冬が来る前に……
―ラリーがガーブウルズに帰還した翌日
ママの出産が始まった。
何と俺が帰還した翌日陣痛が始まったのだ。
当然だが、あまりにも急な展開に、俺とパパはパニックである。
そんな情けない俺達とは違い、バルザック家の方では産婆経験のある、使用人のスケジュールを抑えてくれていた。
「いた、痛た……」
「ママ、大丈夫!」
「破水が始まった……
マルキアナに知らせて……」
事情が分からない俺達はママがそう言って苦しんでいるのを見て、アホみたいにオロオロするばかり。
やがてパパは「私が行こうか?」と聞いた。
「あなたはこの家(バルザック邸本宅)の造り(間取り)が分からないでしょ!
痛たたたぁっ!」
パパの親切は罵倒となって返されました。
苛つくママの犠牲者となった、可哀想なパパ……
パパは次の瞬間、俺に顔を向ける。
うん、俺に行って来いってことだよね。
「マ……お母様を支えて下さい、叔母さんの所に行ってきます」
俺がそう言うとパパは額に汗を浮かべながら、「ああ……」と言って頷く。
「だ、大丈夫か、ラリーを今行かせるから」
パパはそう言ってママの手を握りしめた。
俺は離れの家を飛び出し、急ぎバルザックの本宅に走る。
途中の炊事場で、ワナウがお産に使うお湯を沸かすのを見ながら、俺は勝手知ったるバルザック邸を、叔母さん求めて走り回った。
叔母は書斎に居た。
俺の話を聞いた彼女は、全てを了解していたようで、急ぎ老いた使用人の老婆を呼び寄せる。
聞くとこの人は産婆の経験もある、ベテランさんだそうだ。
この老婆を連れて離れの家に戻った時から我が家の長い一日はいよいよ佳境を迎える。
痛みで悶えるママと、役立たずな二人の男と産婆を詰め込み、部屋は新しい命の誕生を招こうと、運ばれたお湯や、煮沸されたばかりの暖かいタオルを抱え込む。
こうして男爵が住むとは思えない、オンボロの離れの一室で、男の子が生まれた。
崩れかけてしまった家族を繋いだ、鎹の様な男の子……
「はは、また男の子だ!
女ばかりの我が家の勢力図が変わるなっ」
パパはそう言って、生まれたばかりの子供を抱いて大はしゃぎである。
……ああ、パパも女共の横暴に手を焼いていたんだね。
生まれた子供は、早速泣くのが仕事とばかりに泣き始める。
「おぎゃぁー、おぎゃ、おぎゃあぁっ!」
「アハハ、ラリーの時はちっとも泣かなかったがお前は違うなぁ」
パパがここまではしゃぐのは初めて見た。
俺はそれを見ながら尋ねる。
「お父様、僕は泣かなかったんですか?」
「ああ、まったく泣かなかったな。
ただし、生まれつすぐに刃物を振り回したりと……
あの時から、今を彷彿とさせたな……」
え?何その危ない子。
生まれついてのシリアルキラーみたいじゃん……
これを聞いていた、出産したばかりで疲労困憊状態のママが言った。
「私の部屋の扉を、ナイフを咥えたラリーが叩いたのよ。
あの時程驚いたことは今でも無いわ」
そう言うとママはパパをじろりと見た。
パパはスッと目線をずらし、そして生まれたばかりの俺の弟を、必死にあやし続ける。
……ああ、パパ俺それ覚えてるよ。
それミランダ事件の始まりだったよね……
そう思って顔を伏せるとママは腹立たし気に「チッ!」と舌打ちした。
ママは目線一つで男達をビビらす。
思い出におびえ、不逞な夫と息子は委縮した。
「ラリー、私はあの時本当に心配したのよ」
え、俺?
パパの代わりに怒られてる?
あ、はい……すみません。
とばっちりから逃れたパパが、我関せずとばかりに弟をあやすのが腹立たしい……
「それでは皆様、奥様はお疲れですから、男は皆本宅の方へ……」
ここで産婆さんが絶妙なアシストをして、俺達を外へと退出を促した。
「ラリー最後に抱っこしてみるか?」
この部屋から追い出される寸前、パパが弟を俺に差し出した。
「うん……」
パパは静かに微笑むと、俺の腕に赤ちゃんを抱かせる。
「なんか変な匂いがする……」
「乳臭いだろ?赤ちゃんの匂いだよ……」
以前嗅いだことのある匂い。
生まれる前の記憶がすこしだけ甦った。
赤ちゃんは俺の腕の中がお気に召さないのか、パパの時よりさらに激しく泣き叫ぶ。
その声を聴くと軽い赤ちゃんの体重が、俺をひどく動揺させた。
……壊してしまいそうだ、不安が胸を襲う。
「アハハ、ハイ坊ちゃん、預かりますよ。
ほーら良い子良い子、ばぁ」
産婆さんが手慣れた手つきで弟を預かり、そしてあやす。
俺の時は火が付いたみたいだった弟が、急に大人しくなった。
「凄い、産婆さん魔法使いみたい……」
俺がそう言うと魔法使いのウチのパパが、楽しげに笑った。
「アハハ、そう言う魔法の研究を怠ったのは失敗だったな。
私も産婆にはかなわないか!」
パパのツボがいまいち分からなかったが、パパ的には最高のジョークだったようで、彼はゲラゲラと笑う。
その間に産婆さんはママに弟を渡して、眠そうなママを背に、俺達を押して離れの外に追い出した。
そんな訳で、俺とパパは、暖かい部屋を追い出され、寒空に放り出される。
パパは未だに笑いを引きずっており「ああ、可笑しい……」と呟きながら、ニヤニヤと笑っていた。
やがて彼は寒々(さむざむ)しい景色の中で、白い息を薄く吐きながら俺に言った。
「ラリー、ありがとう。
あの子の出産に立ち会えた。
あの子は、まるで私が来るのを待っていたかのように生まれたな」
「そうだね」
「名前を考えよう……
シリウスの時はヴァンツェル(帝国への留学)時代の私の教師から、名前を戴いたんだ。
お前の時はママ(エウレリア)が決めたんだ。
お前の先祖にあたるゲラルド・バルザックと言う剣聖が居てな、その方にあやかったのだ。
だからお前の愛称も最初はその方と同じでゲリィだったんだ」
「あ、それなんか覚えてます。
殿下が僕をそう呼んだから変わったんですよね?」
俺がそう言うとパパがびっくりして言った。
「それを覚えているのか?
