偽ポンテスと、騎士の歩き方
「はいじゃぁみんな、先生に続いて読み上げましょう。
この文字は“アー”です。3・2・1・ハイッ!」
『アーッ』
教室に居る貴族のキッズが先生に続いて、一斉にアルファベットを読み上げる。
そしてその様子を、心を無にして見守る子供が……それが俺たち“王子様とイケて無いズ”だ。
全員小さな頃から英才教育を受けて育ったので、もっと難しい本だって読めるし、数学だってお手の物。
……すなわち周りとレベルが違うのだ。
正直この幼稚な授業は聞いていても、俺らにとっては何の意味があるのか分からない。
王子様に至っては、我関せずと言った様子で、こっそり小説を読んでいる。
誰も注意しないのは、奴がアンタッチャブルな存在だからだろう。
……しっかしあんたは相変わらず強者街道を爆走しますな。
イリアンは……半目を開けながら寝てるよ。
さすが強者一味の一の古株である。高校に居た友人の特技を、この年齢でマスターするだなんて……奴は大した野郎だ。
この中だとシドが一番まじめに授業を受け、俺は午後から始まる剣術に思いを巡らせていた。
先生はそんな俺達を無視して、授業を進めている。毎年新入生の何人かはこんな感じで、授業がいらない子が混じるんだろうな、随分と手慣れた様子だ。
さて、話は変わって剣術だが。
剣はこれまで習ったこともなく、男臭くてかっこいい人がやる物、と言う認識があった。
だから(今日から俺も騎士を目指すのかぁ)と、思うと何か自分がカッコいいものになった気がするから不思議だ。
そんな剣を学ぶ自分の姿を想像すると……
自分の腰に剣をぶら下げた俺は、見事な甲冑を着こみ、見違えるような大剣を抜いて強大な敵と戦い、皆に『アンタはすごい奴』だなんて言われて……と。
ああ、いかんいかん、妄想が。頭の中でかくあってほしい俺の未来が見えてくる。
剣を学ぶと言うよりも、剣を学び終えた後の自分の姿が見えてくる。
おバカな俺よ、気が早いぞっ♡
小説の中の出来事が俺の前にも広がるわけ無い……ああでも、ソードマスターに剣を教わるんだからちょっとくらい、ねぇ。
しっかりと人に運動を教わるだなんて、前の人生の中学以来で、俺はテンションが上がる上がる。
早く午後にならないかな……
◇◇◇◇
苦行のような4時間が終了し、俺たちは風の中ならぬ、馬車の中へ。
イリアンのパパであるホーマチェット伯爵が馬車を用意して、皆をパパが建設している最中の学校へと連れて行ってくれるそうだ。
ちなみに馬車はすさまじく豪華である。
やっぱ男爵家と伯爵家は違うんだな。ウチにある馬車で一番豪華なものでもこれほどの物は何処にもないぞ。
馬車の中には王子様と俺、そしてイリアンにシドと言ったいつもの面々に加えて、若き貴族の子弟である、王家の従者が乗っており、彼が俺たちにいろいろ教える。
「いいですか皆様、殿下のご身分は決して明かしてはなりません。
殿下は宰相クラニオール卿の甥と言う事になっております、いいですね!」
『分かりましたっ!』
「それと、皆様は今日からマスターボグマスに剣を習うのですが、えーと。
一緒に学ぶのは他に3人、シルト大公様に仕える伯爵家のお嬢様方も一緒に学びます。
仲良くしてくださいね」
へぇ、大公の家に仕える貴族の子供も来るのか……
そう思っていると、シドが俺に「ラリー。大公って何?」と聞いた。
そこで俺は兄貴から教わった知識を、得意げになってシドに話す事にした。
「大公は一番偉い貴族で。
元々は部族の首長だった家がアルバルヴェ王に仕えた際、他の貴族と区別するために特別に贈られた爵位の保持者だよ」
「そんなに偉いの?」
「正直王様と変わらない、王様に仕えている王様みたいなもんだよ」
「王様って皇帝みたいなの?
