バインド、そして強撃のカウンターの理。そして自分はタオル派に……
魔法のあるこの世界では騎士の鎧と言えば鎖帷子が主流だ。
魔法をはじく特殊な聖甲銀と呼ばれる金属で編まれた鎖帷子が、最も魔法からこの身を守ってくれるのが理由である。
正確には板金の隙間から魔法の火が入り込み、この身を焼いてしまうために、隙間なく全身をくまなく保護するのに、全身をすっぽりと覆う、鎖帷子が最も対魔法戦に適していた。
だから白兵戦で有利に立つために、体格に恵まれた戦士は、この上にさらに胸甲を着こむ事が珍しくない。
実は少し前にイフリアネに誘われて、王家の騎士たちの戦闘訓練を盗み見に行ったのだが、たしかに白銀に輝く鎖帷子の上に、胸甲を着こんだ明らかに強そうな騎士が居て。そいつがまるで不死身の戦士のように戦い続けていた。
その騎士はどんなに斬られても活動を辞めないのだ、鎧とはすごいものだと実感する。
……いつかは自分も重い鎖帷子の上に、同じく聖甲銀でできた胸甲をつけてみたい。
俺はどちらかと言うと大柄だし、将来の話ではあるけど、きっとその資格はあると思うんだ。
だから今日も今日とて、その日のためのトレーニングに余念がない。自分の夏はそのように過ぎていく。
剣を学んで4か月が経った。
……今日も練習が始まる。
俺はいつものように全身を鎖帷子で武装し、頭をさらしみたいな亜麻のタオルで包む。
さらにその上から頭に鎖でできたフードをかぶり、首の下あたりを、4か所の鋲で止めた。
さて練習の時に着る鎖帷子だが……
鎖は夏の日差しの下だと水をかけるとジュッと鳴くほど熱くなる。
その為鎖に日差しを当てないように、ホバークと呼ばれる両脇が開いた外布を頭から膝上まですっぽりかぶせる。
こうして子供の俺は歴史の教科書に出てきそうな騎士のいでたちになった。
そして銀色に輝く手甲を両手に装着して、兜を被る。
顔面を覆う兜の一部分で、面頬と呼ばれる蝶番につながれたパーツを、顔の上に跳ね上げる。
最後にコイツを下ろすのは、マスターが打ち合い開始と言った後だ。
すなわちこれが武装である。
……武装は心に緊張を走らせる。
鎧をまとい、手甲で指先迄も銀色に輝く金属で固め、外布、兜と、時と共に装着される練習用の鋼鉄たち。
装着するものが増えるたびに、少しずつ子供の心が消えうせる。
そんな気持ちの昂ぶりが、俺の心臓を大きく鳴らす。
この一連の作業が、痛く、苦しく、そして楽しい剣の時間の始まりを告げた。
覚えきれないほどの理を学び、たった一つの技を習得するのに信じられないぐらいの時間を、肉体の鍛錬と反復練習に費やす、そんな幼い剣士たちの日常。
練習のある日は毎日、この練習の成果を確かめるように、仲間との打ち合いでそれが通じるのかどうかを試した。
剣術の時間のほとんどが、こんな地味で飽きもせず行う走り込み、重量挙げ、理論講義、素振り、歩法、打ち込み、そして試合この連続で過ぎていく。
そんな夏のとある日、新しい理がソードマスターから言い渡された。
「それでは、諸君に新しい訓練と理を伝える。
それではルシェルとラリー、立つが良い」
俺とルシェルは呼ばれるがままに立つ、そしてマスターボグマスは俺らを見回してこう言った。
「今日教えるのはバインドである。
バインドとは何か……すなわち鍔迫り合いである。
ではラリー私と鍔迫り合いをしよう、もしこの状態から逃れて斬撃を加えられたらやると良い」
へぇ、俺にそう言っちゃう?遠慮なくやっちゃうよ。へっへっへっ……
俺は明らかに俺より強いボグマスに、何もしない内から呑まれたくなくて、そう心でうそぶいた。
謙虚でいるよりも、俺はこれぐらいの方が手が小さくならずに動く気がするのだ。
そんな俺の剣をボグマスは『勉強熱心だが傲慢』と評した。
そんなボグマスが俺に言う。
「さて生意気なラリー、一つ問う。
バインドはいかなる時に発生する?」
「急接近して飛び込み、仕留めきれない時に相手の剣を封じる時とか。
はてまたは打ち下ろした剣を、相手が抑えた時とかです」
「その通りだ、それだけではないがバインドはそういうときに発生しやすい。
鍔迫り合いと言ったが、そこまで接近せずとも、剣で剣を抑えた状態はすべてバインドと言っていい。
だがそんなバインドだが、バインドした剣には二種類ある。
すなわち剛いと、柔いだ!
