生まれ変わって初めての喧嘩
「お前どこの貴族だ!」
いきなり、凄い事を言うな。
喧嘩を始める前にどこの貴族家なのかを確認してから始めるのが、この世界のデフォルトなのだろうか?
手下みたいな子供を引き連れて現れるなり、先ほどうちのポンテスを痛めつけた小僧は、尊大な態度で俺に詰問をする。
俺は、ためらいを覚えながら「うちはヴィープゲスケ男爵家だ」と答えた。
するとこいつは一瞬嬉しそうな顔を見せた後、次の瞬間まなじりを釣り上げて「なんだとっ!ただの男爵家が俺に逆らうというのか!」と叫ぶ。
……悪かったね、ただの男爵家で。
「いいか貴様!うちはルシナン伯爵家だ!」
「それはどうも……」
「まずは私に謝れ!」
なんでそんな事をせにゃならんのか……かわいそうにうちの猫はヒシっと俺にしがみつき、そしてコイツから隠れるように俺の懐深くに身を寄せる。
俺はネコをかばうために「謝ってもいいですが猫は渡しませんよ」と言った。
「何っ!」と言って激高したのは他の連中である。
「貴様っ、ただの男爵家の分際で無礼だぞ!」
「そうだそうだ!」
「お前、何歳だ!」
嵩にかかって俺をなじる5人。
ふと、王子様達を見回すと顔を青くしてこいつらにおびえているのが見て取れた。
……正直俺も怖い。だけれどここで逃げたら、一生こいつらに見下されて生きる事になるんじゃないか?と言う気がした。
そこで勇気をもってこう言った。
「君達、もう向こうに行ってくれないか?
王子様達がおびえているじゃないか」
俺のこの物言いに、あぜんとした表情を浮かべた、5人。
遂には伯爵家の誰かの後ろで、やけに威勢の良かった男の子がキレて叫ぶ。
「お前、お前っ生意気だぞっ。何歳だ!」
そこにこだわるんだ……そう思いながら「僕は6歳だ」と答える。
すると伯爵家様はまた一瞬嬉しそうな表情を浮かべ、次の瞬間激怒しながらこう言った。
「なんだと!貴様は年下じゃないかっ。
年下の分際で私にそのような無礼な振舞いを見せるというのかっ!」
後ろの連中も『そうだ、そうだっ』と言ってその声に賛同する。
は、はぁーん。伯爵家様はマウンティングがお好きなんですな。
家格で上回り、年齢で上回ったら俺なんざ見下しても構わないって思ってやがる。
自分が優勢だと思ったら、それを嵩にして俺を屈服させたいというのが、時折見せる彼の笑みからヒシヒシと伝わってきた。
良いだろう、断る!
「年の上下は関係がないと思います。
第一伯爵様でしたら、王家の家臣だ。
家臣だったら王子様を大事にしなければいけないんでしょ?
あなた方のせいで、王子様もあまり気分がよろしくないみたいですし、此処は下がっていただけませんでしょうか?」
文字面だけを見ればかっこいい事を言う俺だが、正直言って……澱みなく答えながら、先ほど述べたように実は怖かった。
伯爵家様が発している雰囲気には、何か天然で彼に逆らい難い、オーラみたいなものがある。
それを感じながらも、必死に彼の雰囲気に抗い、そしてそんな自分の胸の内をおくびにも出さない。
こうして発せられた6歳とも思えない俺の弁明は、それを聞いたこいつらの目を丸くさせ、仲間通しで互いにその目を見合わせる事になった。
俺も王子様達のほうに目を向けると……あれ、なんかすがるような目で俺を見ているんだけど?
「お前、お前……お前コッチに来いっ!」
自分がちっとも優勢じゃないと思ったのか、伯爵家様は、顔を青くしながら、半ば半狂乱になって、俺をこっちに引き寄せようとしだす。
「嫌です!僕はここで王子様と遊んでいるので、向こうに行ってください」
当然断る俺、俺は懐のポンテスを床に降ろし、そして立ち上がりながら、相手の顔を睨みつける。
やがて俺はこの伯爵家様に胸ぐらをつかまれ、そして凄い目で睨まれた。
俺は胸ぐらをつかまれながら、決してコイツの目から目線をそらさなかった。
繰り返し思う。視線を逸らせば弱いと思われる……と。
俺のこの様子に彼はますます怒りに震える。
今にも殴られそうである、俺は殴られたら痛そうだとか、怖いとかを思った。
だがこの時、俺は殴られたら殴り返すと心に決めた。猫のためにも腹をくくったのだ。
伯爵家様は手を挙げ、そして大きく振りかぶって俺を殴った。
たぶん「お前、生意気だ!」とかなんとかも、同時に言ったと思う。
この瞬間。俺の中で何かが弾けた。
それまでくすぶっていた恐怖心が一瞬で消え失せ、代わりに燃えるような憎悪の炎で全身が埋め尽くされた。
「くたばれこの野郎!」
次の瞬間、常日頃鍛え上げていた俺の体から、拳が出た。
伯爵家様の横面を全力で殴り、相手を数メートル彼方へとぶっ飛ばす!
