白い嵐(前)
叶うと思った恋がある。失われた恋がある。
そして今、月を見上げる……
高地にあるダレムの街の郊外、いまだ雪が残る春。いつものように遊牧には旅立っていない羊たちの群れがあった。
牝羊たちの群れから離され、放牧地で牡羊達は涙を流す。
冬は羊たちの恋のシーズン。あの気味が悪い鳥に邪魔され、誰も口説けなかったかつてのモテ男達がここに居る。
彼らはそれぞれ月を見て思い出す、とは言え、実は牡一匹当たり7匹ぐらいの牝羊たちの顔なのだが……
A子、B子、C子、まぁ後たくさんのぴちぴちギャル。
いい感じだったのに、なんで俺は今一人なんだ!
競争率が高かったA子、C子は分かるよ。
だけどE子はイケただろうが!
……まぁ、こんなところである。
彼らは思う、全てはあの鳥のせいであると……
誰かを口説いていると、鳥に案内されて本命の牝羊を連れてこられ、そのまま浮気がばれて終わりを迎えたり。
犬をけしかけられて、その日一日追いかけっこさせられたり。
頭にくちばしを突き立てられたりと、もうそれは散々な目にあった。
……奴は言う。
『チャラチャラするんじゃねぇ、カス野郎共め!』
それが理不尽な極まりない奴の言葉。
許せない、何があってもあの鳥はぶっ殺してやる!
そう語り合って、男たちは団結していた。
ゲェッ、ゲッゲッ
そして今も、あの呪わしきあの声が……
『!』
牡羊達は一斉に不気味な鳴き声が響く方角を見た。
そいつは耳のような毛が、頭の両サイドにピンと立ち、真っ赤な充血した目をしていた。
鋭く尖った長くて太い嘴をもち、やや半分目を閉じた眠そうな目をしたキツツキである。
羊たちは叫ぶ「メェー、メェー、メエェー(降りて来い!ぶっ殺してやるぞ!)」と。
ペッカーはにやりと笑うと、わざわざ羊達と距離が離れていない低くて、ボロの柵の上に降り立ち、こう叫んだ。
「ゲェェェッゲッゲッグゥゥゥワァア!(お前達のようなフニャチンにこの俺が倒せるわけがなかろうが!悔しかったらかかって来いっ)」
メェェェェェェェェッ!
メッ!メェェエエエエエエエエエエエッ!
この時この牧場始まって以来、初めて聞くような憎悪に満ちた羊たちの怒れる声が響き渡り、そして地面を揺るがすような地響きと共に、何十頭もの羊が柵に突撃した。
柵はこの衝撃で木っ端みじんに砕け散り、そして緑色に光り輝く鳥に先導されるように、牡羊達は一斉に街へとめざす。
……彼らの行く先には、王家の山荘があった。
そしてこの様子を見ていたもう一匹の牡牛がこの羊の群れを追う。
「モッモッブモモモモモモォォォォッ!(見つけたぞクソキツツキ!今日こそぶっ殺してやる)」
牡牛もまたラブ・イズ・オーバーの被害者だった。
これらのヘイトを引き連れて、充血した目をギラギラさせながら、緑色の魔法の光を身にまといバックス・ペッカーは、月の夜に叫ぶ。
今夜も徹夜だ!まだまだ俺は飛んでやるぜキャッハァァッ!