強く力を籠めれば握りは固くなり、そして相手に力負けしなくなる。
相手の剣が対抗心も露わにそんな状態の場合、剣をバインドしたまま動かそうとしても動くはずはない。
これが“剛い”と呼ばれる状態だ。
相手が逆にバインドから逃れたい場合。
すぐにバインドから剣を逃がそうと、剣は動いている、または動こうとしている最中なので、その方角に押してやれば容易に動く。
だから“柔い”のだ。
対抗するつもりか逃げるつもりか、相手の癖を読み取り対抗すると見せかけて柔く動くつもりか、そうでないのか……
相手の意志を推し量るのだ」
「分かりました!」
剣は哲理だ……
師の目をまっすぐ見ながら、その深みに見せられた俺は、彼の話を聞き漏らすまいとしていた。
すると彼が再び「生意気なラリー」と笑いながら言った。
「繰り返し教えたが、もっとも単純で、最も効果的な剣の軌道の一つは強撃(上から下への振り下ろし)である。
だがそれは単純であると同時に様々な可能性を秘めた奥義でもある。
これから私は強撃のみを使い、お前をバインドに誘った後、強撃か突きだけを放つとしよう」
手の内をさらすとは随分と自信がある。
俺は力量を推し量ることなく、そう心でうそぶくと早速木剣を屋根に構えた。
「躊躇いが無いのか……生意気な小僧だ」
始めましょうとも言わずに、挑発的にも見える俺の振舞いに、マスターボグマスは苦笑いを浮かべ、そして腰の木剣を屋根に構える。
……互いに垂直に立てた剣先。
空に向かって切っ先が揺れる。
(大きく感じる……)
相手が強いと、対峙した瞬間相手が巨人の様に見えた。
そんな時は、相手が振り下ろした瞬間、自分が切り裂かれる気がするのだ。
本能が安全がどこにもないと囁く。
「早くかかってこい……」
ボグマスが挑発的に嗤いながら俺に呟く。
俺の足は、知らぬ間に前後に不安定に揺れ、踏み込むタイミングを見失ったかのように蠢いていた。
それに気が付いた俺は体を斜めに歩かせながら、腰だめ中段に剣を構え直して、すかさず突きを繰り出した。
カン、カン!
ボグマスは微笑み、さして力もかけずに剣の根元で俺の一撃を受け止める。
「はぁ、はぁ……」
分かってはいたけど、通用する気配もない。
剣は相手の体付近まではいく。しかし剣の根元から先には決して届かない。
どうしたら斬れるのか、どうしたら突けるのか。それを考えて迷いが全身に広がる。
次の瞬間、俺の心を見透かしたかのようにボグマスの剣が振るわれる。
宣言通りの強撃、俺は構えも忘れて剣で受け、そしてそのまま後ろに吹っ飛ぶ。
カッコ悪くも背中から一回転して土埃にまみれた。
「どうしたラリー、すぐに立つんだ!」
「く……」
クソ野郎……と言いかけてさすがに口を閉ざす。
大人が卑怯な手を使うと、一瞬頭をへんな感想がよぎる。
「ふぅ、ふぅ、ふぅ……」
これは訓練なんだ、たとえ斬られても誇り高く斬りつけてやれ!
たぶん俺は不細工な目にあわされてカッとなったのだろう。
悪しき潔さが胸の内で鎌首をもたげる。
俺は、無謀にも再び屋根に構えると、斜めに動きながら相手に近付いていく。
ボグマスは白目をギラギラさせながら微笑み呟く。
「傲慢か、自尊心と呼べるものなのか……」
「…………」
自分はこの時、強撃狙いであることを知られたと悟る。
手を変え相手の胸元を突く、相変わらず笑ってそれを受けるボグマス。
彼の目線が俺の顔と剣先に集中する。
だから右の後ろ足をそっと、前に置く左足の後ろにそっと寄せた。
隠れ足、そしてそこから大胆に踏み込んでみせる!
ガッ!