驚きだな……記憶力が良いなラリー。
これで魔法が使えたら私の仕事を手伝って貰えるんだがな、まぁ天は二物を与えないか」
「やっぱ使えた方が良かったかな?」
「魔法か?」
「うん……」
「悩むことは無い、これも女神フィリアの思し召しだろ……
やりたい事をやりなさい。
大丈夫だ、お前は私に似ている。
私だって魔導の為、そして誰かの為に無謀な事をしてきた。
自分には魔導しかないと思ったし、騎士爵を継ぐだけでは無く、もっと上を目指していた。
戦争の時代だったから十分チャンスがあると信じても居たしな……
お前には見せた事が無いが、私も魔法なら自信があるんだ。
なぁラリー……今こんな話をするのはおかしいが、一つ話しておきたいことがある」
「なんですか?」
パパは、真面目な顔で地面の赤土を見つめながら呟いた。
「私が駆け落ちしたのを知っているな?」
「うん」
彼の言葉を聞きながら『何故駆け落ちの話?』と、正直思った。
だが俺は静かに彼の告白に耳を傾ける……
「シリウスの母親のシオンは、お前も知っているマウーリア伯爵の娘だった。
6歳年上の美しい人で、私にとっては憧れの女性だった。
彼女は若くして前夫と死別してな、それで尼僧になる予定だったんだ。
それを嘆く彼女が可哀そうで、陛下と一緒になってどうしたら良いのか考えた末に、陛下が私に『留学先に連れて行け』と言った。
それで彼女を連れて、ダレムの山荘から逃げ出したんだ。
今考えると、周りも考えず行った酷い出来事だな。本当に……
シオンには苦労は掛けたが、留学先で明るく振舞ってくれ、私はかねてから一緒に居たかった人と暮らせる幸せを手に入れた。
そしてシリウスも生まれた。
それに、あの日あの決断をしなかったら、未来において陛下を助けられなかった。
マウーリア伯は私の岳父にはならなかった故にな……
本当は尼僧になる予定だった彼女を奪い取った私を、伯爵は決して許そうとはしなかった。
何度も、殺されると思ったよ。
だけど私を許して下さった時、彼も陛下の為に手を差し伸べて下さるようになった。
……何が言いたいのかを言うと。
大変な目に皆を巻き込んだ私だが、実は今でも後悔はしていない。
私が罪深いのは重々(じゅうじゅう)承知だ。
だが後悔はいつも、何もしなかった時に起きるものだ。
だからあれで良かったのだ、私の場合はね。
もちろん、こんな話をマウーリア伯に聞かれたら、今度こそ私は殺されかねないが……」
「…………」
「ただ、苦労を妻に掛けた事は今でも後悔している……そして私は誠実では無かった」
パパはそう言うと、顔を伏せた。
そして長い溜息を一つ吐くと、顔を上げ俺にこう言った。
「お前は私の悪い所と、ママの良い所を受け継いだ気配がある。
若く美しい頃は誰にでもあり、そしてそのころのお前は誠実には生きないかもしれない。
私は今でもそうだが……改めたい。
用心しなさいラリー、女には特に。
後悔しないように……」
なんと言うフラグ立てるんだよコイツ……
そう思って戦慄する俺。
そんな俺に彼は言葉を続ける。
「誠実に生きても、生きなくても人は後悔する運命になる。
遊ぶ者はその事が、そうでない者はそうでない事に後悔するのだ。
バランスを取って、賢く生きろ……
はは、私は子供に何を言っているのか」
パパはそう言って自嘲気味に笑った。
分かってるなら言わなくていいよ、パパ……
俺はそう思いながらパパの気持ちを推し量った。
おそらく今の言葉は俺にも聞かたいが、誰よりもきっと、自分に言い聞かせたい言葉なのだろう。
そう思った俺は、彼の言葉を胸に刻み込んだ。
「いえ、お父様ありがとうございます。
この事は肝に銘じます……」
パパは俺のその言葉を聞くと、俺の頭をぐしゃぐしゃとかき乱し「難しい言葉を知ってるな」と言って微笑む。
「ラリー、話が色々飛んで何を言うべきか私も見失ったが……
何が言いたいかと言うとだ。
やりたい事をやりなさい、やらずに後悔するくらいなら、やって失敗したほうが良い。
だけど、よく考えないのは問題だ。
そういう者は途中大きな宝物を失う、かけがえのない自分の半分をな……」
そう言った後、彼は思い出を見つめ始めた。
虚空の一点を見つめ、そして目に涙を蓄える、浮気者のパパさん。
彼は瞳の涙を零すことは無かったが、それでも強い慚愧の念がその目から溢れ出る。
パパが何に後悔しているかは分からない。
シオンさんの事でも思い出したのかとは思った。
俺は黙ってパパの横に立つ。
そうしていたかった……
俺は隣に居る男の背中から去りがたく、そして男同士だと……良く分からないながらも胸で呟いた。
あの言葉は親から、そして人生の先輩からのメッセージである。
男同士の打ち明け話に、なぜか心惹かれて佇み続ける俺。
多分、今日の事は一生忘れないだろうと、そんな予感が胸に刻まれた……
弟の名前が決まったのは翌日だった。
パパは自分が決めるのではなく、ガルボルム叔父さんに、名付け親を依頼した。
名付け親と言うのは実は重いもので、実の父親と同じ繋がりをこの世界で持つ。
そして叔父さんは、実の息子が生まれたらつけようと思っていた名前を、俺の弟に与えた。