徹夜のし過ぎでおかしくなったキツツキは、異常なテンションでさらに後ろの連中を煽り立てる。
足を止めるなっ!カスどもめっ。俺の息の根を止めてみろっ。
◇◇◇◇
―同じころ王家の山荘
パーティで流れる優美な音楽、そして同じ広場の別の場所で歌われる吟遊詩人の歌。
……しかしそんなものは俺には遠いもの。
だって今、俺は監禁されているのですから。
夜、美しい月が窓から俺を眺める頃。
パパさんに部屋に閉じ込められた俺は、
内装工事中のこの場所をくまなく調べる。
そこで確認したのはこの部屋が2階にあり、そしてロープも滑車も床に転がっているという事実である。
しかも工具箱まで部屋にあった。
それを見てピンときた俺は、ポンテスにこう言った。
「ようし、これは窓が開くな……」
すると足元のポンテスが「窓は開くもんニャろ?」と尋ね返す。
「いや、偉い人の部屋の窓は開かない窓と開く窓で作られるんだ。侵入者を防ぐためなんだけど。
だからお父様の書斎の窓も開くのは小さな空気を入れ替える用の天井近くの小窓ぐらいなんだ」
兄貴から以前教わったことをもっともらしく説明する俺、ネコは「ふーん」と相槌を打つ。
俺はポンテスに言った。
「ここに滑車があると言うなら、きっとタンスとか鍵盤楽器とかの巨大なものを外からここまで釣り上げてくるはず。
だとしたら大きな窓が開閉するはずなんだ」
俺はそう言ってこの部屋にある大きな窓を見て回る。
すると真ん中の窓の外に、大きなポールがあるのが見えた。しかもそこに大きくて頑丈そうなフックが付いている。
きっとこの窓だと思った俺は、他の窓と特に変わらないこの窓を調べる。
するとやはりこの窓が開かないように固定するための金具が発見され、俺はこれを外して窓を開ける。
外を覗くと、ちょうどパーティが行われている場所と反対側に出られることが分かった。
そこでまずはロープを適当な長さに工具で切断し。短い方のロープで滑車を縛り上げた。
それから滑車を落とさないように輪を作り、俺の体に肩からぶら下げる。
次に長いロープは腰に巻き付け、これは簡単に解ける結び方で体に結ぶ。
俺はその姿のまま窓枠をよじ登り、そしてポールに両手両足を絡ませながら、ポール伝いにフックにとりついた。
頭を下にし、風に揺れながらポールを伝って、外のフックに持ってきた滑車をぶら下げる俺。
もちろん滑車にまかれた余計な縄は、工具箱のナイフで取り除く。
さらに腰のロープを滑車に通し、きっちりとロープが滑車に回転に沿って上下することを確認した。
足でポールを挟み込み、落ちたら死ぬであろう下の地面を見ながら、俺は「初めから滑車にロープをくぐらせてから持ってくればよかった……」と後悔する。
仕事を終え、顔を真っ赤にしながらポールを伝って部屋に戻った俺。
さすがに頭に血が上ってくらくらした、なのでゼェハァゼェハァ息を荒げながらカーペットに寝転がる。
それを見てポンテスがいう。
「お前は無駄にすごい器用ニャ」
無駄は余計だ……だけど疲れて何も言えないので黙った。
「なんでいつもみたいに壁を登らニャイ?」
「ゼェ、ハァ……夜に上から見ても壁の凹凸が良く見えないから。
どう行けば登れるか分からない壁はそれだけで難しいし、降りる場合もっと難しいんだ。
やらないほうが良い、落ちたらケガじゃすまない」
ポンテスは「なるほどニャ」と呟いてしばらく黙った。
息が落ち着いた俺は、ふと気になったことがあったのでポンテスに尋ねた。
「そういえばペッカーが仕事をしてくれるって話だったけど、どうなったんだ?」
ポンテスはぴくッと体を動かすと“はぁ”と溜息を吐きながらこう言った。
「実はうまく話ができていないニャ」
「はぁっ?」
「実はペッカー先生は徹夜が苦手でニャ、もし徹夜をしてしまうと情緒不安定になって、かなり言動がおかしくなってしまうニャ」
「はぁ……」
「ペッカー先生は、だから夜は働かニャイんだけど、実は昨日徹夜してしまって、昼寝もできていないニャ。
かなり危険な状況ニャ、もう既に言動がかなりおかしいニャ。
でもペッカー先生の事はそのままペッカー先生に任せたほうが良いニャ、たぶんファレンの事は忘れて無いはずニャし……
ニャーにいえることはそこまでニャね。
正直言うとニャーはペッカー先生が恐ろしいニャ。
あの男……キレるとニャにするか分からニャイんで、何も声が掛けられニャイニャ」
……そんな危険なもの、俺に紹介するなよ、お前。
「とにかくペッカー先生の事は、ペッカー先生に任せるニャ。
関わらないほうが身のためニャ、たぶん。
例のポンコツ魔導士も含めて、投げておくに限るニャ。
それよりも早く抜け出してエリィにゃんを、悪の魔の手から救ってやるニャ!」
お、おお!そうだった。
ポールにぶら下がったせいで頭に血が上り、目的を見失う所だった!