それと大公と公爵と違うの?」
「王様と皇帝の違いは分からないけど……
公爵って言うのは王様に準ずる貴族の事で、殆どは王家の人が爵位をもらって家を新たに立てた際、特別な功績があった人がもらえる爵位だよ。
でも大公も昔王様から公爵の位はもらっているから大公も公爵なんだ。
だけれども半分独立している大公はもっと偉い存在で、他の公爵とは違うよ」
シドは「へぇー」と感心して、またしばらく俺ととりとめのない話をして過ごした。
馬車はそのまま貴族街を駆けていき、そしてもともとルシナン伯爵の屋敷があった場所にたどり着いた。
3年後の開校を予告する看板が正面に据えられた、パパさんの夢である魔導大学がここにある。
正直我が家よりもはるかに豪華な見た目の建物、内装もこの見た目に負けないくらいグラマラスだ。
庭は残念ながら建築資材が山積みになっていて、それが美しい庭の景色にそぐわないものになっているが、それらが全て使い終わったあと、パパさんの夢がかなう事になる。
今からそれが楽しみだ。
走る馬車の中、窓ガラスの向こう。
大学に変貌する途中の、白亜の大邸宅を見ながら、俺たちは広い敷地を大回りで回る。
こうして俺たちは、この建設予定の大学の裏門にたどり着いた。
「あれ、あそこに居るのはポンテスじゃない?」
馬車の中で目ざとく王子様が、裏門の入り口近くに居たはち割れの猫を発見した。
指摘されて俺も王子様の視線の先を見ると、確かにウチのネコだ。
ネコは喜びも悲しみも超越した、明鏡止水と言った表情で木箱の上に腰かけ、ついでにパンフレットが飛ばないように足で抑えている。
……何をしているんだアイツ?
「おいポンテス、おーいポンテス」
「!」
馬車から飛び降りた俺は、さっそくポンテスに声を掛ける。
ネコは呼びかけられて初めて俺に気が付き、次に顔をクシャクシャにして泣きながら俺に駆け寄ってきた。
「小僧っ、こぞぉぉぉぉぉォぉっ!」
「な、どうしたお前!」
お前が俺に縋りつくだなんて……
信じられん!いつだって偉そうなクソ猫が、なんで?
「聞いてニャ、聞いてニャー」
「お、おう。一体どうした?」
「ペッカー先生をお前の部屋に匿っているのがばれたニャ。
エリィにゃんはペッカーが、フィンをひどい目に会わせたことを覚えていたらしく『家から出て自由になったらいいのに』とか言うニャ!
パパニャンは怒り狂った家族に対しては、いつものようアテにならないニャ、て言うか逃げたニャ……
グスン、あの男本当にだめニャ……
ママニャンにお願いしたら、パパニャンの仕事を手伝ったらペッカー先生を飼ってもいいって言ったニャ」
「そうなんだ、じゃあ頑張れ……」
「イヤにゃ!頑張れ無いニャ。
むしろ……もう耐えられニャイ」
「別に座っているだけだろ?」
ドコがつらいんだ?
そう思っていると、うちのネコは涙を目に浮かべながら必死に語りだした。
「お前にはわからニャイつらさニャ。
近所のガキが、毛虫を食べろとニャーに差し出したり、はてまた貴族の若者が、ニャーのひげを引っ張ったり……
ニャーは毛虫は食べニャイ!
そもそも猫は毛虫を食べるのか!
