幕間 バルザック。男二人、女二人
広大なガーブ地方を治めるバルザック男爵家。
農業に向かないが、広さだけなら伯爵領と同じと言われるほど、広い所領を持っているこの家は今多くの混乱に見舞われている。
……何故か?
それはこの男爵家があまりにも特殊な家だからであある。
バルザック男爵家は本家と3家の分家で構成されている。
分家をそれぞれ紹介すると以下の通り。
バルザック家、家祖のワルダ・バルザックの弟である、リフ・ワーマロウを家祖とするガーブ東部を経営するワーマロウ家。
男爵家の創始者であるクリオン・バルザック3男のバジル・バルザックを家祖とし、ガーブ西部を経営するカルバン家
そして同じくクリオン・バルザックの5男、コーレン・バルザックを家祖として、王都近郊の飛び地を経営するダブリャン家である。
だがその4家体制が崩壊する事態が起きた。
3年前に起きた、本家当主ガルボルム・バルザックの暗殺未遂事件である。
そしてこの事件の捜査の結果犯人が判明した時、バルザック家はその調和を失う。
……何と、ガルボルムと前当主のドイドの仕打ちを恨んだ、カルバン家当主のハギタル・カルバンが仕組んだことだったのである。(関連事項は34話を参照)
死を免れたガルボルムはこれに激怒し、ハギタルを処刑した。
そしてカルバン家の領地を、ガルボルムは召し上げた。
……こうしてカルバン家は族滅こそしていないが、実質取り潰された家となったのである。
カルバン家に仕えていた多くの騎士達は騎士爵を失い、そして皆散り散りとなった。
仕える主を失い、仕事を失った多くの男達。
こうして困窮した彼等は一体誰を恨むだろう?
……ガルボルム・バルザックである。
幾度も刺客が彼の元を訪れ、そして幾人もの、元は騎士の名高き男達もまた死んだ。
そしてそのようなガーブ人の死の重なりが、ガルボルム・バルザックの精神を追い込んでいく。
彼は安定を描いた精神と、ひどい頭痛に悩まされるようになった。
そして……冬のある日。
頭の苦しさを訴えた彼は、そのまま目を開けなくなった。
……そしてそのまま、植物状態に陥ったのである。
今や彼は魔導士達の必死の魔法によって、体内に流れる時間を遅らせる特殊な延命治療で、生き延びているに過ぎない。
王都で権勢を振るうと評判のグラニール・ヴィープゲスケ男爵の元に嫁いでいた、エウレリアが息子のゲラルドを連れて帰ってきたのはこんな時だったのである。
分家の現当主は以下二人。
無くなったカルバン家を除くと、ワーマロウ家が若いワタレル。
そしてダブリャン家が40を迎えたばかりのライオ・フレルだった。
二人は冬季の家業である、傭兵業の収支報告をしにはるばる南方から男達を率いて帰還した。
彼らがその為にバルザック邸にやってきたのは、実はゲラルドが従妹と遊んだ日の前日だった……
◇◇◇◇
「男爵夫人、お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりですご両名……」
威儀を正し、当主に敬意を表すために現れた彼等は、体調がすぐれないからと、ガルボルムではなくその妻、マルキアナと会う事になった。
執務室で両名を謁見したマルキアナ男爵夫人は29歳。
心労が絶えないのか、どこか張り詰めた面持ちに、無理やり笑みを浮かべて二人を歓迎した。
そんな彼女の傍には幾人かの家臣と、一人の女性が立っている。
その女性の姿に訝しんだワタレルとライオ両名の様子に、マルキアナは「おほほほほ」と笑ってこう言った。
「ご両名はもうお忘れですか?
彼女は夫の妹のエウレリアですよ」
『なんと』
二人は驚いて目を見開いた。
「どうしてこちらにお越しになったのですか?」
ママさんことエウレリアはその事に口を開こうとした、マルキアナはそれを遮るように「男爵様が病に伏せているので来ていただいているのですよ」と言った。
看病の為に兄弟の元を訪れる、この事自体は貴族の世界でも珍しい事ではないから、二人は納得して頷いた。
「しかしそれで大丈夫ですかな?
