幕間 ―宿敵(前)
―白銀の騎士を決める大会の2か月前。
アルバルヴェ王国国王のホリアン2世の次男はフィランと言う。
フルネームはフィラン・アルバルヴェ。
実は彼の人気が最近高い。
これには理由があって、昨年9歳の王都セルティナの大会で優勝したその日から、王子は注目の的になったのだ。
加えて彼には人の目を引く母親譲りの恵まれた容姿がある。
更に言うとその容姿に似合うスマートで巧みな剣捌きで、相手を華麗に打倒していくスタイルの持ち主だ。
王族と言う誰もが目を見張る名門の出でもあり、遂に相応しい評判を得るに至ったフィラン。
この様子を見て彼がかつて内向的な少年だったと、誰も思いもしないだろう。
……それほどまでに彼は変貌した。
さて話は変わるが、2カ月後に控える、全国の10歳の少年剣士から今年一番の剣士を決める大会“白銀の騎士”が開かれる。
そこでも彼は、優勝候補の筆頭に数えられる剣士の一人になっている。
誕生して間もない魔導大学付属の剣術学校は、この様に人の目を引く優秀な剣士を育てた事で、今やその名前を、王都で知らない者はいない。
この変化は、彼等付属校に通う生徒の環境を如実に変える。
例えば、こんな風に……
「フィラン様ぁー!」
ここ一年、毎日の事だが、鉄柵の向こうから、女の子達の黄色い声が上がり、学校の敷地内に居るフィラン王子に声援を送る。
彼女達の視線の先では、フィラン王子が迷いも無く、天才的な嗅覚で剣を車輪に切り上げた。
瞬く間に勝利をものにする彼。
その姿に、華やいだ声を上げた女の子達。
更にフィラン王子は次の試合で巧みな足捌きで相手を翻弄し、相手の攻撃線を切った瞬間に鋭い突きを放った。
『素敵……』と呟いて、またしても勝利を手にした王子を見つめる女の子達。
更に試合が終わって兜を解き、タオルで頭を巻いたままの、気取らない素顔を見ただけで、女の子達は悲鳴までも上げた。
「…………」
黙ってこんな視線を浴び続けるフィラン。
恥ずかしい様な、嬉しい様な、面倒くさい様な気持ちに駆られながら顔をしかめると同時にニヤけた。
それを見た幼馴染の親友イリアンが、同じようにニヤニヤしながら声を掛ける。
「王子様……お手振り、し・て❤」
「ブッ、クスクス……イリアン!」
フィラン吹き出しながら彼の名を呼ぶと、そのままイリアンの肩をゴツンと強く叩く。
「イテェ!酷いなぁ」
「お前、ふざけんなよ」
こうして二人がじゃれ合っていると、鉄柵の向こうから「きゃぁー、イリアン様ぁ!」と呼ぶ声も響いた。
それを聞いた王子様も敵討ちとばかりに「イリアン様、お手振り、し・て」と返す。
イリアンはそれを聞くとフフンと笑い、そして女の子の方を振り向いて、大きく手を振った。
上がる女の子の黄色い歓声、そして『おおっ!』と上がる周りの動揺の声。
そして上がる、ボグマスの激怒の叫び!
