ラリー・チリ
―2カ月後、ガーブウルズのハンターギルド
「はい、これが今月の報酬……」
大人と背があまり変わらない少年と、小さな少年の凸凹コンビが報酬を受け取る。
その幼さと不釣り合いな程に、ズシリと重い金貨袋のたわみが、その様子を見ていた大人たちの目線を奪った。
こうして、羨む大人たちの監視の目が怪しく光る中、ギルド職員の女性が溜息を吐いて、幸運を手にした少年達に報酬の内訳を説明した。
「ゴブリンが26匹に、オークが2匹。
魔物化したオオカミが4匹に、同じく魔物化したウサギが2匹……
今月あなた達の討伐した獲物は、以上で間違いないわね?」
「ああ、間違いないぜ」
小さな男の子が得意げになって頷き、隣で体格の大きな男の子がメモを取る。
「ゴブリンは一匹200サルトだから5200サルト、オークは一匹2000サルトで狩猟対象品を完品納品で2匹だから4000サルト。
魔物化したオオカミは一匹800サルトで4匹だから3200サルト。
魔物化したウサギは狩猟依頼が来ていたから一匹3000サルトで2匹だから6000サルト。
で、合計が……」
「18400サルト……」
背の高い男の子が、すかさず合計金額を言う。
「……ええそうよ、ラリー坊やは計算が早いわね」
「……どうも」
ラリーと呼ばれた少年は下から警戒心もあらわにそう答えた。
前回報酬を少なく渡されそうになったので、警戒をしているのだ。
彼はギルドの連中は手癖が悪いと思っている。
その事を知っている女性職員は、もっともらしく溜息を吐くと「前回の事を根に持っているなら、悪かったと思っているわ。でも分かって、誰にも間違いはあるの。それが計算間違いだったと言う事よ」と自己を弁解するような言葉を唱えた。
それを聞くラリーは黙って何度か頷いた。
只だからと言って信用しているわけではないらしく、相変わらず警戒心も露な目で見つめる。
そんな相棒の剣呑な様子に、背の小さな男の子が「ま、まぁいいじゃねぇか、金も入った事だし今日はその辺でさ?」と言ってこの場を打ち切ろうとした。
ラリーと呼ばれた少年もこれ以上揉めるのは嫌だったので、さっそく袋の中に入っている18枚の金貨と4枚の銀貨を確認し、手早く折半する。
そして分けた半分を相棒に渡すと、彼は持参した財布の中に入れた。
「オウオウ、坊やたちそんな大金を幼いころから持ち歩くなんて感心しないなぁ。
どうだい俺に預けてみないか?何倍にもしてやるぜ」
少年たちが手にした大金を見て、欲にかられた狡賢そうな男が、ラリーと呼ばれる体の大きな男の子に声を掛ける。
ラリーは「ふっ……」と鼻で笑うと、敵意を抱かせない爽やかな笑みを一つ浮かべて答えた。
「いや、使い道があるんだ。
ママに渡さないといけないんでね」
「ふん、ママねぇ……」
その後の言葉は聞くつもりはないのか、ラリーは「ジリ、早くラーナちゃんに見せてやろうぜ」と言って、二人揃ってこの建物を出て行った。
パタンと閉じたギルドの扉、残される沈黙。
中にいるハンターの一人は、ため息交じりで呟いた。
「嫌になっちゃうよなぁ……
二人で分けても一人頭、俺の3か月分稼ぐんだもんなぁ」
それを聞いて絡んだ男も「面白くねぇ……」と呟いた。
それを聞いた女性職員は「だったらアンタ達も鹿じゃなくて、ゴブリンでも狩れば?」と答えた。
すると二人は慌てて答える。
「いやいや、死んじまうだろうが……
だいたい冬のガーブウルズでそんな
“討伐ごっこ”に精を出すんなら。
バルザック家に付いて行って、地方の紛争に傭兵として参加したほうがましさ」
「そうそう、あれなら一月に金貨10枚は固い。
上手くやれば略奪にも参加できるしな!」
すると、事情を察した同じギルド内の、別の男が“イッヒッヒッヒッ”と笑う。
そんな二人を嘲笑うようなギルド内の空気が、女性の問いに答えた二人の気持ちをささくれさせるのに時間は掛からない。
さらに言うとそんな二人の様子を見て、例の女性職員が「呆れた、ほんとタマ〇ンの小さな男……」と言ってゲンナリした表情を見せてしまう。
その様子にラリーに絡んだ男が激昂して叫んだ。
「馬鹿を言うな!俺はな、若い頃足の筋をやってしまったんだ!