名前はローゼス……ローゼス・ヴィープゲスケ。
祖父のアルローザン・バルザックからつけた名前らしい。
ママは大喜びである、実家との繋がりが感じられる名前は彼女の気持ちをくすぐった。
こうして始まる赤ちゃんと、二つの家族の暮らし。
ローゼスは泣き、そしてよく眠る。
その様子をママも、そしてマルキアナ叔母さんもフィリアちゃんも可愛がった。
二つの家の鎹の様に、人の心をその泣き声で繋ぐローゼス。
1週間は、あっという間に過ぎて行く。
その間にも、叔父さんの家でちょっとした事件が起きた。
パパと叔父さんとで、バルザック家の帳簿を整理した時、大量の使途不明金が発見されたのだ。
叔父さんはさておき、これにブチ切れたのがウチのパパである。
パパは担当者を呼び出して『貴様らはどれだけ適当な事をしているのか!』罵倒しだした。
『お前らがやっているのは犯罪だぞ!』とか。
『帳簿の中身が合うまでは誰も帰さないからな!』と言う咆哮がバルザック邸に響き渡る。
パパがあんなにも長い時間怒鳴るのを初めて聞いた俺は、びっくりである。
……やはり戦争の英雄の一人であるパパは、怒ると怖かったのだ。
とばっちりを恐れ戦々恐々(せんせんきょうきょう)とする俺。
その後、バルザック男爵邸の誰もが、パパを恐れ、敬意をもって接するようになった。
見てはいないがパパの横暴に切れて殴りこみに向かった、剣士免状持ちの騎士がパパの魔法で屋根と同じ高さまで吹き飛んだらしい。
空高くに打ち上げられ、全身骨折させて物理的に黙り込むバルザック家の騎士。
……パパ、こわっ!
バルザック邸に家臣たちは、この事件の後揃いも揃ってパパに恭しく接するようになる。
こうして逆らうものを潰したパパは、どこか緩かったバルザック邸に鋼鉄の規律もたらした。
……結果、見張りが屋敷中に張り巡らされ、脱走が難しくなったバルザック邸。
いやまぁそれでも脱走するんだけどさ、失敗するケースが出始めたんだよね。
あとあの居眠りが得意技の門番。
パパが居る時は起きてやがる、面倒だからお前は寝てていいのに……
そんなある日。
落ち着きを取り戻したバルザック邸では、俺たち家族とおじさんたち家族で、一緒に夕食を取ると言う事になった。
その夕食の席での事だ……
叔父さんのガルボルムが、こんな事を全員に告げた。
「みんなよく聞いてくれ。
来週ラリーを除いてみんなで王都に赴くことになった」
……聞いている俺は目が点である。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
俺が慌てて声を上げると、パパが穏やかで押し付けるような声音で言った。
「ラリー、叔父が喋っている。
口を挟むんじゃない……」
俺はパパを恐れ「はい……」と言ったきり黙る。
叔父さんは俺によって遮られた空気を仕切り直して、会話を続ける。
「我が家は陛下に引き立てられた家である。
その陛下の傍に3年もの間ご伺候してないと言うのは、通常あり得ない事だ。
よって私は、まだガーブでやらねばならない事があるが、出来るだけ速やかに王都に登らなければならない。
私はこの国の将軍だ。
そして、将軍としての務めは何よりも重要だと思っている。
またエウレリアの育児も、過酷な冬のガーブよりも王都の方が良いだろう。
残念だが、ガーブでは生まれてすぐに死ぬ子は、決して珍しくは無い。
ただしゲラルド、お前は残れ……
剣の修業はこの地で行うのだ。
王都は楽しいだろうが、それだけにお前の剣を錆びさせてしまう。
親元から離れる事にはなるが、お前を支えるものもこの10カ月で出来た。
それならば何の心配も無い。
この“狼の家”で修業をせよ。
これは聖騎士流当主としての、私の命令である!」
ああ、逆らえないのか……
俺は叔父とパパの目を見て、全てを悟る。
もう二人で決めた事なのだ。
元々(もともと)王都で修業する事に反対だった、俺のパパ。
エリクサーを取りに行った際に王都で言われた『ラリー、王は優秀な家臣を求めているのだよ……』という言葉を思い出す。
そうなると(ああ、やはり……)と思わざるを得ない。
それを立証するように隣でパパも、叔父さんの言葉に大きく頷いた。
力なく、肩がだらりとたれる俺。
そしてパパは俺の顔を見て微笑み言った。
「安心しろラリー。
お前の生活を見る為に、ワナウをこっちに残す。
彼は御者だから、馬車も残そう。
どうせなら乗馬も教えて貰うと良い」
え、それって……厄介払い。
パパ、まだ御者のワナウを許してないんじゃ……
「良かったな、ラリー」
叔父さんが素敵な笑顔で俺に、パパの心遣いを受け取るように促す。
「あ、はい……ありがとうございます」
所詮大人は大きな子供である。
その事実を知った俺は、彼を思って悲しく思った。
俺に付き合う事で、都会に戻れない可哀想なワナウ。
大人の事情は汚いと思って、彼の為に胸が痛んだ。
10カ月も一緒に居たら情も移ったのだ。
そんな俺の表情を見た叔父さんが、パパを庇う様に言った。
「これで一人で雪かきしなくて済む、嬉しかろう?ラリー」
え?
