幕間、バルザック家の影法師
聖竜暦1208年ゲラルド・ヴィープゲスケは8歳になった。
6歳から8歳までの彼はただひたすらに修行に明け暮れ、そしてめきめきと腕を上げた。
それは実に穏やかな日々を送れたと言う事である。
ところが世界はそうではない、とくに帝国とダナバンド王国の間で行われたエルワンダル戦争は泥沼の様相を呈した。
帝国はその広大な国土から、次々と諸侯の兵をエルワンダルに差し向け、懸命に防衛するダナバンド王国と戦い続ける。
かつてフィロリアでも特別豊かと言われたエルワンダルは、その戦場となったことで急速に荒廃した。
……戦況は一進一退を繰り広げる。
帝国の底力は凄まじく、ダナバンド王国はその財政をひどく悪化させた。
そしてそれは帝国も同じである。
とくに帝国は東部国境で聖域6ヵ国と隣接しており、砂漠の神ラドバルムスを信じる異教徒とも戦っている。
だが芳しくないエルワンダル戦争の為に、帝国はついにこの東部諸侯の兵も動員して、エルワンダルでの戦争に投入した。
こうして減少した東部国境の帝国の軍事力。
……それは、ラドバルムス信徒に対するプレッシャーの低下をもたらす。
取り締まる者が居ないのだ、軍が居ないという事で、当然だがゲリラやテロに対する抑止力が低下した。
結果、帝国の決断は聖域6ヵ国に対する支援の低下、ラドバルムス信徒の攻撃の活性化をもたらす。
そしてそれが、一人の男に重要な決断を迫らせたのだ……
―バルザック家の所領、ガーブウルズ
奥深くも豊かな山奥の盆地に、その町はある。
……剣の聖地、バルザック男爵領、ガーブウルズ。
山奥とはいえ塩街道や、小麦街道、炭街道と言ったアルバルヴェ王国北部の主要な街道がこの街で交差する交通の要衝であり、非常に豊かな町。
とはいえ王国でも特に尚武の気風を重んじるバルザック家の本拠地であるこの街は、いつも鄙びた静けさが漂う。
特にこの年の冬は雪が深く、この街をしんとした静けさと、凍えるような冷たさで閉じ込めた。
そんな街に、複数人の聖騎士流の奥義を修めたソードマスターが訪れる。
聖騎士流のソードマスター全21人、集まったのはその内の8名……
―ガーブウルズ、マロル城内
「う、ううっ。うう……」
間もなく新年を迎えようとする冬のある日、やつれ果てた一人の若い男が、自室のベッドの上で手紙を握りしめて涙をこぼしていた。
彼の名はガルボルム・バルザック。
バルザック家の当主であり、聖騎士流の宗家当主。そしてソードマスターである。
彼の病室の周りには、その剣を学びに来た数多くの門弟、そして家人が取り巻いた。
「情けない……何と私は情けないのか」
その中でガルボルムはつぶやき、そして涙した。
その彼の慟哭に、誰も何も答える事が出来ず、ただ目を伏せる。
なぜ彼は病床にその身を横たえたのか。
それは2年前のある夏の日の事件がきっかけである。
毒を盛られたのだ……犯人は捕らえられた。
……バルザック家の継承権を持つ身内の犯行だった。
その事実を知った時、多くの人間が瞑目し、このような事態が起きたことを嘆いた。
先代の当主ドイド・バルザックは、こうした跡目争いを起こさないために、若くしてガルボルム様に跡目を譲ったはずなのに……と。
……この悲劇には前説がある。
ガルボルムと言う男は、先々代のバルザック家当主が老いた後、世話を焼くメイドに手を付けて産ませてしまった子である。
いわゆる庶子と言うものだ。
正妻から生まれた子を嫡子と言うが、この嫡子と庶子との間には、めったな事では越えられない“区別”の壁が存在する。
通常庶子には財産の継承権も認められてない場合も多く、明らかに差別される。
当然ガルボルムにも、爵位継承権は在っても無い様な順位でしかない。
……しかし彼には剣の天分があった。
彼は生まれ持った才能に胡坐をかかず、熱心に剣を学び、ついにソードマスターへと昇り詰める。