放たれた強撃はボグマスに抑えられる。
しかも片手でだ、逃げようと思って剣を引こうとするとそのまま剣先が胸に迫る。
慌てて剣を持つ手に力を籠め、胸に迫る剣先の行方を体の外に向ける。
次の瞬間、ボグマスの剣がいきなり柔らかくなったかと思うと、まるでスローモーションのように上に摺り上がり、そして俺の切っ先を乗り越えて俺の頭上に舞い降りた。
「…………」
俺の頭のてっぺんに彼の剣が静止する。
すなわち俺は斬られた……
「ラリー、これがバインドだ。
剛いと弱い、互いの良し悪しがあるのが分かっただろう……
皆もこの結果を見て分かったと思うが、剛い剣には柔い剣で対抗し。
逆に柔い剣には剛い剣で対抗する。
……ラリーご苦労だった」
俺はいまだにチリチリと、痛みにも似た違和感を上げ続ける頭頂部の余韻を感じながら「ありがとうございます」と言ってこの場を下がった。
次はルシェルが、ボグマスの剣を受ける。
彼女は俺よりもスマートに対処したと思う。
だけれども俺はその様子が目に入らなかった、いましがた見たボグマスの剣と、気迫が目の奥から去らないのだ。
どうしたらあんなに強くなれるのか、その答えが知りたかった。
理を修めればあの域に達するのか?
それとも別の何かが必要なのか……彼の背中すら全く見えない。
まるで剣の神のように見えたわが師ボグマス。
……隔絶した実力がそこにはある。
6歳だからと言い訳もできた。頭にそれが浮かばなかったと言えばウソになる。
だけれど、自分が彼の年齢のころには“こうなっている”とも思えなくなった。
練習が終わり、夕刻になる。
皆が豪奢な馬車で帰る頃、俺は迎えに来た御者の人に断って、此処に居残ることにした。
俺は自分がボグマスになったつもりで、あの時の俺の影に剣を振る。
柔い剣に剛い剣を当てて、突くのは分かる。
しかし分からないのは剛い剣が柔い剣にいいようにしてバインドを外され、そして強撃を受けたあの動きである。
ボグマスの剣を思い返す、常に根元で抑えられた。
後ほんの少しが全く届かない。
「はぁ、考えても、考えても分からない」
思わずぼやいていると後ろで声が響いた。
「あんたが考えたって分からないのは当然じゃない」
驚いて後ろを向くとイフリアネが立っていた。
「なんだよ、お前も居残り練習かよ」
「私はいつもそうしている。ラリーは珍しいね」
「ああ、どうしてもあのバインドが納得できなくてね……」
「大人に勝てるわけがないじゃない」
「勝てないわけはないはずだ、ゴキブリだって飛び立てばウチのメイドを恐怖させる。
身体が小さなゴキブリだってあんなに戦果を挙げるんだ、ソレよりも俺とボグマスに体格差は無いじゃないか」
「ゴキブリ……」
「きっとできるはずだよ……」
俺は良い事を言った。そう思っているとお嬢様は可愛く小首をかしげて「ラリーはゴキブリ?」っと……
「そっちじゃねぇよ、なんで俺がゴキブリなんだよ!」
イフリアネに俺がそう突っ込むと、彼女はケラケラと笑った。
……俺はこの子が笑う所を初めて見たな。
「ゴキブリ、ゴキブリラリー。
アーッハッハッハッ」
「面白いのかよ!おもしろくないと言ってよ!
……OH、お嬢様言わなさそうだな!」
ついつい可愛かったので、乗り突っ込みを仕掛けて見た俺。
しばらくとりとめのない話をしたのち、俺はお嬢様に聞いてみた。
「なぁリア、俺はマスターボグマスのような剣士になりたい。
大人になったらなれると思うか?」
するとリアはキラキラと輝く目を見開いて「ラリーならなれるよ、ソードマスターに。だって一番楽しそうに剣を振ってるよ」と言った。
俺は黙ってその言葉を噛み締める。
……正直嬉しかった。
お嬢はそのまま俺の頭をワシワシと撫でまわし、楽しそうに笑う。
為すがままの俺。
やがて俺はふと気なることがあったので、お嬢に尋ねた。
「リアはどんな人がタイプなの?」
「タイプって?」
「好きな男の子とか」
「え、うん。強い男の子かな……」
なるほど……強い男の子か。
「あとは面白い子かな……あまりカッコよくなくてもいいから個性的な子が良いな」
面白い子かぁ……王子様改造はこの路線で行くしかないな。
「分かった、ありがとう!