「もちろんです!ワナウと一緒で僕は嬉しい!」
やったねワナウ、これで僕らはズッ友だ!
苦労と喜びを分かちあう同志を残すと言う、パパのありがたいお言葉に俺は喜ぶ。
……お前だけをヌクヌクとした世界に返すなんて許さんからなワナウ、落ちる時は一緒だ!
「うむ、給金は引き続き送るから(パパはラリーの嘘に乗っかている)、しっかりと修業を終えるのだぞ」
「分かりました!」
俺は元気よくパパに返事をした。
◇◇◇◇
―それから1週間後。
さらに一週間経ち、離れる家族はまだ他にも居た事が分かって来た、ポンテスだ。
「やったぁぁあぁぁぁぁぁ、帰れるぅぅぅ」
おいクソ猫……語尾の“ニャ”はどうした?
この話を聞いた猫は普段を忘れる勢いで喜び、そして涙を流す。
「冬の前に帰れたニャ!ココはあまりにも寒かったニャ」
「おめでとう、ちなみに俺は残るんだが言いたいことはあるか?」
「ざまぁみろニャ……」
この野郎……俺はデコピンの形を指で作り、奴の額を狙う。
クソ猫は立ち上がり、爪を光らせながら俺に対峙した。
「クソ猫め……俺達は兄弟だ。
お前だけが快適な都会暮らしとは、どうなんだ?」
「先に行ってお前を待つニャ、雪の中でニャーの事を思い出すと良い……」
「落ちるなら一緒だ、ポンテス!」
「寝言は寝て言え、小僧!」
こうして俺達は雌雄を決する事に……
スパーン。
「馬鹿やってないで、ラーナちゃんの元にポンテスを連れて行きなさい!」
俺の後頭部を、弟を抱いたママがそう言って叩いた。
それを見てウチのマイブラザーは「キャッキャッ!」と言って大喜びだ。
……もう目が見えているんだろうか?
叩かれた俺は、ポリポリと後頭部を掻いて口を尖らすしかない。
そんな俺にママが言った。
「明日には皆ガーブウルズを出て行くのよ。
あなただけを置いていくのは正直心苦しいけど、あなたならきっと大丈夫。
来年の剣術大会まではここで修業なさい」
「分かってるよママ、ポンテスと遊んでただけさ。
じゃあポンテス、ラーナちゃんの所に行こうか」
俺はそう言うとエリクサーが入った袋を持って、ポンテスと共に玄関に向かう。
そんな俺の背中目掛けてママが叫んだ。
「ちゃんと門から出て行くのよ?
壁をよじ登るんじゃないのよ」
「はーい、分かりました」
最近は俺の脱走は壁をよじ登って行う。
抜け穴の秘密は暴かれたくはなかったからだ。
それに冬でないなら、壁が凍り付いてないので、壁をよじ登って脱走することなど容易い。
こうして俺は堂々(どうどう)と門から出て外に向かった。
途中ポンテスが言った。
「怒ってるニャ?」
俺はフッと笑って言った。
「別に。ただ遊んだだけさ。
ポンテス、俺の代わりにローゼスとフィリアちゃんの面倒を頼むな。
尻尾ギュって掴まれても、決して怒るなよ」
「う、ニャぁ……」
「俺は、修行を終えたら帰って来る。
そうしたら次はどこかの小姓になる。
そうしたら今度は殿下のペイジに成れるかどうか、パパから王様にお願いしてみようと思うんだ。
厳しい修行だってセルティナだったら耐えられる。
それまでの辛抱だ……箔をつけて帰って来るから」
「そうニャね、きっと小僧ならできるニャ」
「ああ、一年ちょっとの辛抱だ。
あっという間だよ、たぶんね。
剣は好きなんだ、強くなれるなら何でもするさ」
ポンテスはそんな俺を見ながら言った。
「夢中になれるお前さんを見ていると、いつも心に元気が湧いてくるニャ」
「珍しい、褒めてくれるのか?
良かったら残る?」
「いや、寒いのは……」
「冗談だよ、また会うのは来年だ」
この様に特にとりとめのない話をしながら、俺とポンテスは一路ジリの家を目指す。
しばしの別れが間もなく来ることを実感しながら。
ジリの家に辿り着いた俺達は、さっそくエリクサーをジリに渡し、そしてラーナちゃんに飲んで貰った。
薬を飲んだラーナちゃんが発光し、その光の全てが消えた時、彼女は何度も深呼吸をする。
「咳が出ない……息も苦しくない」
ラーナちゃんがそう言った時、ジリは何度も囁くように「本当かラーナ」と言った。
「兄さん、苦しくないよ」
ジリは次の瞬間ラーナに抱き着いた。
「あ、ああ、ひっぐ、うわぁぁぁぁぁっ!」
次の瞬間泣き始めるジリ「良かった、俺はお前しか残っていなかった。ひっぐ、本当に良かった……」そう言って男泣きに泣いている。
その様子を見せたくて、俺はポンテスを抱え上げた。
ラーナちゃんはそんな俺を見て言った。
「ラリー、本当に私治ったの?