そして兄のドイドが、自分の後継者にガルボルムを指名した。
今から12年前、この時ガルボルム・バルザックは19歳。
彼は武の名門バルザック家を引き継ぎ男爵になる。
……ドイドがこの父の恥掻きっ子である、ガルボルムを次期当主に指名したのには理由がある。
実はドイド・バルザックに子供はいない。
そしてバルザック家は将軍の家であり、代々この家に仕える、傭兵の子孫を雇い続ける軍人の家。
だからドイド・バルザックには、そんな彼らの生活を今後も守るために、子供ができる可能性がある若者に、この剣の家を引き継がせなければならなかった。
また自分の目が黒い内に、若き当主を後見して将来の跡目争いを無くしたいとの思惑もある。
そしてこれが一番重要なのだが……
神の教えを守る聖騎士への憧れを叶えたかったのだ。
男爵としてではなく、一人の流歴の騎士として、そして僧侶として、理想の為に、信仰のために剣を振るう。
そんな過酷な世界への憧れ……
かねてから温めていたこの思いが、ついに抑えられなくなった。
何故、ドイド・バルザックに子供がいないのかを語る。
ガルボルム・バルザックが男爵家を相続する、その12年前。
21歳のドイドは妻を産褥でなくした、そして生まれた子供も生きる事が出来なかった。
僅か20年しか生きる事が出来なかった、若い妻を失った後、ドイドはもう結婚はしないと心に決めた。
彼女を失ったことは、それほど彼にとって痛恨の出来事だったのである。
日々、頭をもたげる彼女への贖罪の念。
自分と結婚しなければ、もっと長く生きられたのではないかと言う思い。
罪の意識が心を縛り続ける。
そして死んだ彼女の代わりを、持つことも拒絶した。
彼は言う、もう二度と結婚はしないと……
もはや俗世に身を置くことなく、出家して彼女の菩提を弔いたいと願ったドイド。
その結果、彼は今後子供を授かることは無くなった……
彼は自分に子供が生まれない以上は、身内から剣の家“バルザック家”を引き継ぐ才能の台頭を待ち望む。
……ただしその為には一つ譲れない条件が、ドイドの胸の中にあった。
それが、継承者は必ず、バルザック姓のソードマスターであること、である。
だが豊かになったバルザック家から、ソードマスターはなかなか現れなかった。
戦いを他人に任し、自身は財貨を集める事に専念する者や、剣ではなく王都で有力貴族に伺候することでこの家を継ごうとする者等、荒々しいドイド・バルザックにはこの戦士の家を継ぐにふさわしい人物には見えない者ばかりがバルザックの家名を名乗る。
いつしか彼は尚武の国アルバルヴェでも、なおさら尚武の気風に満ちたこの家にふさわしい者は、バルザック家からはもう生まれないのか……と思った。
そんな時、継承権の序列も限りなく0に近いと思われていた庶子の中から、ガルボルムの姿が彼の目に留まる。
ドイドの目に留まった時、ガルボルムはわずか5歳。
……自分とは母も違う父が残した恥掻きっこにして弟のガルボルム。
そんな子供がドイドの心を動かしたのは、その真摯な剣への取り組み方だった。
当時5歳に過ぎないガルボルムは、誰よりも熱心に剣の修業に精を出し、師であったドイドをその成長で大いに喜ばせる。
この未だ幼子の庶子の弟の姿を見て、ドイドはこの子じゃないか?と思った。
やがて剣の家を引き継ぐ子はこの子しかいないとの思いが、日々膨れるドイド。
この弟が7歳になった時には、ドイドはこの子を後継者にしたいと思うようになる。
やがてドイド・バルザックは多くの時間を割いて悩みに悩んだのち、ガルボルム・バルザックを次期当主に指名し、そして自らは聖騎士となって聖地に向かう事を希望する。
……彼はまず、その事を身内に相談した。
バルザック家の多くの嫡子の末裔が、この彼の言葉に仰天し、そして撤回を求める。
だがドイドの気持ちは益々(ますます)強くなった。
その為、バルザック一族の者はドイドとガルボルムを引きはがそうと企む、しかしドイドは師の権利であるとして、ガルボルムを手元に置き続けた。