そして次の瞬間ぽかんと口を開けた残りの4人のうち、殴りやすい右側に居たやつの顔面も打ち抜く。こいつも吹き飛んだ!
「貴様!」
そう言って他の3人が俺を取り押さえようと、俺につかみかかるが、思っていたよりも力が弱く、容易にその手をはがすことができ、再び自由になった俺は、そいつらのうち誰かのケツを蹴り上げる。
飛び上がってどこかのテーブルに頭から突っ込む彼。
残るは二人である、ギロリと睨み付けると、二人は戦意を喪失したみたいで俺を見る目に恐れが浮かんだ。
「逃がさねぇぞ……てめぇ」
沸々と湧き続ける怒りに際限は無く、こいつらをブチのめさんと一歩踏み出した俺。
その瞬間「大人しくしろ!」と言いながら大人たちが俺を押さえつける。
「離せ!離せよっ!」
こいつらを全員ぶちのめせないことに、耐えがたいほどの怒りがこみ上げる俺。
大人たちの力はすさまじく、俺を容易に押さえつける。
「ラリー!もういいんだよ、もう終わったんだっ」
この時王子様がそう叫んだ!
「ふぅっ、ふっ、ふうっ。ふぅっ……」
俺はその声で幾分か正気を取り戻し、そして大人たちに抑え込まれながら抵抗を辞め、息を荒げながら周囲を見渡した。
気が付くと……周囲は静けさが広がっていた。
固唾をのんで、皆が俺に注目している。
あれだけ騒がしかった周りは大人しくなり、子供たちの声の代わりに響く、誰かのすすり泣く声が、俺が何をしでかしたのかを教えた。
「…………」
俺は、やってしまったと、気が付いた。
しばらくしてルシナン伯爵家様と、その取り巻きの内、俺に殴られた二人がすごい声で泣き始める。
その声を聴きながら、よりはっきりと正気を取り戻していく俺。
怒りに支配され、聞こえなかった音が、冷静になった事で聞こえてくる。
この時頭に浮かんだのは、後悔の念である。
俺は自分の一部始終を思い返しながら、胸の内でこう述懐した。
……終わった。俺は6歳にして人生が終わってしまった。
生前はもっと辛抱強い性格だったのに、生まれ変わってからの6年で、俺はこんなにも気が短い性格になってしまったのか……
何という愚かさだ、何という……
「この騒ぎは何ですか?」
この静けさを破るように、威厳のある女性の声が響いた。
俺も、俺を抑える大人も、そして子供たちもその声の主を見る。
声の主は老婆だった。飾り気のない修道服を着た、威厳のある老婆が、冷たく俺を見ていた。
やがて老婆はコツン……コツンと足音を響かせながら俺のほうにやって来る。
俺を押さえつける大人が、その様子に驚いたように俺から離れた。
俺はなぜか本能的に彼女に恐怖し、急いで立ち上がると、頭を下げてこちらに来るのを待った。
ルシナン伯爵家様が、ギャンギャン泣きながら「こいつがやったんだ!こいつがやったんだ!」と叫ぶ中、彼女は俺を見下ろしながら再び口を開く。
「ソナタ、一体どこの貴族家か?」
「は、はいヴィ、ヴィープゲスケ男爵家です……」
自分の家名を名乗る時、俺は心の奥で(お父様、ごめんなさい……)と謝罪した。
俺はもう、父親に冷たい目で見られるのは避けられないだろう。もしかしてこの先ずっとかもしれない……
自分が優勢であると分かったルシナン伯爵家様は、泣き叫びながら俺のところに走ってきて、そしてその勢いで俺を殴り飛ばす。
その勢いで床に投げ出される俺、老婆は「止めなさい!止めるのですっ」と叱責してルシナン伯爵家様を抑えるが、おかまない無しの彼は逆に老婆を「無礼だ!離せっ」と叫びながら、あろうことか彼女を攻撃しだす。
次の瞬間彼は兵士に抑えられ、そしてこの部屋の外へと連れ出された。
ギャーギャーわめきながら派手な退場を決める、ルシナン伯爵家様。
「なんて子じゃっ!」
その様子を見ながら、老婆は怒りに震える声でそう叫び、鼻息も荒く俺と、王子様達を見回す。
その様子を見たイリアシドが「ラリー、早く立って……」と、俺に立ち上がるよう促す。
急ぎ立ち上がる俺。
老婆は近くの大人に「あの忌々(いまいま)しい子供はいったい誰の子じゃ?」と尋ねる。
大人は「ガストン・ルシナン伯爵様のご子息です」と答えると、老婆は「ああ、なるほど……」と呟いた。
……何故かその様子に、俺は恐れを抱いた。
彼女の一挙手一投足が、俺の胸の内から恐怖を沸かせていくのだ。
この人いったい誰?