参加しないんじゃねぇ、出来ねぇんだよ!
生意気言うな、クソ女めっ!」
「はいはい、そうでしたそうでした。
だからこの前ラリー坊やにちょっかい出して叩きのめされたんでしたね」
言われた瞬間、ラリーに先程絡んだ男は、口ごもって黙ってしまう。
「形無しだな、イッヒッヒッヒッ……」
「仕方がねぇだろ、あのガキ9歳には見えないほど体格がデカいんだ。
しかも王都でソードマスターの弟子だったんだろ?
そんなエリートに勝てる訳がねぇ!」
「まぁ、そうだな。
春になって男達が帰って来るまでは、あの坊やの天下だな」
「まぁ、せいぜいそれまでつけあがらせて置けばいいさ。
地方の紛争から男達が帰って来たら、あのガキ……必ず痛い目に合うぜ。きっとなッ!」
男が座った眼で、そううそぶくと、職員の女性は、溜息を吐いて言った。
「ちょっとやめてよ、ウチの稼ぎ頭なんだから。
あの子一人であんたら3人分稼いでくるんだよ。
可愛げは無いけど今のウチでは大事なハンターよ」
すると男はますます面白くない様子を浮かべ「稼げれば何でも良いって訳じゃねぇぞ!ヨソ者にデカい顔されて悔しくねぇのかよっ!」と叫んだ。
そんな彼のやるせない思いは、女性職員には取るに足らないお話しに思われ、呆れた声で「はいはい……」と軽く流された。
その様子に“自分は軽んじられている!”と思った、ラリーに絡んだ男は、血走った目で女性職員を睨みながら言った。
「アイツはこのギルドの調和を乱した。
職員のアンタから見てこの事はどう思うんだ?
何とも思ってないんだろっ!
だからここのギルドはダメなんだっ!
お前らは金、金、金……金さえ稼いでくれればそれでいいと思っていやがる!
だが待てよ……そうだ、いい事を思いついた。
この事をバームスに言おう!
きっとバームスに言ったら、きっとあのガキ、ただじゃ済まねぇぞ」
「……あの子が何をしたの?」
「調和を乱したっ、言ってんだろ!
サッサと消えろ、このクソ女!」
この激昂した様子に女性職員は、面倒な事に発展する匂いを嗅ぎつけた。
……なので彼女は、急いでここから立ち去る。
後に残された男は「だから女はダメなんだよ、頭が悪すぎる……」と勝ったように呟いた。
それを慰めるように、戦争に参加したら金貨10枚もらえると嘯いた男が言う。
「まぁまぁ……バームスが戦地から帰ってきたらきっとギルドの空気も、ピンッと一本筋の通った空気に変わる。
だらけたギルドの空気もそれまでだ……」
「ああ、雪解けも間もなくだしな」
「それはそうと聞いたか、西の悪魔の谷の狩猟小屋に“母無し子”が住み着いたらしい」
「えっ、あの悪魔が?」
「イライナの墓があそこにある。
雪が解けるまでいるのか、それともずっと居るのかはわからねぇが。
あそこに近付くと食い殺されてしまう」
「そうか、そいつは厄介だな。
……なぁ、ラリーと“母無し子”だったらどっちが強いかな?」
「お前!それは……」
「馬鹿、本気になるなっ。
ふとそう思っただけだよ、別にけしかけたりはしねえよ。
相手はまだ9歳のガキだぜ?