「イリアン!貴様っ後2か月で“白銀の騎士”だろうがッッ」
調子に乗ったイリアンは、そのままボグマスに連行され、物陰に連れていかれた。
その様子をシドが「アホだ、あいつアホだ!」と言って大笑いする。
王子はゲラゲラと笑い「アハハハハ、あいつは僕を笑い殺す気か?」と言って、皆の中心で楽しむ。
しばらくしてボグマスから解放されたイリアンが、ブスッとした顔で戻って来る。
柵の向こうから『イリアン様頑張ってぇ!』と言うエールが送られ、それをシドやフィラン王子が茶化す。
これが昨年からの彼等の練習風景だった。
……思い上がるな!と、言う方が無理だろう。
それに思い上がりは、悪い事ばかりではない。
少なくとも内向的だった“イケて無いズ”の3人を、人当たりの良い“イケてるトリオ”に変え切ってしまうほどに影響を与えている。
そのため彼等の身内の中では、この変化をポジティブに考えている人も存在した。
まぁそれはさておき……
彼等の前に現れ始めた女の子の取り巻き。
最初は馴れなかった黄色い声も、聞きなれてくると純粋に嬉しい少年達。
イリアンに至っては、最初は「あの子達は剣を分かっているのかなぁ?」と言っていたにもかかわらず、今は“コレ”を大いに楽しんでいる。
……コイツが一番変わったと評判だ。
さらに言うと変わったのはこの3人だけじゃない。
周りの生徒も人気者の一員になれた気がして士気も上がったし、練習に熱も入れ始めた。
そして栄光に輝く先輩達を、後輩達は敬いだす。
自分達も、いつかこんなふうにキラキラした存在になりたいと思ったからだ。
そんな後輩達の視線を浴びて、ますます剣術に、そして練習に熱を入れたフィラン達。
強くなる事が誇らしく、そして今一番楽しい。
その姿に幼い頃、本棚の傍の片隅に、わずかな居場所を求めていた彼等の面影は何処にもない。
剣と言う暴力の芸術を学ぶことで、幼い頃諦めていた輝くほどの居場所を手にした3人。
さらに言うと、フィランにとっては、優勝したことで他にも手に入れた良い変化がある。
あの、あまり剣に熱心ではなかったイリアンやシドが、今や熱を入れて自分と同じように剣術に取り組んでいるという環境である。
切磋琢磨する事で、ますます友情の絆を深めていく3人。
今や彼等は剣術に関しては、自分を中心に世界が動いているとさえ感じていた。
3人で剣の事を“あーでもない”し“こーでもない”と話していると、決まって思い出す顔がある。
今ここにいないもう一人の親友、ゲラルド・ヴィープゲスケ、つまりラリーだ。
2年前まで、この3人に、ラリーを加え彼等を、周囲は“4馬鹿”と呼んでいた。
今その4番目の席には誰も居ない。
……フィラン達とゲラルドの話をしよう。
先程から何度も述べている様に、フィラン王子はもともと内向的で寡黙な性格だった。
あの日の自分が今の社交的な自分を見たら、きっと信じられない思いで見つめるだろう。
何をするにも強烈で、我が強い性格の父と兄に挟まれ、自分に自信を持てなかった幼いフィラン。
自分に対する絶え間ない不安が、常に心の中で首をもたげる。
祖母以外はいつも自分を迫害する存在だと思っていた。
本が好きで大人しい彼は、親が連れてくるたくさんの貴族の子供達と全く打ち解けなかった。
そしてせっかく来た子達を放って置いて、ずっと部屋の片隅で本を読むような問題児でもあった。
そんな彼に、友達が出来るはずもない。
皆つまらないから、王子を置いて何処かに行ってしまうのが常だ。
そんな彼にも遂に理解者が現れる。
今となっては信じられないが……同じく本が好きで大人しかったイリアンだ。
イリアンはホーマチェット伯爵家出身である。
そして元々王党派の貴族の中でも、特別有力で王と仲が良い家の一つがこの家だ。
その跡継ぎが王子とも相性が良い……
その様子を見て、ホリアン王は(自分との中が良好な親の子供は、王子との相性も良いのではないか?)と思った。
……もちろん、ただの“偶然”である。
が、これがホリアン2世にとっては天啓に思えた。
彼はこうして“偶然”に活路を見出す。
当時の王は、それ程までに内向的な息子の為に頭を悩ましていたのだ。
