白い嵐(後)
―少し前、王家のダレム山荘北口近くの物置小屋。
「フェッフェッフェッ!
良い様だなぁ、エドワースさんよぉー、俺たちを嵌めやがって!」
「ふごーむごぉぉぉ」
ゲラルド達が北口の門を通り過ぎた時と同じ頃、エドワースが二人の男に縛られ、物置小屋に北口の門番3人と一緒に放り込まれていた。
恐怖に歪み、喋れないように猿轡をかまされ、真っ赤な顔で泣き叫ぶエドワース。
自分を拘束する男たちの顔を見上げると、そこに居たのは、ヴィープゲスケ男爵を辱める名目で雇い、エドワースと因縁深いあのガルベル人だった。
彼らはニタニタと笑いながら、エドワースを蹴り飛ばし、手ひどく痛めつけながら言う。
「おかげでさんざんな目にあったぜ、エドワース!
だがな、この街にだってガルベル人はいるんだよ。そいつらから色々聞きだすのは簡単なんだぜ。
お前がマウーリアのクソ爺に監禁されていると知った時は、本当にうれしかったぜぇ」
すると隣に居る別のガルベル人もエドワースを殴りながら言った。
「俺が見張のふりをして。てめぇをここまで誘導してやったのよ!
山荘の地下にはオランだって捕まっている。
後はお前を捕まえたと地下牢に居る兵士に伝えるだけ」
「そしてあのボグマスも、地下牢で始末する……」
そう言うと二人は痛みと恐怖でえづくエドワースを尻目に、ぐっすりと眠る3人の門番から鎧を剥いで行く。
「しっかしこいつらもだらしねえな、賄賂ももらえて、差し入れももらえるとなると、喜んで睡眠薬入りのワインでもパンでも食べやがるんだから」
「意地汚いのは、アルバルヴェ人の特徴よ。
ガルベル人ならこんな不細工な話にはならんものさ……」
二人はそう言うと剥ぎ取った装備を自分で装着し、そしてもう一着分を、一人が小脇に抱えた。
「さぁてエドワース、こっちに来てもらおうか……」
やがて彼らはいたぶられて抵抗する気もなくしたエドワースを連行してこの物置小屋を後にする。
猿轡をかまされ大人しく引き立てられていくエドワース。
そして彼を連行するガルベル人達が向かったのは、ここから少し歩いたところにある、目立たない地下室への入り口だった。
実はここは山荘の地下室につながる薄暗い連絡路で、この道を10メートルほど歩いたところに地下牢がある。
この連絡路にも見張りは居て、彼らはその中で最も装備が良く、また首から立派な記章をぶら下げている人間を探した。
ガルベル人はやがてそのお目当ての人物を目ざとく見つける。
すると彼らはエドワースを両脇から抱えながら、ニコニコとほほ笑み、そしてこの立派な見張に近づく。
「止まれ!貴様ら見かけない顔だな」
この見張がそう声をかけるとガルベル人は、堂々とした態度でこう言った。
「はっ!お勤めご苦労様です。
我々は今回手伝いでマウーリア伯爵様から派遣されてきたものなのですが、不審な者を発見いたしましたっ。
そこでご命令により、この者を地下室に連れて行くところでございます!」
「なに?フーン、コイツか……
ここに来るまでに手ひどく痛めつけたようだな」
「はい、抵抗したのでやむなく……」
「フーン、まぁいい、連れて行け……」
「ありがとうございます、それと……
一つ聞きたいことがあるのですが」
「なんだ?」
「北口に今誰も居ないのですが、あれでよろしいのですか?」
「何っ!」
「いえ、北口から入ってきたのですが、誰も居なかったのです。
帰りもこの道を通るのですが、あまりにも不用心だと……」
「あの野郎……ぶっ殺してやる!」
「あ、はい。後それと……」
「なんだっ!」
「帰りは、仲間を連れて帰るので、もう一人増えます。覚えていただけると助かります」
「分かった。
おいっ!北口の連中を探しに行くぞっ!」
彼はそう言うと、配下の者を引き連れて、北口へと向かった。
ガルベル人たちは目を見合わせてニヤッと笑う。
「調べた通り……」
「軽躁な隊長だな」
こうして入った地下牢の中……
地下牢の中は薄暗い明かりがともり、不気味で不衛生な空気に満ちている。
そして中に居たのは中年の看守一人だけだった。
素早く周りを見回すガルベル人、そして怪しまれないよう、自然な様子で声を掛けた。
「よう、あんた一人だけかい?」
片手をあげて、馴れ馴れしい彼に、看守がいぶかし気な様子で「うん?あんた誰だ……」と尋ねた。
「マウーリア伯から派遣された手伝いだ。
実は怪しい奴を捕まえたんで、牢屋に入れたいんだが……あんた一人かい?」
「ああ、此処は外に大勢兵士がいるんでね」
「へぇ、そいつは良かった。
じゃ早速こいつ(エドワース)を牢屋に入れてくれないか?」
看守は連れてこられたエドワースのひどく嬲られた顔を見る。
次に面倒臭そうなようすでカギを取り出し、そしていくつものカギから一つのカギを取り出すと、そいつを持って一つの牢屋向かった。
牢屋にたどり着いた彼はそのカギを鍵穴に刺して、牢屋を開けようとする。
その時、音もなく近づいたガルベル人の一人が後ろから腕でこの看守の首を締め上げた!