流石に俺だってそれ位の分別はあるわなぁ」
「本当かよ、焦らせるなよ」
「わるぃわるぃ……エヘヘヘ」
「……まぁあのラリーも強いが“母無し子”は狡猾だ、まともな戦いになれば別だが、そうはならんだろ。
おそらく“母無し子”が勝つに違いない」
「やっぱりお前もそう思うか?」
「そうだが、どうした?」
「いや、別にどうもしねぇよ。
エヘヘヘ、エヘヘヘへっ……」
◇◇◇◇
ギルドから出て行った先の路上では、ラリーがイライラとした表情で、明らかに機嫌も悪く歩いている。
新米ハンターとしての活動も間もなく2か月になる彼は、ここガーブウルズに来るまで、あそこで出会うような、ガラが悪い大人に会った事が無い。
まぁ無理もない話で……
彼がこれまで出会った大人は、皆立派な社会手地位の持ち主ばかりだった。
……貴族世界に生きていたラリー。
社会の底辺と直接、接する事が初めての彼はハンターに成ってから、ガーブウルズでは戸惑いと苛立ちが日々止まる事が無い。
なので最近では毎回毎回、出る杭がこうも露骨に打たれるのか?と最近では感心する様になってきていた。
今となっては用件が済むと、彼はいつもの様にからかう大人から逃げるようにギルドから出て行くのが常である。
彼を苛立たせるハンターギルドの面々……
報酬をちょろまかすスタッフに、稼ぐ度に絡んでくる稼ぎの悪い組合員。
ハンターとしては稼げるようになったが、この様に人間関係では、想像していたのとは違うストレスが、彼を常に怒りへと駆り立てていた。
彼はこのやさぐれた心そのままに、相棒のネザラスに声を掛ける。
「あのクソおやじもう一回ぶっ飛ばしてやろうかっ!」
ラリーのその怒りの声にネザラスは温かい財布の中身の様に、朗らかな声で答える。
「アッハッハッ!いいんじゃない?
どうせあいつらなんて大したことないポンコツなんだし。
冬のこの時期に紛争に出かけないなんて、稼ぐ気もない連中だと思うぜ。
良いよ良いよ、やっちゃえ、やっちゃえッ」
ネザラスはそう言って先ほど絡んできた、ハンターの事を嘲笑った。
……さて、ネザラスが言う“冬のこの時期”についてお話をしよう。
ガーブ地方は貧しい土地だ、加えてここの男達は伝説の英雄“豪傑バルザック”ことワルダ・マロルに従った、傭兵達の子孫である。
だからこの地方の男は、血の気が多く、そして戦争に参加することを何とも思わない。
そしてこの地を耕すよりは戦争で手早く稼ぐことを好む人が多い。
結果戦う事、そして強い事、勝てる事を最上とする、独特の精神的な風土習慣がガーブ地方に根付いた。
そんなガーブの男達は、農作業が無くなる冬の厳冬期、地方領主の紛争に参加して傭兵として一稼ぎする。
実はこの収入がガーブ地方の収入の大きな部分を占めている。
しかも貧しい土地で生きる人々の為、一人一人が稼いできた収入の10分の1を、税金として回収し、領主であるバルザック男爵は、毎年小麦を他の地方から輸入している。
これがこの地方に住む人の食事を支えているのだ。
だからこの冬の傭兵事業は、ガーブ地方を上げて奨励される事業で、戦える戦士達の評判と業績が、この地方の食糧事情を支えていた。
そもそも王都から伸びる小麦街道とは……
この辺境の為に、小麦が取れる地方から、大量に小麦を運び入れる為の街道である。
結果“冬の時期”と言うのはこの地方の食糧事情に特に重要視されるシーズンと言う事になる。
……口減らしと言う意味ももちろんあった。
こうして腕に覚えがあり、戦える男たちは、故郷の為に、領地の外に遠征に出て言って稼いで来る。
……これが、強くない男は“鉋屑”程の価値もないと言われる、ガーブ地方特有の文化を育てたのである。
この地方が剣の聖地となった理由もこれで説明ができるだろう、弱い者は尊敬されないのだ。
この地で生活の為、生き残る為に強くなる為の修業が貴ばれるのは当然である。
