もう一つの1216年12月 ―美貌の従士― 3/5
―さらに翌日
この日はラリーがヨルダンの使いとして、イペイシェンスと会って手紙を貰って来た日だ。
……そして今回は、その後日談である。
主の使いとして赴き、役目を果たしたラリー。
そしてその事が原因で揉め事に出会った彼は、やけに良い笑顔で帰って来た。
彼は帰って来るなり“俺は手柄を立てました!”見たいな雰囲気を発して、爽やかな笑みを浮かべて報告を始める。
『…………』
それを見ながらヨルダンは(失敗だったか?)と思った。
こういう時のラリーは、大いに暴れてきた時が殆どだと、彼の経験則が告げている。
ヨルダンは執務室でラリーからの報告を聞き、彼が預かったという手紙を貰う。
そして、ラリーから詳しくも誇らしげな報告を聞いていた。
ラリーが使者の役目はきちんと果たせたとか、襲撃者に襲われたが、自分の働きで切り抜けたとか、ヴァンツェル騎士館の仲間に助けられたとかそう言う話だ。
加えて余計な事は従士仲間にも一切話していないと、強調し。
そしてこの後すぐにヴァンツェル騎士館に行かないといけないとヨルダンに伝えた。
それをヨルダンが了承するとラリーは、明るい声で「それでは行ってきます」と告げる。
「ああ、余計な事は言わなくていいからな」
「任せてください!」
そう言うとラリーは意気揚々と出て行った。
(アレは嘘を吐く男ではない……
だが、自分を良く見せようとはする。
アシモスが帰って来るまでは……何事も確かめてからだな)
その背中を見ながら、不安に揺れるヨルダン。
やがて誰かが事務所棟に入る気配がして、そしてこの執務室の扉を叩いた。
「誰だ?」
「アシモスです、入っても宜しいですか?」
「どうぞ」
ヨルダンが促すと、怪我一つなく顔色も良いアシモスが部屋に入って来た。
その姿を見て安堵したヨルダンは「ラリーから報告を聞いて心配したが、大丈夫だったみたいだな」と語り掛ける。
アシモスも「ラリーも無事だったんですね、良かった」と苦笑いを浮かべた。
「アシモス殿、先程ラリーから聞きましたがなんでも胡乱な奴に襲撃を受けたとか」
「ええ、助かりましたよ。
……生まれて初めてです、襲撃者が居て助かったと思ったのは」
「え?」
「ああ、ラリーはそこまでは話していないのですね……
実はイペイシェンスの護衛が大変な“跳ねっ返り”でして、ラリーを眼前で挑発したのですよ」
「…………」
聞いた瞬間、胸を過ぎった不安の影にヨルダンは言葉を無くす。
次に何故か不思議な笑みを口元に浮かべ、せわしなく額を撫で続け、瞬きを幾度もした。
……明らかに動揺している。
それを見てアシモスは「大丈夫です!ラリーは堪える事が出来ましたッ」と、安心させた。
その一言で安堵し、鼻で息を吐くヨルダン。
ようやく嬉しそうな感情も露に、アシモスの目を見る。
アシモスは言う。
「私も思わずラリーを見たのですが、必死に堪えてましたよ。
ちゃんと自分の役目は分かっていたようでした」
「そうか……それは良かった。
彼にはこれまでも何度も助けてもらったからな、此処で拗れる訳にはいかない」
「ええ、ただ聞いてますか?