なんでこんなに怖いの?
老婆は鼻でフン!と息を吐くと王子様にこう尋ねた。
「フィランこれはどういうことです?」
「はい、おばあ様。
僕たちはラリー・ヴィープゲスケと一緒に本を読んでいたんです。
そしたら彼がいきなりやってきて……」
王子様は脚色も無く、質問に綺麗に答える。
なかなか咄嗟にそう言う事ができない子も多いのに、頭が良い子なんだなと感心した。
……アレ?おばあさま?って、言う事はあれだ……太后妃殿下じゃないか!
「これは本当ですか?」
「はい、私が見るに、殿下の言う事が正しいかと……」
大后妃殿下は近くの侍従と会話をし、王子様の言葉の裏取りをしながら静かにうなずく。
やがて彼女は静かに俺を見下ろしこう尋ねた。
「グラニールの息子は、やはりグラニールに似ておるのう。
あの子も昔は、陰でこっそり乱暴な子ではあった」
「えっ、そうなんですか?」
思わず俺がそう質問すると、大后妃殿下は無言で頷き、そして王子様の方を見てこう尋ねた。
「殿下、この子は殿下から見てどうでございますか?」
俺の事をどう思うのか聞かれ、殿下は俺の方を見ながらこう答えた。
「ラリーは良い子だと思います。
それに先に手を出したのはあの子です、僕たちはここで4人で楽しくしていたんです」
老婆はその言葉を聞くと静かにうなずき、他の中で立っている兵士に目を向けた。
兵士はすがるような目線で見上げる王子様と一瞬目を合わせると、静かに老婆にこう言った。
「私が見るに、殿下の言葉は正しいかと」
「そうか、ベルドよ、事情を説明せよ」
「はっ!ヴィープゲスケ団長閣下が子供と一緒にお連れしました例のしゃべる猫、これをルシナン様のご子息は手荒に扱いまして、それで猫は殿下や、ヴィープゲスケ団長閣下のご子息の元に逃げたご様子でした。
その後はしばらく皆様静かに、本を読んで楽しまれていたのですが……
どうやらそれが気に入らなかったらしく」
「ほぉ。フィランと……ラリーと申しましたか?
彼とは初対面ではなかったのですか?」
どういう事だ?俺が彼女の言葉に首をかしげていると、王子様が「お婆様、僕とラリーは今日初めて会いました」と答えた。
するとお婆様は「何っ!お前が初対面の人間とこんなに親しげにするなんて初めてではないか?」と驚く。
……あ、なんとなく分かるっす、ソレ。
こいつら全員間違いなく強敵でした。
強敵と書いて“とも”と呼べるほどに……
老婆は「やはり陛下の時もそうであったが、ヴィープゲスケ家の人間は我が家と相性が良いのう……」と感心する。
ホンマかいな?と思いながら、決して逆らうことなく、頷き続ける俺。
ベルドとか言う兵士は、王子様の方をチロリとみると、王子様が嬉しそうにうなずいてサインを交換した。
老婆はそんな一部始終を片目で見ながら、兵士に尋ねた。
「しかしなぜ、こんな騒ぎになったのです。
隣の部屋で聞いていたら、ただの諍いには聞こえませんでしたが?」
「はい、私も一部始終は見ていませんでしたが、どうやらルシナン様のご子息は、殿下の元から団長閣下のご子息を引きはがし。
自分の近くに呼び寄せようとしていました」
「ふむ、それで?」
「ですが団長閣下のご子息は、殿下とご一緒に遊びたかったらしく、それをお断りになったのです」
「何と、フィランと……」
「そうしましたら、ルシナン様のご子息が年齢を問われ、そしてこの子が6歳だと答えると自分に従うように言ったのですが、それを拒絶され……」
「ルシナン伯の子は幾つです?」
「はい、年齢は8歳です」
「フム、それで?」
「はい5名のお子様方を連れて、ルシナン様のご子息は団長閣下のご子息を詰問され、そして団長閣下のご子息を殴りつけました」
「何っ、では最初に手を挙げたのはルシナンの子か?」
「そうです」
「ではこの子は悪くないではないか。
それで、なぜルシナンの子はあんなに泣いているのです?」
