墓守となった魔物
―2カ月後
ママが不安そうな顔で微笑みながら、自分の大きくなっていくお腹をさする。
それを見ながら俺と猫はママのおなかに耳を当てた。
「お母様、まだ赤ちゃんは動かないね」
「大人しいわね……」
「もっと大きくなったら、おなかを蹴るニャ。
お前は何も知らないニャぁー」
「うるせぇ、クソ猫め!」
クソ猫と言いながら、実は喧嘩しているわけじゃなく、少しでもママの気持ちが明るくなればと思って軽くじゃれているだけだ。
ママはそんな俺達の微かな企みに、朗らかに笑ってくれた。
そして「喧嘩しちゃだめよ、ラリー」っと、俺だけをたしなめ……
なんでやねんっ!
「ニャぁーっはっはっ!
小僧、気を付けるニャ」
「この野郎、お前後で覚えとけよ!」
つ、つけあがりやがってこのネコぉ……
「ラリー、あなたの方がポンテスより、体が大きいのだから我慢なさい。
ポンテスもラリーをおちょくらないでね」
「はーい、ママにゃん❤」
「何がママにゃんだよ……」
「ラリー……」
「分かりました、お母様」
何が分かったかもわからないまま、俺は面白くはないがママを不愉快にするのは嫌だったのでそう言ってママのたしなめを受け入れる。
ママはそんな俺の納得していない気持ちはお見通しだったらしく、おなかの上に乗ってる俺の頭を優しく撫でながら言った。
「ラリー、あなたはお兄さんになるの。
妹か、弟が生まれてそれを守る逞しいお兄ちゃんになるの。
強い、強いお兄ちゃん。皆を守ってね……」
「……うん」
俺は髪をなでるママの優しい手に言いようのない安らぎを覚え、素直に頷く。
不意に兄貴とパパの顔を思い出す。
意味もなく涙がこぼれた……
コンコンと、この離れの扉を誰かが叩いたのはその時である。
元御者のワナウが出迎えた、彼はすぐにママの元にやってきて言った。
「奥様、男爵夫人がお見えでございます」
「え?」
「お通ししてもよろしいでしょうか?」
「ええ、入ってもらって」
ママはそう言うと玄関に向けて立ち上がる。
やがて一人の使用人と、小さな女の子を伴って、瞳の中に不安をため込んだ、どこか挙動がおかしい、若くて美しい女性が現れた。
やせ細って、鳥ガラの様な体つきだった。
「マルキアナ、部屋から出ても大丈夫なの?」
「ええ、やっと春になったし、寒くなくなったから。
後それと、あなたの事が心配で。
後それと、少しは歩かなくちゃと思って。
後それと、息子さんに挨拶をしたくて。
後それと……」
お、おうふ。なんだかキャラが濃ゆ目だぞ、この女性。
後それと……のあとを何回話すんだよ?
ママはびっくりする俺の傍で、慣れたもので彼女の話を遮る事無く、穏やかな笑みで聞いている。
そして話がひと段落付くと、やってきた人皆に椅子を勧めた。
彼女は小さな娘を抱き上げると、俺の顔をどこか不安にさせる表情で見つめ、俺に声を掛けた。
「大きな息子さんね。
年齢は13歳ぐらいかしら?」
「いえ、俺は9歳です」
俺がそう答えると、マルキアナとママに呼ばれた女性は目を真ん丸くして言った。
「まぁ、この子はバルザックの血が濃ゆいのね!
全然9歳には見えない。
あなたのお祖父さんのアルローザン様もたいそう体の大きい方だったから、それを受け継いだのね」
「え、僕のおじいさんを知っているのですかッ?
話を聞かせてください!」
実はこれまで俺は自分の祖母や祖父なんかに会った事が無い。
なのでとっても気になる!