バルザック家は王党派の一員です、王の傍にいる人間は……
エウレリア様がここに居るとなると、他の誰かが王の傍に侍っているべきだと思うのですが?」
「大丈夫です、我が家は王への忠誠が篤い家です。王もそのようにお考えでございましょう」
『…………』
分家の二人は顔を見合わせ、何事かのサインを交わした後、何事も無かったように収支報告書を彼女に渡し、そして幾つかの戦地での武勇伝を語り、この執務室を後にした。
◇◇◇◇
「あっはっはっはっ!
ワタレル殿聞きましたかな?
あの女の“王もそのようにお考えでございましょう”と言う一言!
いやいや、随分と見通しの甘い女だ」
「まったく、今や王都ではヴィープゲスケ前男爵と、エウレリアの喧嘩で噂は持ちきりだと言うのに!」
二人はワタレルの屋敷に戻るなり、祝杯の様に酒杯を傾けて楽しげに会話をいそしむ。
「男爵の面目は丸つぶれだ。
それはそれで我等には喜ばしいこと」
「確かに!」
「温厚な男爵も今回ばかりはカンカンだ。
幾ら浮気をしたからと言っても、ああも取り乱すと言うのはいかがなものだろうかな?
流石に今回ばかりは間違いなく離婚と言う話にもなろう。
そうしたら世渡り下手のガルボルムは、唯一にして大きな王とのパイプを失う訳だ……」
「体も動かないガルボルムをいつまでも将軍に命じている訳にもいかないでしょうし。
それに官職を失ったら、バルザック家は収入減で大変な事になる。
そうなるときちんと王の元に近侍できる、ライオ殿が……」
「ふ、ふふ……気が早い。
だが、悪い話ではないな」
「そうなったら……いやそうなりますよ。
そもそも軍務がまともにつけない者が将軍であるのがおかしいのです。
だってそうでしょう?
戦争が無いから、とかこれまでの功績に免じて……と言っても、王との仲をヴィープゲスケ前男爵が取り持っているからそれが出来るのです。
グラニールがこの一件で手を引いたらこれ以上官職についたままでいられるはずがない。
そもそもこの事に対して不満を覚えている、伯爵は何人もいるのです」
「そうだとも、そうだとも!
だからこそバルザック家の為に、私が立たなければならないと思っているのだ」
「私も協力いたしますよ。
それに実は私は今、役に立ちそうな人間を手の中に入れています」
「ほう?」
「ハギタル殿(カルバン家当主)の息子、ガストン殿を匿っているのです」
「フーム……」
話の行方が見えたライオ・フレル・ダブリャンは渋い顔をした。
カルバン家を復興させてほしいと、目の前の若者が言いだそうとしているのが分かったからだ。
ライオ・フレル・ダブリャンはその話をできれば断りたいと思った。
カルバン家を復興させなければ、その領地も含めて本家を継承できる可能性がある。
なので彼としては将来の自分の取り分が減る話に思えたのだ。
それを知らずに、ワタレル・ワーマロウは誇らしげに言った。
「ガストン殿は使える男です。
勇気もあるし、剣士免状にも手が届こうと言う所にあります。腕は立ちます」
ガストンの“剣士免状”の話を聞いた瞬間、ライオはガストンと言う男に実を与えずに、操縦できるなら使い道があると思った。
と、言うのもバルザック家は代々聖騎士流の剣術の宗家としての顔もある。
しかしライオ・フレル・ダブリャンそして、ワタレル・マーロウ共に剣士としてはからっきしだった。
それこそドイド・バルザック前男爵が二人を後継者候補から外した理由でもある。
つまり剣が巧みでないと言う事は、この男爵家を引き継ぐにはマイナスなのである。
だから、この事を持ち出して必ずピーチクパーチク言い出す、バルザック家の家臣達が必ず出る。
