信じられず、思わず審判を見た俺。

ざわつく観客席、そして「続けろ!」と叫ぶ審判。

戸惑(とまど)う俺に、フィランが叫んだ!


「ラリーっ、まだ決着はツイてないぞ!」


その声に思わず顔を向ける俺、するとそこには真っ赤な顔で息を吐き散らしながら、震える手で剣を屋根に構えるフィランが立っていた。


「ふぅーっ、ふぅーっ、ふぅーっ!」


臆面(おくめん)も無く(つばき)を吹き散らかしながら、俺を睨んで闘志をむき出しにするフィラン。

痛みがひどいのだろう、脂汗(あぶらあせ)をポタポタと地面に垂らしながら俺に戦うように(うなが)す。

俺もまた屋根に構えて彼と相対した。


フィランは突っ込む、野獣の様な勢いで!

痛みなど無いと言わんばかりの剛剣を振りかざし、俺の首を狙う!


「くっ!」


俺は動揺したのか、思わず腰が引ける。

そこにのしかかるようなフィランの剣。

フィランの剣は幾度か振られ、やがて地面を叩いて剣を取り落とした。

それを見て審判が「止め!」と叫んだ。

その声を聴いて開始線に戻る俺。


歩きながら俺は、あの一撃が全く彼にダメージを与えていないのではないか?と思っていた。

下から剣を回しても、やはり威力が足りないのだろうか?