その姿に焦燥を強める、親族たち。
やがて業を煮やした他のバルザック家の面々は王国の継承法を手に、この継承が無効であると法廷で争うことを選んだ。
……この状況に我慢がならないのは、今度はドイドである、自身の決断をこのような形で異を唱えた彼らを、彼は決して許したりはしなかった。
そこでドイド彼らを黙らせるために、王に近付くことを選ぶ、その為にも有力な王位継承者に近付きたいと思った。
……そこで彼はガラの悪さと、才能の豊かさ、なぜか人をひきつけてやまない魅力の持ち主であったホリアン王子に接近を試みる事にした。
当時まだマウーレル伯爵の支持も怪しかった彼は、特に有力な取り巻きもいなかったが、それでも当時の王の一人息子であり、彼を通じて王に接近する機会を得られる可能性が十分にあった。
それに、この国では王さえ動かせれば、それが裁判官に大きな影響が加えられた。
なぜか?と言うと。別にこの国は3権分立をしていないからだ。
3権分立は民主主義が発展した国特有の政体である。封建主義のアルバルヴェではそうではない。
それにドイド・バルザックは凄い出世を望んでいるわけではないので、とにかく目先の法廷闘争に勝てればそれでよかった。
彼が、当時たくさんいた有力な王位継承権の持ち主の中から、ホリアン王子の関心を買う事に焦点を当てたのは、そういう事情があったからである。
彼はまず、ホリアン王子の数少ない取り巻きである、冴えない魔導士に、自分の妹の家庭教師を依頼し、その彼に仲を取り持ってもらう事を依頼した。
“将を得んと欲すれば、まず馬を射よ”を実践したのだ。
それが、後に妹と結婚することになったグラニール・ヴィープゲスケ男爵である。
そしてこれは大きな成功となった、なんとホリアン王子が、ホリアン2世となって王となり、そして遂にはマウリア半島を統一したのだ。
この縁で手柄を立て、所領も大きく増やしたバルザック家。
伯爵並みの力を得たこの家は、ドイドの望み通り、ガルボルムを当主に迎える事も出来、さらに大きな名声を手に入れたのである。
ガルボルム・バルザック、当時19歳。
そしてその成功の結果、王国で最も有力な剣の流派も聖騎士流となった。
ところがその様子に我慢がならないのが、他のバルザック家の嫡子の子孫である。
ますます富、栄えたドイドとガルボルム。
そんな彼らの栄光は、ほんの一部分すらも他のバルザック家の面々の元に届かなかった。
ドイド・バルザックがそれを許さなかったからだ。
他のバルザック家の面々は言う“ドイド・バルザックの財産の一部は、私たちにこそ継承権がある”と。
ガルボルムも、ドイドもそんな彼らの声は無視した。
……彼等は言う。
ホリアン2世の才能を見誤り、他の有力貴族に伺候したこいつらは、そもそも見る目がなかった、だからこうなったのだ、と。
……おそらく実際にそれが正しいだろう。
だがそれで人が納得するはずもないのだ、お金が絡み、地位が絡み、名声が絡んだこの話、利益にあずかれなかった人々。
……ましてや自分にはその権利があると信じてやまない者は特にその恨みを深めた。
結果不穏になった他のバルザック家の面々。
しかしホリアン王は、自分の与党であるガルボルムやドイドに対してだけ、勝者の栄光にあずかれる権利を認めた。
自分の子分である彼らが可愛かったのだ。だからドイドの望むようにした。
……それもまた当然の話である。功労者の肩を持たねばホリアン2世の政権だって持つはずがない。
第一見誤った連中など、彼にとってはどうでもいい存在だ。
こうしてバルザック家で起きた御家騒動は、ドイド・バルザックの勝利で幕を下ろした。
ところがそうしたドイドの行為は、他のバルザック家の面々に大きなしこりを残す。
彼等は考えた。自分(達)がバルザック家の当主の地位を引き継ぐためには、どうすればいいのか?
