今日が最初の一歩だと知らないで。
―同じ日の深夜、ダレムの宿屋。
同じダレムの街に一軒の特にみすぼらしくもなく、そして華やかでもないごくごく標準的な宿屋がある。
ゲラルド達が明日の支度を粛々と行っていた時、この宿屋に事件が起きていた。
「警察だっ!おとなしくしろっ」
有無を言わさずとはこういうこと。
客だと思って出迎えた、宿屋の主の驚く顔をしり目に、そう言いながら4人もの男が、ずかずかと仲に踏み込む。
夜更けにいきなり踏み込んだ襲撃者は、あっけにとられる宿屋の主人を無視して中にどんどんと分け入り。足早に一つの部屋にたどり着いた。
彼らはそのまま、扉に向かって怒鳴るように言う。
「開けろっ!この部屋に王太子を襲撃した者が居るのは分かっているんだぞ!」
次の瞬間部屋の中で騒ぎが巻き起こり「オイっ!」とか「どうなってるんだ?」等の声が響いた。
しばらくするとガチャっと中で窓の扉戸が開く音が聞こえ……
「逃がすかぁぁぁぁっ!」
4人はその音が聞こえた瞬間、相手が窓から逃げるつもりなんだと正確に理解し、扉を強引に蹴破る。
中に居た人間は二人外に出たが、最後の一人がもたもたして出られない。
「わっわっわぁぁぁ」
「逃がすかテメェッ!」
逃げ遅れた男はそのまま捕まり、先に逃げた男たちが「オラン!早く来いっ!」と逃げながら叫ぶが、助ける気がないのかそのまま山に向かって走っていく。
彼らは、警察に捕まって「助けてくれぇ!助けてくれぇ」と叫ぶ仲間を見捨てた。
逃走する彼らは、走りながらこの宿屋の二階の部屋を見上げる。
……そしてそこに居たのが。
あっけにとられたたくましい男と、その後ろで邪悪な笑みを浮かべて逃げる彼らを見下ろす一人の魔導士の姿。
彼らこそ、ルシナン伯爵の密命を受けてこの地に潜り込んでいる筈の。騎士ボグマスと、その手伝いの魔導士エドワースである。
それを見て彼らはすべてを悟った。
……俺たちは嵌められたのだと。
「てめぇ!裏切ったな。ボグマス!エドワース!」
ボグマスとエドワースはその問いかけにはこたえようとはしない。
二階から見下ろす二人の男は微動だにせず、走り去る二人を冷たく見返すばかり。
それを絶望の浮いた眼で受け止めた二人。
逃げながら男達は最後に凄い形相で叫んだ!
「必ずだ、必ずこの落とし前はつけさせてやるっ!」
「う、裏切りってなんだ?」
逃げる男達の呪いを一身に浴びながら、ボグマスは呟いた。
彼には全く身に覚えがなかった。
いきなり下の階が賑やかになったと思ったら、直後に雇ったばかりのゴロツキが山に向かってランニングしていたのだから分かる筈も無い。
数少ない情報から推理するに、ただ何かが起き、連中が捕まるようなことをしたらしいという事だけは分かった。
もちろん彼らがただ巻き込まれただけだということも可能性として残ってはいるが……
エドワースは答える。
「さぁ、詳しくは警察に聞くか?」
「え?いや……我々は伯爵様の密命で潜り込んでいる。
警察に我々の存在を知られるわけにはいかないと思うが……」
そう言って振り返るボグマス、エドワースはひどく心配したような青ざめた顔で立っていた。
エドワースは言う「詳細は不明だが、これで手下を全部失った……と思う」と。
そして響く、逃げ遅れたやつの断末魔の悲鳴。
命だけは、命だけは……
いや、殺さないから、早く立てっ。
殺さないで……
だから死なないから、早く署に連行しろっ!
それを聞きながらエドワースはボグマスに言った。
「なぁ。俺たちも早く逃げたほうが良いと思うんだが……」
「な、なんでだ?まだ我々は何もしていないが……」
「だが、このままだと捕まった奴が罪を軽くする為に我々の名前を出すと思う」
確かにその通りかもしれない、下の階に居た連中はボグマス達が、ヴィープゲスケ男爵を辱めるために雇ったガルベル人達である。
まだ何もしていないはずなので、どうして彼らが捕まったのか全く見当がつかないが、警察は彼らを手際よく捕まえ、そしてボグマス達を無視した。
だが警察の目が雇い主である、自分たちに向けられるのは時間の問題だろう。
そう思うとボグマスは頭を抱えて、今後の事に思案を重ねる。
やがてそんなボグマスに、心配したエドワースが提案をした。
「とにかく身を隠そう。
実は昨日、貴族が所有している薪の貯蔵庫を見つけたんだ。
その貴族の屋敷からは離れているし、薪の備蓄は無くなっているからたぶんもう今年の冬は使われないんじゃないかな?