それならまだしもニャ、新しい学校の説明をしようとしても、誰も話を聞いてくれないニャ。
30人以上にからかわれ、断られて、ニャーは……ニャーはもう心が死んでしまうニャ」
「生徒集めるのってそんなに大変なんだ……」
……ああ、これ知ってる。
あれだ、営業マンが味わう地獄の苦しみだ。
ポンテスはノルマが達成できない営業主任状態になったのだ。
……でも、コイツ勧誘できないからって詰められないじゃん。
ただのネコだしママさんだって、社長が言いそうな事は言わないだろう……
一瞬『耐えろ』と、100円ショップ時代の社長の口真似で言ってやろうかと考えた。
しかし次の瞬間「グスン、もうイヤニャぁ、おうちに帰りたいニャぁー」と、遂に猫が涙をこぼしながら言い出す。
俺はそれを聞くとウチのポンテスが憐れに思えてきた。
友人思いの美徳の持ち主ゆえの苦難に苦しむポンテス。
奴とはなんだかんだ言って仲もいいし、俺に泣いてすがったなんて初めての事だ。
……だから俺は何とかしてやるべきじゃないかと、思った。
「よし、ポンテス。俺にアイデアがある!」
「ほ、本当かニャっ?」
「ああ、任せておけっ!」
3分後、俺は猫の代わりに猫によく似た石に、はち割れ模様を白と黒の塗料で塗ってやり、そいつをパンフレットの重しにした。
俺の作品をじっと見つめるポンテス、しばらくして奴は言った。
「ニャーはそこまで不細工かニャ?」
なぜかうちのネコが、不満そう……いや不安そうにそう言うので、俺は彼を力づけるようにこう言った。
「大丈夫だ、我ながらいい出来だ、ずばりそっくりだ!」
クソ猫特有の明鏡止水の表情がうまく表現できたと思う。
イリアンが後ろでヒーヒー言って爆笑しているのが気になるが大丈夫だ。
王子様も「いいよ、いい!さっすがラリーだっ」って言っているしな。
シドは……あぜんとした表情で俺を見ているが何故だ?
とにかく俺は猫を抱き上げ「じゃぁ、偽ポンテスにここは任せて、一緒に学校に行くぞ」と言って歩き出した。
偽ポンテスは……あ、いや本物のポンテスは「剣の学校ニャ?」と俺の腕の中で尋ねる。
俺はこう答えた。
「ああ、中には女の子もいるらしいぞ。
きっと多額の寄付金を収めた、パパのお友達だから接待しようぜ」
我ながらいいことを言うと、自分に感心した俺。
俺の言葉のリアクションがどんな様子なのか知りたくて、ウチの猫を見ると、彼はなぜか明鏡止水の表情で……
なんでや?
彼がどういう理由でそんな表情をするのか分からないが、見ていて面白いから良しとした。
……さて、こうして俺達は学校の敷地の中に入った。
すると中に入ってすぐ所に、きれいに整地された土がむき出しの場所があって、そこに一人のたくましい大男が立っていた。
それを見た従者の人が、「ボグマス殿!」と叫び、そして俺達をそこに案内した。
「いやぁ、ボグマス殿。お子様方をご紹介しましょう」
「ああ、従者殿こんにちは。
できれば、彼ら自身が私に自分の事を名乗らせてくれ。
そうしないと自立した精神が育たないから」
「ああ、そうですか」
「ちなみに女の子たちはもう来ている、ほら、あの建物の中だ」
ボグマスがそう言って侍従の人に指差して示した先には、小さな小屋が立っている。
その脇には、井戸があった。
興味深げにその建物を見ている俺たちに、ボグマスは「女の子の着替えが終わったらお前たちも見に行くと良い。小さいが良い教室だ」と言った。
何故教室が存在するのか?そう思っているとボグマスが言った。
「これからお前たちが学ぶ、聖騎士流は別名クレオンテアルテと言う。
これは使徒クランティンの剣術を、開祖であるクリオン・バルザック男爵が独自の解釈も交えて大成したものだからだ。
すなわち意味は“クリオンの芸術、技術”と言う事になる。
我が流派は最強の剣であり、何よりも理を重んじる。
剣を振るだけではなく、雨の日などは座学も重んじるので覚悟しておけよ」
そう言われて俺は目を見開いて、息をのんだ。なんか思っていたのと違っていたからだ。
剣道をやっていた、生前の友達に座学なんてなかった。
聖騎士流とかいう物と、剣道との違いに戸惑う俺。
そうこうしているうちに、教室の扉が開き、中から粗末だが、動きやすそうなズボンとシャツに着替えた3人の女の子が現れた。
見た瞬間おれたちは『あっ!』と言って驚いた。
この前の羊が暴れたダレムのパーティで、俺に猫をイジメるなと言っていた女の子たちだったからだ。
「リアちゃん、クリちゃん、ルーシーちゃん!」
腕の中でうちの猫が女の子を見ながらその名前を絶叫し……て、言うかお前“ニャ”はどうした?