「グッグゥ、ぐ、ググ……」
ギチギチと、たくましい腕をきしませて看守を締め落としていくガルベル人。
やがて看守は意識を失い、ぶらんと手を垂らした。
看守をそのまま、いましがた自分が開けた牢屋に放り込むガルベル人。
彼らは得意げになって話し合う。
「まぁ、ちょろいもんよ……
おい、カギを全部持って来いよ。
オランと、ボグマスを探すぞ」
彼らはカギの束を持ち、そして「おい、此処から出してくれ!」と叫ぶ、犯罪者が居る牢屋の前を通り抜けて一つの牢屋にたどり着いた。
中には昨日捕まった仲間のオランが居た。
オランが「助けてくれる信じていた」と涙ぐみながら語る中、彼らは手早くカギの中からこの牢屋のカギを探り当て、そして仲間を自由にする。
「時間がない、オラン。今すぐこれを着るんだ!」
彼らはそう言って、持ってきた兵士の鎧一式を差し出し、彼に着替えを促す。
ガルベル人はそのまま辺りを見回し、牢屋の中に居るであろう、騎士ボグマスを探す。
囚人たちが一斉に「おい、俺もココから出せよ!」とわめきたてる中、騎士ボグマスが居る牢屋を見つけた彼等。
ボグマスはほかに相部屋の囚人もなく、一人で牢屋の一室に居た。
ガルベル人達はそれを見るとサディスティックな笑みを浮かべて、ボグマスの牢屋に向かう。
ボグマスはその様子を見ると、彼らが兵士として腰に下げている剣が届かないように、牢屋の奥へと下がった。
「やぁ、ボグマスよくも俺たちを嵌めてくれたな。
その礼はたっぷりとしてやるぜ……」
ボグマスは恐れを見せることなく、静かに奥の壁際へと、顔をガルベル人に向けながら後ずさる。
ガルベル人はボグマスに誘われるように、ボグマスの牢屋に入った。
そして剣を抜いてボグマスにその切っ先を向けた。
「死んで償え……ボグマス」
ボグマスはガルベル人の顔を、静かに下から睨み上げる。
何ら感情の揺らぎもなく。ガルベル人をただ眺めるボグマス。
その静かな様子に、自信深い様子を感じ取ったガルベル人は、一瞬でその様子を不快に感じ、感情的になって剣をふるった!
「なめんじゃねぇ!」
体をひねってその一撃を交わすボグマス次の瞬間振り下ろされた剣刃が、戻っていくところを素手で掴んだ!