嘘じゃない?
後でお金も要求しない?」
俺は「お金って……」と言って笑った。
「する訳ないじゃん、ラーナちゃん俺をそんな風に見ていたの?」
「でも、貴族ってそういう風にするんでしょ?」
何処の貴族だよ……そう思った俺は安心させるようにラーナちゃんに言った。
「ウチはしないよ、そもそもウチのパパに所領は無いんだ、法服貴族だから。
他の貴族は知らないけど……」
おびえすぎだろ?そう思いながら答える俺。
するとラーナちゃんは首を何度か横に振りながら「ラリーは信じる……」と言った。
「うん、信じて信じて」
その様子が何を示しているのか分からないから、とりあえず明るく答える俺。
するとふと一瞬ジリが俺を鋭く睨み、そして次の瞬間フッと目を横に逸らしたのが視界の隅に入った。
なんだ?と思うとラーナちゃんが言った。
「ラリー、世界には汚い人がたくさんいるんだよ。
お爺さんからお金を巻き上げた人も居た。
貴族でね、税金で少し足りない分が出た時。
はじめはお金を来年返せばいいからと言って貸し付けて、その後で証文が変わるの。
言っていた内容と違くて、利子が信じられないくらい高くて……
だけどサインしたから絶対に返せって……
だからみんなでガーブに逃げたんだ。
ここならだれも追手に来ないから……
ガーブ軍に手を出す貴族は何処にもいないしね。
でも結局お爺さんは、倒れて亡くなっちゃった」
貴族世界の末席に居る俺はその話を、衝撃を持って受け止める。
そんな俺の顔を見て、ラーナちゃんは急いで訂正して言った。
「でもラリーなら大丈夫!
信じているから!」
そして次に泣きそうな顔でこう呟いた。
「ラリー、いつまでも変わらないでね、偉くなっても今のままのラリーでいて。
我が儘でも怖くても良い。
汚ない人に成らないで、それが出来るくらい強い人でいて」
「…………」
「そうじゃないと負けて捕虜になったら、身代金を収めないといけなくなるよ。
みんなそうやって、民衆からお金をむしる貴族になるの、これでお金が手に入るんだって知って、みんな変わっていくのよ……」
そう訴えるラーナの目は真剣だった、その様子にジリとラーナの、悲惨な過去が透けて見える。
その目の余りの必死さに、俺はたじろぐ。
やがて俺は彼女の問いに回答を出さなくてはと思い、こう答えた。
「分かった、それを俺の“道”にするよ。
決して汚くはならない、それが出来る程に強くなる……それを約束する」
ラーナは大きく頷いて微笑んだ。
この話を聞いていたジリは大きな溜息を返事の代わりにこぼす。
やがてジリは、ラーナちゃんから体を離し、そして俺に尋ねた。
「ラーナ、治ったんだよな?」
するとポンテスが俺の腕の中で、言った。
「間違いないニャ、健康体で生まれてきている限り、エリクサーで治らニャイ病気はないニャ」
その声を聴いたラーナちゃんはパァァッっと顔を明るくさせ、そしてジリに言った。
「兄さん、良いでしょっ?
外に行って来てもいいでしょ?」
「あ、ああ……」
「行ってくるね!」
「でも、庭だけだぞ!庭だけだからな!」
「はーい」
ラーナちゃんは、自分の呼吸を確かめるように、靴を履きそして外に歩いていく。
「嘘みたい、体が軽い……」
ラーナはそう言葉を残して、扉からこの小屋を出て行った。
その背中を見ながらジリが呟く。
「ラリー、本当にありがとう。この事は一生忘れない……」
昼の光の中に歩き出す、健康になったばかりのラーナ。
それを見るジリの目に憂いが宿る。
まだ何かを心配しているのだろう。
俺は「礼はポンテスに……」と答える。
ジリは目元から憂いを払い、笑顔を見せて「ポンテス、俺に出来る事があったら何でも言ってくれ。なんでも力になる」と言った。
それを聞いたポンテスは、近付く別れに、寂しそうな顔をしながら答えた。
「またいつか会えたら、その時頼むニャ」
「ああ、本当にありがとう……」
俺は無言でポンテスをジリに差し出し、彼はそれを抱くと感謝の祈りを込めるように抱き上げた。
ポンテスはやがて床に降ろされる。
そして現れた、どこか静かな世界……
パチパチと音を立てながら燃えるストーブの中の薪、思わず目を向けると、窓の向こうに見える雪を根元に抱えた木々(きぎ)達が見える。
その木々を抱く様に日、一日と寒くなり、冬に向かうガーブの景色。
その少し寂しい空気の中で、ジリがうちのネコに尋ねた。
「ポンテス、いつココを立つんだ?」
ネコは「明日でお別れニャ」と答えた。
「寂しくなるな、喋る猫なんて初めて会ったけど、お前は良い奴だったよ」
「どういう事ニャ?」
「……忘れはしないから」
答えになってないよ、と思ったが。突っ込むのはやめた。
彼らの話がひと段落着いた時、俺はここでジリに頼み事をする事にした。
「ジリ、実は俺から一つお願いがあるんだ」
「お願い?」
「実は一年間、付き合ってくれないか?
どうしても身に着けたい技があるんだ」
「技って、剣の?」
「うん“撓め斬り”って言うんだ」
「撓め?」
「そう、そして来年。
アイツを斬りたいんだ」
「アイツって誰……」
「母無し子」
俺がその名を出したとき、ジリの顔色が変わる!