俺は全身で“超聞きたい!”を表現しながらマルキアナさんに迫ると、彼女は不安そうな目を一瞬で輝くような目の色に変えて、俺の頭を撫でながら、ママに言った。
「アッハッハッ、この子良いわね。
面白い子よ、それに見た今の感じ。
好奇心旺盛で、アルローザン様にそっくりよ!」
「似て無いわ、パパはもっと厳しい感じだったもの」
「そんな事無いわ、私やルバーヌには優しかったもの。
なんか新しい物を見つける度に、こんな感じで『これはどんな理なんだ?』とか言っていろいろイジっていたもの。
大体傍にボグマスが居て二人であーでもないこーでもないって……
そう言えば、この子はボグマスの弟子でしょ?」
いきなり懐かしい名前が出てびっくりである。
俺は「そうです、マスターをご存じなのですか?」と言って、彼女の話に食いつく。
ところがマルキアナの中に俺はいなかったらしく、俺を無視してママと昔話に花を咲かせる。
……なんだろ、屈辱的だ。
するとうちのネコが俺の傍にやってきて、軽くウィンクをして見せ……
なに?なんの用なの……
「敗北者ニャ……」
次の瞬間俺は奴に飛び掛かり、そして奴はヒラリと逃げだす。
「ラリー、うるさいから向こうに行きなさい!」
な、なんで俺が怒られるの?
理不尽じゃないか!
俺はとにかくしぶしぶこの部屋から出て行く事にした。
「あれだけ元気だと服はどうしているの?」
「実はあの子裁縫が出来るの、夜になったら自分で生地を裁断してシャツとか作っているわ」
「え?そうなの」
「この前も防寒着に皮の上着を作ったり、本を見て大概のものは作ってしまうの。
直ぐ体が大きくなるから助かるわ……
多分材料は屋敷から勝手に持ち出していると思うけど……」
「いいわよ別に、だって誰も何も言わないんでしょ?
それなら大丈夫よ、でも本当に器用な子ねぇ。それより……」
俺は母親と、マルキアナさんが話しているのに割り込めず、そのまま外へと出た。
中々な9歳児ですよ、いい嫁にもなれますよ……俺の事に関心持つなら今のウチですよ。
そう思ってチラッと誘うように振り返ってみたが、二人は完全にガン無視だ。
いや、と言うより。二人とも俺の事より春の天気と散歩の話で盛り上がっている。
しかもマルキアナさんは、聞いているとボンボン思いついたように話の内容が飛ぶ人の様だ。
基本的にはウチのママさんに対して、一方的にあの人がマシンガントークをしている。
マルキアナさんは男爵夫人と言う事なので、おそらく植物状態に陥っている俺の叔父さんの奥さんなのだろう。
……随分と変わった人を叔父さんは妻に迎えたものである。
そしてママもどうやら昔から彼女の事を知っているようだ。
一体どう言う関係なのかちゃんと聞きたくもあるが、あの叔母さんの目の中にどうやら俺の姿は認知されない仕様らしい。
大人にとって、子供と話すことは面白くもなんともないから仕方がないが、なんとなく俺も面白くはない。
……このまま外で剣でも振るおうか。
そう思って外の小さな物置小屋にある木剣を手に取って剣をふるっていると、ウチのクソネコを抱きかかえた小さな女の子が出てきた。
……マルキアナさんの連れてきた女の子だ。
「どうしたの?」
「ママ、お話に夢中なの……」
そう言うなり悲しそうとも、期待していそうとも言える目で俺を見つめる小さな子。
なので俺も「ふーん。じゃあ俺と遊ぼうか!」と言って彼女の子守をする事にした。
こうして俺はこの出会ったばかりの従妹と、追いかけっこをしたり、小刀でウサギの彫刻を彫って、プレゼントしたりして楽しませてあげた。
そうしているとふと思うんだけド……
そう言えば子供らしい遊びなんか、いつ位ぶりにやっただろう。
王都から離れてから、遊んだ記憶がまるでないや。なんか、そう考えると辛い。
……久しぶりの遊びは面白かった。
血縁者と仲良くなれた事は良かったと思う。
女の子の名前は女神さまの名前を取ってフィリアちゃんと言った。
『お兄ちゃんと呼んで』と、お願いしたら快く聞き入れてくれた。
うーん……かわいい子である。
結局ママとマルキアナさんのお喋りは続き、叔母さんとフィリアちゃんはこのままここで食事をとってから、寝室のある屋敷の本館に帰って行った。