戦えないものは小麦でパンを焼く事も出来ないのだから……
だから今の時期にここガーブウルズに居るのは、戦争で戦えない男達ばかりだ。
ガーブ地方の価値観で言う所の2流の男か、領主屋敷に勤める官僚や、役人しか居ない。
だからネザラスは(連中はポンコツだ!)と言っているのである。
……話を戻そう。
こうしてラリーを不愉快にした奴らを嘲笑う事で、気を紛らわせた二人は、近くの工房街を目指して歩く事にした。
彼等はギルドから飛び出したその足で、さっそく武器を扱う、馴染みの鍛冶職人の元を訪れる。
他の建物よりも小振りだが、真新しい建物の中に入った二人は、早速中に入ると声を掛けた。
「どうも、お金持ってきたよ」
店内にネザラスの声が機嫌良く響く。
……ネザラスの愛称は“ジリ”である。
ジリは鍛冶屋の建物に入るなり、中にいる若い職人に向かって、中身の入った金貨袋を機嫌良くひけらかした。
出てきた若い職人は”お金を持ってきた”と言う声に、安堵した表情で答えた。
「ああいらっしゃい。
良かった、今日引き取りに来てくれて助かったよ。
コッチも修復は終えている、今持ってくるから」
ここの工房で唯一の職人であり、店主でもある彼はそう言って、店の奥に引っ込んだ。
工房は職人の世界だから腕がモノを言う、年若い彼に仕事を持ち込む人は少ないのだろう、店の中は閑散としている。
さて……どうしてラリー達がこの様に寂れた工房に仕事を依頼しているかと言うと。
実はいきなりやってきた子供二人の、武器修復依頼を快く受けてくれた唯一の職人が、彼だからである。
なので、二人はいつもここで出している。
そんな静かな店の奥に引っ込んだ職人は、しばらくして手に二振りの剣をもって現れた。
長剣と片手用の短い剣。長い方はラリーが、短い方はジリが手に取り眺める。
その様子を見ながら職人は語りかける。
「短い剣はそろそろ限界だよ。
上手く相手を切れてないのか、それとも硬い骨を切っているのか分からないけど、結構痛みが激しい。
これ以上研いで薄くなったら、強度は出ないから覚悟してくれ」
それを聞いたジリは悲しそうな顔で「この剣は親父の形見なんだ……」と呟いた。
ジリはまだ剣の技量が未熟だ。しかも間違って地面や岩などを叩く事が多い。
練習不足なのだ、それでも生活の為に実戦をせざるを得ない。それが剣を痛める原因になっている。
ラリーはそれを聞いて「同じような片手剣は有りますか?」と尋ねた。
職人は「あるけど、2000サルトするよ」と言った。
それを聞いてラリーはジリに「ジリ、剣を買ったほうが良い。お金が心配なら俺が半分出すから……」と言った。
「いいのか?」
「良い、戦っている最中に折れたら死んでしまう。
そっちの方が大変だ、剣と防具はケチらないほうが良いよ」
こうして二人は相談して、剣を買って、ついでの革製の防具を買う事にした。
しめて金貨で6枚、6000サルトの出費である。
会計と商品引き渡しをすませ、さてこれから帰ろうか……と思っていると職人が言った。
「助かるよ、正直……
これで何とか今月暮らせそうだ」
「あまり売れないんだ?」
「まぁお恥ずかし話だけどね……
領主様から許可証を貰って開業したは良いけど、(鍛冶)ギルドからは歓迎されていなくてね。
ハンターからも、傭兵からも、そして貿易商からも受注がもらえないんだ。
そして御領主様は今病床に居る。
……なんてツイていないのか。顧客は君らと後訳アリの、まぁ……そうだね」
それを聞いてラリーは(えっ、この店ヤクザ御用達?)と、思った。
実際、当たらずとも遠からずである。
……彼は生活の為に、客を選ばずに仕事を受けていた。客の素性は知らない。
そしてそんな彼は、ふと他のお客さんから聞いた情報を思い出してラリー達に言った。
「ああそうだ、ふたりとも西にある悪魔の谷って知っているかい?