「なっ!」
ボグマスは掌が刃で傷つくことも恐れず、手首をひねり、そして自分の体を相手に近づけるや否や、相手の手首を残った片手でしたたかに打ち据えて、剣を奪う。
「テメェ、聖騎士流か……」
この技に見覚えがあったガルベル人は、ボグマスを睨みながらそうつぶやく。
ボグマスは何も答えず、腰のあたりに剣を両手持ちにもって、相手の胸元に剣を向ける。
ボタボタと右の掌から滴り落ちる血、静かに一歩、また一歩とにじり寄る慎重で大胆な足さばき……
このボグマスの様子に並々ならない剣の使い手であると思えたガルベル人は叫んだ。
「オラン!ずらかるぞっ」
3人はその声を合図に一目散にこの地下牢を脱していく。
あくまでも目的はオランの救出であり、彼らはボグマスの事はそのついでだからだ。
彼が手ごわいと思った瞬間、彼らは無理せず退く。
相手が逃げたことを見て、安堵のため息を吐いたのはボグマスだ。
彼は後に残された、ひどい有様のエドワースに近づく。
「大丈夫か?」
「すまないボグマス……」
いざとなったら此処の兵士を切り捨ててでも、エドワースと共にここから抜け出そうとしたボグマス。
だが、護衛の兵士は何処にも居ないので、そのままこの幸運を神に感謝しながら外に這い出る。
外には誰も居ない、だがこのまま夜が明ければ見つかるのは時間の問題である。
この状況下でエドワースは言った。
「ボグマス、すまない。俺を捨ててお前だけでも逃げてくれ……」
「……お前には言いたいことが山ほどある。
だがそれはすべて一緒に抜け出してからだ」
そう言うとボグマスは辺りを見回してエドワースに尋ねた。
「いったいどうやってここまで来た?」
「ああ、信じられないかもしれないが。
変なキツツキみたいな鳥に連れてこられたんだ?」
「なん?……」
「そしてその鳥と話をするために、しゃべる猫がやってきて。俺にこう言うんだ。
……つまり、何と言うか猫は通訳で。
とにかくキツツキは物置小屋で待てって、そうしたら山荘に大騒動が持ち上がるからその騒動に乗じて、お前を助けろって。
そうしたら物置小屋にキツツキじゃなく、アイツらが現れて……」
ボグマスはエドワースを見た瞬間から、コイツ(エドワース)をぶちのめしてやると思っていたが、その気持ちがすっかり削がれてしまった。
……キツツキと猫のお導きで自分を助けに来た。
出来の悪い神話でもこんな展開はないし、嘘でももっとマシな物を言ってほしいと思ったのだ。
この時だった、遠くから地鳴りのような音が響き、そして盛んにメェー、メェーと泣き叫ぶ羊の声が響き始める。
ボグマスは「なんだ?一体」と言い。
エドワースが「きっとキツツキだ、とにかく隠れよう!」と言った。
他に良いアイデアがあるわけでもなく、ボグマスは弱ったエドワースに肩を貸すと、片手に剣をぶら下げながらどこかに向かって歩き出す。
エドワースが森の中に朽ち果てた小屋があるのを知っていた。
そこに潜伏した後、二人はその後起きる混乱に乗じて脱出する。
その後彼等は無事王都に帰りついた……
◇◇◇◇
―同時刻公民館近くの宿屋の前……
「フィン、演劇は何処でやってるの?」
「演劇は、向こうの公民館でやってる……」
二人のまだ少年少女と言うべき年齢の若者が、そんな会話をしていた。
少女は白い穢れ無いオーラを他人に印象付ける美しい娘で。そして少年は日焼けし、そして何よりも精悍な印象を与える、背の高い男の子だ。
少女は“演劇は向こうの公民館でやってる”と言う少年の言葉に首をかしげた。
「だったらフィン、どうしてここに来たの?」
フィンと呼ばれた少年は、何も言わずに少女の腕を取り、そして路地裏に連れて行くと、そのまま全身で少女を壁に押し当てた。
「痛いっ!どうして……」
そう言って少年の目を覗き込んだ少女は驚く、いつもと違う、どこかギラギラとした目で自分と目を合わせてきたからだ。
少年はそのまま少女の両耳の傍に両手を伸ばし、そして少女の体を壁に縫い付けるように、そして逃がさないように壁に手を当てる。
後ろには壁、前には少年、そして左右を手に囲まれ逃げられない少女。
少年はどこか必死の形相で言った。
「エリィ、このままじゃ一緒に居られないかもしれない。
俺はそんなの堪えられない……」
「え、どうしたの?」
「男爵もそして伯爵も俺を認めてくれないんだ」
「そんな事無いよ、そんな事無いよ……」
「いや、あの二人の目を見ればわかる。
アイツらは俺をエリィから遠ざけようとしているんだ。
なぁ、俺の事は好きか?