それとも、審判が……


ざわざわざわ……

何故か会場がざわつき始めた。

俺はこのざわつきに気が付き、そして何の気無しに先程までいた場所に目を向けた。


……フィランが、手首を(おさ)えてうずくまっていた。


「で、殿下っ!」


俺は走って彼に駆け寄ろうとした、ところが2・3歩走っただけで足がもつれて地面に転がってしまう。

ドウッと倒れる俺。

足が震えて力が出ない。

それでも何とか立ち上がって彼の元に近寄ろうとすると、彼の傍には走り寄ってきた、魔導学園付属校の生徒やボグマスが取り囲んでいた。


「…………」


……敵である、俺には近寄る権利は無いように思えた。

フィランの手から手甲が外され、真っ赤になって(ふく)れ上がった彼の左手首が、人の隙間(すきま)から俺にも見えた。

誰かが殿下の腕に触る度、彼の顔が苦痛に歪む。


「触るな、ラリーに弱いと思われる……」


その中でもフィランは決して衰えない闘志を俺に告げ、そして涙の浮かんだ目で俺を見た。


「……あなたは、あなたと言う人は」


それを見て俺はそう言葉を漏らした。

……敬意と、涙が俺から(こぼ)れる。

やがてボグマスが「お前が、お前が殿下を壊したのだっ!」と叫んで、審判に殴りかかった。

裁杖を持って応戦した審判はボグマスに投げ飛ばされ、そして馬乗りにされた挙句(あげく)ボコボコに殴り飛ばされる。


「恥を知れっ!貴様ぁぁぁぁっ!」

「こ、殺され……うぎゃぁぁぁっ!」


やがて衛兵が試合会場に乱入し、荒れ狂うボグマスを鎮圧せんとする。

引き()がされた審判。

彼は拾った命を無駄にしないためにも一目散でここから逃げ出した。


「待てッ。貴様ぁぁぁっ!」


立ち上がり、追いかけようとするボグマス。

そんなボグマスを阻む衛兵たち、その中の誰かがボグマスを殴りつけた。

そうなるともう止まらない、ボグマスと衛兵が乱闘をはじめ、それに俺の後輩たちが参加して衛兵と戦い始める。

それを止める為にさらに兵士がこの場に突入し、そしてその様子を遠くから見ようとした審判を発見した観客が、今度は審判を追い掛け回し始める。


「はぁ、ハァハァ……」


地面に()いつくばる俺を尻目に、世界は混沌と混乱に包まれた。

ふとフィランと目が合った。

這いつくばる俺と、痛みで地面に座ったまま動けない彼。


『あは、あはははは』


何が可笑(おか)しいのか分からなかった、俺と彼はこの乱闘を見ながら、互いに示し合わせたように笑った。

昔の様に、イタズラが上手くいったかのように……


「ラリー……」


そんな俺に声を掛ける人が現れた。

見上げるとパパとママ、そしてハルダンとオーモンがそこに居た。


「ラリー、もう気が済んだか?」


パパはそう言って俺に微笑みかける。


「はい……お父様。

もう十分です……」


俺は彼が何を言わんとするのかを悟り、そう答えた。

パパは言った「もう試合は終わりだ、馬車に乗ろう」と。

そして無言で俺に伝える。

もう、殿下と戦うのは、辞めて欲しいと……


そして俺は……彼と昔の様に笑い合えただけでどうでも良くなった。

もう敵意は無い。

……憎み続けるのは、自分のガラでもない。

満足したよ、もう全てを出し切った気がする……


俺はハルダンとオーモンの手を借りながら立ち上がった。

締まらない話だが、足がもう限界だった。

俺はこの失礼なガーブ人達に支えられながらこの場に立ち、そして喧騒(けんそう)に満ちたこの場を、足を引きずりながら歩き去る。

そして振り返り、俺をまじまじと見るフィランに向かって「さよなら、殿下……」と告げた。

彼は「ああ、ラリー……」と告げて頷いた。

その顔に、これまでの敵意は無かった。


最後の最後、もしかしたら仲直りできたかもしれない。

……俺はそう思った。


人は殴り合いに参加したいのか、それともそれを観戦したいのか……いずれにせよ俺たち家族とは反対方向に向かって走っていく。

馬車置き場に向かう俺達。

我が家の家紋が付いた馬車は2台馬車置き場に係留されていた。

そしてそのうちの1台の御者台の上にワナウが居た。


「あれ、ワナウ……」

「坊ちゃん、私が港まで送ります」


やがてハルダンが馬車に取り付き、足の踏み台を地面に置きながら俺を馬車の中に誘導する。

馬車の中には、俺の荷物がもう積まれていた。

馬車の中に入り、そして手甲を外し、兜を脱いだ俺。

頭を包むびしょびしょに汗で濡れたタオルをはぎ取る。

……ひどく疲れた。

そんな俺にパパが言った。


「ラリー、後の事は私に任せなさい。

こんな感じで申し訳ないが、貴族の子供の宿命だ。

王子に対してああいう態度に出た以上、何も無いと言う訳にはいかないのだ」

「分かってます。パパ……

だけど殿下は強かった。

決着はつかなかったけど、これで良かった」

「そうか」

「でも、勝ちたかった……」

「そうか……」


そう答えたパパの横をすり抜けるように、ママが外から身を乗り出して俺の頭を抱いて言った。


「必ずあなたは剣で名前を残す!

ラリー、あなたには才能があるの、分かったわね?