「お前、まだアイツを諦めて無いのかよ!」
「ああ……
アイツは俺の頬に、縦一筋の傷跡を残した。
あのままおめおめと引き下がれない」
「だけどアイツは今や、ガーブ中で追跡されている。
俺達が出る間もなくいずれ討伐されるぞ」
“母無し子”はあの後、悪魔の谷から姿を消した。
追手から行方をくらまし、どこに居るのかも分からない。
死んだマスターワースモンと縁のあった剣士を中心に、必死の捜索が続いている。
「ジリ……
あのゴブリンは他のゴブリンと違って群れない。
しかも狡猾だ……ガサツなガーブの連中に捕まるものか。
服を石鹸で洗ってから狩りに出てくるような連中だぞ?
あの時だって、姿を見せない“母無し子”は、俺達がどこに居るのかを正確に見定めていた。
見える所に居ないんだから、覗かなくてもどこに居たのか、多くの時間把握していたと考えるのが普通だ!
石鹸の匂いだ、奴は鹿やイノシシと同じやり方で、俺達の居場所を知っていたに決まっている」
「まぁ。恐らくはそうだけど……」
「連中はハンターは見下して助言は聞かないんだ。
それはバームスからも聞いた。
これは俺の勘だけど、だから“母無し子”は捕まらない。
純粋な剣士じゃアイツに出し抜かれて終わりだ!」
「う、うーん」
「なぁジリ頼むよ、奴の巣の中に俺一人で飛び込むのはさすがに無理だ。
かと言ってあんなガサツな連中と一緒じゃ、勝てるものも勝てなくなる。
……それに“撓め斬り”の事は隠しておきたいんだ。
今のまま“狼の家”の連中と練習していたら、絶対にこの技を破られてしまう。
俺は気絶してまでこの目でこの技を見てきたんだ、例えこの技を使いこなせるようになったとしても、できればこの技を秘密兵器にしておきたいんだ」
「なんで?あそこにも遣い手は居るだろう?」
「遣い手が居るのが問題なんじゃない、俺が遣い手だと思われていないのが大事なんだ!」
俺がそう言うと彼は俺の言葉の真意を測りかね「どういう事?」と尋ねた。
「来年俺は“白銀の騎士”を目指す。
若い剣士の中で一番の剣士だ」
「そうなんだ、それで?」
「今“狼の家”に居る連中は味方だけど、同時にライバルでもある。
アイツらに、俺の全ての手口を見せたくないんだよ……」
俺がそう言うと、ジリは目を見開き、全てを理解して言った。
「ああ、そういう事か。
困った時初めて試合で使う的な……」
「そういう事だよ!
俺は来年“白銀の騎士”に出たい。
だけどその為には10歳以下の中で一番にならないといけない。
その時に、隠し玉も無く挑むなんて馬鹿らしいだろ?
俺はその時のための準備を今から進めたいんだ。
だから練習相手が必要なんだ!」
「うーん、まぁ付き合う分には……」
「ジリ、俺は今回本気だ。
正直他の仕事も受けてほしくない、だからこれを持ってきたんだ」
そう言って俺は持ってきた袋の中の金貨を見せた。
「金貨が60枚ある、その中から毎月4枚4000サルトを払う用意がある」
「え?……」
「もちろんゴッシュマの依頼は一緒に受けよう、これまでの様に“狼の家”で訓練をするのも変わらない。
ただそれ以外の時間で、仕事は入れないで欲しいんだ」
「…………」
「どうかな?」
「今すぐには決められないよ。
話を聞いたばかりで混乱している」
そう言った次の瞬間、ジリは両手で顔を覆って「ああ、畜生」と言って嘆いた。
「あんなおっかないゴブリンに、会いに行こうだなんてどうかしてるぞ……」
「戦うのは俺だけでいいんだ、上手くいかなかったら逃げれば……」
「馬鹿野郎……
これもちろん大人には、誰にも言っちゃダメだよな?」
「もちろん……止められるからな」
「お前は本当に御曹司か?