俺はお前の事をこんなにも好きなんだぞ!」
「そんな、まだ分からない……」
「はっきりしろよ!
いつまでも俺は振り回されるばかりの俺じゃないぞ!」
少年が目の前で怒鳴り、少女はおびえの色を目に浮かべた。
少年は目を伏せ「すまん、そんなつもりじゃねぇんだ」と言って謝る。
だけど彼は再びギラギラとした目で少女を見るとこう言った。
「エリィ、俺は覚悟したんだ。
俺はつまはじき物でも構わない、ろくでなしでも何でもいい。
俺は今日、お前を俺のものにする!」
「え……」
「ずっと一緒に居たいんだ……
いや、お前を一生離したりはしない!」
「そんな、いきなり急に……」
「俺は覚悟を決めたんだ、お前も覚悟を決めろ!
部屋だってもう取ってある……」
「そんな、まだ……だって」
少年は逃げ出そうとする少女を逃がさないように、手の位置を変え、少女を追い詰めながらやさしく唇を少女に近づけながら囁いた。
「お前は俺のものだ……
愛してる、エリィ……」
エリィと呼ばれた少女は観念したように目を閉じ、震えながら少年の唇に向け、わずかに角度を上げた。
少年は優しくそれを奪い取ろうとする。
……その時である。
ブモモ、ブゥ、ブモモモモ……
自分のすぐそばで、やけに獣臭く、変な音が響く。
その音がした方角に目を向けた少年。
目の前に……牛が居た。
『…………』
変な音がしたので少女も目を開けて、そちらを見た。
……やっぱり牛が居る。
ブフ、ブブ、モォォォォォォ……
まさかのまさか、牛がこちらを見るシチュエーションは想像もしていなかったので、固まる少年。
(なんだ?何故?いや一体何だ?)
困惑し、体を強張らせ、目の前に牛が現れたという事実を、一生懸命理解しようとする彼。
やがてそんな少年の背後でポワーっと緑色の光が輝きだした。
その光の正体とは……邪悪な笑みを浮かべる、一匹のキツツキである。
それを見た瞬間、目の前の牛は激高して叫んだ!
「ブモォォォォッブッブモオォォォォッ!(そこに居たのかクソキツツキ!今すぐテメェをぶっ殺してやるぅぅぅっ!)」
牛には少年の姿は見えない、キツツキの前に立ちふさがる障害でしかないのだ!
至近距離からの牛の突撃を受けて少年の体は宙を舞う!
少年を盾にしてヒラリと突撃を躱すキツツキ。
壁に叩きつけられ、床に投げ出された少年を見ると、愉悦の笑みを浮かべて、勝ち誇った顔でこう言った。
「げぇー、げぇー(あばよ、色男)」
そしてキツツキはさらに牛を挑発するように低空飛行を続けながら、王家の山荘めがけて飛び去った。
牛も興奮したまま、キツツキを追って走り去る。
後に残されたのは、失神した少年と、彼の脇でへたり込む少女だけ。
ほんの一瞬だけ……理解不能な出来事が起き、そしてすべては台無しとなった。
悲痛な声で少女は呟く。
「そんな、ゲリィが邪魔をするって聞いていたからちゃんと避けたのに……」
実は彼女も計算高かったのだ。
彼女は目を覚まさないフィンの胸を叩きながら叫んだ。
「あともう少しだったじゃない!
起きてよフィン!起きてよっ」
その傍らでは叫ぶ羊が猛然と走り、一様に王家の山荘を目指す。
彼女にはそんな光景も目に入らず、ただただフィンの傍で泣きくれるだけだった。
やがて彼女は駆け付けた王太子たちに、フィンと一緒に回収され、大人しく帰宅することになるのである。
ファレン・アイルツ14歳、肋骨2本と鎖骨を折ってリタイア。
緑に輝く悪魔のような鳥は、夜の田舎町の夜空で絶叫す。
走れカスども!走りぬけぇぇっ。
様々な牧場を抜け出し、集まった数百頭の羊が(キツツキ、くたばれぇぇぇぇぇっ!)と叫びながら誰も居ない山荘の北口から、キツツキを追いかけて侵入した!