◇◇◇◇
―一週間後
「……と、いう事が一週間続いているんだよ」
俺は叔母さんが男爵夫人であることは伏せ、知り合いの困った叔母ちゃんが、俺の家に入り浸って困ると言う事をジリに相談した。
「はぁ、知らねぇよ……
知り合いが此処にいてよかったじゃねぇか。
俺なんか昨年の冬に爺さんを亡くしてから、妹一人だけだ……」
「いやいや、俺がいるでしょ?」
「えっ、居たっけ?」
「いや、居たっけじゃねぇよ!」
「ああ、あははは。悪い悪い。
お前も俺の大事な知り合いだよ」
「お前さぁ、思い出したかのように言ったよね、ひどくないか?」
俺達はこうして、いつもの様にじゃれ合いながら目的の場所を目指す。
「げ―げぇ、ゲッ(もう少しで目的地なんだから、気を引き締めろよ)」
そんな俺達を、俺の肩に居るペッカーが叱りつける。
「分かったよ、気を引き締めるって」
俺は(相変わらず妙な所で真面目なんだよな、コイツ)と、キャラのぶれない小さなキツツキに、軽い返事を返す。
やがて俺は、ジリにアイコンタクトでウチの“先生”が不愉快そうだと目で伝えた。
サインを受け取ったジリは黙って苦笑いを浮かべ、そして目の前の道を見据えて歩き出す。
しばらくこうして歩くと、ちょっとした傾斜のある坂の向こうに奇怪な景色が広がるのが見えた。
広がる赤土のやせ細った荒れ地、その先に広がる瓦礫の様な石くれの敷き詰められた谷。
そして脇にそびえる岩壁は白だったり黒だったり、そしてそこに彩る帯状の黄色が波打って横に幾筋も走る。
この奇抜で珍しい風景の広がるこの場所こそが……悪魔の谷である。
僅かな草と灌木が、申し訳程度に生える荒れ果てた荒涼の世界。
谷を吹き抜ける風に硫黄の匂いが籠る。
……ガーブウルズとその周辺は火山地帯だ。
その中で最も大きな活火山が悪魔の谷と呼ばれる、この地域なのである。
この地の歴史について話そうか。
悪魔の谷は、今から300年前は大きな山だったらしい。
だがその頃この地方を壊滅させる大噴火があって、かつて存在した山は吹き飛んだ。
悪魔の谷はその時まであった山の名残の一部である。
300年前の大噴火の際、溶岩はそのままガーブウルズの反対側へと流れだし、ガーブ地方は未だのその大災厄から立ち直れてはいない。
さてガーブ地方の俺のイメージとはズバリ赤土と、雪、そして野蛮である。
そして悪魔の谷はそんなこの土地のマイナスイメージの内、赤土に最も関係がある火山だ。
実はこの地の赤土は、この悪魔の谷の噴火によって、この地に広く降り積もった火山灰が起源である。
そして悪魔の谷は酸性の土壌と、作物が育たない、栄養が少ない荒れ地をこの土で作った。
……ガーブ地方が貧しいのはこのせいだ。
俺もこの地で暮らして初めて知ったのだが、この地の産業は傭兵と岩塩、そして炭街道沿いにある泥炭を乾燥させて作った、燃料位しかない。
一応野菜を育てる畑はある。
だが、土地の養分を食い尽くすのが特徴の、小麦栽培に対しては、赤土がそれを許さないのだ。
他の農作物の収穫量も推測される、間違いなく輸出はできないだろう。
……しかも泥炭地だって農業に向く土地ではない。
だけれどもガーブ地方はそれなりに豊かに見える。なぜなら皆食うに困っていると言う訳でもないからだ。
……傭兵がそれだけ儲かっているという証拠である。
こうして悪魔の谷が赤土を、厳しい気候が雪を、そして傭兵業が野蛮な男を作ったのだ。
さて話を少し変えるとこの、この土地に根付く災厄の源の様な悪魔の谷だが、全くこの地に恩恵をもたらさないかと言うと、そうでもない。
実はガーブウルズとその周りはアルバルヴェ王国でも有数の温泉地なのだ。
そしてそのお湯こそが、この荒れ地に王国でも有数の大都市ガーブウルズを誕生させた理由である。
実はガーブウルズはここ、悪魔の谷の源泉からお湯を上水道で運んでおり、街の公衆浴場で住民に暖を取らせている。
衛生の向上にも役に立っているのだ。
なので他所よりも伝染病もあまり流行らないらしい。
しかもお湯の湧出はここ悪魔の谷だけではなく、一応ガーブウルズにも温泉が湧出するところがあるのだ。
ただし、そのお湯は旧市街地の住民の為に使われている。