奴は俺の腕の中から強引に抜けると、ニャーニャーわめきながら、嬉しそうに女の子に駆け寄り、そして全員の足に首筋をこすりつけながら甘えまくる。
その様子を見て、マスターボグマスが威厳のある声で言った。
「……猫がしゃべった」
……低い声っていいなぁ。あんなどうでもいいつぶやきでも、かっこよく聞こえるのだから。
ボグマスは俺の方を見ると「あれはお前のネコか?」と尋ねる。
なので「はい、そうです」と答えた。
「あのネコはどこで手に入れたのだ?」
「さぁ、気づいたらウチのお姉さまが拾ってきて、後はあのエロ猫、好き放題生きてます」
「エロ猫かぁ……」
そのエロ猫はキャァキャァはしゃぐお嬢様方に尻尾の付け根を撫でられ「あ、ああっ、たまらにゃぁーい♡」と、逆セクハラを楽しんでいる真っ最中である。
……いいなぁ。
「ラ、ラリー。頑張ろう!」
このエロ猫と小娘の戯れを見たウチの王子様が、いきなり元気よくやる気のある声で俺を励ました。
「ど、どうしたんです?」
戸惑う俺に王子様は「ラリーここでは敬語はいらないよ。僕はやる気が出てきた!」と呟き……
どうしたミスター・ゴーイング・マイウェイ……恋の季節?ねぇ、恋のシーズン?
おじさん手伝っちゃうよ!
さて、俺の見立てでは……なんだが、その中の一人、一番背の高い子。
その子が俺にポンテスをイジメるなと言った女の子だが、抜群にかわいい子だった。
この子がウチの王子様の好きな子かな?
この子の周りだけなんかキラキラ光って見えるし……
後で聞いてみよう、違う事もあるしな。
とにかく女の子は総じてルックスのレベルが高く、俺たちイケて無いズとはオーラがまるで違う。
実は白鳥だけど、明らかに不細工なアヒルである俺たちは、勉強を学ぶ学校ではあまり女の子の注目を浴びるタイプではない。
だけど目の前の3人は明らかに、学び舎でも人気者街道を走っていそうである。
要するに格が違う……王子様は白鳥のはずだけどな。
「ネコと戯れるのは後にしろっ、全員集合!」
マスターボグマスが迫力のある声で、女の子たちを招集し、その声に従って猫と女の子達がこちらに駆け寄って来る。
近付いてきて初めて気が付いたのだが……
この女の子達は男子の中では大柄な俺は別として、王子様やイリアン、シドよりも3人とも上背の大きな子達だ。
そういえば子供時代ってこうだよな……と、妙なところに納得した俺。
そして大きな目を活発にクリクリと動かしながら、はしゃぐようにボグマスの様子を見る女の子たち。
俺達にもちゃんと会釈をしてくれた。
それを見てイリアンが「いい……」と呟き、シドが「まぁ、うん、まぁ……」と言ってはにかんだ笑みを浮かべる。
こいつらは剣を学ぶことに対して、別に積極的ではなかったが、どうやら少し前向きになったようである。
……男って素晴らしい生き物だ。
「それでは諸君、まずは自己紹介から始めよう。
私はボグマス・イフリタスだ。
仕える主はまだないが、一応騎士である。
今の子はまず学校に通うのかな?私のころは君らの年でまずは名のある騎士の元にペイジとしてお仕えし、そこですべてを学んだものだ。
私はペイジとして、当時まだ騎士であったドイド・バルザック氏にお仕えし、最後の一年間はバルザック氏が男爵になったのでそのままそこに仕えた。
その後は父の爵位を継ぐために、ルシナン伯爵に仕えた。
ゆえに私の剣はバルザック家を祖とする聖騎士流である。
この剣の流派はクレオンテアルテともいうから覚えておくように」
そうボグマスに言われ、俺たちは黙って彼の様子を見る。すると彼は少し溜息を吐くと「私が尋ねたら、返事をしろっ!」っと急に怒り出した。
え、そういうルールなの?そう戸惑った俺等だが、此処では彼がルールなのだと思い返し、素直に「はい……」と返事を返した。
……て、言うか俺らに尋ねたっけ?