今日私は確信したから……修行、頑張って」

「はい、お母様。行ってきます」


涙声で俺は答え、ママも涙ぐみながら俺の濡れた頭を何度も撫でた。

そして馬車の扉は締められ、その寸前にオーモンとハルダンが乗り込む。


「君達、ラリーを河口の港まで護衛してくれ」

「はい、男爵様、(うけたまわ)ります!」

「うむ……」


窓越しにパパとオーモンが会話し、そしてパパが大きく頷く。

そしてそれらを尻目に馬車が走り出した。

俺を見送るパパとママ。

窓からその光景を振り返る俺。


……ママが目に手をやるのが見えた。

それを見て、パパが支えるようにママの肩に手を置く。


「行ってきます、パパ、ママ……」


聞こえないだろうけど、その様子を見ながら俺は馬車の中でそう告げた。

そんな俺達を乗せて馬車が走る、遠くの港に向かって。

俺はこの時、今日この日の事を一生忘れないだろうと分かっていた。

忘れる事が出来ない瞬間が続いた一日。

そして、俺が故郷を捨てた日でもある。

……もうここには帰ってこないだろうと思った。

王家と罵り合って決闘をしたものの末路だ、俺にはそれを受け入れる覚悟がある。

さよなら王都、さよならアルバルヴェ……


◇◇◇◇


―フィラン視点……


こうしてこの年の白銀の騎士は終了した。

決勝戦は“決着つかず”と言う結果だった。

ただし王の個人的な好意により、二人ともに大人になった暁には聖甲銀の甲冑を贈る事が決まる。

つまり二人共に“白銀の騎士”を名乗ることが許されたのだ。


さて、これから色々と、この大会の総括についてを語りたい。

まずは乱闘の発火点となった、二人の事を告げておこう。

まずボグマスは、魔導大学付属校の教師職から外された。

加えて衛兵の治療費を払う羽目になる。

この様にして、彼は今回の騒動の責任を取らされたのである。

ただしそのままフィラン王子の傍に仕える事になった。

そしてあの審判だがお咎めは無しである。

だが、彼はその後翌年から練兵所で見る事は無くなり、人知れず契約を解除される事になった。

これがこの日の乱闘の処分の全てである。


とにかくこの年の白銀の騎士の大会は、長く語られることになる。

なんと言っても、王族初の白銀の騎士誕生。

大会始まって以来初めての、二名同時の優勝。

貴族階級出身者から数年ぶりの、優勝者輩出。

そしてあまりにも少年離れした、二人の名勝負の記憶。

そして……大会始まって以来となる大乱闘による終結と言った、あまりにも伝説的な結末。

大会を見届けたものは、この話を自慢話のように面白おかしく語り、そして見に行かなかった者は、この一連の事件の目撃者になれなかったことを残念に思った。

……そう、残念に思ったのである。


フィラン王子が何とも不満そうな顔で、優勝して帰った時。

ホリアン2世もまた、不満そうな顔で息子を出迎えた。


「お父様、帰りました」

「うむ、随分(ずいぶん)と派手だったな……」


そう言った父の姿に、思わずフィランが「申し訳ございません」と答えた。

綺麗に勝てなかったことを、父は不快に感じているのだろうと思ったのだ。

ところがホリアン2世は言った。


「お前が謝る事ではない、私が行かないでここで見届けると決めた事だ……」


はてどういう事?そう思ったフィランに兄のリファリアス王太子が言った。


「はぁ、俺も行けばよかった。

お前達楽しそうにしてたな」

「どういう事ですか?お兄様」


するとホリアン王とリファリアスは、溜息を吐きながら声を(そろ)えて言った。


『乱闘だよ……』


唖然(あぜん)とした表情を浮かべるフィラン。

思わず父の隣に居る、母である王妃の顔を見ると、シブい顔で隣にいる夫と息子の顔を見ていた。


「陛下と王太子は、いつまでも子供なのですね」


冷たく刺すような目線の王妃、しかしホリアン2世は言った。


「私はかつて軍を率い、一人の男としても立派な男なのだ!

あのような事に興味をもって何が悪い!」

「それは立派でございますが、フィランが栄光を勝ち取ってきたのです。

せめてそれを()めて頂けませぬか?」


するとホリアン2世はたしなめられたことに嫌そうな表情を浮かべ、そして隣に居る息子のリファリアスと一緒に(ウルセェ女だなぁ……)と言いたげに顔をしかめた。

この二人はよく似ているのである。

その様子が面白くて、思わず笑顔になるフィラン。


やがてリファリアスが「フィラン、よくやった」と大仰(おおぎょう)に告げ、隣でホリアン2世がこれまた大仰に頷く。


「陛下!陛下のお言葉でお褒め下さい!」


隣で母がさらにキレた。

ホリアン2世はそっぽを向いて「チッ!」と舌打ち、そしてフィランに向けて「よくやった褒美(ほうび)を取らす」と言った……


「そうではございません!