先述の上水道のお湯とは、悪魔の谷からガーブウルズ新市街地の住民に供給されるお湯なのである。
理由は高低差の関係で旧市街よりも4メートルほど高い場所にある新市街地には、お湯が供給できないからである。
ポンプ……無いしね。
転生知識でポンプ作れれば俺も儲かるんだけどなぁ。
本を見て作る分には、俺は器用だから結構すぐに作れるんだけど、無いと作れないや。
……原理、知らないしね。
さて話を戻そう。
俺達は悪魔の谷の入り口に辿り着くと、さっそく肩に止まっているペッカーに声を掛けた。
「それでは先生、偵察よろしくお願いしますっ!」
ジリも「ペッカーいつもすまねぇなぁ」と挨拶し、それを聞きながらペッカーは鷹揚に頷いて空に飛び立った。
誇り高い“ラブ・イズ・オーバー”に仕事してもらうには、こうしないといけないのである。
「いやぁ、お前が“母無し子”の偵察に行くと言った時は(コイツ馬鹿じゃねぇ?)と思ったけどこういうやり方を思いついていたんだな」
「ふっふっふっ……
俺も勝ち目無しに危険な事はしないよ。
最初にペッカーに空から“母無し子”を見つけてもらってから、アイツを避けて侵入すれば効率がいいからな」
困った事があったら、何かとウチのペット達は力になってくれる。小さなころから一緒に暮らしているから、なんだかんだ言って兄弟みたいなもんだからな……
こうしてしばらく待っていると、ペッカーが戻ってきた。
「げぇげぇ、げぇーぐぅわぐわっ(少なくともここいら辺にはいない、谷に居ないのか陰に隠れているか分からないが行けるぜ)」
「よーし、じゃあジル行こうか」
「おう。しかしいつ聞いても凄いよな」
「何が?」
「お前鳥の言葉判るんだな……」
「いや、ペッカーだけだぞ。
ウチのアホなネコに教えて貰ったんだ。
毎日聞いていたらお前もわかるって」
「へぇ、そんなもんかね……」
「ポンテスが言うには基本的には聖地の言葉と一緒なんだそうだ、文法は。
だから規則性があるからそれさえ覚えれば楽だったぞ」
「へぇ、やっぱ王都で勉強するとそうなるのかね。
俺にはできそうも無ぇな……」
「勉強だったら教えようか?俺は兄貴からみっちり仕込まれたから、10歳までに習う事なら教えられると思うぞ」
俺達がそう会話をしていると、ペッカーが「げぇー(無駄話は終わりだ!)」と言って、行動を急かした。
谷に入ると、やはりまず感じるのが辺りを漂う卵が腐ったような硫黄の臭いだった。
俺達の服も水洗いをしただけの服なので、すぐにこの匂いに染まる。
話は変わるがこの臭いの為、ジリの妹のラーナちゃんは、家の外で着替えないと家に入れる事を許してくれない。
わざとらしく咳き込んで出てけと言われたら、なかなか逆らう事は出来ないしねぇ。
……女の子は神経質で大変だ。
話を戻そう、漂う硫黄の臭いで鼻をやられながら、俺達は周囲に目を配る。
そして高台やら、見晴らしの良い所を見つけると、ペッカーに見てもらってからそこに登って周囲を観察する。
そして地図を作るために、アーでも無いコーでも無いとジリと話し合う。
これは悪魔の谷があまりにも広大な為、作った地図を、ボスであるバームスに日報と一緒に提出する為である。
要は仕事をこれだけしましたよ、と見せるのが目的だ。
バームスはこれに対しては何も言わず「んッ」とだけ言って、事も無げに俺達の提出物を回収するだけだが、特に何も言ってこないのでこれで仕事の進め方は良いのだろう。
「一昨日の作った部分がこうだから、ここはこの辺りにあたると思う」
「もう少し東じゃないか、だってあのとんがり山はここに無いとおかしいだろ」
「だけどここの大岩……」
「思ったよりも今北に居るんじゃね?」
素人が作る地図の悲しさだ。
二人とも測量結果でモノを申している訳ではないから、だいぶ適当なのである。
ジリは地図を作り、俺は目印となる大岩などをスケッチする。
こうして手早くこの辺りの地形を記録すると、俺達は再びペッカーを飛ばした。
すると今回ペッカーはすぐに帰ってきた。
「どうだった?」
この様子に何かを発見したんだと思った俺。
すると、ペッカーが答えた。
「げぇ、げーぐわっ(居た、ここから西で剣士を襲撃しようとしている)」