俺にとってはペッカーの知り合いの魔導士なんざ、どうでもいいし、とにかく姉貴ですよ!
早く会って“僕、お姉様に会いたくて抜けてきちゃいましたっ”とかなんとか、かわいい事言って、徹底的に妨害してやらなければ!
放っておいて受精合体なんざゼッテエ認めないからなっ!
「ポンテス、いい事言った。
相談なんだけど、どこかからお金を調達できない?王太子様みたいに北口の番人を買収して通り抜けがしたんだけど」
「はぁ、お前はできる子かと思いきや、ポンコツニャ……」
「えっ?」
「学校にも行ってない子供がお金を差し出したって、大人にそのまま巻き上げられるだけニャ。
それともパパニャンに、出所が分からないお金を持っていったら、番人に取られたって泣きつくつもりかニャ?
パパニャンに、そのお金はどこから持ってきたと言われるニャ。
もっと面倒なことになるニャ」
お、おう。確かに……
「まぁニャーに任せるニャ!
なんか最近お前と仲良くなったし、此処でニャーの秘密を教えてやるニャ。
実はニャーはな、聖剣の力を授かった聖剣7友と呼ばれる召喚獣で本当の名前は“アルターム”ニャっ!」
「は、はぁ……」
「どうだっ、びっくりしたニャ?
これからはニャーを尊敬しても良いニャ」
「いや、それ凄いの?」
「ニャッ?」
「えっ?」
「…………」
ポンテスはハァーと溜息を吐くと涙目になりながらそっぽを向いて「アホは嫌いニャ……」と呟いた。
悪かったね、アホで……
「……まぁいいニャ、とにかくニャーに任せるニャ、ニャーの睡眠魔法で番人なんかちょいちょいっと眠らせてやるニャ」
「あ、ああハイ。ポンテスさん、よろしく願いします」
何故かこいつに敬語を使ってしまった俺は、静かにおすがりすることにした。
ネコは「お前調子いいニャ……」とぼやくように言うと、ムスッとした表情を浮かべる。
この時、廊下から誰かが近付いてくることに気が付いてポンテスが俺に、ロープを隠すように言った。
急いでカーテンを引いて、窓ごと外の風景を隠す俺。
さて誰が入って来るのか、外から誰かが見ていたか?
はてまたパパさんがやってきたのか。
次に扉から現れるであろう人の姿を想像して緊張を高める俺とポンテス。
やがて外からカギが開錠され、静かに扉がく。
……やってきたのは意外な人間だった。
「ラリー、抜け出してきたよ……」
王子様がそう言っておれに微笑みかけた。
この後続々と2人の俺の友人たちが中に入り、王子様は俺に「ラリー勉強を抜けてきた!どうやって演劇を見に行くの?」と聞いてくる。
俺は勉強と言う苦行から抜け出し、楽しい事をする計画で目を輝かせる友人たちに、カーテンの向こうの滑車を見せた。
『?』
この光景にいぶかしがる彼ら。
俺は自信を滲ませ、そして胸を張って彼らに言った。
「いこうぜ、ピリオドの向こう側へ!」
ワンナイトカーニバルの始まりである。
“やればできる!”と、勢いに任せて豪快に彼らを説得した俺は、ためらう彼らを一人ずつロープと滑車で下界に降ろし、最後に自分自身は、ネコを肩にのせながら下に降りた。
……この姿を大人が見たら、俺はたぶんビンタどころでは済まないだろう。
こうして監視の目を潜り抜けた俺たちは、そのまま山荘の北口へと向かった。
北口にたどり着いた俺たちは、物陰に隠れる、それを尻目にポンテスが北の門番の詰め所に向かった。
……魔法で門番を眠らせるためだ。
「…………」
アイツがどんな魔法を使うのか、わくわくしながら見つめる俺達。