そこからさらに一年ほど時が流れ、政情不安に陥った、聖フォーザック王国から、アルバルヴェ王国に、別の子供が疎開してきた。
聖フォーザック王国王家、ネリアース家出身のイリアシドである。
ところが肌が浅黒い彼は、その他の子達と違う見た目のせいで、残酷で容赦ない子供達から迫害され、そこから逃げるように王子の傍で大人しく本を読むようになった。
……流石に此処で暴れる貴族の子供はいなかったからだ。
とは言え、この王子の周りの狭い世界から出ると途端にイジメられてしまう。
自然と仲良くなった彼等はそれを嘆き悲しんだ。
貴族と事を構えたくない騎士も兵士も侍従も、誰もこの押し込められる子供達を救ってはくれない。
……彼等はますます内向的に引き籠る。
そんな彼らの運命を変える友人が現れた。
インテリの名門、魔導士の頂点、そして……王に子分として振り回されること30年以上のベテランのグラニール・ヴィープゲスケ男爵の次男ゲラルドがやってきたのだ。
王はとにかく、グラニールの息子を試したかったらしい。
彼はきっと上手くいく筈だと頑なに信じ、渋るグラニールに無理やり息子をダレムの山荘に連れて来させ、王子に引き合わせる。
家で筋トレに励み、とにかく元気だと評判の、グラニール・ヴィープゲスケの次男。
引きこもりの息子を変えるなら、こんな活発な子と友達になったら変わるのではないかと思ったホリアン2世。
……実は、この子がとんでもない爆薬だとは知らない。
さてそんなゲラルドだが、この子を初めて見た瞬間王子は思った。
(コイツとはきっと仲良くできない……)
明るい顔立ち、元気な声、そして大柄で逞しい体。
全部自分達とは正反対である。
一生懸命話しかける彼に、なんとなく苦手意識を持って避けたフィラン王子、そしてイリアンにイリアシド。
ただそれでも殆ど家族みたいに身近なグラニールの息子なので愛称の“ラリー”で名前を呼ぶことにした。
以後彼の愛称は“ラリー”となる。
彼はやがて、他の子達と同様に、自分の傍を離れた。
この時は他の子達と遊ぶのだろうと思っていたが、彼は戻ってくると得意げな顔で喋る猫を連れてきた。
……次の瞬間猫は他の子達に強奪されたが、それでもこれがきっかけで少し仲良くなったフィランとラリー。
出会った日に分かった事だが、このラリーは侮辱されたら一発で切れる、瞬間湯沸かし器の様な性格の持ち主だった。
ただし彼はイリアンにもシドにもフィランにも優しかったし面白かった。
彼が牙を向けたのは、シドをこっぴどくイジメていた、ルシナン伯爵家のラーシドに対してである。
2歳も年上で、しかも4人の友達を引き連れたラーシドに一歩も引かないラリー。
それどころかたった一人で瞬く間に5人を蹴散らし、自分達を守ってくれるラリー。
3人はその強さに驚く。
……次の瞬間、ラリーは父親の怒りを恐れてしょげ返って居たが、逆にそれが親しみを3人に与えた。
こんなに強い子でも、怖いものがあるのだ。
その事に安心感を覚える3人。
こうしてラーシド・ルシナンにいい様にされていた彼等は、頼れる庇護者を友人として得た。
そんなラリーだが、見た目通り活発で、面白く、相当に個性的な子供だった。
しかも話してみると勉強も出来るのか、本も好んで読む。
なので、珍しく初対面なのに話が合ったのだ。
こうしてわずかな時間が流れた後、彼等はとても仲良くなれた。
ところがだ……その夜、伯爵家の御子様と喧嘩した罰として、ラリーは父親のグラニールに監禁された。
そこでフィラン達3人は、皆でラリーを助けに行く事になった。
ラリーは屋敷の二階にある、外からは簡単に鍵が開く、改装中の部屋に閉じ込められていた。
簡単に鍵を開け、目的を果たした3人。
そして助けられたラリーは、早速フィラン達に信じられない提案をする。
これから脱走して、屋敷の外にいる王太子と合流しよう!と言ったのだ。
これまでひたすらおとなしく、そして真面目だった彼等は戸惑う。
これまで大人の言いつけを破った事なんて無かったからだ。
ところがそれを聞いたフィランは、何故かきっと何か楽しい事が起きると直感した。