聞いた瞬間思わず鉛のようなつばを飲み込んだ。
ジリも「どうだった?」と言って尋ねる。
「西だって、襲撃する気らしい……」
「そうか……風下に回ろう」
こうして俺達は岩場から岩場に渡りながら、西へとペッカーの案内で向かっていく。
そして風下かつ、道らしき場所を見下ろす場所に辿り着いた。
俺達の上空にはペッカーが飛んで、見守ってくれている。
ここで岩場に隠れながら、顔だけを出し俺達は確認し合う。
「ペッカーが言った場所から西を目指すなら、ここは必ず通る」
「ああ。先週地図を描いたから間違いないな……」
西から東に向かう際、ペッカーが見たという場所からなら、ここまで分岐点がない。
さらに言うとここで待伏せしようと決めたのは、逃げ道も確保できるからだ。
ここでしばらく待っていると、遠くから二人の剣士がこちらに向かって歩いているのが見えた。
二人ともまだ若い……
「墓を“汚し”に来たのかな……」
そんな二人を見てジリがそう呟いた。
墓を“汚す”と言うのは、剣士の若者に流行っている度胸試しで、この“母無し子”の母親(正確にはそう言われているだけだが)の墓から石や、木の墓標を削り取って持って帰る事である。
そうすることで名誉があると思われているそうだ。
聞いても俺なら首をかしげてしまうが、まぁそういう事である。
その為“母無し子”も、冬が過ぎてもこの谷から出ずに墓守としているらしい。
……餌となる動物もまばらなこの地で、一体どうやって暮らしているのか謎ではある。
それを聞いたジリは先月辺り「はぁ、一年を通してあんなおっかないゴブリンに、ガーブウルズ近くで居座られたらたまらんぞ……」と、ぼやいていた。
……まぁそれは余談だね。
さて遠くから歩いてくる剣士は、辺りに注意を払いながら、威風堂々と歩いていた。
それを見てジリが「あいつら強そうだな」と呟く。
俺は「でも多分まだまだじゃない?」と答えた。
「なんで?」
「あいつら歩き方がふわふわしてる。
敵地の歩き方じゃないよ」
クルリと回転して周囲を見回していたりと、動きが警戒心に満ちているが、なんか不安を抱かせるのだ。
ジリは「考え過ぎじゃない?」と言って、俺の言葉に首を傾げた。
やがて俺は同じく高台に潜む、一人の浅黒い肌の男の存在に気が付いた。
黒と言うよりも濃い緑と言うべき肌の色……ゴブリンである。
だが、それはゴブリンでありながら、ゴブリンとは言えない生き物だった。
逞しい人間の骨格を持ち、ゴブリンの肌の持った、野生動物と言った印象の生き物である。
ボサボサの長髪の下で、ギラギラとして、飢えと渇きで落ち窪んだ目が特徴的だった。
それを見つけた俺は「ジリ、高台に……」と囁いた。
ジリも「ああ、居やがった」と答える。
汚れる毛皮に身を包み、静かに隠れるこのゴブリンこそ“母無し子”だ。
今回で見かけたのは4回目になる。
「相当飢えてる……」
隣のジリが“母無し子”の様子を見て、独り言をつぶやいた。
「一週間ぶりだから、たぶん今日は何が何でも狩ると思う……」
ジリの言葉に俺も頷く。
こんな不毛の大地で、ロクな動物が居るはずもない。
狩猟に向かない悪魔の谷。
もし獲物が居るとするなら、人間位しかいない……
ここ一週間、悪魔の谷に俺たち以外で入った人はおそらくいない。
少なくともペッカーは見ていない。
だとしたらそれはそのまま、一週間奴の絶食期間になる筈である。
実際遠くから見る、奴は間違いなくやつれている。
そんな“母無し子”の様子を注意深く観察していると、奴は静かに大人しく高台に身を潜め、そして静かに待っている。
やがて、何も知らない若い剣士二人は、その下を通り過ぎた。
その直後である……
“母無し子”はやおらに両手に大きな岩を頭上に掲げると、そして躊躇いもなく二人の背中めがけて投げ飛ばした。
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
岩は一人の背中に当たり、それを見た片割れが悲鳴を上げる。
岩を食らった男は必死に立ち上がろうともがく、やがて口から血をあぶくと一緒に噴出した。
残った一人は腰の剣を抜き払い、そして辺りを見回す。
わーっ、ギャー、どこだ?どこに居る!