ドイドやガルボルムの薫陶を受けたソードマスターを中心に、幾人かの家臣は必ずこの事を問題とするのは間違いない。
なのでそいつらを黙らせるのに使えるかもと思ったのだ。
将来ソードマスターが本家を継ぐ可能性が0ではないと思わせればいい。
実際にはガストン・カルバンがバルザックと名乗る可能性は無いが、可能性さえ0でなければ幾らでも、煩いソードマスター達を言いくるめられよう。
ガストン・カルバンはその為の見せかけに使えればよいのだ……
「なるほど……だとしたら剣士免状を取れたら我らの仲間に加えるのもいいな。
剣の師は現在誰が?」
「今は……誰も」
「まぁ、ハギタル殿がああなったのだ。
ガルボルムを恐れて誰も剣を教えないか……」
「手柄を立てて、認められさえすればいいのですが……
そうしたらマスターの誰かが彼を引き取るかもしれませんね」
それを聞いたライオ・フレル・ダブリャンは「フーム」と言った後こう言った。
「だとしたらゴブリン狩りでもやらせたらどうだ?」
「ゴブリン狩り?」
「ただのゴブリンではない“母無し子”はどうだ?」
「アレですかっ?」
「そうだ」
「ああ、そうか……確か多くのマスターの弟子が奴に殺されてますね。
個人的に恨んでいる者も居ると思います」
「だがマスターが来たら逃げてしまうんだろ?」
「ええ本能的に強い男とそうでない男が分かるようです。
なので討伐が難航しているとか……」
「マスターの代わりに弟子の敵討ちをすれば、マスターの内何人かは入門を認めるだろう。
我々も口添えをしても良いしな」
二人はその後、あーでも無いこーでも無いと話し合う。
やがて話はガルボルムの近辺の話になった。
「ガルボルムは明け方、剣の事を寝言で口走るそうですよ」
「ワタレル殿、剣の話はやめましょう」
「お嫌ですか?」
「一振りの剣の使い方を熟知しても、将軍の能力とは関係がないでしょう。
兵を率いる者は、兵士の才能なんかいらないと思いますよ……」
「そうですね、私も剣は得意ではなく……」
「あの女は黙っていますが、ガルボルムは寝たきりになり、体の中の時間を魔法で遅らせているだけで生きている男。
そもそもそんな男が明け方、なんで喋るのだ?」
「明け方魔導士が居ない時間があるそうですよ」
「なるほど、その時だけ剣の話を寝言ですると言う事か(体内の時が止まってないと言う事)。
貴重な時間だろうに……
そんな時でも剣の話を寝言でも言うとか、あの男はどれだけ剣が好きなのだろうな」
「は、はは。さぁ、ソードマスターになる男とはそういうモノでしょう。
他の事が何もできなくても構わないと考えた、ドイドの様な馬鹿な男もいますしね」
「まったくだ……これだからバルザック家は困る。
彼等は我々が支えているから家の勢いが保てていると言う事が分からないのだ。
我々が居なければどうなる事か……」
「まったくですよ、まったくですよ。
ライオ殿……」
やがて二人は長きに渡る沈黙を間に挟みながら酒杯を干した。
ライオは手酌で自分の酒杯に酒を注ぎこみながら、ポツリと呟いた。
「ワタレル殿……明け方魔導士がガルボルムの元から去った後。
もしも誰も来なかったらどうなるのでしょうかな?」
「ライオ殿っ!」
「いや、そう思っただけですよ。
別にどうこうする訳じゃない。
恐ろしい事ですよ、恐ろしい事です。
……疑問に感じただけです」
「…………」
「ああ、あなたも杯が空ですか……
お注ぎいたしますよワタレル殿、私とあなたはパートナーです」
「え、ええ……」
「ふ、ふふ。年の離れた友人は貴重だ。
ウフフフ……」
◇◇◇◇
「あの恥知らずども!