瞬く間に勢いが乗った羊たちは貴族が集まるパーティーに乱入し、テーブルから何からすべてを破壊しつくしていく。
「なんだ!何なんだこれはっ!」
「羊だ、羊だぁぁぁぁ」
吹き飛ぶ料理、倒される飾り付けられた柱。
粉々になるテーブル、絶叫する大人、泣き叫ぶ子供達……
もうここはハイソな者どもが楽しむ社交場ではなく、阿鼻叫喚の地獄絵図である。
……いや、まぁ羊にできる事はそこまでではないが。
まぁとにかく、羊の角に引っ掛けられ、伯爵が二人宙を舞い。
子供のお菓子を奪い取って、羊が泣き叫ぶ子供の傍で、ムシャムシャと焼き菓子を食う。
王は「グラニール!何とかせよ!」と、いつもの決め台詞を叫び。
パパさんが「牧童を呼べっ!牧童ぉォぉ」と絶叫する。
とにかく大混乱だ。
この様子を見かねた兵士たちが抜剣し、羊を切り殺そうとする、その時侍従長のクワーリアンが慌てて叫ぶ。
「ダレムの羊はすべて王家の所有物である!
みだりに斬るなぁぁぁぁっ!」
そんなことを言われたら、兵士だってどうしようもできない、とにかくみんなを屋内に避難させるのが精いっぱいである。
この時、息を切らせながらゲラルドとフィラン王子、イリアンにイリアシドが帰ってきた。
王の権威も何のこと、羊が我が物顔で蔓延るこの現場に……
ゲラルドは足元の猫に言った。
「いいか!お前この事は墓場に持って行け!
俺達は何も知らないからなっ!」
「当たり前ニャ!あのキツツキの事を、むしろ誰にも話せないニャ!」
しばらくして王太子も戻ってきて「これはひどい……」と呟いた。
やがて牧童が急ぎ駆け付け、牧羊犬と一緒に追い立てて、羊を牧場に回収していった。
王は怒りもあらわに自室に戻り、クワーリアン侍従長と、パパさんがブチ切れながら牧童を指揮して羊を山荘から追い出す。
そして明け方近くになり、安全が確認できた頃になって、貴族と呼ばれる人々はそれぞれ帰宅した。
それで、ようやくゲラルドはフィラン王子と別れて、マウーリア伯爵の別荘に帰る事が出来たのだが。
今の感想は、とにかく“疲れた”の一言である。
帰りついても、足元のポンテス共々放心状態で、まるで腑抜けのよう。
彼らは静かにソファーに並んで腰かけた。
パパさんも、マウーリア伯爵も、兄貴もまだ王家の山荘に居て、王太子様と一緒に姉貴はまだ山荘に居る。
自分を守って倒れたフィンの看病をしている……らしい。
やがて心配のあまり一睡もしていなかった母親が、ゲラルドとポンテスの前に現れた。
ゲラルドは心配した母親に抱きしめられ、そして泣かれた。
そんな母からも解放され。一人と一匹は着替えて、一緒に自分に与えられた部屋に行く。
『…………』
二人はくたびれ、そして図らずとも徹夜してしまう事になったことに、この時初めて気が付いた。
だけども興奮して眠れないのだ、もちろん眠らなければいけないのは、分かっているのだけれども……
二人はただ黙ってベッドに腰かけ、明け方の空を見る。
そんな明るくなり始めた空に、鳥の鳴き声と、飛び交う幾つかの鳥の姿が見える。
やがてゲラルドは、眼下に見えていた物置が崩壊しているのに気が付いた。
その様子をしっかりと見たいと思ったゲラルドは、窓を開ける。
その瞬間一羽の鳥がこの部屋に飛び込んだ。
両耳のように頭の両脇に羽毛をぴんと立たせた、目が真っ赤に充血した変な鳥である。
「ペ、ペッカー!」
そう言って手を伸ばしたゲラルド、しかしペッカーは翼でその手を払いのけると、少年を睨みながら呟いた。
「げぇ……げぇ、げげげっ(さわんじゃねぇよ……俺はまだまだ飛べるんだよ)」
何を言っているのか分からず戸惑うゲラルド、しかしポンテスはそのペッカーの志を聞いて、涙ぐみながら言った。
「ペッカー先生、もう飛ばなくても良いニャ!