いま、あそこには近づかない方が良いよ。
他のお客さんが言っていたけど“母無し子”が今住み着いているらしい……」
数少ない常連客の為に、警告した店主。
ラリーはそう言われても“母無し子”を知らなかったので訝し気な表情を浮かべるのみである。
この様にして首をかしげる彼の横で、ジリが欠伸をしながら答えた。
「大丈夫だよ“母無し子”が居るって言うなら、他のゴブリンもいないんだろ?だったら行かない、言っても無駄さ……」
それを聞いてラリーが尋ねる。
「な、なぁジリ“母無し子”ってなんだ?」
「あれ?お前知らないの?」
「ああ……」
「へぇ、勉強でも剣でも何でも知っているんだと思ってた」
「いや、そう言う訳無いだろう……
それよりも“母無し子”の事を教えてよ」
「ああ……アイツはゴブリンなんだ、ガーブウルズ界隈では一番大きくて強いゴブリンが“母無し子”だ。
ゴブリンは人間でも鹿でも、とにかくメスなら何でもさらって苗床にし、そして自分の子供を産ませる。
そして普通は一体誰が苗床になったのかは分からない、ところが“母無し子”だけは分かっている。
5年前王都からスカウトされてガーブウルズに赴任するはずだった、魔導士のイライナが苗床だ……
彼女は非常に頭が良く、御領主様がヴィープゲスケ男爵に頼み込んで引き抜いた魔導士だ。
魔導顧問にする予定だったと聞いている……
そんなイライナだが、彼女は大きな間違いを犯した。
彼女はガーブ地方の事を知らな過ぎたんだ。
彼女は周りが止めるのも聞かずに、速やかにガーブウルズで仕事をするために、わずか二人の護衛……しかもガーブ地方の事を全く知らない王都の人間を引き連れて小麦街道を北上した。
そして……消息を絶った。
捜索は行われ、そして道の脇で手掛かりが見つかるんだ。
残された、無残に食い散らかされた二人の男の死体と、5匹のゴブリンの死体。
女は何処にもいない、これでガーブの男なら皆分かる。
“ああ、女は苗床にされてしまったのか……”とな。
それから3年、つまり一昨年の事なんだが異常な行動をするゴブリンが出没したんだ」
ジリがそう言うと、隣で聞いていた職人が呟いた。
「ああ、あれこそ変異種だよ。
“母無し子”は異常だ。
ゴブリンなのにあれ程奇矯な振舞いをする奴は見た事が無いからね」
「ああ、アイツは確かにおかしい、狂っていると言ってもいい。
話を聞いただけだけど、とてもじゃないけど狙いたくはない」
それを聞いてラリーは「そんなにやばいのか?」と尋ねた。
「最初に奴はゴブリンらしく犬ぞりの、運搬人を襲ったんだ。
犬ぞりの運搬人は、男が戦地に言っている間の女の仕事だから狙われやすい。
奴は手にした棍棒で犬を倒し、または追い払うと、すかさず女を襲った。
そして攫われたんだ。
そして奴は女を連れて西にある火山、悪魔の谷に女を連れて行った。
女はそこで苗床にされると思ったんだ、ところがそうじゃなかった。
“母無し子”は死んだばかりの、見る影もなくやつれた老婆の墓を作れと命じたんだ」
「ゴブリンは喋れるのか?」
「いや喋れない、でも分かったそうだ。
とにかく攫われた女はこの老婆を埋め、そして墓を作った。
その時幾つかの遺品を手に握りしめた……
墓を作り終えるとそのゴブリンは立ち去った、だから女は急ぎその場を逃げ出し、ガーブウルズに逃げ込んだ。