そこで彼はラリーの誘いに乗る。
そんなラリーに促されるまま行った初めての脱走、そして羊に追い掛け回される体験。
疲れ切って空っぽになるほど笑い、そしてワクワクドキドキした冒険の一夜……
4人は興奮し、そして常に一緒に居る事になった。
こうしてラリーは、少しずつ3人を変えた。
外の世界に出る勇気は、ラリーと言う突撃力のある少年からもたらされたのだ。
彼等はともに同じ剣術の学校に通い、そして彼等はやがて、ラリー無しでも外に出る勇気を持つように変わる。
そしてフィラン王子は少しずつ、剣術を好きになり始めていった。
決定的だったのは、魔導大学本校が開校した時のパーティだ。
この時、ゲラルドの姉が作ったという、攻撃能力はないが不気味な怪物にしか見えない、偽ポンテスと呼ばれる魔導人形がこのパーティで暴れ出した。
それを皆で退治しようとフィランは提案し、子供達は武装して偽ポンテスと交戦する。
ラリーは掌を激しい練習で負傷していたため盾役にし、フィランが自分で剣を振るってその首を刎ねた。
……楽しかった、自分が英雄になれた気がした。
これまで習ってきたことは“こういう事”なんだと思えた。
ただし、これまでいつも一緒に自分達と共にあったラリーは、この夜母親に連れられてガーブウルズに剣術修行に行ってしまった。
本人も全く知らなかったサプライズだったと、後に大人達に聞かされる。
だけれどもラリーを失った彼等は、もう内向的なままではいなかった。
シルト大公領からきた新しい後輩たちも居たし、年上の先輩もいない新設校だったこともあって、自分達が最上級生なんだからちゃんとしなければ駄目だと思った。
ラリーが居なくなった学校が、弱くなったと思われたくない。
それならば自分が……と思ったフィラン。
これまで以上に、練習を熱心に取り組む。
こうした日々がやがてフィランに自信と、自立心を授け、それが知らず知らずの内にイリアンやイリアシドの性格までも変えてしまう。
気が付くとフィランは、少年達の中から頭角を現し始め、目立つ存在へと変わった。
厳しく後輩たちを指導するのも、学校内で彼の役目になる。
……だけれどもフィランと言う子供の心は、自分に自信を持てば持つほど乾いた。
そしてそんな時は、決まって幼少期に感じた常に感じる不安が、再び頭をもたげる。
……そんな時、彼は一生忘れられないような事を言われた。
騎士の子達が陰で『王子様に本気になれないよっ。だから負けてあげたんだ!』と言っていたのだ。
それを自分に教えたのは、チリ少年剣士団に所属している貴族の少年である。
……このチリ少年剣士団だが。
これは皆と騎士階級の子供達が通う剣術学校に遠征練習に行った際に起こした、トラブルが元で結成された少年グループである。
遠征先で手ひどく嬲られたラリーが、いつもの如く一発でキレて、復讐の為に最上級生達を学校の壁に目立つように吊るした。
字で見るとあまりインパクトはないかもしれないが、これは当時大問題となった事件である。
この事件以降、騎士階級の子達から狙われたラリーを守る為に、貴族の少年達を組織したフィラン王子。
この時誕生した組織がチリ少年剣士団だ。
構成員は主に貴族の子供達。
そして……この少年剣士団に所属する、貴族の子供達が、主敵である騎士階級の子達の情報を集めて王子に教えた。
……と、同時に貴族の子達もまた、騎士の子達と同様に、自分よりも剣が巧みなフィラン王子の事をそう見ていた。
だから、悲しい事に彼等も、フィランが聞いていないであろう所で、騎士の子達と同じ事を言っている。
……王子に聞かれる事は無いだろうと思った、浅はかな彼等。
ところがそれを聞き咎めた親友の、シドやイリアンがフィランに教えた。
フィランは騎士の子もそうだが、何よりも貴族の子供達の口さがない様子に腹が立ち、全員黙らせてやりたかった。
しかし揉め事を起こすと、自分の立場が悪くなる。
それに彼が心を寄せている、イフリアネと言う少女が仲間内での対立を悲しむのが目に見えていた。
なので我慢をした、悔しかった。
そのうち彼は思うのだった。
(……自分に遠慮して、誰も本気ではないのではないか?)