父親として陛下は暖かい言葉をフィランに(たまわ)らせてください!」


舌打ちによってキレた王妃は更に王を責め立てる。


「言っておるだろうが!」

「それを言っているとは言いませぬ!」


こうして二人がバトルを始めた時、リファリアスがフィランの肩を抱いて「向こう行くぞ」と言ってこの場を離れた。


こうして両親の傍を離れた二人は、こちらに向かって廊下を歩いてきた王太后妃と出会った。

王太后妃は「いったいどうしたのです?」と、フィランに(ささや)きながら、王と王妃の喧嘩の様子に目を向けた。


「お婆様、お父様が舌打ちをしまして……」


フィランがそう言うと王太后妃は「ああそうですか、息子はどうしようもない男です、後でフィオリナ(王妃)に加勢いたしましょう」と事も無げに言い放つ。

子供の頃からヤンチャで鳴らした彼を、王太后は信じて無いのだ。

……そしてそれは正解である。


王太后はバカ息子から目を背けると、今度は打って変わって慈愛に満ちた目でフィランに向き直り、そして彼を抱きしめた。


「殿下、殿下のご勇姿はしっかりと遠見(とおみ)の水晶で確認いたしましたよ!」

「お婆様、ありがとうございます」

「こんなに立派におなりになって……」


そう言って涙ぐむ王太后、幼少期の内向的で限られた人にしか心を開かなかった彼が、こんなにも強い男に育ったことが嬉しいのだ。

フィランはふと王太后に抱きしめられながら気になった事を尋ねてみた。


「ああそうだ、お婆様関係ない話をしてもいいでしょうか?」

「え?ええ、どうぞ……」

「実は、これからラリーと仲直りをしたいのですが、いつ頃彼に手紙を出せば良いと思いますか?」


フィランがそう言うと、王太后は目を真ん丸にひん()いて、次にリファリアスの顔を見た。

兄であるリファリアスも驚いた表情を見せ、そしてフィランに言った。


「どうしてだ?

お前はアイツの事が嫌いなんだろ?」


今度はフィランが驚いて目を見開く番だ。

彼は首を振ってこう答えた。


「誰がそんな事を言ったのですか?

僕の敵はラリーでしたが、僕はラリーを嫌った事は有りません」

「え、憎んでいたとか……」

「ラリーは憎まれるような奴ではありませんが……」


フィランがそう首を傾げて言うと、今度は祖母と兄が慌てたように話し始めた。


「どういう事ですか、リファリアス?」

「分かりません、どういう事でしょう……」


とにかく首を(かし)げたリファリアスがフィランに尋ねた。


「フィラン、お前は嫌いでも、憎くも無いのにあのガキを敵視していたのか?」

「そうですが……」

「どういう事だ……なぜだ?」

「なぜって……僕はこの国一番の剣士を目指していました。

だとしたらラリー倒さないと成れないじゃないですか。

だからラリーは敵なんです。

別に憎くも嫌いでもありません!

彼は僕の友達ですよ?」


それを聞いた瞬間、リファリアスは頭を抱え「お前……あああ、お前は」と言ってあらぬ方角(ほうがく)に向かって歩き始めた。

祖母は「なんてことだ……」と言って、フィランの顔をまじまじと見る。

どういう事か分からないフィランは祖母と兄の様子をただ茫然(ぼうぜん)と見た。

祖母は首を振るとフィランに言った。


「殿下、よくお聞きください。

もうラリーはこの国には居ません……」


フィランは首を傾げた、何を言われたのか一瞬分からなかった。

そんな彼に祖母は言った。


「そしてもうこの国に帰って来る事は無いかもしれません」

「どういう事です?

彼は僕の騎士になるんでしょ?」


フィランは不安で目の奥を満たしながら、祖母と兄を見た。

あらぬ方角に向かって歩いた兄は、フィランを微妙に睨みながら帰ってきて言った。


「あいつはお前に嫌われたんだと思って。

聖騎士になるために聖地に向かった」

「なんで?誰が決めたの……」


そしてふと祖母の顔を見た。

祖母は目を背け、そして微動だにしなかった。


「お婆様が決めたの?」

「王家に剣を向けたのです、ソレは当然……」

「なんでそんな事をしたの!

ラリーは僕の騎士なんでしょ!

どうしてお婆様が決めるのっ!

どうして僕に相談しなかったんだっ!

彼は僕の家臣になるって言ったじゃないかっ」


その言葉に今度はリファリアスが切れて叫ぶ。


()(まま)を言うな!

王家の人間が軽々しく誰かを“敵”だと言うもんじゃない!

今回の件はお前が悪い!」

「ラリーは僕の家臣だ!」

「まだ忠誠の宣誓(せんせい)は済ませていない!

アレはグラニールの息子に過ぎない!