そして街で騎士達にこう言った『およそゴブリンとは思えないほど思慮深く、そして凶暴で、勇気があり、頭も体も普通のゴブリンの4倍はあろうかと言う、怪物が悪魔の谷に住んでいる』とな。
そして手にした遺品を騎士に差し出した。
そして、その遺品を調べると驚くべきことが分かった。
……イライナの遺品だったんだ。
この時、運搬人の女は老婆だと思っていた女の死体がまだ20半ばの女性のモノだと知ったんだ。
残された肖像画を見て、面影があるとも言っていた。
騎士達はそれを聞くと、悪魔の谷に急行したが奴はもうとっくに逃げていた。
そして、そこで見たのは……たくさんのゴブリンの死体だったんだ。
それもみんな棍棒で殴られた死体。
それ以外にも食い散らかしたと思われる動物の死体もあった。
……そして苗床になり、心が壊れた人間の女やシカの牝。
初めて見た光景だそうだ、そんな“がらんどうのゴブリンの集落”は」
「それじゃぁ“母無し子”は……」
「同胞殺しさ……イライナは死ぬ前にひどく嬲られた形跡があったそうだからそれが原因かもしれない。
つまり復讐じゃないかと皆噂しているんだ。
……最も奴が母親を大事にしていたのかどうかは知らないけどね」
ラリーはそれを聞くと静かに黙って、その話に心を動かされる。
それを見ながらジリは言った。
「奴は翌年も悪魔の谷に帰ってきた。
そして男を襲い、そして食った。
奴は常に一人なんだ、そして遂に騎士に戦いを挑み、そしてそいつを殺して食った!
騎士を殺してただで済むはずがない、直ちに討伐隊が指揮され追撃が始まったが。
今度は落とし穴や、崖から石を投げたりして追っ手を苦しめる。
そして一人一人、集団から引き剥がしては殺していくんだ。
結局20名の追手が、わずか4名になって帰ってきたよ。
残りは皆悪魔の谷で、奴に殺された」
「…………」
「ただ奴はむやみに人を襲わないし、なにより女は襲わないんだ。
アイツが襲うのは……戦士だけだ。
他のゴブリンとは違って弱いものを襲うでもなく、欲望に忠実と言う訳でもない。
だけど奴は戦いと殺戮を愛している。
……みんなそう言っている。
まぁそんなおっかないモノの傍に近寄らないから分からないけどな。会った事も無いし」
「そうなんだ、会ってみたいな……」
「はぁ?俺は行かねぇぞ。
第一奴はただのゴブリンなんだ。
アイツ一匹殺しても、他のゴブリン殺しても200サルトしかもらえないんだぞ。
騎士の覚えはめでたくなるだろうけど、それだけだ。
効率が悪いから悪魔の谷には行かないからな、俺は絶対!」
「お、おう……だけどひょっこり会う事もあるかもしれない」
「嫌なこと言うなよ、4倍の大きさのゴブリンだから……騎士位の大きさのゴブリンなんだぞ!
そんな化け物なんかと会いたくないだろう?」
「う、うん……」
「とにかくこの話はもう止め!
妹が待っているんだ、早く帰ろうぜ」
そう言って二人は鍛冶屋を出て、帰宅の途につく。
店主はその様子を微笑んで見送ったのだった……
このはぐれモノのゴブリンの話は、なぜか妙にラリーの心に残った。
帰宅の道を歩く時も、その姿を妄想しては逸る心が止まらない。
平たく言うと、一回だけでもいいから戦ってみたかった……
どれほど強いのか?
どれほど賢いのか?
どれほど巧みな戦士なのか?