もう全部終わったニャ、あのポンコツ(エドワース)は分からニャイけど……
フィンは倒したニャ、先生がどれだけ凄いかは皆分かったニャ!
ゆっくり休むニャ、バックス・ペッカー!」
ポンテスにそう言われ、ペッカーはよたよたとよろけた。
しかし彼はやせ我慢を重ね、それでも震える足を踏ん張って仁王立ちに立つ。
そして弱弱しく、苦しそうな声でこう呟いた。
「げぇ、げっげげげげ、ぐ、ぐぅぅぅわぁ(何もわかっちゃいないな、まだまだ終わってなんかねぇ、俺の戦いは始まったばかりだ。知ってるか?こちらが苦しい時は相手だって苦しいんだぜ)」
ポンテスはそれを聞きウッウッと泣きながら「もうね、ペッカー先生が何と戦っているか、わからニャイ」と呟いた。
……ゲラルドも、良く分かっていない。
ペッカー語が分からないのだ。
ペッカーは平衡感覚を失い、ヨロヨロとよろけ、そして嘴からぽたぽたとあぶくの涎を垂れ流しながら天を仰いだ。
……まぁ、室内だから天井だけど。
ペッカーは霞む視界の端に昔の宿敵たちの顔見出しながら呟く。
「げぇ、げぇぐわぁぁあぁぁ(お前たちアッチの世界では、たった一つの愛を大事にしろよ!愛は売り物じゃねぇんだからよ)」
ポンテスはそれ聞きながら「やばいニャ、いよいよ面白いニャ……」と言った。
彼の方も悲し気に震えていく。
……まぁ本当は笑いをこらえているんだけど。
ペッカーは翼を広げ天に向かって威厳を込めて胸を張り、死力を振り絞って叫んだ。
「げぇ、げげげげっげぇーげっげ!(俺の名は“バッカス”今はバックス・ペッカー!)
げっげぇぇぇ(恐怖して聞けっ!)
ゲッ、げぇぇぇぇげっぐわぁぁぁぁぁぁぁっ!(我は聖獣、多くのチャラ男の破滅者なりっ!)」
次の瞬間ペッカーは白目をむき、そのままブクブクとあぶくを吹きながら後頭部からバッタリと倒れて失神した。
「うわぁ!なんだか良く分からないけど、カッコ良く死んだぞ!」
ゲラルドが驚きながらそう叫び、ポンテスが「どうしよう、傑作ニャ……」と悲しげに呻く。
どうしたらいいのか分からずゲラルドはポンテスに「おい、ペッカーはどうしたんだ?」と尋ねた。
ポンテスは答える。
「ペッカー先生はこうなるともう、4日は目を覚まさないニャ。
その間に誰かに攻撃されたら、さすがのペッカー先生も殺されちゃうニャ。
だからお願いニャ、ペッカー先生を匿ってほしいニャ。
彼は敵が多い男ニャ、お前だけが頼りニャ」
そう言われてゲラルドは思った。
(俺はコイツに助けられた……らしい。
……たぶんだけど)
だから「任せろ!仲間を守って見せる!」と言って請け負った。
こうしてペッカーはゲラルドが大事に匿う事になったのである。
ダレムの山荘の滞在予定日はまだあったが、あんな事が起きた後なので、ゲラルド達は翌日にはこの街を後にした。
◇◇◇◇
……その後の事だが。
ゲラルドと王子様はすっかり仲良くなり、彼とは一緒の学校に通う事となる。
ちなみにルシナン伯爵家は、不正が発覚したことで降格となり、領地をもたない法服貴族の男爵になった。
さらに巨額の罰金が科されることになる。
そしてその旧ルシナン伯領は、王太子様の封土となり、新たな王太子領が設定された。
そして首都にある伯爵の家屋敷は、罰金を払うために売却され、グラニール・ヴィープゲスケ男爵が買い取った。
彼はここに、夢だったこの国初の魔導大学を立てるつもりである。
そしてエドワースとボグマスは、現在ヴィープゲスケ男爵と交渉中。
就職の世話をしてもらうつもりである。
◇◇◇◇
王都に向かう、貴族用の大きな馬車がある。
乗っているのは、ヴィープゲスケ男爵家の面々で。
その中の一人、ポケットに大事に鳥を隠したゲラルドは、父親を除く家族全員と共に居た。
姉のエリアーナは馬車の中で一言もしゃべらず、ただ黙って外を見ている。
それを見て兄のシリウスが言った。
「エリィ元気を出せ。
フィンだって2か月もすれば元気になる。
今お前が心配してもしょうがないだろ?」
「…………」
「お前、俺を無視するつもりか……」
「…………」
「ふぅ、まったく……
あ、ほれ、お前たち、あそこに牛がいっぱいいるぞ!