釈然としない気持ちが表情に浮かぶ俺ら。
そんな俺らにボグマスも機嫌が悪そうである、勝手に言って勝手に怒ってる感がする。
ボグマスは諦めたように「まぁ、いいや。これからだろう……」と呟き、そして俺らに向き直ってこう言った。
「それではそこの大きな男の子!お前からだっ」
「俺ですか?」
「そうだ、名前と剣術を学んだかどうかを言え」
「わかりました、ゲラルド・ヴィープゲスケです。今年6歳で剣術は初めてです」
「よしじゃあ、次」
「はい、イリアン・ホーマチェット。年はラリーと一緒、剣術は初めて……」
「じゃぁ、次」
「……フィラン・クラニオール、剣は初めて」
「声が小さい、今度から大きな声で……次」
「イリアシド。ネリアースです……」
「……剣は?」
「初めてです……」
「お前ももっと大きな声でっ!
それから俺が質問した内容を端折るなっ!
それから女の子、そっちも一番大きな子からだ」
「はい、イフリアネ・ダマトです。父は伯爵です。剣術は昨年から習い始めてます。
よろしくお願いいたします」
「分かった、一応ここでは伯爵家であるかどうかは関係ない。
剣の前では身分差はなく、強い者は勝ち、弱い者は死ぬからだ。
良しじゃぁ、次」
「はい、クラリアーナ・ワズワスです。
半年前からお嬢……イフリアネと一緒に剣を習ってます」
「うん……うん、次」
「ルシェル・キンボワスです。剣は3歳ぐらいからやってます」
「分かった、それじゃあこの中で一番剣が上手いのもルシェルなのかな?」
ボグマスがそう問いかけると女の子達は声を揃えて『そうです』と元気よく答えた。
ボグマスはその様子に「はぁ……」と溜息を洩らして言った。
「平和が続いたせいか、男よりも女の子の方が元気だなんて、世も末だ……」
……すいません、ご期待に沿えなくて。
やがて彼はギン!と俺達を睨むと、俺達“イケて無いズ”を目の敵に設定したのか低い声でこう言った。
「お前たち、これから男らしくしてやるから覚悟しておけよ!」
フン!お前に言われなくてもわかってるわい。偉そうに俺に強制しやがって……
そう思って、王子様達を見ると……あかん、顔が青くなってる。心がめっきり折れ取るやん。
すると奴は「お前だけは骨がありそうだ」と、恐ろしい声で俺相手にターゲット認定を宣告する。
いや、それほどのモンでは無いっすよ、僕なんてねぇ……恐ろしかったので目をそらしながら心で呟く俺。
そう思っているとウチのクソ猫が邪悪な笑みを浮かべながら言った。
「先生ニャン、小僧の祖母はバルザック家の人ニャ」
ポ、ポンテス!お前、なんて事をっ!
復讐か?偽ポンテスのクオリティが良くないから今ここで復讐したのか?
……コイツこっそりからかわれた事を根に持ってやがったな。
そんなポンテスの言葉を聞いたボグマスは獰猛な笑みを一つ浮かべると、上から見下ろすように顎を上げながら言った。
「ふーん。ヴィープゲスケ男爵の息子は確かにバルザック家の遠縁だとは聞いていた。
これは鍛えがいがありそうだな。
マスタードイドもさぞお喜びだろう……」
喜ばないよ!伯父さんは喜ばない予定だよ!なんて野郎だ……
あ、そこの幼いギャル共がクスクス笑って俺を見てる!
