1216年 12月 9/10
アシモスは馴れた足取りで、階段を3階に上がり言われた様にその階の右手一番奥の部屋の扉の前に立った。
そしておもむろに扉を叩く。
すると中から若い男の声で「はーい、どちらです?」と言う声が響いた。
「ああすみません、エルワンダルのアシモスです。
今日はヨルダンの名代で、従士のラリーも連れて来ました」
アシモスがそう声をかけると、扉がわずかに開き鎖越しに一人の若い男が顔を半分覗かせた。
その後ろには真っ白い清潔感を漂わせる男が居て……
『!』
俺はその姿を見た瞬間、意味も無く目を背けた。
そして何故かガタガタと体が震え始める。
そして徐々に思い出す、今の穏やかな雰囲気とは違う、血に飢えた恐ろしい形相……
目の前の男が自分の胸を素手で貫いた、その姿が脳裏を過ぎる。
『邪悪な者、貴様はもう終わりだ』
地の底から響く様な恐ろしい声で、奴は……
……突然、震えが止まった。
次の瞬間扉は締まり、そして扉に掛けられていた鎖を外す音が響く。
そして今度は大きく扉が開け放たれて、俺とアシモスは部屋の中に案内される。
狭い部屋、3脚の椅子と、小さなテーブル。
そこに清潔感のある、白いオーラを纏った男が座っている。
もう、体が震えたりはしなかった……
「お久しぶりです、イペイシェンス。
エリクサーの調合が昨日完成したので、それを届けに参りました」
アシモスはそう言うと、小さな袋を取り出した。
それを受け取り微笑むイペイシェンスと名乗る“誰か”は、次に俺の方にその人の良さそうな顔を向けてこう言った。
「こんにちは、お名前を伺っても?」
「ああ申し遅れました。
聖騎士ヨルダン・ベルヴィーンの従者で、ラリー・チリと申します。
日ごろからヨルダン様がお世話になっているようで、ありがとうございます。
今日、ヨルダン様はコチラに来れなくなりまして、代わりに私が名代として伺いました。
まずは主から手紙を預かりましたので、お受け取り下さい」
そう言って俺は持参したヨルダンからの手紙と、礼金を渡す。
すると彼はそれを受け取り、そして早速開封して手紙を読み始めた。
「確かに頂きました。
今返事を書きましょう」
「ありがとうございます」
そう言うとかれは羊皮紙に美しい文字で、フィロリア語の文字を書き始めた。
「時間が無くて申し訳ない、書きながら話をしてもよろしいか?」
イペイシェンスは手紙をしたためながら、声を上げる。
「ええ、何なりと」
俺がそう答えると、彼は言った。
「もう、これであなた方とお会いするのは最後になりそうです」
するとアシモスが「なぜ?」と尋ねる。
「どうやら私のしている事を嗅ぎまわる奴が出ましてね。
もうこれ以上はご協力が出来ないのです」
「それは……残念です。
ヨルダンも悲しみます……」
「そう言って頂いて申し訳ない」
イペイシェンスはそう言うと短い手紙を書ききり、俺にそれを渡しながら言った。
「ラリー殿、こちらをヨルダン殿にお願いしたします」
「かしこまりました。必ずお届けいたします」
そう言って手紙を受け取ろうとした俺。
するとイペイシェンスは、俺の手首を優しく掴み、手首を回転させて、何故か俺の掌を露にした。
「な、何か?」
驚いた俺がそう尋ねるとイペイシェンスが、俺の掌をしげしげと見ながらこう言った。
「若く見えるのに相当剣を握りこんでますね。
何度も掌の豆を潰したでしょう?」
「え?ええ……まぁ。
マスターヨルダンに付いて、修行中の身です」
「剣は何歳から?」
「6歳の頃からです」
「今はお幾つですか?」
「年齢ですか?まもなく17になります」
俺がそう答えると、イペイシェンスはアシモスに顔を向けて言った。
「彼は強いでしょう?」
「分かりますか?