すると自分の受ける賞賛と、自分の剣の鋭さから自信が失われた。
こうして始まる、苦悩と悩みを抱える日々。
そんなある日、ラリーが帰ってきた。
たった一日だけ皆の前にひょっこり現れたラリー。
背丈は大きくなり、そして前よりも強そうになっていた。
右頬に縦一筋の大きな傷があり、それが年齢に見合わない凄みを彼に加える。
だけども昔と変わらず、お茶目で明るいラリーの様子に皆が盛り上がった。
やがて彼はボグマスに、奥義を教えて欲しいと申し入れた。
ボグマスは未熟な者が、身の丈にそぐわない技を欲するのを嫌う。
その一言で怒り心頭のボグマスが、ラリーを武装させる。
……そしてボグマスは、ラリーと試合を行った。
この試合でラリーの未熟さをなじるボグマス、やはり侮辱されて一発でブチ切れたラリー。
手ひどく打ちのめされ、普通の子供なら戦意喪失するような痛みの中で、ラリーはますます憎悪でランランと目を光らす。
……その様子に、誰よりもフィランは戦慄した。
何がラリーをそこまで頑なにさせるのか分からなかった。
それでも聡い彼は、ラリーが何か大きな敵と戦う準備をしているのだろうか?と感づく。
そんな視線を集め、皆の前で徐々に剝き出しになるラリーの闘争本能……
そして遂にその野生に触発されたのか、ボグマスが少年達の前で、今まで見た事が無い剣を振るった。
その技は手元で旋盤の様に剣がクルンと半回転して、ラリーの手首を叩きのめす。
……奥義“撓め斬り”。
喰らったラリーは動けなくなり、やがて彼は「クソがぁぁぁぁっ!」と叫ぶと、自分の剣の柄頭で自分の太腿を抉り倒し、その痛みで再び剣を構える。
まるで獰猛な狼の様な目で、誰もがたじろぐほどの殺気をボグマスに向けて遠慮なく発するラリー。
やがて彼は強撃を食らって気絶し、そしてようやく抵抗する事を辞めた。
……フィラン王子には、このあまりにも変わり果てた幼馴染の様子が衝撃的だった。
そして直感した。
……このままだと“ラリーに”勝てない。
そしてイフリアネの視線が、ラリーに対して熱を帯びているようにも思える。
それが彼の感情を、逆撫でする。
そしてこの一戦の様子は、なんと父親の耳にも届いて居たようで、夕食時の話題に上った。
そしてそこでも、父はフィランよりもラリーが強いのだろう?と言う内容の事を尋ねた。
嫉妬した、生まれて初めて。
そしてラリーは自分を脅かすのだと思った。
この瞬間、強烈に思った。
ラリーより強くなりたいと。
ラリーに負けたくないんだと……
更に苛立たしい事に、あの一戦でボグマスもラリーを特別視し始めた。
自分の弟子ではもう無いにも関わらずだ。
……怒り狂ったフィラン。
ボグマスに対して、その事を強くなじった。
ボグマスはフィランの思いを汲み取り、フィランを育てる事を約束する。
この時からだ、フィランがラリーは敵だと公言し始めたのは。
ラリーは来年“白銀の騎士“に出場するため、王都に帰還する。
その時までに、どんな事をしてでも強くなりたかった。
彼はそこでラリーの情報を集め、そしてラリーに対しては、自分達の情報を出来るだけ与えないようにした。
ラリーを倒す、それだけを目標に自分の剣を、そして練習を見つめ直す。
その為にガーブウルズにも、スパイを送り込み、そしてラリーの消息をこっそり調べ上げた。
そこで分かったのは、およそ貴族の子供とは思えない、野生的なラリーの生活だった。
まず彼に与えられた家は男爵家の住処とは思えない、質素な家。
そしてなんと彼は、身分を偽りゴブリン狩りに従事してお金を稼いでいた。
服も、装備品もハンドメイドで作り、顔役と言う、いわばゴロツキの親玉に可愛がられている。
叔父のバルザック男爵の命を救った事で、ガーブの騎士や剣士から愛され、一目置かれており。
相変わらず喧嘩っ早くて、ハンターギルドで面倒を起こしている。
そしてラリーと交戦し、例の頬の傷の与えた“母無し子”とか言う、ソードマスターまでも討ち取った、有名なゴブリンの存在。
こうして、ガーブウルズに派遣したスパイからは、読み応えのある報告書が、盛りだくさんで返って来た。
見た瞬間、まるで英雄譚の様だと思った。
報告書に触発され、子供の頃本の虫だった自分の愛読書を思い出すフィラン。
そして報告書を見ていると、フィランはラリーに対しての怒りが消えた。
やっぱりラリーは面白い。
そして思った……
(彼に勝てたら、自分はもっと変わるのではないだろうか?)