……この鬼のような男が目を離したら、すかさずウィンクしてやろう。
「ゲラルド、お前は面白い奴だ。
しっかりしごいてやるから覚悟しろよ」
えっ、心を覗いた?なんでばれた?
「さて、空気もほぐれたところで今日の訓練を始める。
まずは歩く事から始める。
剣術に置いて歩くというのは、ただ歩く事を意味しない。
それは相手と自分の距離を詰め、そして離れ、あるいは足場を自分の有利な方に持って行くことを意味し、逆に相手を不利な足場に追いやることを意味する。
前後左右、どちらにでもすぐに動ける状態で移動をし、そしてしっかと地面を足裏、つま先でとらえて、一撃を繰り出す為のモノである。
ゆえに剣術においては歩く事にも約束事があり、これを“歩法”と言う。
基本中の基本であり、また奥義でもある。
いつかは分からないが、諸君らが私についてきたときにはその奥深さを教えよう」
ボグマスはそう言うと地面に転がっていた木の棒を一本手に取り、それを顔の横に天をめがけて垂直に立てながら言った。
「最初に教える構えがこの構え“屋根の構え”である、まずはこの構えをしっかりと覚えろ。
見よう見まねで覚えるのだ。
では前進、ランジから行く。
手が右利きの物は左足を前にし、そしてつま先を相手に向けよ。左利きはその逆だ」
俺たちはボグマスの言葉に従い、地面に置かれている棒を手に取り、彼の構えを見よう見まねで構えた後に、自分の足を、彼の足の形に合わせる。
ボグマスはそれを見て幾度かうなずくとクラリアーナに言った。
「後ろのつま先を真横に向けるのは細剣の構えだ、突きの時はこれでよい。
だが長剣の場合では斬撃が全て軽く、浅くなる。
後ろのつま先は真ん中を少し外した位に、そして自然体で…そう、それでいい」
「こうですね……」
「そうだ、女の子だから細剣を学んだようだな、よーしいいぞ。
じゃあ次だ、右利きの者は左足を前に。
左利きは……伯爵のお嬢様か、イフリアネは右足を前に出して……
次に残った足を最初に伸ばした足に寄せよ。
決して後ろの足を前に出すなよ。
常に右利きの者は左足を前に、左利きの者は右足を前にせよ。
それでは歩け!」
こうして俺たちイケて無いズは、不格好になりながら必死になって剣を構え、そして歩く。
途中途中で罵声が飛ぶ「腰が高い!」とか「足を地面に摺れ!」とか「剣を持つ手を下げるな!」など。
鬼のボグマスは初心者に容赦はしない。
俺は普段から体を鍛えていたからまだいいが、王子もイリアンもシドも、このしごきにやられて疲労しきった。
汗だくになり、息も荒げたみんな。
「しっかり構えろ!まだ“隠し歩き”も“送り足”も教えてないんだぞ!」
「は、はい……ぜぇぜぇ」
王子がそれでもかろうじて食らいついていくのを見ていた俺は、いたまれなくなってボグマスに言った。
「マスターボグマス、皆はこれまで運動らしいことはしていなかったのです。
休憩を頂けないでしょうか?」
すると彼は俺を、凄い目でギロリと睨むと「だったら貴様に教えてやる、次来る時までに貴様が連中に伝えろ……」と言った。
……意見をしてはいけなかったらしい、俺はボグマスの機嫌を損ねてしまった。
こうして、些細な事で明らかに怒りと敵意の混じった視線を俺に投げるボグマス。
その様子に思わず息をのんだが、俺は(ここでコイツの喧嘩を買ってやる!)と思い定め「分かりました!」と声を上げた。
コイツがこんなささやかな事で俺に敵意を持つのが気に入らないからだ。
こうして俺は皆が休んだ間も、コイツのしごきに一人徹底的にしごかれ。
太陽が落ち、足がガクガクと震える状態になってもひたすらボグマスを睨みながら、色々な“歩法”を学ぶことになった。
女の子たちはもともと全員一通り歩き方はマスターしていたらしく、特に奴にこれ以上教わることもないらしく、皆気楽な表情で俺の事を見ている。
(あの野郎……俺を晒し者にしやがった!)