俺の知っている奴は偉そうだけど、そんな事はしなかったぞ。
ああ、クソッ。考えさせてくれ……」
承諾の言葉を期待したが、それがすぐに帰って来ることは無い。
俺は(色の良い返事は無理かな?)そう思いながら悩む彼の様子を見守った。
……やがて時は過ぎて夕方になり、俺はポンテスを連れてこの家を後にした。
家に帰ると中はガランとしていた。
王都に引っ越す家族の為、明日の旅立ちに向けて、部屋の荷物が次々と馬車に積まれたからだ。
その中を御者のワナウが心を無にして働いている。
その“明鏡止水”の表情にポンテス魂を感じた俺は、心の底から(頑張れ、耐えるんだ!)とエールを送る。
……じゃあ、今年も雪かきお願いね。
こうして明日の準備を終え、後は旅立ちを残すのみとなった俺の家族。
夕食は、まともな食器が梱包済みなので、皆でバルザック邸の食堂でご飯を食べる事になった。
……バルザック家が用意してくれた食事は豪華だった。
また家族が集まって、また食事を囲むのが、いつになるのか分からないから、その配慮だと思う。
俺達はこの心配りに感謝して夕食を始める。
……ただ、感謝する事ばかりとは言えなくて。
「ラリー、剣術ばかりじゃなく。
ちゃんと勉強もするんだぞ?」
パパがそんな小言をぐちぐちと言い始めた。
「分かりました、大丈夫です」
ああ、今度のガーブ生活はスポンサーが付いた瞬間から勉強付きかぁ。
朝もずっと“狼の家”で練習をして居たいのに……
これまでは、家庭教師をつけようにもお金がなかったからできなかったが、これからはパパがその分のお金を、毎月送金してくれるそうだ。
いらぬ事を……
こうして俺は王都に居た時と同じように、早朝朝練→勉強→練習→日が落ちたので就寝と言う生活サイクルになる事が決定した。
しかも小言はまだまだ終わらない……
一人暮らしを始める息子に対し、親が言う事は何処も一緒だった。
両親曰く……
―身なりはきちんと整えろとか。
―ごみ捨ては決まったルールに従えとか。
―同じ服は着たらダメだとか。
―食べ物は偏りなく食えとか。
―部屋はきれいにしろとか。
―あと俺は異常に気が短い所があるから気をつけろとか……
そういう事を嫌になるくらいに言われ続ける。
しかもなぜか二人とも同じ意見だから、まるで悪魔のステレオだ。
逃げ場も無い俺。
食事の味も分からない程散々(さんざん)に言われた俺は、豪華な食卓も早々にここを後にする。
「あのお母様、ちょっとトイレに行ってきます」
適当な口実を作って逃げだした俺。
俺は廊下を歩き回りながら愚痴をこぼす。
「はぁ、早く王都に行ってくれないかな……」
ああも言われるとさすがに、残り僅かな時間でも居たくないもので、俺は親不孝な呪いを吐きながらバルザック邸の中を逃げるように歩く。
目的も無く歩いていると、赤ん坊が「あはっ、きゃぁぁぁぁ」と可愛く笑っている声が聞こえてきた。
弟ちゃんかな?そう思って声がした方を覗いた。
「あばばばばば、ばぁ」
「キャッ、キャッ!」
そこには弟を愛おし気に抱いたマルキアナ叔母さんと、フィリアちゃんが居た。
「かわいい、かわいい!」
フィリアちゃんはウチの弟を見て、ハイテンションにはしゃぐ。
女性二人に囲まれてローゼスはご満悦だ。
生まれてすぐにパパのDNAを強烈に感じさせる、女好きの彼。
「ローゼス、あなた本当に可愛いわね」
「ママ、この子の髪の毛の色、パパと同じだ!」
「え?あら本当……この子もバルザック家の血が濃ゆいのかもね。
男の子だもんね、君も剣を習うのかな?」
「私の弟だよ」
「ええ……そうね。
ねぇ坊や、うちの子にならない?」
「アー、うーアー……」
「ママ、成ってくれるって!」
「赤ちゃんの言葉が分かるの?
アハハハ、もうフィリアったら……」
えっと、奥さん。それ僕の弟なんですが……
あ、いえ。
返してくれるならそれでいいのです、ええまぁ別に……
やがて弟はむずがる事無く、そのまま叔母さんの腕の中で眠りにつく。
……まるで電池が切れた様に。
その様子を見ながら俺は、叔母に悪いので回収してママの所に連れて行こうか?と考えた。
すると叔母さんが、心の底から愛おしそうな顔で、弟を撫でながら呟いた。
「この子だったら、うちの子にしても良いわ。
こんな可愛い男の子がずっと欲しかったの。
フィリア(あなた)の弟がずっとね……」
溢れんばかりの愛情が指先に宿る、そしてその様子を見つめるフィリアちゃんもそれは同様だった。
二人の間で宝物の様に眠る赤ん坊。
俺はその様子を見て弟を回収するのを躊躇い、そしてこの場を離れた。
やがて俺は、行く当てもなく中庭にやってきた。
空は曇り、星は無く、月も無い寒い夜。
凍えるほどの寒さに湿り気が混じり、雪が降りそうだった。
俺は中庭に落ちている枝を拾い、そして構えた。
牡牛の構え、犂の構え、鉄の門……
屋根と貴婦人以外の構えを試す。
枝を剣に見たてて試行錯誤を繰り返した。
「……芸がない、かぁ」
屋根の構えにばかり頼り過ぎた俺を、あの日ボグマスは嘲笑った。
……その時奴は『芸がない』と言った。
ガーブに帰還した俺は(お前のせいだ!)としばらく憤慨した物である。
だが憤る前に、上に行くならにそれを修正しなければならないと考えた。
……自分でも限界が見えていたからだ。
今の形のままじゃ上達は無い。
別の形を探す。
今と違う剣の形を……
ここでふと、どうしてこんなクセが付いたのかを考える事にした。
俺はかつて、雑でしっかりと握りこまない剣の振り方をしていた。
かつてボロボロに傷ついた掌はその証拠だろう。
柄が手の中で暴れて擦れたからだ。
そのクセを修正するのに、相当苦戦した覚えがある。
どうしてこうなったか?と言うと。
ボグマス自身、子供達にまず剣を好きになってもらう事を優先したきらいがあり、そこまでうるさく言わなかったからだ。
だから昔綺麗な車輪斬りが出来なかった。
下からの斬り上げは、腕の下部分の筋肉が弱いと安定しない、そして握りが甘いと剣の刃が相手を捕らえず、叩く剣になる。
下からの斬り上げは難しいのだ。
威力が出ない攻撃は、試合では有効打とみなされない。
かと言って雑な俺は、防具の隙間をついて有効を稼げるほどの、技が身についていなかった。
そこで威力を稼ぎやすい上段からの攻撃を、ボグマスは俺に仕込んだのである。
なので『芸がない!』と言ったボグマスに。
『上から斬れと言ったのはお前だ』
と、ボグマスに罵り返そうかと思った。
しかしそれは弱くなる、剣士の考え方だと思い諦める。
……課題を解決した事にはならないからだ。
今や俺は“その時”を過ぎ、次のステージに入る時が来た。
だから『芸がない』と言われたのだ、そう思うようにした。
これから上を目指すなら”芸“を身につけなければならない
ボグマス(アレ)も修行先がガーブの男だ、だからココの連中らしく、自分の事以外は適当なんだろう。
……そう思えば腹も立たない。
そして今、色々な構えから剣を振るうのだが、どうもしっくりこなかった。
「ああクソ!