あんな獰猛な野獣に勝てたら、自分を見る周囲の目も変わる。
フィランはラリーと戦い、勝利者となった自分の姿を想像した。
……それだけで、楽しい気持ちで満たされた。
これは意外だった、そこでなぜこんなに楽しいのか?
やがて彼は閃く、これがあの英雄譚にある“宿敵”と言う存在なんじゃないだろうか?と。
古くからの友人であるラリーに、フィランは苛立ちを覚えてはいた。
だが憎しみまでも抱いた事が無い。
だけれども彼に勝つと想像しただけでこんなに、胸がすく思いに駆られるのはどういう事なのか?
これがあの英雄譚にある“宿敵”だとしたら納得が出来る気がするのである。
そう思うと何故ラリーが苛立たしいのか、その訳が分かった。
「……そうか、そういう事か」
この仮説が立った後、思考が驚くほど繋がる。何度想像してもゲラルド・ヴィープゲスケに勝つという事が、とても素晴らしい出来事のように見えた。
そう思うと、居ても立ってもいられない。
さっそく部屋の中央に立ち、構えを取るフィラン。
一人部屋の中で剣を握り込む真似をし、ギラギラとした目をした、ラリーの影と対決する。
踏み込めば掴みかかり、遠のけば狼の様に飛び掛かるラリーの影。
それをいなし、はたき斬りに討ち取る。
「…………」
その瞬間“コレだ!”と思った。
自分を脅かすものを、自分の剣技で討ち取った。
なんという充足感、なんと言う歓び……
次にフィランは、目的に向けて剣に対するアプローチを変える必要があると考えた。
妄想で遊ぶのはもう辞めた。
想像する事で大いに心を昂らせた彼は、次の瞬間ラリーを超えるにはどうすればいいのか?と、現実的に考え始める。
フィランは時間をかけて一人考えた、そして報告書にあった一文に目を止める。
……ラリーが参加したと言われるゴブリン狩りの記述だ。
つまりラリーはここで実戦経験を積んだのだと閃いたのだ。
そこで自分も実戦経験を積めば強くなれるのではないか?と考えた。
ゴブリンは人間を食う、しかも子供は特に喜んで食べたがる。
そんな危険な存在と戦うなんて正気の沙汰ではない。
だけれどもフィランはそれに挑まなければ駄目だと思った!