……それが暗殺だったのである。
2年前のバルザック家当主の毒殺騒動はこうして起きたのだ。
毒殺によるダメージは、これまで頑健だったガルボルムの体を弱らせた。
内臓や腰に大きなダメージを残したこの毒は、彼から行動の自由を奪う。
またこのせいでひどく病気がちとなり、そして……下半身の神経がほぼマヒした。
……そして、それが大きな計画の狂いをもたらす。
下半身のマヒが彼の生殖機能を損なわせたのだ。彼には新しい子供が生まれなくなった。
ガルボルムには……後継ぎとなる息子はいない。小さな娘が一人いるだけである。
こうしてこのバルザック家の跡継ぎは、自分を毒殺しようとした他のバルザック家の中から選ぶしかなくなったガルボルム。
その未来が、ガルボルム・バルザックをひどく苦しめた。
……自分をここまで苦しめた身内への憎悪が、彼にそんな未来を拒絶させる。
そんな折、彼の元に兄であるドイド・バルザックから手紙が届いた。
それを見たガルボルムは、冒頭あったように涙する。
“情けない……”と呟きながら。
手紙の内容は聖域6ヵ国の内の一つである、アルター伯国が陥落したという知らせだった。
実はガルボルムが毒殺されかけたことは、ドイドには秘密にしてあった。
いらぬ心配を掛けさせたくなかったからである。
だからそんなドイドは手紙でこうガルボルムに伝えた。
《親愛なるガルボルム。
あなたに手紙を渡したホークランより聞き及んでいると思うが、アルター伯国がついに陥落した。
エルワンダル地方で行われた戦争が、遂にこの聖域にも影響を及ぼしたという事だ。
もはやヴァンツェル・オストフィリアは我々の後見役を辞めたのだ。
彼等は多くの富をここ聖域諸国からかき集めていたにもかかわらず、富だけを持って行き、兵士を我々に供するのを拒んだ。
アルター伯は勇敢に戦い、そして50日余りも城に籠った。
彼は援軍を待っていたのだ、しかし聖騎士は力が及ばず、そして多くの薄情者がこの土地に満ち満ちた。
そして帝国は援軍を送ると言いながらも、彼らを見捨てた。
そして先日、アルター伯の城は3日にも渡り燃え続けた後に、そして多くの戦士を抱いてこの地から消えうせた。
無念でならない、私は……
もはや帝国東部にまともな軍事力は残っておらず、彼らを信じて降伏をしなかった戦士たちは、この帝国の無慈悲で無神経な口車に乗せられ玉砕して果てた。
エルワンダルの為に、帝国軍を東部国境から引き揚げさせた愚かな帝国とその皇帝。
しかも信じられないだろうが彼ら(ヴァンツェル側)がその事実を認めたのは、城が陥落し、数十万もの難民を発生させた後なのだ。
何と馬鹿げた話なのか……
城が陥落してからその様な事を言われても、アルター伯は降伏も、城の放棄も出来ないじゃないか。
なぜこのような事が起きる前にそれを正直に言わなかったのか!
何という無責任!
そんな者の為に数千もの戦士たちが死んだというのか。
私は無念でならない。
もはやネリアース王家でも、帝国に期待するのはやめようという話になりつつある。
そこであなたにぜひともお願いしたいことがある。
どうか戦士を送ってほしい、武器や防具、そして戦える男、我々にはそのすべてが足りないのだ。
聖地で戦う我々にはあなたの助けが必要だ、どうか男爵においては我々聖騎士たちに励ましを、言葉ではなくて確かな励ましを送ってほしい。
願うばかりで申し訳ないがよろしく頼む。
それでは体に気を付けて。
フィロリア聖騎士団、アルバルヴェ騎士館館長ドイド・バルザック》
手紙を見ながらガルボルム・バルザックは涙した。
「ああ、ドイド……この体が動くなら、今すぐあなたのもとに駆け付けたい!
男として、受けた恩を返す絶好の機会に……なぜ俺は。
何故注意を怠って、あんなワインを飲みほしたのだ!
情けない……何と情けない」
病床で涙するガルボルム、その取り巻きの剣士たちも涙した。
「ご当主様、私がドイド様の元に参ります。どうかご安心ください!」
「私もです」
「私も……」
周囲の男たちがそう言ってガルボルムの意志を引き継ぐと声を上げた。
ガルボルムはその声に「すまない、皆済まない……」と言って涙する。
とにかくこうして聖地へと向かう男たちが、集まる。
……だが、これで話は終わったわけではない、この中の一人が声を上げた。
「ご当主様、ドイド様にご当主様の事を伝えなければ……」
もはや子が望めない事を、である……
ガルボルムは顔を曇らせ呟いた。
「もう少し待ってくれ、もう少し……」
それを聞いた家人の騎士が顔を横に振りながら尋ねる。
「閣下、この話を後に伸ばしてもいい事はございません。
バルザック家の皆様を許し、2年前の事件に関与していない方から後継者を……」
「ダメだ!絶対にダメだ!