だとしたら家長であるグラニールに従うのは当然だ!」

「だとしても……」

「お前が悪いっ、話は以上だっ!」


リファリアスはそう言ってフィランを睨みつけ、そして二の口を告げるのを決して許そうとはしない。

事ここに至ってフィランはようやく自分が過ちを犯し、その結果ラリーともう二度と会えないかもしれないと言う事に気が付いた。

実感したと言ってもいい。

望まぬ結末に向かって全てが動いていることを知った彼は「皆嘘つきだっ!」と叫んでこの場から走って逃げだした。




フィランが逃げ込んだのは自分の部屋である。

愛猫のルーベンがソファーで寝て居て、フィランは部屋の内側からカギを掛けると「誰も入って来るな!」と叫んでルーベンの傍に近寄った。

そして彼はルーベンを抱き上げると、泣き出ししゃくりあげながら、その長い毛に顔を埋めた。


「に、兄ニャン……」


ルーベンはびっくりしたが、そのまま身じろぎせずそのまま泣かれるに任せて、このまま黙って受け入れた。


◇◇◇◇


事情を知らないルーベンに、フィランが全てを打ち明けたのは、それからしばらく経ってからの事だった。

ルーベンは静かにその言葉を聞くと、フィランに言った。


「兄ニャンはどうしたいの?」


ルーベンはヒビが入って使えなくなり、ダラリと下がった痛々しいフィランの左手を見ながら、そう彼に尋ねた。

フィランは首を傾げながら答える。


「グス、どうって?」


ルーベンは言った。


「ラリーニャンと仲良くしたいの?

それともこの国に居て欲しいの?」


ルーベンがそう改めて尋ねると、フィランは言った。


「ラリーは僕の家臣にするって皆言っていたんだ。

それなのに、僕を無視して……」

「そうじゃニャイニャ、どうしたいニャ?」


フィランは悲しみを口にしたい、だがそれは行動の指針を求めるルーベンの望む回答ではない。

思考の軌道修正を図り続けるルーベン。

やがて少し冷静になったフィランはルーベンに「ラリーと仲直りがしたい」と告げた。

するとルーベンは微笑んで言った。


「兄ニャンしばらく外に行っても良いニャか?

ニャーが兄ニャンの代わりに動いてみるニャ」

「ルーベンが?」


するとルーベンは頷いて、そして窓の方に顔を向けた。

窓を開けろと言う事だ。

フィランはその意図を()み取り、窓を開ける。

そしてその窓枠にスクッとルーベンは立ち、次に申し訳なさそうな表情でこう言った。


「あまり期待しないで待っててほしいニャ」


次の瞬間彼は近くの木に向かって飛び掛かり、その木を伝って下に降りる。

そしてどこかに向かって走り去った。


◇◇◇◇


そしてその日の夜……


「フィラン、開けなさい!」


部屋の扉を開ける事もせず、水も飲まずにいる事でトイレにも行かないで過ごし続けたフィラン王子。

外では祖母と母親が、扉を誰かに叩かせながら、自分に声を掛けていた。

時折他の家臣の声も響く。

その声にますます意固地になって無視を決め込むフィラン。

……その時である。

遠くからぼんやりとした緑色の光がこちらの窓に近付いてくるのが見えた。

奇妙な光景なので目を()らして見てみると、光の主が分かった。

それはたまにラリーが学校に連れてきていた、ウサギみたいな毛を頭に生やした、彼のペットのキツツキだ。

キツツキは足にバスケットを掴んでおり、その中にルーベンと、はち割れのネコが入っている。


「兄ニャン、窓を開けてニャぁー」


ルーベンがそう言ってフィランに窓を開けるよう促す。

フィランは驚き、そして言われるがままに窓を開ける。

キツツキはバスケット毎フィランの部屋に窓から入り、そして床に舞い降りた。

やがてバスケットからルーベンが飛び降り、そしてフィランにこう告げた。


「兄ニャン、急いで」

「ルーベン、これは?」


フィランがそう言うとはち割れの猫が言った。


「話はルーベンから聞いたニャ」

「お前は……ポンテスか?」


ポンテスは子供の頃から知っているネコだし、なんと言っても喋る猫ルーベンの父親でもある。

フィランは何かを期待してその目を覗きこんだ。

ポンテスはそんなフィランにこう告げた。


「王城の傍にイリアンニャンとシドニャンが馬車を従えて待ってるニャ!