全てを知っているにもかかわらず知らないふりをしたっ」
ママさんは鬼のような形相でカリカリと苛立ち、トイレの鏡を睨みつけながら、出会ったばかりのワタレルとライオの両分家当主の振舞いを思い返していた。
おそらく腹の底では笑っているのだろうと、思ったのだ。
目を合わせて何事か二人にしか分からないサインを交わしているのを見た時、流石に分かった。
「お兄様が元気だった頃は、従順なフリをしていたのか……
女だけになったと思ったら、遂に正体を現し始めた……」
いそいそと立ち去る二人の様子を思い返しながら、静かな憤怒に暮れるエウレリア。
あの二人は父や兄の前では、決してああ言うそぶりは見せなかった。
それが今はどうだ、義務を果たしたら“もう用が無いから”と言わんばかりの態度である。
舐められてる……その実感が彼女の気持ちをささくれさせる。
だがどうしようもない、何ができるのか全く思い浮かばない。
傭兵業等の男仕事は、実質彼らがこれから仕切ることは明白である。
そしてこれらの仕事が上手く行かないと、収入不足になって小麦の輸入が止まり、飢饉に陥る可能性がある。
「まさか、こんな事が起きているなんて……」
エウレリアはそう呟いた。
息子を連れて故郷に戻った時、厳しくとも自活の道はあると信じていたのだ。
ところが短慮で戻った結果、全く想像も出来ない事態が待っていた。
故郷にあったのは、伸び盛りの息子に勉強も剣の師もつけられず、自分で自分の糊口を凌がなければならない毎日である。
正直明るい未来も見えず、負けてしまいそうな気持ちにさいなまされる。
しかも自分は身重の身、だけれどどうしても自分から頭を下げて、夫に許しを請う事だけはしたくはない。
彼女の誇りがさらに自分を追い込むことになろうとも、それだけは絶対にしたくないのだ。
ただそれでもただ一人、彼女の義理の息子はそれでも自分を気にかけてくれるらしく、毎月幾何かの金貨を送ってくれている。
そんな義理の息子である、ヴィープゲスケ現男爵は慈悲深いと、改めて思う。
それが彼女の心を幾らか支えてくれていた。
この金貨がまだ自分を王都と結び付けている、微かな糸に見えるのだ。
そしてこの金貨こそが。
まだヴィープゲスケ家との縁を、断ち切る気持ちを堪えさせる原因にはなっていたからである。
……やがて、色々な思いを巡らせた、ママさんことエウレリアは改めて鏡の中の自分を見た。
どこか張り詰めた表情、朗らかさを感じさせない目元。血色も悪く見えた。
その様子を確認した彼女は溜息を吐きながら思った。
(ひどい顔、でも私が何とかしないと……)
エウレリアがマルキアナ男爵夫人の元に戻るのはそれから間もなくである。
「…………」
マルキアナ男爵夫人は自室にいた。
そして掌で顔を覆い、ソファーに横になっていた。
……精魂尽き果て、そして疲れ切ったかのような姿である。
「大丈夫?マルキアナ……」
「エウレリア……私もう駄目。
もうどうしたら良いのか……」
「心配ないわ、きっと大丈夫。
お兄様が目を覚ましたらきっとあの連中も、罰してくれる」
「エウレリア……目覚めなかったらどうしよう?
どうしよう?娘はどうなるの……」
「マルキアナ、落ち着いて。
悪い事を考え過ぎたらまた病気がひどくなる。
大丈夫、私があなたを支えるから……
私はね、彼との喧嘩もそうだけど、あなた達の事をストリアムに相談されたから私は帰ってきたの。
マルキアナ、私はあなたの味方よ……」
「う、うう。ゴメンね、ゴメンね……」
マルキアナ男爵夫人はそう言って、崩れそうな心から涙を溢れさした。
暗い闇に落ちそうな彼女に、エウレリアは必死に歯を食いしばる様に寄り添う。
本当は彼女自身が誰かに寄り添ってもらいたいと思いながらも……
雪が解けたとしても、ガーブは寒く闇に包まれる。
そして二人の女性の目の前に広がる光景は、祈りを捧げるしか、道がないような風景である。
弱る心……漬け込む者が居れば崩れそうな危うさの上に、二人の女性の運命が載っている。
こんな不定期更新にも関わらず、見てくれてありがとうございます。
皆様のご評価、ご感想のおかげで描かせていただいております。
重ねて御礼申し上げます。