彼は正気を失い、動揺もそのままに叫びをあげる。
……慌てふためいた様子が、ここから見えた。
「ギャッ、ギャッギャァァァァァァァッ」
“母無し子”は、見た目からは想像も出来ないほど高い声を上げ、頭上から剣士を威嚇する。
隠れる事を辞めた奴は、ギラギラと目を歓喜に振るわせながら長い棍棒を手に、斜面を一気に駆け下りた。
それを見た剣士は突きの構えを取る。
「わーっ、わーっ、わぁぁぁぁぁぁぁっ!」
彼が発する掛け声は“母無し子”を威圧すると言うよりは、動揺する自分自身の心に言い聞かせるようだった。
……無理にでも自分を奮い立たせるような、若い剣士の浮つく叫び。
それを嘲笑うように“母無し子”は「ギャッ!」と叫ぶと、手にした棍棒で打つそぶりを見せる。
その様子に敏感に反応する彼を、楽しむかのようだった。
いや、実際に楽しんでいる。おちょくっているのだ。
……ニンマリと笑う奴の顔がそれを物語る。
明らかに“母無し子”に威圧され、身体を遠くに置き、出来るだけ安全なところから突く剣士。
その切っ先を横に幾度も払いながら、飛び込むタイミングを計る“母無し子”。
完全な我流、野生の棍棒……
理ではなく、本能、感性……そして力。
見ると“母無し子”は相手に見えないところで、後ろ足を巧みに前に持ってきて、踏み込みを深くしたり、攻撃線を外すべく斜めに動いたりと。
理を知らないながら、見事に理を知っているかのように動く
そして見てて驚くのだが……奴は体が柔らかい、そして強い。
そんなポテンシャルから振るわれる力任せの棍棒の一撃。
相手を圧倒するほど速く、そして剣では出せないほど重々しい。
風切音が聞こえてきそうだった。
やがてその単純極まりない暴力に押され、剣が彼の手から落ちて行く。
……振り下ろされる“母無し子”の棍棒。
くらった剣士の首があり得ない方に折れ曲がった。
剣士は次に何歩かフラフラと歩き、そして倒れる。
その体に幾度も振り下ろされる“母無し子”の棍棒。
やがて奴は残ったもう一人もその棍棒で滅多打ちにした後、一人の剣士を担いでこの場を立ち去った。
それを見た俺達も“母無し子”が消えたのを見届けた後この場を立ち去る。
残された一人の元に駆け寄らなかったのは、とどめを刺されたと判断したからである。
俺達はこの事をバームスに伝える事を優先したのだった。
その帰り、俺達は何も言葉を発さなかった。
胸に鉛のような重たさがぶら下がる。
振り返ると見捨てられた剣士が手招きして、俺達を呼び出しそうだった。
一部始終を見届けた俺達は、罪の意識と、そして恐怖、どうしようもなかったという言い訳に心満たされる。
……誰かが殺されるのを初めて見た。
胸の鼓動がそれを思い返してドクドクと鳴り響く。
なんと言っていいのか分からなかった。
……この感じ、嫌いじゃなかったのだ、俺は。
更新が遅れてすみません、精神を立て直して頑張ります。
まだ……お約束はできませんが。