これからはエリクサーの材料は手に入らなくなります」
「ああ、それはウチの問題児から聞いた。
痛いがまあ仕方がない……
だが幸いな事にエリクサーは元々使用頻度が高くないから何とかなろう」
「そうですね」
「それはそうと、なんか襲撃者が出て襲われたそうじゃないか。
ラリーが『危機的状況だったけど、俺の剣で切り抜けました!』って、誇らしげに言っていたぞ」
ヨルダンがそう言うと、アシモスは溜息を吐きながら「アハハハハ」と力なく笑いだした。
その様子に違和感を覚え、首を傾げるヨルダンにアシモスが言う。
「ラリーの言う通りですよ、あの子は凄い戦士です。
エルワンダルにあんな従士があと20人も居れば、生き残る騎士も多かっただろうと思います。
……でも」
「どうした、溜息なんか吐いて?」
「生まれて初めてですよ。
襲撃者に襲われて“助かった”と思って襲撃者に感謝したのは……」
「どう言う事だ?」
「先程話した、あのラリーを挑発したイペイシェンス殿の護衛の若者。
……確かルセイロと言う名前なんですが。
その若者が、襲撃者が襲ってくる直前にラリーと挨拶を交わしたんですね。
たぶんラリーも先程の挑発に思う所があったんでしょうね。
そのルセイロにこう言ったんです
『ラリーだ、子供の頃は“北の子狼”と呼ばれていた』とね。
自分を舐めるなという事だったんでしょうが、ルセイロが早速返したのです
『フン“狼”なら“犬”と変わりないじゃないか、気取りやがって』と」
「…………」
「しかもラリーを睨みつけながらです……」
ヨルダンは次の瞬間表情を無くし、そして虚空に目を向けながら、せわしなく額をさすり続けた。
「私ももうダメだ!
此処で(ラリーを止められない)と思ったのですが、その時ですよ……
襲撃者が階下から上がって来たのは」
「…………」
「奇跡が起きたのかと思いましたよ、あのままだったらラリーはあのルセイロとかいう護衛と喧嘩を始めてましたから」
「という事は、何も起きなかったのか?」
「……まぁ“何か”は起きたのですが。
現れた侵入者のおかげでラリーが失礼な事はしませんでしたね。
とにかく流石はラリーですよ、次の瞬間我々に対して、静かにするよう手で制すると、扉に歩いて行ったのです。
次にラリーはまだ何が起きたか分からない我々の前で扉に鎖を掛けると、ダガーを構えてやってくる奴等を待ちました。
店の従業員のフリをして、襲撃しようした敵は扉を開けた瞬間鎖に阻まれて部屋に入れず、次の瞬間ラリーのダガーに刺されて怯んだのです。
そしてその隙にラリーは扉に鍵をかけて、敵が入れない様にしました。
こうしてラリーが時間を作ってくれたおかげで、イペイシェンスが私とルセイロを両脇に抱えて、魔法で飛んで逃げられたのです。
ラリーは自分一人で帰れると言って残り、そして彼等を処理してくれたようですね。
そして私よりも先に帰って来た。
……流石はラリー」
報告を聞いたヨルダンは「はぁ……」と安堵の溜息を吐き、そしてホッとしたように微笑んだ。
アシモスもそれは同じで、面白そうに笑うと「まさか敵よりもラリーの方が怖いとは思いませんでしたよ!」と苦笑いを浮かべた。
「それはそうだ、何せあのヴィーゾンとソードマスターである俺が鍛えたのだ。
どこぞの魔物やそこら辺の奴らなぞ、相手になる筈が無い!」
「ええ、頼りになる子です。
あの気の短ささえ、なんとなってくれればきっと彼はひとかどの男になるでしょう」
「フッ、まだ早い」
「ええ……
ただヨルダン、今日気が付いたのですがラリーのあの性格を何とかしないと……
あのままでは彼は早死にするか、さもなくば幸運に守られて大きくなるかの二つだけです。
……彼には真ん中の人生は、無いでしょう。
そして幸運は中々恵まれません。
ラリーはこれまでの人生が、決して幸運だったとは言えませんから、このままでは戦死してしまうかもしれませんよ」
アシモスがそう言った瞬間、不意にヨルダンの頭の中で、ラリーが居なくなった情景が浮かび上がった。
……あの賑やかな問題児が消え去った、自分の周りの風景。
「…………」
虚空に泳ぐ彼の目に、溢れる様な寂寥が浮かんでいく。
あの問題児が居なくなるとか、死ぬとか全く考えたことも無かった。
ラリーは普段、その姿が無くなる事を想像させる事は無い。
それが早死にすると言われ、ヨルダンの目が潤みだす。
……ヨルダンの胸を、恐怖が埋め尽くし始めた。
寒気が全身を貫く……
やがて彼は自分の異変に気が付くと、急ぎ首を振るって「子供達が悲しむな……」と言ってアシモスの目を見る。
「そうです、子供達が悲しみます」
「…………」
「特にマスカーニが悲しむでしょうね」
「ラリーに懐いているからな……」
「ええ……」
ヨルダンは溜息を吐くと、ふと思い出したようにアシモスに言った。
「話は変わるが、今度新しい従士が来るのは知っているか?」
「レミ嬢を従士にするんですよね?