やがてポンテスは、そのまま詰所の中を覗き込むと、Uターンしてこちらに戻ってきた。
「どうだった?魔法は効いた?」
特に魔法を使った様子はないので、首を傾げながら聞くとポンテスも首をかしげて「誰も居ないニャ……」と返した。
そんな馬鹿な……
「耳を澄ましたニャ、そしたら外にもいないニャ」
え?どうして……
思わず困惑していると、王子様が「それなら今すぐいかないと、誰か帰ってきちゃうよ……」と大胆な事を言った。
俺は上手く行きすぎて、なぜか足が前に出ない。
ポンテスが周りに誰もいないことを確認したにもかかわらず、アホな事に警戒心が足を止めるのだ。
そんな俺を叱咤するようにポンテスが「そうれもそうニャ!今すぐ行くニャッ」と声をあげる。
その声に唆され、俺たちは外に駆けていき、戸惑いながらも、そして思ったよりも簡単に自由を手に入れた。
『はぁ、ハァハァっ』
弾む息、響いていく足音、町中にたどり着いた王子様達。
王子様は、イリアンに顔を向けると、上気した顔でこう言った。
「こんなに簡単に自由になるなんて……」
イリアンもうなずき顔を赤くしながら「胸がドキドキする」と答える。
この後俺たちは顔を見合わせて笑いあい、そして少し行ったところにある大きな建物を目指す、王子様はそれを指さしながら言った。
「ラリー、あれが公民館だよ」
俺はその声にうなずき、そしてみんなと一緒にその建物目指して歩き出した。
しばらくしてたどり着いた公民館の前。
そこには演劇の始まりを今か今かと待ちわびる、老若男女の姿があった。
王太子様たちはここに居るんかな?そう思って眺めていると、その中から背が低い一人の男が慌てたように急いでコッチに小走りになって走ってきた。
「でん……いや、フィラン様、どうしてここにっ!」
「レグシドン、お兄様がお手紙をくれたんだ、だから友達と一緒に来たんだ!」
レグシドンと呼ばれた男は「嘘だろぉ……」と呟くと、困った顔で俺たちを見回し、やがて手招きして僕らを誘導した。
連れていかれた先には、やけにガラが悪い二人の男と一人の女が楽し気に雑談に興じていた。
「大将、弟様が来ちゃいましたよぉ……」
レグシドンは炭酸が抜けたサイダーみたいな声で、この群れの一人に声をかけると、そのなかで、顔立ちがキリッとしている、僕らのフィラン王子クリソツのチンピラがびっくりした表情で俺たちを見る。
次の瞬間彼はパァッと表情を輝く笑顔に変えて僕らの所にやってきた。
「マジか!フィランも俺らと一緒に遊ぶか?」
王子様は「ハイッ!お兄様と遊びたいですっ」と元気よく声をかける。
すると明らかに連れの女が不貞腐れ「なんでガキのお守りを……」と呟いた。
王子様はそれを聞いて表情を強張らせる。
王太子はその様子を豪快に笑いながら言った。
「シワニア、お前と違って俺の弟は繊細なんだよ。
次そんな事言ったら、後でひん剥いてやるからな」
シワニアと呼ばれた女は、「アハハ、それじゃぁ罰にならないよ……」とのたまい……あ、そういう関係でしたか。
ちなみに僕の友達はみんな顔を見合しています。良く分からない御様子です。
こんな感じで王太子様と、フィラン王子様の様子を見ていると、足元に居るポンテスが俺の太ももを押しながら言った。
「小僧、お前何か忘れてないかニャ?」
あ、そうだ姉貴っ!
「す、すいません。すいません!」
「アン?お前誰だ」
王太子様は不機嫌そうに俺を見下ろす。
フィラン王子様と対応が全然違うのに思わず心が折れそうになるが、そこは勇気を出して言った。
「すみません、僕のお姉様を知りませんか?