歩き続ける俺は怒り心頭である、ただひたすらにこの偉そうなマスターに負けたくない一心で歯を食いしばる。
棒を構えて、罵声の中を歩き続ける。
笑って見ている女の顔と、どこかすまなそうなイケて無いズの表情、言いようのない苛立ち。
やがて暗くなった時に、苦行は終わり、ボグマスは俺を見下ろしながら「根性だけは褒めてやる……」と一言いい残してこの場を後にした。
(ぶっ殺してやる、アイツはいつか必ずぶっ殺してやる!)
俺はカエルのように這いつくばり、何もしゃべれなくなりながら、荒げる息の中でそれだけを胸に誓い続ける。
そんな俺の傍でウチのクソネコが「すまないニャ、軽く考えてごめんニャ、アイツがあんなにしごくニャンて……」と、俺に詫びを入れてたたずんでいる。
……正直怒る元気もなかった。
そしてサッサと帰る薄情な女ども、そして泣きそうな顔のおれの友人達、その光景を見ながら俺は今日の事は決して忘れないだろうと予感していた。
それは間違いないと思う。
◇◇◇◇
心配して一緒に遅くまで残ってくれた、友人たちと離れ、家人が用意した馬車に乗り込み、俺は帰宅する事が出来た。
……このまま歩く事がなくて本当に良かったと、この時ほど貴族の生まれであることに感謝したことは無い。
やがて馬車は、我が家の敷地に到着する。
馬車から降りた俺の足は痙攣し、馬車の足場から踏み外して地面に転げまわった。
支えも無しに階段を降りる事が出来ないのだ。
慌てる馬車台の上の御者に手で“来るな!”と意思表示をした俺。
彼はうちの使用人ではなく、急に雇われたスポット的な人である。
……正直甘えたくなかった。信じていなかったとも言う。
よろけながら地面から立ち上がった俺は、手にした棒を杖代わりに、ヨタヨタとよろめき、そして恨めしいほど広い、屋敷の敷地をゆっくりと歩く。
この時間は使用人は誰もいなかったので、助けもない。
「す、すまないニャ。まさかこんなに絞られるなんて……」
「謝るなよ、クソ猫……」
俺は怒りにも、疲労にも震える足を引きずりながら家に向かう。
……今日だけは猫を許したくない。
猫もそんな俺の様子は分かったのか、黙って俺と寄り添うように家の中に入った。
家に入りバタンと扉が大きな音を立てる。
此処から自分の部屋までも距離が結構あるのを思い、げんなりしていると遠くからタッタッタッと足音を響かせながら、ママがすごい勢いで走ってきた。
ああ、俺を心配して駆け寄ってきたんだ!
俺は嬉しくなってママさんの顔を見て思わずうれし泣きの涙を流した。
(ママ、ママァーッ)
自分に優しくしてくれる大人にやっと逢えた、そう思って安心した俺。
駆け付けてくれた僕のママ。
ママは張り詰めた表情で俺に尋ねた。
「大変よ、ポンテスちゃんが石になったの!」
そう言って俺に……彼女は偽ポンテスを突き出した。
「…………」
僕の心配はしないの?
あ、そうですかぁ、そうでしたかぁ……
次の瞬間、ママは俺の足元に居る本物のポンテスを見つけてあっけにとられた表情を浮かべた後、静かに俺を見た。
そして次に偽のポンテスを見て「これはどういうことなの?」と尋ねた。
「…………」
ママ、僕を叱るなら明日にしてください。
お願いです、後生ですから……
こうしてキツツキは正式に俺の部屋で飼われ、俺はこっぴどくママさんに叱られた。
そして俺は剣術を学び始める事になったとさ。
めでたし、めでたし……じゃねぇよ。