叶うなら一度確かめてみたい……
およそゴブリンとは思えぬ雄々(おお)しき姿を想像し、彼と戦うとはどういう事なのか?と空想するラリー。
それを乗り越えられたらきっと、ソードマスターに近付くのではないか?とすら思った。
そんな出会ったことも無い強敵と戦う事に、まるで恋焦がれるような気持ちを抱くラリー。
腰に下げる長剣の柄を撫で回しては、ニヤニヤと笑う。
そんな彼にジリはうんざりした顔で溜息を吐いた。
ラリー・チリの本当の名前は、ゲラルド・ヴィープゲスケと言う。
アルバルヴェ王国で権勢をふるう……とされている寵臣ヴィープゲスケ前男爵のれっきとした息子だ。
彼は母の実家であるバルザック男爵家の歓迎されざる客として、バルザック邸の離れに母と、なぜか連れて来られてしまった御者と住んでいる。
ラリーは自分で掘って作った抜け道を抜けて屋敷に帰ると、さっそく母親に金貨袋を見せて言った。
「お母様!お兄様がお金を送ってくれましたっ」
「エエッ!」
母親は信じられないと言った表情でラリーからお金を受け取り、そして安心した表情を浮かべた。
「よかった、今月は蓄えを崩さないで済みそう……」
自分の嘘に、喜びを隠せなかった母の様子を、ラリーは嬉しそうに見守る。
実は母のエウレリアはいま、自分の義理の姉の世話をする仕事しているが、それだけでは生活費を賄い切れていなかった。
一時でも蓄えが尽きる恐怖から免れた母親は、ホッとした表情のまま、椅子に座り腕を組んで机に体を預ける。
次に掌でその美しい顔を覆い「ごめんなさいね、情けない母親で……」と言って、自立しきれていない自分の事を詫びた。
「ママ、気にしないで。
実は毎日剣の上手い人に剣を教えて貰っているんだ。
見ててママ、必ずソードマスターになって、ママを安心させてあげるから!」
そう言ってラリーは母親を明るい声で慰める。
自分の見通しが甘かったせいで満足に行く教育を息子に施せず、生活も苦しくしてしまったと思う母親。
彼女は息子に申し訳ないと思っていた。
そんな時に聞く彼の言葉に、許された思いが胸に満ちる。
思わず彼のそんな明るい声に微笑む母親。
彼女は「ありがとう、ラリー……」と言って、感極まり、再び顔を掌で覆った。
「シリウス殿に会ってお礼を言いたいわ……
なんて出来た方なんでしょうね、あなたの兄は」
……顔を掌で覆ったまま、母親は自分達を救ってくれたと思われる、自分とは血の繋がらない、息子の兄に感謝を述べた。
するとラリーは「ええ、お兄様はいつも僕に優しい人でした」と、さらに嘘を重ねる。
ラリーは机に体を預け、顔を掌で覆う母親の様子を見ながら(何としてでも強くなり、金を稼いでママを安心させねば!)と固く心に誓った。
兄の名前を出したのは、いつかまた王都に戻れればと思って、吐いた嘘である。
特にそれに対しての勝算も何もあるわけではないが、母親の中で兄の印象を良くしたかった。
そしてその嘘に、母親は安心と、信頼を兄に覚えた様子である。願いは叶った。
こうして親子にわずかな安らぎが訪れたその時。
……母親はふいに目を見開いたかと思うと、次の瞬間口を押えて玄関に向かって走った。
驚き、呆気にとられてその様子を見送ったラリー。
母親は外で「ウゲッウェー……」とえずき、そしてお腹の中のモノを地面に吐き出した。
心配になったラリーは急いで母の元に近付き、その背中をさすりながら「お母様、水をお持ちしましょうか?」と尋ねる。
返事がないので自分で判断したラリーは、急ぎ水を持って来るとそれを母に差し出す。
母は下腹部を抑えながら、ラリーが持ってきた水を飲み干した。
やがて一息ついた彼女はラリーの顔を見て「大丈夫……」と言った。
ラリーはその体を支えながら、母親を寝室に案内する。
この時は風邪だと思っていた。
母親であるエウレリアの異変の正体が判明するのはそれから間もなくである。
彼女の体の中には、新しい命が宿っていた。
離婚寸前の家庭にやってきた新しい命。
新しい波乱の波に揺られながら流れ着いた、新しいお客様だった。
遅れてすみません、生活が安定せず、加えて今難産です、文章が。
お許しください。
いつもご覧頂きありがとうございます、ご評価、感想のほどをよろしくお願いいたします。