急いで抜け出すニャ!」


フィランはそれを聞いて「どうやって!」と尋ねる。

するとルーベンとポンテスは、二人揃って隣のキツツキを見た。

キツツキは眠そうな目を半分開くと得意げな顔でニヤリと笑って言った。


「げ―ゲゲゲ、ぐぅぅわっ(任せておけ、俺は仕事ができるんだぜ)」

「…………」


フィランは、鳥が何を言っているのか分からなかったが、何とかなりそうだと思った。

二匹の猫はそのままバスケットに乗り、その中でルーベンが「兄ニャン、バスケット持って」と言った。

言われた通り猫が詰まったバスケットを、右手で抱えるように持ったフィラン。

そんな彼の襟首をつかんだキツツキは、驚く彼の頭の上で鮮やかな緑の光で輝くと羽ばたいた。

瞬く間に浮かび上がるフィラン。


「え、え、え?」

「げ―げげげげ(じたばたするのだけは辞めろよ)」


そしてバスケットを抱えた王子を抱え、キツツキは窓から空へと飛び出した。


「!」


始めて空を飛ぶフィラン王子、町が城が……すべてが眼下に見下ろされる。


「にいニャン、少しの辛抱ニャ」


バスケットの中のルーベンが、そう言ってフィランを励ます。

フィランはこの光景に恐怖と楽しさを覚え、目をキラキラと輝かせながら夜の生まれ故郷を見下ろした。

王都にある丘を一つ二つと越え、そしてゆっくりと地面に向かって舞い降りるキツツキ。

やがて下に見覚えがある、ホーマチェット家の馬車が見えてきた。

その傍に舞い降りる王子。


「殿下だ、殿下だ!」


馬車からそう言ってイリアン、そしてシドが飛び出す。

その前をゆっくりと降りる王子。


「時間が無いから早く行くニャ!」


バスケットの中のポンテスが、そう言って全員を急かした。

その言葉を合図に、子供達は大慌てでホーマチェット家の馬車に乗り込む。

フィランがその様子を最後尾で見ながら、イリアンに尋ねた。


「イリアン、どこに行くんだ?」


イリアンが答える。


「ラリーの行く場所が分かったんだ!