あんな連中にバルザック家を渡すぐらいなら、潰した方がましだ!」
「閣下!」
「ならん!控えろっ!」
『…………』
「庶子の生まれの私に、奴らがどれだけひどい事をしたと思うのか。
奴らは私に与えられるはずの、冬の薪代ですら私から取り上げたのだ……
冬の薪代だぞ?幾らほどにもならない物だ。
兄に見いだされなければ、私は20にもなれずに死んでいたかも知れなかった。
それだけならまだしも、私がこのバルザック家の後継者になる時も、ありとあらゆる手を使って反対したのも奴らだ!
まだ5歳でしかない私に対して……
あろうことか飼っていた、私の犬も目の前で殺された……
そして2年前は遂に暗殺までも企んだ……
あのような者に金貨一枚たりとも、私の財産を渡してたまるか!
今度その様な事を言ってみろっ、全ての財産を聖騎士団に寄付する!」
騎士もこのガルボルムの激しい怒りに、何も言葉を発する事が出来ず顔を青くして黙りこくる。
「ふーふぅーふっふっ……う、ううーうーっっ!」
こうして広がる沈黙の中、ガルボルム・バルザックの呼吸がひどく荒くなり始める。
やがてガルボルムは次の瞬間胸を抑え、病床でのたうち回りだした。
痛みに苦しみ、苦悶の表情で病床でうずくまる!
「ご当主様!」
「閣下っ!」
「ご当主様ぁぁ」
「医者を呼べぇっ!」
病状が落ち着いたのは、それから数分後である。
そのまま眠りについたガルボルムの傍を離れ、門弟やバルザック家に仕える騎士たちは、別の部屋に集まって相談を始めた。
「ご当主様がああなっては、バルザック家も終わてしまう」
「剣士の皆様はそれでもよいでしょうが、私の家は代々バルザック家に仕えてきました。
何としてもこの家を残さねば、私の代で騎士を辞める事になってしまう」
「聖騎士流はバルザック家の当主があって初めて、まとまっていられる。
もし宗家断絶となったら、各地のソードマスターが勝手に流派を起こすぞ」
「ふんっ、流派を起こすなら起こせばよい。
ただ問題なのは聖騎士流の正しい在り方が失われることだ。
未熟なものまでソードマスターと名乗りを上げれば、クレオンテアルテが捻じ曲がる。
正当な剣の後継者が必要だ……」
「バルザック家にはもうおらんのか?」
「嘆かわしい事だがバルザック家の子供に、剣を愛する子がいるとは思えぬ」
「剣の本質をつかむ者が居ねぇ……
剣を使ったダンスだ、それっぽく見せているだけだぜ」
「まずいよ、それは……
きちんとしたマスターの元で教えたら?」
「話を聞かねぇんだ、なんかバルザック家だから無条件で偉いと思ってやがる」
「つけあがらせたのはまずかったかね?」
「仕方があるまい、ドイド様の教えについていけなかった軟弱者ばかりだ。
他の未熟なものに担がれて、剣の家を自称した、彼らにとっては剣の専門学校を開く際に、箔をつけたかったのだろう」
「ドイド様もそれを咎めなかった……」
「面倒に思われたのだろう……」
彼等はこうなったいきさつを思い返しながら、色々と思い返していった。
そして誰かがふとこんなことを言い出した。
「そう言えば……バルザック家にこだわらなくてもいいんじゃないか?」
「お前はこれまで何の話をしていたのか聞いていなかったのか!」
「いや、そうじゃない。
バルザック家の人間にバルザック家を継がせようとするから見失うんだ。
バルザックの血筋を引いている者は他にもいるじゃないか」
「先々代の当主様のお孫様か?」
「ああ、実はだいぶ前に王都の屋敷(バルザック家)の糞便回収の業者を、エウレリア様の口利きの業者に変えたんだ。
たしかエウレリア様の息子様は、今マスターボグマスの元で聖騎士流を学んでいる」
「筋は良いのか?」
「今年8歳になるが、セルティナの貴族街では知らないものはいない悪ガキらしい」