王都じゃまず見ないから、今のうちに見たらどうだ?」
するとここで初めてエリアーナが、ママさんによく似た冷たい目でシリウスを見ながら言った。
「兄さん、私は牛が嫌いです……」
ゲラルドと、ポンテス、そして兄のシリウスは思わず黙り、鉛のようなつばを飲み込み、そして静かに黙る。
ゲラルドは思った(あの天使のような姉に何が起きたのだろう……)と。
彼が牛事件の真相を知るのは、ペッカーが目覚めた後である、他の家族の皆は誰も何もゲラルドに教えてはくれなかったのだ。
とにかくダレムは、人々に忘れられない思い出だけを刻み付けて遠のいていく。
そしてそのことが、やはりゲラルド達の人生に大きな影響を与えたのである。
―閑話
―白い嵐の夜ダレムの山荘北口近くの小道
『はぁ、はぁ、はぁ……』
3人のガルベル人は息も荒げて山荘の外に這う這うの体で逃げ出した。
いきなり羊の群れに襲われ、人も柵もすべてが宙に投げ出されるように吹き飛ばされる様を見た彼らは、一瞬のスキをついてここまで逃げ出したのだ。
……恐ろしい光景だった。
自然の暴力の前に人はあまりにも無力である。
「ひゃぁ、羊があんなに恐ろしいものだとは思わなかったぜ」
「あ、ああ。まったくだ」
「おい、オランはどうした?」
彼らは一緒に抜け出した仲間がいないことに気づいた、しばらくすると遅れて救出されたばかりの仲間が追い付いた。
二人はあきれながら言った。
「おい!お前がドジ踏んだから俺たちはこんなに必死になっているんだぞ!
それなのに遅れるとはどういう事なんだ!」
するとオランは言った。
「いや、ちょっと野暮用でね。
まぁこいつを見てくれ、ほれ!」
そう言うとオランは懐からたくさんの宝石やら、金貨やらを取り出した。
それを見て思わず息をのむ二人。
オランはそんな二人の前で得意げになって言った。
「せっかくアルバルヴェ王の傍に居るんだ、すなわち財宝だって近くにある、両手で掴めるだけ掴んで持って帰ってきたよ!」
「マジかよ!あの騒ぎの中でお前ってやつは……」
「だからこれはお詫びで後でみんなで分けよう、そしてそれから娼館に行こうぜ!」
「まじか!いやっほう。こいつは良い、お姉ちゃんを侍らしてパーティーだっ!」
ブフ、ブモモモォォォォォ……
これからの予定を話し合ってはしゃぐ彼らは、なぜか獣臭い匂いと荒げると息を感じて右横を見た。
……そこには牛が居た。
『…………』
黙って牛と目を合わせるガルベル人達、目をランランと憎悪に輝かせて見返す牛。
そしてこのガルベル人の背後に緑色の光がパァッと……
ブモッブモッブモォォォォォォッ!
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
翌日、あばらをそれぞれ2から3本、足やら腕やらを骨折し、動けなくなった彼等は全員捕まった。
彼らは半年後、体が治ったら北の海で鱈を捕る刑を申し渡されたと言う。
(第一章 幼年期編 終了)
ご覧いただき、ありがとうございます。
これで幼年期編はおしまいで、この後主人公は本格的な修業に入ります。
これまでのところでの評価、感想をよろしくお願いいたします。
自分自身もちろんなろう小説は好きでよく見て回るのですが、牛エンド……てねぇ。
2章もマイペースで書いていくのでよろしくお願いいたします。