少なくともやってみなければ、修行の有効性を確認できない。
そこで彼は兄であるリファリアス王太子に相談した。
王太子は最初この話を聞いた時に驚き、そしてラリーに勝ちたいという、彼の告白を聞いて大いに悩む。
……そして最終的には、ボグマスと一緒ならと言う条件付きで許可を出した。
もしここで弟の望みを撥ね退ければ、また昔のように、内向的な子供に戻ってしまう気がしたからだ。
そして王太子は自分の所領である、ラール・アルバルヴェ公爵領に弟を連れて行った。
父には狩猟に参加させると言ってある。
そこでフィランは命がけで剣を振るい、ゴブリンと戦った。
そして何日もゴブリンを追跡し、これまで足を踏み入れた事も無い、酷く簡素な山小屋で寝泊まりを繰り返す。
山小屋では、夜ごと眠りを邪魔する様に、自然の猛威が音を立てて窓を殴りつけた。
朝起きると山小屋の周りで熊が、自分達を襲う為に色々と嗅ぎ回っていた。
どれもこれもが、これまで想像も出来なかった環境である。
こんな環境にラリーが慣れているのかと思うと、正直絶句する。
それと同時に、だから強くなったのかと、合点もいった。
こうした後に獲物を捕捉し、交戦するゴブリン狩りの過酷な日々。
こうして積み重なる、殺されまいとする野生と戦うという経験。
そしてラリー同様。変貌し始める、フィランの剣。
彼がゴブリン狩りをしていると知らない父は“アノ”息子が狩猟に夢中になって顔つきが変わったと驚き。
逆に協力者である兄のリファリアス王太子は「やるならあのガキに負けんな!」と発破をかけた。
こうして鋭さを増す王子の剣。
やがて誰も王子の技量を疑わなくなった。
誰しもが王子は強いと噂するようになったのだ。
こうした努力の後。
9歳の大会で、彼は遂にセルティナで一番の剣士となった。
女の子の黄色い声を浴び始めるフィラン。
その日々の中で王子の胸の内で満ちる、幼馴染へと向けた、ある種の明るい敵意。
……ラリーに向ける敵意は彼の剣を支えると同時に、人知れず彼の楽しみだった。
いつか来る対決の日を楽しみにし、そして恐れる、王子。
◇◇◇◇
さて“白銀の騎士”まであと2か月と言う頃、先程女の子に手を振ったイリアンが、ブスッとした顔でフィラン王子に言った、
「あいつ(ボグマス)がさ、夕方知り合いが来るから、それまでにあの煩い女共を出て行かせろ、ってさ……」
それを聞いたフィラン王子が「観客が居た方が練習に身が入るって言えばいいのに」と言って笑う。
するとイリアンが被りを振るって言った。
「なんでも塩街道の勇者ゴーシュって男が来るそうだよ。
マスターじゃないけど、ガーブウルズでは知らない者が居ない程の剣士なんだって」
「塩街道の勇者?へぇ……」
フィランはその名前を聞くと、人の悪い笑みを一つ浮かべた。
その様子を見てシドが「知ってるの?」と尋ねる。
「ああ、塩街道の勇者の名前はゴッシュマ・グラガンゾ。
(バルザック)男爵に、騎士に取り立てて貰った成り上がりだ……
剣が好きで、実際に巧みだが、ほぼ実戦で学び取った剣の為、剣筋は荒く、そして実用的。
ガーブ軍の斬り込み役として、先々代当主アルローザン・バルザックに重用され、バルザック家の忠臣として名高い。
レスリングとダガーはガーブ随一の腕前と呼ばれ“死ぬまで死なない男”とか呼ばれている」
イリアンはそれを聞いて吹き出し「頭痛が痛い的な?」と言った。
フィランは「僕が言ったわけじゃない」と言って笑い、そして言葉を続けた。
「そして“アイツ”の今の師匠がこの塩街道の勇者だよ……」
『…………』
その言葉に、イリアンとシドが黙る。
フィランはその重たい沈黙の中で言った。
「ラリーの実力を見定める絶好の機会だ……」
その言葉に反応してシドが言う。
「殿下、どうしてラリーがそこまで憎いの?」
すると今度はフィランがびっくりした顔で言った。
「僕はラリーを憎いと思った事は無いよ?」
その言葉にイリアンとシドが驚いて目を見合わす。
そんな二人にフィランは言った。
「ラリーは僕らの友達だろ。
憎い筈が無いよ、だけどアイツは僕らの敵なんだ」
イリアンとシドは、黙ったまま再び目を見合し、そして首を傾げた。
そんな彼等にフィラン王子は言う。
「ラリーは狼の家の剣士で、僕ら魔導大学付属校の剣士とは対立関係にある。
それに僕は本気で“白銀の騎士”に成ろうとしている。
だとしたらアイツは僕の敵じゃないか?