どうしても屋根、貴婦人、鉄門以外はしっくりこない。
ボグマスめ、きちんと教えろよ!」
俺がそうぼやいていると後ろで「分からないのか?」と誰かが声を上げた。
急ぎ振り向くとそこには叔父さんが立っていた。
「ガルボルム様……」
「ラリー、君は甥なのだから叔父さんか、ルバーヌと呼びなさい」
「すみません、ルバーヌ叔父さん」
「うん、ラリー、後ろでお前の剣を見せてもらっていた。
お前がどうしてしっくりこないのか分かるか?」
「すみません分かりません」
俺が素直にそう言うと、叔父さんは頷き、そしてこう諭した。
「お前は刺突が苦手なのだよ」
いきなり言われた結論に、思わずたじろぐ俺。
叔父さんは厳しい顔でこう言った。
「構えで悩んでいるなら、いくつか助言を上げよう……
ラリー、剣歌を知っているか?」
俺は被りを振るって「知らないです」と答えた
叔父さんは一つ頷くと、俺にこう言った。
「剣の歌に構えについての歌がある。
―ただ4っつの構え在り
―そして平民を嫌う
―牡牛、愚者、犂
―そして屋根を知らない筈はない
愚者とは今我々が言う鉄門の構えだ。
その他に様々な構えは多々あるが、全てはこの4つの構えより出でたモノなのだ。
意図を隠すために双角、真鉄門などお前の知らぬ構えはまだある。
それはいずれ知る者に出会えよう……
とにかくラリー、全てはこの4つなのだ。
よってお前の不得意なものはただ二つ、牡牛と犂と言える。
この二つは切っ先を相手に向ける構えだ、すなわち刺突用の構えなのだよ。
いま一度言うが、お前は刺突が苦手なのだ。
だから刺突に適したこの二つの構えもまた苦手なのだ」
俺は自分の戦い方を見て、振り返り、そして「あっ」と気が付いた。
自分は常に斬撃を放っている。
「ラリー、斬撃は手段に過ぎない。
刺突もまた同じだ。
攻撃に幅を持たせるなら、突きを磨く事だ。
磨き抜かれた突きを嫌い、踏み込む相手の後の先を取って、斬撃を加えた方がより合理的に手数を減らせるじゃないか。
斬撃を見破られたとしても、今度はハーフソードから相手の剣を掴んで、我が物にすると言う事も出来よう。
そうなれば戦いの場に流れる、時間も距離も、我等の思うがままだ。
時間を取ると言うのは、その決定的な場面に至るまでに流れる時間を、この様に相手の選択肢を実は狭めておいて、初めて獲れる。
相手の選択肢を奪って初めて、敵がどう動くのか、その判断が出来るのだ」
「……励みます」
「まだ難しかろう、これからの事は、ゴッシュマに尋ねると良い。
一年はあっと言う間に過ぎる、精進は怠るなよ」
そう言うと叔父さんは立ち去った。
残された俺は枝をもって犂の構えからの刺突を繰り返した。
どうすればもっと速く、もっと鋭く……
そればかりを考える。
◇◇◇◇
翌日は朝からわずかに雪が降っていた、赤土の上にわずかに雪が降り積もる。
早朝、霜柱が立ち、ザクザクとした音を立て、赤い地面が歩く度に砕ける。
俺は両親が乗る馬車の傍でボグマスが見せた“撓め斬り“の練習をしていた。
因みにこちらもパッとしない。
足と手がバラバラになるし、そして剣が戻るのに時間がかかりすぎる。
無駄がまるでなかったボグマスの動きを理想として、必死に思い出そうと剣を振る俺。
「全然だめだ……」
自分は才能がないのか?と自信を失いそうである。
そう思って肩を落とす俺。
「ラリー」
背後で昨日のように叔父さんの声がしたので振り返る俺。
すると叔父さんが蝋板と鉄筆を俺に差し出した。
3枚の蝋板を裏表蝋で流し込んで6面もある奴で、輪っか状の金具で止めてある。
「薬のお礼の代わりに見せてやろう。
一手毎に止まるから絵で描くと言い。
グラニールから聞いたぞ、絵が得意なんだってな」
「は、はい……」
すると叔父さんは木剣を構え、そしてボグマスが見せた動きを、ゆっくり、静かに見せた。
それ必死にスケッチする俺。
そして叔父さんは“防壁”までも見せてくれた。
一連の動作が終わり、やがて叔父さんは、少しずつ降る雪の中で微笑む。
「本当は私が教えてやりたいがそれは出来ない。
もしお前が剣士免状を取るほどの腕にならなければ、私がお前に教える事は生涯無いであろう」
「…………」
「励むのだラリー、剣士としてまた会えることを楽しみにしている!」
それを言うと、叔父さんは自分の馬車に乗り込んだ。
俺は蝋板を見ながら叔父さんの馬車に深々と頭を下げる。
走り出す叔父さんの馬車、そして両親を乗せた我が家の馬車……
ガーブの雪はまだ暖かく、そしてこれから人を飲み込むほどの寒さとなる。
この大地で、俺の剣術修行はいよいよ本格的なものになる。
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