「悪ガキ……」
「ボグマスも相当手を焼いているが、剣には無我夢中で取り組んでいるそうだ。
ただ相当気が強く、そして生意気で、こらえ性がなくて、必ず復讐するので相当なタマだそうだ」
「大丈夫なのか?その子は……」
「よくは知らないが、少なくとも戦える人間には育ちそうだ。
王都では今流行りの香辛料にちなんで“ラリー・チリ”と呼ばれているらしい」
「チリってあの、ものすごく辛くて小さい奴か?」
「聞いただけでもどんな子なのか想像がつく……」
「その子は宰相の息子と仲が良くて、どうやら大きくなったらその子の傍で騎士になるそうだ」
「ほう、騎士希望か……それなら」
「それなら?」
「どうだろう、騎士修行先のあっせんを、ドイド様にお願いしては?」
「何?」
「なに、正面から行ったらどうなるか分からぬ。
その子がどのような騎士になるかも知らないしな、それならばドイド様の手元に預け、バルザック家らしい人間に育ててもらえればよいのでは?」
「それは良い、実はその子はボグマスの話ではソードマスターを目指しているそうだ」
「何っ!それは真実か?」
「もしも天分があれば決まりではないか!
エウレリア様なら嫡出子、その息子も嫡出子だし、血筋的にも直系に近い。
で、その子はどうなのだ?
ボグマスの見立てではマスターになれそうか?」
「才能はあるそうだ、奴も自分の門下生からソードマスターを出すと張り切っている。
……ただ性格に問題がある」
「この際それは些細な事なのでは?
別に悪人と言う訳ではないのだろう?」
「大事なのはバルザック家の跡継ぎだ、此処までこじれてはバルザック家からは後継ぎは出せん。
ご当主様やドイド様が納得できそうな子はこの子しかいないのでは?」
「うむ、ではできればこの子に接触を図りたいが……その前に確かヴィープゲスケ男爵の男の子はこの子とシリウス殿しかいないはず。
シリウス殿に何かが起きた時の為に、男爵もヴィープゲスケ家から出さないのでは?」
「それこそ考え方一つだ」
「どんな案がある?」
「宰相にこう申し上げるのだ、もしこの子を騎士にされた際、亡き先々代の遺言により我が家の一部の所領を引き継がせたい。
彼の所領をここにしてはもらえないか?とね。
宰相にしてみれば自分の領地や年金を分け与える訳でもなく、騎士の報酬を与える事が出来る訳だ。
それにこの理由ならバルザック家に入らずとも、ヴィープゲスケ家のままでもおかしくはない。向こうも受け取りやすい」
「あまり、良い案には思えないが……」
「話の肝はここからだ、いいか。
所領がバルザック領にあれば、なにがしかガーブウルズ(バルザック家本拠地)にやって来る。
その時少しずつこの子に、バルザック家の後を継ぎたいと思わせる事も出来る。
もしバルザック家にふさわしくない人物なら始末しても良い、そこまで行かずとも領地を取り上げてもよかろう。
それに所領を貰うためにドイド様の元で修業をせよとも言いやすい」
「そうか、それなら縁を取り持ちやすいな」
「別に村一つ失っても問題はあるまい、ソレよりもその子に会ってみないと。
どんな子なのか分からないと、どうにもならんぞ」
「ならば俺が行って来よう、ボグマスほどの男を悩ませる子供に興味がある。
剣友が来たと言えばボグマスも邪険にはすまい、ちなみにこの事はボグマスには言うのか?」
「いや、やめておこう。
奴にこの事をそれとなく聞いたら、その子をご当主様に会わせるのも嫌がっていた。
……相当な悪ガキらしいぞ、チリ君は。
ボグマスにその話をしたら拒絶されるのが目に見えている」
この年の冬、新年の剣術大会が迫る中でこんな話が繰り広げられていた。
ゲラルド・ヴィープゲスケはこの年初めて8歳の部に出場する、その裏側では出会った事のない、大勢の人たちの思惑が蠢いていた。