ラリーが喜ばないと良いんですが……」
「……ラリーには言って無いよな?」
「勿論です、出先で愛を深められてもいけませんからね」
「……レミにラリーの性格を矯正してもらおうか」
「話を聞きますかね?」
「この手の話は俺よりも適任だろう。
何せ俺はアイツ同様酷い“暴れん坊”だった。
そんな俺が言ったって、アイツは性格を直したりなんかしないだろう。
きっと『分かりました』と言った後、俺の言葉は耳の右から左に抜けて頭に残らん。
ヴィーゾンは戦えない男を作る位なら、これで良いと言いかねない所がある。
彼も実力で若い跳ね返りをねじ伏せて、従わせてきた男だからな……
アシモス殿にお願い出来ればいいのだが……」
「私の言葉も右から左です。
ラリーは戦いが好きなのですよ。
遊びもせず毎日馬術やら剣術やら、馬上槍やレスリングやらダガーやら、飽きもせず本当に楽しそうです。
楽しそうだからつい忘れますが、あんなに真面目に修行に打ち込む従士は中々居ません。
不真面目なら叱る事も出来ますが、いつも熱心です。
それに彼は身内と思った人間には、殊更親切な子なんです。
この前なんか、私とアマーリオの研究所に薬品棚を作ってくれました。
……ラリーは昔“子狼”と呼ばれていたそうですが、たぶんそれが本当の彼の素質なのでしょうね。
そのあだ名通り、ラリーは狼の様に身内に優しく、そして身内以外に極端に辛い所があります。
そんなラリーに面と向かって、何か強制する事を言うのは気が引けて……
私もダメなおじさんですね」
「…………」
「私もいつか後悔しそう。
きっとラリーに嫌われたくないのでしょうね。
ダメだと分かっているのですが……」
そう言ってアシモスは頭を振るった。
ヨルダンもその様子を見て、思索を始める。
……そして一つの事を決断した。
「アシモス殿、明日ラリーと男姿のレミとの顔合わせをする。
それとアマーリオにもこの事を話し、決してラリーにその事を言わないように言ってくれ。
アマーリオは軽々しい奴だが、秘密は守れるはずだ」
「分かりました、ラリーの家の離れに戻ったら、その事を彼に伝えますよ」
「それと……レミに会ったら言ってくれ。
明日はラリーが来る一時間前にはコッチに来るように、と」
「分かりました。
ちゃんと伝えておきますよ」
「頼む」
ヨルダンがそう言うと、アシモスはそのままラリーの家に向かうため、この執務室を出て行った。
こうして一人部屋に残されたヨルダン。
「…………」
ヨルダンは執務机に備え付けられた椅子に腰かけると、黙って天井を見上げた。
そしておもむろに、目線の先にある天井のシミを見ながら「……身内、か」と呟く。
やがて彼は目線を天井から引き剥がすと、執務机の引き出しを開けた。
そして引き出しの中にある、足の畳まれた小さな額縁のスタンドを取り出す。
額縁の中には立派な髭を蓄えた威厳のある男と、陽気な笑顔を浮かべる女性が描かれていた。
そしてその二人が小さな子供をそれぞれ抱いている。
男が抱いているのは、どこか気が弱そうな男の子。
女が抱いているのが、ふてぶてしい面構えの赤ん坊……
「……フフッ」
ヨルダンはその絵を、憂いと幸福感が浮いた目で見つめた。
そして寂しそうにこう呟く。
「パパ、ママ……お兄様」
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