中には変な鳥が一羽住み着いているだけで、他に誰も入った形跡がないんだ」
「なるほど……それはいいかもしれない」
「今更新しい宿を取ろうにも、どの宿屋も客で一杯だ、とても泊まれない。
それに警察だって張り込むかもしれない。
まだ雪がところどころ積もっているのに野宿も難しい」
「そうだな……しばらくの間だけでも身を隠す場所が必要だ。
よし、さっそくそこに行こう!」
こうして二人はその夜のうちにこの宿屋を引き払い、その使われない薪の貯蔵庫に潜り込んだ。
……このように自分の提案通りに、何も疑うことなく動いてくれるボグマスに対し、その背中を見ながらエドワースは薄ら笑いを浮かべる。
エドワースは胸の中で呟いた。
(悪く思うなよボグマス、これも世のため国のため、そしてお前さんのためでもあるんだからな、くっくっくっ……)
◇◇◇◇
―翌日、マウーリア伯爵邸。
昨日見た衝撃の光景。あのせいでまともに姉貴の顔が見れなくなり、俺は姉貴とぎくしゃくしながら朝を迎えた。
そんな今日は実はとても大事な日である。
何と今日初めて王子様と会うのだ。
マリーに手伝ってもらい、貴族のボンボンらしいお召し物で着飾った俺。
それを見ながらマリーが「坊ちゃま、お似合いですよ!」と言って嬉しそうである。
「普段こんな綺麗なお召し物を嫌って、動きやすい衣服ばかり着てましたが……
本当によくお似合いです」
そう言った後「本当に大きくおなりに……」と言って目に涙を浮かべた彼女。
俺はとりあえず「マリー、なんかまるで死ぬ直前みたいだから。縁起でもないから泣かないで」と言った。
天国にパパもママも居ないから、すぐそこに居るから。
……パパ、残業続きで帰ってこないけど。
この前浮気もばれていたけど……
やがてそんなパパが俺を呼び、ごく簡単な服装チェックが入る、それに合格した俺はさっそく王様たちが待つ王の別荘へと向かうことになった。
同行するのはパパさんだけである。
パパさんと俺は豪奢な馬車に乗ると、馬車は静かに走り出す。
俺はそんな馬車の中で、実はパパさんと二人だけで馬車に乗ったのは今日が初めてだと思い緊張してしまう。
そんな俺にパパが言った。
「ゲラルド、お前は大きくなったら何になりたいんだ?」
急な質問にびっくりしながら、俺はこう答えた。
「分かりません、私は何に向いているんでしょうか?」
パパさんは静かに首を縦に振りながら窓の外の風景を見ながら言った。
「ゲリィ……今度から人の質問に、質問で返すんじゃないぞ。
……まぁいい。それはソレとして、お前は何かやりたいことは無いのか?
まぁお前もまだ6歳だからな。
……そう言われてみれば、私も陛下に親しくしてもらうまで、自分が何をするのか考えたこともなかったな。
私は騎士家の出身だが、実際には家は代々魔導士で、ただ家業を継いだに過ぎないかもしれないな。
だがお前は魔法の素質は無い、だけども見てると勉強はできるし、体も健康だ。
運動も得意だと聞いているが……」
「はい、体を動かすのは好きです」
「そうか、やはりお母さんの血が濃いのかもしれないな」
「バルザック家のですか?」
「そうだ、バルザック家の事は聞いているか?」
「いえ、おじさんの顔位しか……」
「あ、ああ。ドイド館長か……
そうだな、あの男こそバルザックだな」
「どんな家なんですか?」
「バルザック家か?先祖代々将軍を生み出した男爵家だ。
ドイド館長はその中で頭角を現し、半島の統一戦争では自軍の倍の数の軍勢を撃破したこともある。
マウーリア半島を統一した後、王から伯爵へと家格を引き上げることを打診されたが、彼は戦場に身を置き続けたいからと断り、出家されて聖騎士へとおなりになった。
だがお子様がいないので、今バルザック家は甥御様がご継承されている。
とにかくドイド館長は強い戦士でいらっしゃる」
「そうですか……」
「ゲラルドお前は、主に仕えるつもりはあるか?