今から皆でレナ川に行こう!」


レナ川は王都から離れた場所で流れる大河である。

つまり王都から外に出ると言う事だ。

それを心配してフィランが尋ねた。


「街門はこの時間通れないんじゃないの?」


するとイリアンが得意げに答えた。


「夕方にもう届け出を出したんだ。

僕は今夜急用があって、領地に帰るから、街門を開けるようにって。

だから問題ないよ!」

「イリアン、でかした!」


こうして馬車はイリアンが言うように、何事も無く街門をくぐり、夜の闇を疾走する。


「レナ川のどこに行くの?」


フィランがそう言うと、シドが答えた。


「ラリーはここから一晩馬を走らせたところにある、レナ川の渡しから船に乗り換えて海に行き。

そこから聖地に向かう。

だから僕らはレナ川の渡しに向かう!」


それを聞いたフィランは、頷いた。

そこから3人は色々な事を話し合う。


「ラリーに悪い事をしたね」

『…………』


シドがそう言うと、イリアンとフィランは黙ったまま、シブい顔で外を眺める。

やがてフィランが呟いた。


「ラリーは、僕を許すだろうか?」


馬車の中に沈黙が籠る。

そしてその沈黙を恐れるようにフィランが言った。


「まだ友達だと、言ってくれるだろうか?」


不安そうな心、行動した後でやってきた、待ちの時間が弱気と理性を少年達に授ける。

そんな彼等にこの男が声を上げた。


「げ―げげげ、ぐわっぐわ、ぐーわっげ―ぐわっ!(俺に任せろ、誰にでも過ちがある、許す度量が必要だと教えてやる!)」


皆がペッカーの顔を見たそれ聞いたポンテスが言った。


「ペッカー先生がね、俺に任せろって言ってるニャ。

小僧に人生を教えてやるって」


ペッカーはポンテスの超訳に首を傾げたが、大まかな所は合っているので“それでいいや”と思い直し、大きく頷く。

ペッカーのこの明快な回答に勇気を貰った少年達は、少し安堵し、そしてこの中で一人、また一人と眠りについた。


大会の激闘を終えたばかりの夜。

街門を潜り抜けて街の外へと向かう馬車。

馬車は至る所に下げられたカンテラと月明りを頼りに、夜の街道を駆けて行った。


◇◇◇◇


馬車がレナ川の渡しに辿り着いたのは、朝になってからだった。

夜明けと共に乗船が始まった船が、(いかり)を上げて川を下るまさにその瞬間である。


並走(へいそう)して、船の進路と並走して!」


イリアンが窓から顔を覗かせ、御者に細かい指示を出す。

馬車は方向を転換させ、川を下る船と並走して走り出す。

そしてその馬車からペッカーが飛び立った。


朝もやの空を飛ぶペッカー。

そして彼は船に舞い降りるとたくさんの乗客の中から、ラリーとハルダン、そしてオーモンを探し出す。


「げ―げげげ、ぐわっぐわっぐぅぅぅわ(おいラリー、左を見てみろ!)」


空から早速ラリーの声を掛けるペッカー。

ラリーは思わず空を見上げそしてペッカーを見つけて手を振った。


「おーい、見送りに来たのか?」

「げーげげげ、ぐわげぇげーぐわ(そうじゃねぇよ、とにかく左舷に来いっ)」


ラリーは(なんだアイツ?)と思いながら、言われるままに左舷に向かった。

するとそこには、こんな田舎にまず走っていないであろう豪奢な伯爵家の馬車が船と並走しているのが見えた。

しかもその馬車には見覚えがある。

ホーマチェット家の馬車だ……


(……なんで?)


そう思ったラリーに窓からイリアン、シド、フィランと言った面々が顔を出して『ラリー、ラリー、ゴメン!』と叫ぶ。

思わず固まるラリー、その傍にペッカーが舞い降りた。

そしてラリーに言う。


「げ―げげげげ、ぐわーらぐわー(言いたい事があるのは分かる、だけど許してやれ)

ぐわーわーぐわっ、ぐげぇーわぐわっ、ぐげぇーげぇーぐわ(誰にでも過ちがある、もしここでそれを許さないと、一生の友達を失うぞ?)」

『…………』


ラリーは目を泳がした、ここしばらくずっと自分を苦しませた、あいつらの敵意を許せと言うのか?とペッカーを睨んだ。

ペッカーはその目をまっすぐ見ながら言った。


「げ―ぐわ、ぐわーぐわっ(俺はお前が男の中の男になれると信じてる、その為には度量を示す必要だってある)

ぐわーぐわっ、ぐわっぐわっ(今日がその時だ、子供達は過ちを犯し、彼らはそれを悔い改めようとしている)

ぐわーぐわっ?ぎゅわわーらげーわっ、ぐわっぐえ(一度だけ俺の顔を立ててくれないか?そうしたら俺がお前に同行して、お前の修業を支えてやる)」

『…………』

「ぎゅわぁーら、ぐわっぐぅぅぅぅわ(頼むよラリー、この通りだ)」


そう言ってペコリと頭を下げたペッカー。

それを見て、厳しい修行時代、そして共に過ごした彼との日々を思い出すラリー。


「分かったよペッカー……」


彼は、ペッカーの頼みを断るわけにはいかないと思った。

ラリーは心を決めた。

そして微笑むと彼等に手を振って叫んだ。


「殿下、シド、イリアン!

僕らは友達だ、ずっとずっと友達だ。

手紙を書くから、落ち着いたら手紙を書くから!」


その声を聞いたフィランが叫んだ。


「ラリー必ず戻って来い!

待ってるから、皆で待ってるから!」


その声を聴くと、涙が(あふ)れる。

ラリーは涙を流し『殿下が居るのっ?』とか『あの馬車を見ろよ!』と騒ぐ人の中で、手を振って彼等に別れを告げる。

道はやがて途切れ、並走していた道は川筋から遠く離れる。

ラリーは遠く離れていく馬車にいつまでも手を振った。

その胸に万感の思いを去来させて。




今10歳になったばかりの彼等は、岐路に立ったばかりである。

それぞれがそれぞれの道を目指し、ゆっくりと少しずつ分かれていく。

ゲラルド・ヴィープゲスケの道もそのような道の一つを辿る。

流されるままに故郷を離れる若すぎる剣士は、いよいよ武者修行を本格化させる。

様々な思惑にまたがり、彼の少年とも青年ともつかない日々が幕を開ける。



《3章―終わり》


更新が遅れて申し訳ございません。

いつもいつもご覧くださりありがとうございます。

ブックマーク、感想、評価を励みに頑張っております。

どうかよろしくお願いいたします。


これにて少年時代編は終了となります、次からは少し大人へと近づくのでよろしくお願いいたします

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