「はい、5人で団長閣下のご子息を……まぁ、咎めるつもりだったのかもしれませんが。
とにかく殴られた瞬間、団長閣下のご子息は反撃をされ、瞬く間に3人のお子様を倒してしまったのでございます」
「つまり、アレ達は年上で、しかも5人も引き連れておりながら、年下のラリーに負けたのか?」
「すぐにこの子を抑えましたので……」
「負けたのであろう?」
「まぁ……おそらくは」
老婆はフンと鼻息を強く吐くとこう言った。
「ルシナンは、以前も陛下の学友でありながら陛下がお困りの時にはさして頼りにならなかったな」
「え……あ、はぁ」
「それだけではなく、先の戦においても特にこれと言った戦功は聞かなかったが……」
「あ、はぁ。出兵はされていらっしゃったかと」
「まったく、どうしようもない。
それで今後はあの小僧が伯爵家を継ぐことになったら、一体どういう事になるのであろうな。
そう言えばあ奴めの領土は、王都の近郊ではないか。まったく、あ奴めは王家を何だと思っておる。
私は先ほどあの子に足を蹴られたのじゃ!
あれはとんでもない子じゃっ」
う、うわぁ……なんかとんでもない方向に話が向かっているよ。
たぶん……王家としては実は常日頃、ルシナン伯爵家に対して良い感情は抱いてなかったんだろうね。王太后様の口ぶりから、それが強く伝わってくるよ。
こうして、怒りの矛先が俺ではなく、伯爵家様に向かっていることを確信しながら。
俺は目の前の怒れる老婆に、ほっとしたり、なぜか恐れを抱いたりした。
「ラリー・ヴィープゲスケ顔を上げなさい……」
え?あ、はい……
おずおずと顔を上げた俺。
すると老婆は「あなたにも罰を与えます」と言って……
ビッタァァァァン!
なん、だと?……
思いっきり横っ面をビンタされた俺は、たたらを踏みしめ、そして(どうして?)と思いながら、老婆の顔を見上げる?
老婆はそんな俺の顔を見下ろしながら、なぜか目を見開き、そして少しだけ嬉しそうに口元を緩めると、顔をほんのり赤くしながら言った。
「本当に……グラニールにそっくり」
なんだよそれ?
次の瞬間俺は彼女に頭を抱きかかえられ「あなたを許します」と言われた。
意味が分からん!殴られた上に俺はなぜ許されなきゃならんのだっ?
後では王子様とイリアンが『おめでとう、ラリー』と言って俺を祝福……
なんでだよっ!
老婆に抱かれながら俺は、視界の片隅で意味が分からないけど、とりあえず拍手しているイリアシドの様子を収めていた。
イリアシド……俺はどうやらこいつらよりも、お前寄りのメンタルらしい。
よくわからないなりに、流れに流されるまま、とりあえず大人しく祝福を受けることにした俺。
そんな俺に老婆は言った「ラリー、あなたもグラニール同様、フィランと仲良くしてください」と。
俺は「分かりました……」と答えた。
そして今ここで俺の身に何が起きたのかを考えていた。
……よく分からない。
だけど、とりあえずパパさんに怒られることはあっても、軽いもので終わりそうだと思った。
そして、何よりもその事を恐れていた俺には、それが朗報だった。
……俺はこうして危機を脱したのである。
さて、みんなはもう一人の当事者を覚えているだろうか。
むしろこいつが事件を引き起こしていたと言ってもいい奴である。
そいつは今、王子様の傍らにあるソファの肘置き場で香箱座りしている。
そしてなんとあのネコは……
トラブルに巻き込まれる俺をしり目に“ゴメン寝”をしていやがった。
クーかぁー、ジューかぁーと安らかな寝息を響かせている。
それを聞きながら俺は思った。
上等だ、この世でアイツほど俺を挑発する奴はいないのだ……と。
なので、後でお前のせいだろうと、とっちめてやると、心に決めていた。
見てくださったどなたか、ご評価ありがとうございました。
励みにして頑張りますので、よろしくお願いいたします。