時には理不尽な命令も下るし、無謀な命令も下る。
それらに対処しながら功績をあげ、主のためにお仕えすることができるか?」
「…………」
「それが騎士であり、家臣と言う生き方だ。
ある時は主のため、またある時は使える国のために自分を捨てなければならない。
お前にそれができるか?」
「……頑張ってみます」
「そうか……わかった。
それなら私も協力しよう、お前も励みなさい、いつか自分で騎士家を新たに立ち上げられるように」
そう言ってパパさんは沈黙した。
王子に気に居られるというのはそう言う事なのだろう。
実際王様の寵臣として悪名高いパパさんは、子供のころから陛下に気にいられることで、騎士から男爵へと出世を果たした。
それなら自分も王子様にお気に入りになることで、そんな道も開けるかもしれない。
これまで遠いと思っていた貴族達の世界が、身近になりつつあることを、俺はこの時初めて実感した。
やり直した自分の人生の大事な分岐点が目の前にある。その静かな存在感に俺の胸は錘を抱いたかのように、動きを鈍くしそして恐怖を魂に授けた。
錘は、俺は何者かになりたかった自分の人生を何かにできるのか、此処から始まるのだと悟らせる。
馬車は単調な足音を立てて寒々しい風景の中を、滑かに駆けていく。やがて僕らの前に王様の別荘が現れた。
別荘は、もはや宮殿と言っていい規模で。
門構えにも青や金の色で装飾が施され、遠くの屋敷もまた白と赤そして青、金色で輝いてみえる。
別荘の衛兵が慣れた様子で僕らを出迎え、そして彼の手引きで僕らは中に入る。
そんな別荘の仲はさらに豪華だった、豪華絢爛な天井画、そして数々の調度品。
価値あるもののすべてがここにあると思える。
やがて僕らは中で働く侍従の方に案内されて一つの部屋にたどり着いた。
中には一人の背筋がピンと伸ばされたやさしそうな老人が立っており、ウチのパパさんと親しげな様子で話し始めた。
「ああ、グラニール殿!
この子があの……」
「はい、末っ子のゲラルドと申します。
ほらゲラルド挨拶をしなさい、この方はクワーリアン侍従長だ」
「はい、初めまして、侍従長様。
私はゲラルド・ヴィープゲスケと申します」
「ほっほっこれはご丁寧にありがとうございます。
ですが私は爵位を持っておりませぬので、あなた様と身分が違いませぬ。
ですからそこまで遜らなくてもよろしいのですよ」
「いえ、父と仲良くさせていただいているようなので、その様な失礼はとてもできません」
「これはこれは、随分と礼儀正しいお子様だ。これなら男爵家も未来が明るそうだ。
末はこの子も騎士爵……いやいや、なにがしかの爵位を賜ることになりそうですな」
パパさんは息子を褒められて嬉しそうに笑いながら「いやいや侍従長、まだ6歳です、まだこの子にはそこまでの天分があるかどうか……」と謙遜した。
俺は……と言うと、このあまりにも日本的な風景を見ながら(こういったものはどこの世界でも同じなのか?)と、別なところに関心を寄せていた。
謙遜を互いに繰り返しながら、彼らはコミュニケーションを楽しんでいる様に見える。
こうしてパパさんと侍従長はしばらく立ち話を続け、ある程度話したら本題の話を始める。
侍従長は言った。
「陛下は執務をなさっており、お会いすることは叶いませんがお越しになられたら、さっそくご子息と殿下を引き合わせるよう申しつかっております」
パパさんもその話にうなずき、そして僕の手を引いて侍従長と共に王子様がいる部屋へと歩き始めた。
こうして廊下の要所要所に立つ兵士と、絶え間なくすれ違う使用人、そして豪華な壁画の数々を見ながら進む。
やがて、遠くから子供たちのはしゃぐ声が響き渡ってきた。
きっとこれだ……と思った、俺の同僚である学友たちが、その幼さに見合う遊びに興じているのだ。
そしてあそこには王子様がいる。
やがて音の震源地である大きな扉の部屋にたどり着き、俺は前の人生で就職試験会場に赴いた時と、まったく同じような緊張感を覚えた。
俺の緊張を悟ったのだろう、パパさんが「大丈夫か?」と俺を気遣って声をかける。
俺はパパを見上げながら安心させるように言った「大丈夫だよパパ、僕はうまくやりますから」と。
パパさんは首をかしげながら「まぁ、中でみんなと仲良く遊びなさい」と答えた。
……あれぇ、なんか俺間違えたかな?