ラリーは聖騎士流のマスターになるのでは……と皆に期待されているのです」
「もしかしてこの方が“狂犬”ラリーですか?」
イペイシェンスがそう言った瞬間、恐れるように俺を見たアシモスと目が合う。
俺は“怒ってないよ”と伝える為に、静かに頷いた。
それを見てアシモスが安心したように「そうです、この子がラリーです」と答える。
するとイペイシェンスは自分の傍に控える若い男に顔を向けて言った。
「ルセイロ、ちょうど良かった。
きちんと挨拶なさい、この方が今町で有名なラリーですよ」
俺は自分の名前が有名だと聞かされて驚いた。
するとルセイロと名乗る若い男が、俺を見て言った。
「俺よりも年下じゃないですか……
なんで皆、コイツに目を掛けるんですか?」
「…………」
俺は使者、俺は使者、俺は使者……と、何度も俺は自分に言い聞かせた。
目を見開いて俺を見るアシモスの目が“問題を起こすなよ!”と告げている。
その眼が“よう、俺が気に入らねぇのか?”と、始めてしまいそうな俺を制御した。
するとイペイシェンスが、彼を嗜める。
「そう言うな、お前が修行を放棄して修行先が無くなった。
もしかしたら聖騎士流を学ぶかもしれませんよ?」
黙って、二人のやり取りを見つめる俺。
ルセイロと言われた若い男は、不満そうに口を尖らせて言った。
「俺はフィロリアンの剣を学ぶつもりはありません。
どうしてそんな事を言うのですか?」
するとイペイシェンスは溜息を吐きながら言った。
「聖騎士流は、かつて聖剣士達が学んだリンドス家やルブレンフルーメ家の剣筋に非常に近いのです。
知っておいていつか役に立つと思いますがね」
俺はバルザック家のルーツに繋がる名前が出て驚く。
バルザック家はワルダ・マロルと、聖地から逃げてきたアキュラ・リンドスの妹、タチアム・ルブレンフルーメとの間に生まれたクリオン・バルザックを家祖とする家だ。
そしてそれは母方の家であり、俺の親戚の家である。
こうして驚いていると、イペイシェンスが、ルセイロに言った。
「とにかく挨拶をしなさい。
狭い世界で満足してはなりません」
するとルセイロは、イヤそうに溜息を吐きながら俺に言った。
「初めまして、ルセイロ・ウバフランだ。
剣は我流だがソコソコ自信がある。
まだ無名だが、アンタに引けは取らない」
そう言って握手をするために手を伸ばした、ルセイロ。
俺はその手を握り返しながら「ラリーだ、子供の頃は“北の子狼”と呼ばれていた」と返す。
するとルセイロは「フン“狼”なら“犬”と変わりないじゃないか、気取りやがって」と、俺を睨みながら言いだし……
100点満点だこの野郎!ぶっ飛ばしてやるっ。
ブワッと、怒りが胸の内で膨らみそうになったこの時だった。
ドサッ……と言う音が上がり、同時に複数人の男が階段を上がる音が外から聞こえたのだ。
そして……チャリ、チャリと聞きなれた金属音が微かに聞こえる。
鞘の中で、剣が触れる音だ……
俺は音がした方向に顔を向けると耳をすます。
「おい、アンタ……」
「シー……」
俺は喋りかけたルセイロを制止して、沈黙するよう人差し指を唇に当てる。
次に音を立てない様に、扉に近づき鎖を掛けた。
そして俺は太もものダガーをホルダーから抜き払い、柄を右手に持つと小指から下に刃先が流れるように持つ。
俺のこの様子を見て全員に緊張感が走った。
足音はやがてこの部屋の前に来て止まった。
そして扉をコンコンとノックする。
俺は「どちら様ですか?」とダガーを構えながら尋ねた。
「あのすみません、昨日下の階のお客様から苦情がありまして……
お話しを宜しいですか?」
俺は後ろを振り向き、皆にジェスチャーで“開けるぞ?”と確認を取る。
それに頷くイペイシェンス。
俺はゆっくり扉を開ける為に、扉を内側に少し入れた。
ガン!
次の瞬間、扉は激しく向こうから押される。
しかし鎖がそれを阻んだ。
そして俺は扉の隙間からダガーを振り下ろして、扉を掴む手を刺し貫いた!
「うがぁぁぁぁぁぁぁッ!」
すぐさまダガーを引き抜いた俺は扉を閉め、そして鍵をかける。
『開けろっ!開けやがれっ』
扉の奥から響くフィロリア語の罵声。
それを聞いて全員の顔が青ざめる。
すると次の瞬間、イペイシェンスが窓を開け放った。
そして、アシモスとルセイロを抱きかかえると、魔法の気配を放ちながら宙にふわりと浮かぶ。
そして俺にこう言った。
「ラリー、あなたなら一人で逃げられますね?」
「ええ……」
「手が二つしかないのです、なので二人を連れて最初に逃げます。
もし良ければ後で迎えに行きますよ?」
「……大丈夫です。
またご縁がありましたら、お会いしましょう」
俺がそう返すと、イペイシェンスは二人を抱え込んだまま宙を舞い、外へと飛んで行った。
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