僕はゲラルド・ヴィープゲスケと申します」
俺がそう名乗りを上げると、王太子様の取り巻き達は、みんなびっくりした顔を浮かべる。
やがてシワニアと呼ばれたお姉さんが1オクターブ高い驚きの声を上げた。
「あんたあの不思議ちゃんの弟なの?」
……不思議ちゃん。
な、なんてことを言いやがるこの女!
思わず目を凄ましてシワニアと言う女にメンチを切る俺。
この様子に王太子さま、レグシドンと、後誰かは大爆笑で「お前いいキャラしてるよ!」と俺を讃えた。
ちなみにシワニアは「うわっ、コイツ可愛くない!マジで可愛くない」と俺をコケにした。
ますます俺を怒らせるこの女に対し、さらにメンチを切ると。ふいに王太子が俺の頭を抱え込み「ようし、それまでだ。お前なかなか気合が入ってるじゃないか」と言って俺の頭を手荒く撫で回した。
王太子様にこうして視界を遮られていると後ろでフィラン王子様が王太子様にこう語りかけているのが聞こえた。
「お兄様、ラリーは喧嘩が強いんです!
さっきも5人の年長者を一人であっという間にやっつけたんです!」
「マジか?グラニール子供が来るって聞いていたけど、コイツがそうだろ。
良いなぁ、コイツは近衛兵にしてやろうぜ!」
え、なんですと?
「フィランと仲が良い奴で、こういうキャラは初めてだったよな。たしか」
王太子は誰かと話しているようで、首を誰かにむけて回している気配が、閉ざされた視界でも漂う。
すると名前をよく知らない誰かが「そうですね、みんな大人しい子ばかりでした」と答えた。
その後王太子様は優しくリズミカルに、ポン、ポン、ポン……と俺の頭を叩きながら考え事をし、やがて考え事をまとめたのか、抱え込んでいた俺の頭を離した。
王太子はそのまま俺を見下ろすと、ニヤリと笑ってこう言う。
「お前、俺の弟を護衛しろ。そうしたら騎士にしてやる」
そう言われて俺は思わず息をのんだ。
足元でポンテスが囁く「よかったニャ、早くかしこまりましたと言うニャ!」と。
その声にそそのかされるまま、俺は膝まずき「かしこまりました」と答えた。
……俺はこの時、熱く焦がれるような血潮が心臓に駆け巡るのを感じていた。
騎士になる……そう言われてまず真っ先に思い付いたのが、聖騎士ドイド・バルザックの男臭い立ち居振る舞いだった。
以前カッコいいと思った、あの姿を自分の未来と重ね合わせる。
その妄想にも似た未来が現実のものになりそうだと知って、俺は今日起きた不快な出来事が色々と吹き飛んでいくのを感じる。
俺は叫びだしそうだった、嬉しかったのだ。
俺は、自分はフィラン王子様に仕える騎士になると、胸の内で誓った。
フィラン王子もニコニコと笑いながら「ラリーよろしくね!」と声をかけ。イリアンもシドも嬉しそうに俺を見つめる。
こうして俺が掛けられた言葉の重みをかみしめていると足元でポンテスが呟いた。
「お前、それはそうとエリィニャン……」
その様子を見て王太子が「お前があの噂のしゃべる猫かっ!」と言って、嬉しそうにうちの猫を抱き上げる。
「なんかしゃべれ!」
「ニャ、ニャニを喋れば……」
「うわっ、本当にしゃべったよ。こいつ」
そう言って王太子様は自慢げに、取り巻き達に猫を見せて回る。
……あ、それウチの飼い猫。
あ、イエいいんです、王家大好きヴィープゲスケ家なので、あ、はい。
あ、シワニアのお姉さま、しっぽは握らないほうが……
ニャァァァァぁぁっ!