さて、俺はもう少し剣を振るよ。
リアはもう帰るの?」
「うん、また明日」
「じゃあまた明日……」
俺はこの後も納得がいくまで剣を振る。
結局納得なんかはできず、俺は明確にここが分からないと言う所を発見しただけだった。
しょうがない明日またボグマスに聞いてみよう。
◇◇◇◇
翌日の早朝、俺はリアと一緒にボグマスの朝練に付き合い、ランニングをした後に尋ねた。
すると彼は言う「ラリー、このバインドはお前自身で考えてみると良い。もしどうしても見つからなかったら教えてやろう」と。
「ええっ、教えてほしい……」
するとボグマスは首を横に振りながら俺にこう告げた。
「戦場に立ったら、もうそこには私はいないのだ。
お前自身で考え、その考えた力でもって相手を倒さなければならない。
生意気なラリー……今回はその為の予行演習だと思って取り組め」
「ちぇ……」
「そう腐るな、いつものように絵を描いたり、メモに書きつけたりいろいろ取り組んだらいい。
私はお前が、どんな回答を得るのか楽しみにしているのだ。
やってみろラリー!」
ボグマスにそう言われると、やる気が心に満ちた。
これは俺の剣と呼べるものではないのか?と思えるようになったからだ。
さらに言うと、我が師に期待されているというのも悪くない。
……きっとそんなことを考えた俺は、やはり“生意気なラリー”そのものなのかもしれない。
俺は剣が好きだった、痛いし汚れるし、クタクタになるし筋肉痛にもなる。
だけど哲理をもって相手と剣を交えた時に感じる、無言の中に潜む雄弁さに、俺は夢中なんだ。
もっと強くなりたい、もっと上手くなりたい……そんな思いを日々温め続ける。
そんなときは決まっていつか俺も“ソードマスター”に……と妄想した。
いつか叶う事を信じて……
さて余談だがある日の朝練の事、俺とボグマスはいつものように剣の話に夢中になっていた。
そして彼の口から戦場での振舞いやら、高名な騎士の人間味溢れる姿などを教えてもらった。
魅力にあふれた勇士たちの逸話に目が輝く。
ところが話は剣の話から何故か全く別の話になってしまう。
話題になったのは頭に巻くタオルの話だ。
兜をかぶる前は、いつも頭を包むようにタオルを巻く。
この時タオルの結び目は必ず後ろ、首のあたりに持ってくる。
できるだけ固いこぶは作らない、ペタンと平たいこぶができる特殊な結び方で結ぶ。
こぶを作ってしまうと、そのこぶが兜の中で頭を直撃し。兜を打たれた瞬間、尋常ではない痛みが頭を襲うらしいのだ。
俺はその経験はないが、一人この掟を破って楽な結び目を兜の中に作り、痛い目を見た知り合いが居る。
……イリアンだ、彼は一度だけとんでもない勢いで悶絶し、そして苦しんだ。
奴の話だと、頭に釘を打たれたかのような痛みだそうだ……マジであいつはチャレンジャーだぜ。
さて話は変わるが、一度結び目を作らない剣道のさらし巻きで頭のタオルを巻いたことがある。
この巻き方をマスターボグマスに相談すると「だったら髪を伸ばせ」と言われた。
さらし巻きはどうやら師匠には気に入らないタオルの巻き方の様だ。
なにか新しいものと言うのは、必ず保守的な人から抵抗を受けるが、これがそれなのだろう……と、生意気なラリーは思う。
……さて髪を伸ばせと言われた理由だが。
伸ばした髪を器用に折り畳む事で、タオル無しでも兜を被っても痛くないらしい。
騎士に長髪の男が多いのはそのせいだ。
なるほどね、ファンタジー映画の騎士様のヘアスタイルにはこう言う理由があったんだ。
頭をタオルで包む姿は見たことは無かったが、これは映画ではカッコよくなかったからなんだろう。
ちなみにうちのマスターの髪は短い、つまりは頭にタオル巻き派だ。
どうしてなのか?と尋ねたら……
「ヘルメットを被り、髪を長くしていると、相当中が蒸れるんだ。
すると、中で頭にダメージが溜まり……
いや、平たく言うとだ……ほとんどの騎士が、いつかハゲになる」
マジかよ、マジかよ髪様……
オウ……俺も師匠を見習って髪を短くしてタオルにします!
……あなたの為に、私の為に。
若く髪がフサフサの時のカッコよさは、将来のハゲの代償である、それがロン毛騎士の宿命なのだった。
すげぇ事を教わったぜ。
サンキュー、ティーチャー。