さて入室しようというときになって、一人の兵士が部屋の中から飛び出してきて、殺意の浮かんだ目でボソッと呟いた。
「あのクソガキどもめ……」
そう言うなり彼は俺たちの存在に気が付かない様子で、近くの兵士の元へと向かった。
「どうしたんだあの兵士、腰に剣を下げてないが……」
パパさんはその兵士の言われなければ分からないような、細かなところを指摘しながら首をかしげる。
「まぁ、男爵。中に入ってみましょう」
クワーリアン侍従長はそう言って、部屋の中に入った。
……中は修羅場だった。
「これ僕のだよ!」
「へっへー、悔しかったら取り返してみろ!」
「うわぁーん、ヒック、うわぁぁぁぁっ!」
「私のくまさんっ!」
……なんじゃこりゃ。まるで保育園やん。
そう、部屋の中では“無秩序”が広がっていた、飛び跳ねるお子様天国状態である。
パパさんは苦み走った表情を一つ浮かべると「陛下が元気なお子様を集めろとおっしゃっていたが、やはりこうなったか……」と呟いた。
……彼の言っている意味がよく分からない。
この跳ね回る元気の塊たちは、王様の人選で選ばれた精鋭たちなのだろうか?
何となく……パパさんの言っていることに戦慄している俺。
まぁ、でも子供ってこう言うもんじゃないの?と、思い直して平静を取り戻す。
そんなパパさんはやおらに俺の傍で膝を折り曲げ、目線を俺と同じ高さにすると俺に微笑みながら言った。
「ゲラルド、此処に居る子供たちは、みんななにがしかの爵位を持つ貴族の子供達だ。
分かっているな?」
……ケンカはするなと言う事だ。
「わかりました」
「よし、では殿下に拝謁しよう」
パパさんは俺の手を引いて、部屋の奥まった所に向かった。
たどり着いたのは本棚の傍、うるさい子供たちの喧騒から離れたところ、そこから隠れるような3人の子供がいた。
……えっ、これが王子様達?
部屋の中に居る子供たちの中で一番イケて無くて、しかもオタク臭が半端ない集団なんだけど……
王子様と言うイメージから遠く、ひたすらおとなしくて沈み込んだ雰囲気のこのグループを見て、ドン引いた俺。
しかし俺はここで仕事ができることを証明しなければならない、と思い返して心持を改める。
でもまぁ……うん、この部屋の中で一番イケて無い集団だね。覚悟がいるよね、此処に溶け込むんだという事にね。
「殿下、ヴィープゲスケ男爵様が拝謁を願い出ております」
クワーリアン侍従長がそう言って本を読んでいるこの集団の中で、一番容姿が整っている子供に声をかけた。
殿下は自信がなさそうな顔を上げて俺とパパさんを見た。
この人が王子様かぁ……昨日見た大将そっくりな顔だ。
「ああ、うん……」
紹介されてもなんか反応が鈍い、王子さま。
見てると大丈夫かいな?と要らぬ心配が胸をよぎる。
「殿下、お目通りがかない恐縮です、本日は息子のゲラルドを連れてきました。
どうか今日一日だけでも、この子とお遊び頂ければ幸いです」
パパはそう挨拶すると、ポンと俺の背中を叩いたので、それに押されるように俺も挨拶をする。
「初めまして殿下、ゲラルド・ヴィープゲスケです。よろしくお願いいたします」
「あ、うん。よろしく……ラリーと呼んでいい?」
ラリーって誰やねん?いきなり間違ったニックネームが付いた俺。
心に壁があったり、いきなり馴れ馴れしかったりする王子様なのかと思いながら、ニックネームは“ゲリィ”だと言おうとすると、ぐっとパパに肩を掴まれた。
なんだろうと思ってパパさんを見上げると、ウチのパパはにっこり笑って「よかったな“ラリー”会ってすぐにニックネームで呼ばれるなんて」と言い出し……
えっ、パパさん、ついさっきまで僕の事“ゲリィ”と呼んでたや無いっすか?
え?これからは“ゲリィ”改め“ラリー”なの?
殿下が初めて言ったから?3月7日は“ラリー”記念日なの?
驚く俺をしり目に、パパさんは王子様に向かって「いや、我が家のの“ラリー”は……」と、昔から決められていたかのように、俺のあだ名をしれっと、殿下御命名の物に改める。
こ、これが社畜力なのかぁ……
ナチュラルだわ、此処まで滑らかにゴマを摺るから出世するんだね。
……パパさん、半端ないっすわぁ。
こうして俺のニックネームは“ゲリィ”改め“ラリー”になった。
王子様は、やっぱり権力があるみたいです。
更新が遅れた理由は活動報告に乗せました。