だってラリー倒さないと僕は“白銀の騎士”に成れない。
憎いからラリーをアイツと言っているんじゃない。
僕は僕の栄光を望んでいる、その為にアイツは倒さなければならない敵なんだ」
『…………』
「それだけだよ?憎しみなんてないよ」
その言葉に何か病気めいた何かを感じ、思わず頭を抱えるイリアンとシド。
やがてイリアンが言った。
「そんなのおかしいよ、だってラリーは僕らの友達なんだろ?
そんな事されて、ラリーが可哀そうだと思わなかったのかよ?」
「何が可哀そうなんだよ?」
「それが分からないのかよ?」
「分からないから聞いているんだ!」
その言葉に珍しくイリアンが不愉快そうに、後ろを向き、虚空に向けて目線を投げる。
その様子にフィラン王子の機嫌も悪くなり「イリアンこっち向け!」と叫んだ。
間に入ったのはシドである、彼は「殿下、ちょっと僕の話を聞いて、イリアンの話はその後にして」と言って、イリアンの後頭部を睨むフィラン王子の顔を自分に向ける。
「ラリーと実は、昨年まで手紙のやり取りをしていたんだ……」
「何っ?」
「今はしていない!
昨年の冬までだよ!
ラリーはしょげていた、殿下の振舞いにアイツは傷ついていたんだ」
「だから?」
「……あのさぁ。
もし殿下がイフリアネからあんな風にされたら傷つくだろ?
痛いでしょ?それが嫌だよね……
それが分かっていたら、どうしてラリーをあんな風に痛めつけるような真似をしたの?」
「ふぅ……僕は学校の事を考えているんだ」
「そこまでする必要はないよ。
だったらそこまでする必要は無いじゃない。
こんな事言うのは失礼かもしれないけど、僕らはラリーが好きなんだ、なのに彼に憎まれたのはこのせいなんだよ?」
シドのこの言葉にフィランは「全部僕のせいだと言いたいのか?」と言って、目線を横に投げる。
シドは必死になって言った。
「そうじゃないよ!
頼むから僕とイリアンを納得させてよ!
仲違いしたまま僕らは友人を失いたくは無いんだ。
殿下はラリーともう一生会えなくても良いの?
僕達は親友だろ?
他の人に言えないことも相談したじゃないか……」
その言葉にフィランは「昨年まで手紙のやり取りをこっそりしてたのにか……」と、不機嫌そうに吐き捨てた。
思わず黙るシド。
この時、空を見ながら話を聞いていたイリアンが向き直り、黙ってフィランを険しい目つきで見つめた。
その視線で正気を取り戻すフィラン。
やがて彼は溜息を吐くと言った。
「僕はラリーと真剣勝負して勝つつもりだ。
僕は彼の本気を引き出す……」
『…………』
「今日までの事はアイツに手加減をさせない為にした事だ。
白銀の騎士が終わったら、彼に謝罪して仲直りをする。
それで良いだろ?」
シドもイリアンも“良くないよ……”とは思ったが、此処で妥協しないとフィラン王子が意固地になって収拾がつかなくなると思った。
それを理解する程に付き合いが長い彼等は『うん、終わったら皆で謝ろう……』と言って、罪と罰を分け合う事を誓い合う。
そして互いに、この理解しがたい感情を激突させないように、唇を噛み締めた。
「あ……あのう先輩方」
気が付くと3人で口論していたため、周囲を後輩たちが囲むように見ていた。
その中からリジェスが彼等に声を掛ける。
「お客様がお越しのようです……」
「分かった……」
イリアンがそう言って、この場を離れた。
残されたシドとフィランは、声を張り上げた事を後悔した。
辺りを包む、自分達を恐れるような後輩たちの視線、そしてこのいたたまれない雰囲気。
……そして広がる重々しい沈黙。
そうした沈黙が広がる中で、少年達は一人の老剣士を迎えた。
明日残りをアップロードします。
長くなり申し訳ございません。