あ、ネコパンチ!まぁでもいいや、シワニアだし、別にね……
それより見てて初めて知ったのだが。
王太子様はさすがあの王様の息子……と、思わせる他人の振り回しっぷりで、あまり他人の話を聞くこともなく。どうやら自分の考えを機関銃のように話す人らしい。
昔うちのパパさんが王族を炸裂弾呼ばわりしたのを思い出す。
でもまぁ、ポンテスの言う通りそんな事よりも姉貴の事を尋ねたくてここまで来たのだ。
はしゃぐ王太子様に、姉貴の事を尋ねようとタイミングを見計らう俺。
しかしお姉様の行方を聞き出すタイミングは見つからず、しどもどろになってポンテスと王太子様、そして叩かれたシワニアの事を見つめる。
シワニアは「マジでこいつら可愛くない!」と喚き散らした。
……何故か見ていると、胸がスゥーっとする。シワニアめ、いい気味だ……ネコはいい仕事をする。
ネコはそんな中でも重ねて「エリィニャンはどこです?」と聞いた。
……ナイス、ポンテス。
王太子は機嫌良さげに答えた。
「エリィとフィンなら、もうここにはいないぞ。
アイツらは今、楽しんでいるのさ」
……アイツらは今、楽しんでいるのさ。
……アイツらは今、楽しんでいるのさ。
……アイツらは
ぬわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!
頭の中で衝撃の事実がリフレインする!
嫌だぁぁぁぁ!穢れ無き俺の姉貴が、俺の姉貴があんなチンピラと大人の階段なんてぇぇぇぇ!
古いアルバムの中で隠れないで、思い出は残さないでぇぇぇ!
猫!お前が鳥に任せれば大丈夫だって言ったじゃないか、どこが大丈夫なんだ、どこが……
俺がそう思って思わず天を仰いだ時、緑色に輝く魔法を身にまとったペッカーが飛んでいるのが見えた。
奴は叫ぶ、げぇっげぇっげぇぇぇっ!っと。
それを聞いたポンテスが、王太子の腕の中で呟いた。
「お、恐ろしい男ニャ……」
「な、なんて言ってるんだ?」
「あのチンピラは始末したって……」
「は?いったい何を……」
この時だった……
メェ、メェ、メェェェェ。
ド、ドッドッドッドッドッドッドッドッ!
辺りに響き渡る、羊か山羊か分からない動物の鳴き声、そして地鳴りのような足音。
明らかに異常が起きたその中で、緑色に輝くペッカーに導かれるように、白い毛玉の群れが街に一斉になだれ込んできた!
何も警戒なんてしていない驚く街の住人を吹き飛ばし、怒りにたぎった眼をランランに光らせながら疾走するヒツジ、羊、羊の大群。
それをさらに煽るようなペッカーの不気味な鳴き声。
「屋敷に戻るぞ!お前たちっ!」
王太子は、この様子に血相を変えて叫ぶ。
それを合図に一斉に屋敷への道を駆け出す。
逃げるものを追うのは動物の習性なのだろう、一部の羊もこちらに向かって爆走してきた。
王太子はこの様子を見てためらうことなく、酒場を指さして俺たちに言った。
「あそこでお前たちは隠れてろ!」
「お兄様はっ?」
「フィンと、エリィを連れて戻る!」
こうして酒場に難を逃れた俺達、その後ろでは興奮した羊が、果物屋の屋台を破壊してむしゃむしゃと腹ごしらえをしていた。
街に広がって行く人の悲鳴、そして羊たちの叫び声。
まるでこの世の終わりのようなそのサウンドに、俺は思わず酒場の床にへたり込む。
シドやイリアンは真っ青な顔で荒々しく息を吐き、そして王子様は……真っ赤な顔でひきつったような笑みを浮かべていた。
「すごい、これはすごい……」
何故か嬉しそうにそうつぶやくフィラン王子、そのどこか鬼にとりつかれたかのような表情に、俺は思わず息をのんだ。
何か目覚めてしまったかのようだったからだ。
これが長い夜の始まりだった。
羊の群れは町を、貴族の邸宅を、そして王家の山荘を飲み込んでいく。
白い嵐はまだ始まったばかりなのである。