騎士ボグマスの事情(後)
しばらくして料理がこの部屋に運ばれ、酒杯にワインが注がれる。部屋の暖炉に火が灯り男二人にぬくもりある光をよこす。
その中でボグマスは溜息を吐きながら語りかけた。
「お前のせいで俺は大変な目にあった」
エドワースはネズミのような顔に苦笑いを浮かべ「と言うことは、ボグマスにその話は行ったのか」と言った。
ボグマスは無表情になって二、三度肯定の意味で首を縦に振る。
エドワースは言った。
「そいつは大変だ。
ヴィープゲスケ男爵は俺たち魔導士にとっては、憧れの魔導士だ。
……正直彼の世話を受けた魔導士は多い、実は俺の師匠が男爵の世話になっていてな、その義理もあって俺はこの話を受けるわけにはいかないのさ」
「そうか……
まぁ、人にはいろいろな理由がある。
仕事を辞めた理由についてはおいおい聞くとして……
それはそうと何故伯爵は今回あれほど、ヴィープゲスケ男爵に対して攻撃的なんだ?
断れば首だと言われたんだが……」
「さぁ、あんなケツの穴の小さい、器の小さな男の考えることなんか知るか!」
「…………」
「オッと、すまない。俺と違ってお前はまだあそこにいるんだよな」
「……辞めるつもりもない、俺には妻もいる」
「て、言う事はこの話を受けるつもりか。
まぁ、お前さんは俺より立派な男だよ」
(生活があるんだよ……)
そう心で呟きながらボグマスはエドワースの事を軽くにらんだ。
そのエドワースはボグマスの様子を無視して、鼻で息を“フンッ”と吐くと、しばらく沈黙し、そしておもむろに語りだした。
「実はこの前、王から所領を交換してほしいとの依頼が伯爵の元に来たんだ」
「所領?どこのだ」
「王都近郊の所領の全部さ、その代わり豊かなワジール地方の領土を今よりも広くしたうえで頂けることになったんだ。
でも伯爵はそれを断った、王都近郊の土地は先祖代々の所領だし、縁もゆかりもないワジール地方の土地なんか興味もないらしい。
伯爵はすごい勢いで王に抗議したそうだ、それでこの話はなかった事になったらしい。
伯爵はこんな話が出たのも、自分を軽く見ている証拠だと言ってカンカンさ。
さらに悪いことに、この話を王に持ち掛けたのがあのヴィープゲスケ男爵だと聞いてそれはそれは……まぁ、分かるだろ?」
「ああ、伯爵様の性格を考えれば言わなくてもわかる」
伯爵が怒り狂った様子を思い浮かべ、騎士ボグマスは渋い顔でうなずいた。
ボグマスより事情に明るいエドワースは、伯爵が不愉快な思いをしているのを楽しむかのように冷笑を浮かべると、嘲笑うように言った。
「伯爵はヴィープゲスケがうらやましくて仕方がないのさ。
今の王様(ホリアン2世)は子供のころ、王家の人間とは思えないほど乱暴者で、貴族や王族の同世代の子供から嫌われていたそうだ。
ヴィープゲスケ男爵はそのころただ一人の友達だったそうだ。
ところが男爵が18歳の時に前の奥さん……誰だったっけ。
伯爵家のお嬢さんと駆け落ちしてこの国を出た時、そのままヴァンツェル(正式にはヴァンツェル・オストフィリア国)に留学した。
その時男爵の生活を支えたのが陛下だそうだ」
「ふむ、それが伯爵の“うらやましい”と言う気持ちと何か関連するのか?」
「ウーム、騎士ボグマス殿は伯爵家一の勇士だが、他家の事は何も知らないのだな。
ああそうだ、ヴィープゲスケ男爵が駆け落ちしてまで結ばれた伯爵家の娘だが、あのマウーレル家の娘だ」
「何。と言うとあの宰相の……」
「兄にあたる人だそうだ。
もっとも当時は宰相は聖職者で、確か大神官をお勤めのはず……」
「ああ、なるほどようやくわかってきた。
前回王位継承の際は宰相がホリアン王の即位を、強く後押ししていた。
宰相がホーク元帥を口説き落としたことが決定打となって、王はご即位されたと聞いている」
「その通りだ、王はなかなか賢い方で険悪な仲だったヴィープゲスケ男爵と、マウーレル伯爵の仲を取り持ち、伯爵をご自分の支持者に取り込んだのだ。
もっとも、その事についてはヴィープゲスケ男爵の献策だったとも、前王がまだ存命中の出来事だったから、前王の案であったとも言われてはいるがな……」
「それでは、我が主はその時は何をしていたのだ?」
「その時最も有力な後継ぎとされていた、シルト公爵に寝返っていたのさ」
……ああ、だから王から引き立てられてなかったのか。寄りにもよって敵側の陣営に寝返っていたなんて。
言葉に出すまでもなく、全てを理解した騎士ボグマス。
なるほど、ルシナン伯爵はグラニール・ヴィープゲスケ男爵が妬ましかろう。
騎士家の息子でしかなかったグラニールが、王と身分違いの知己を得て、とんでもない悪事(駆け落ち)を働きながらも罰せられることもなく、遂には王の功臣として、貴族にまで登りあがったのだ。
ご学友であったルシナン伯爵と、同じくホリアン王の学友の間柄であったグラニール。
だけど片や間違った選択をした事で、自身の運命を停滞させ。もう一方は今や王の寵臣として、貴族の間では知らない者はいないほど羽振りを聞かせている。
なまじ知っている人間なだけに、伯爵はそれが妬ましいのだ。
ボグマスがそんな思いをつらつらと巡らせていると、エドワースがふいに声を上げる。
「そして、今回の事が起きたのさ」
「うん?今回の事とは……」
「ほらあれだ、第二王子の新しいご学友の事だ」
「ああ、あれか」
「みんな新しいヴィープゲスケ男爵になりたくてうずうずしている。
あのあたりに別荘を持つ貴族はみんな参加を希望しているそうだ。
そして今回も……ヴィープゲスケは息子を送り込んできたらしい」
「なに?」
「どうやらマウーレル伯爵が、ダレムにある屋敷に、ヴィープゲスケ男爵とその息子の滞在を認めたそうだ」
「するとヴィープゲスケは再び家格を引上げようと画策しているのか?」
「そうなのかな?」
「そうだろうが!
そうでなければこのような事はするまい!
何と厚かましい人間なのだ、むしろ狐のようなずる賢さだ!
元々は只の騎士家にすぎないというのに、こうもあからかさまに野心をむき出しにするとは……
なるほど、あの家は成り上がるわけだわ。
汚らわしいヴィープゲスケめ!」
「まぁ……詳しくは分からぬが。
実は王もそれを望んだと聞いている、実は先日王がヴィープゲスケ男爵の邸宅をご訪問されたと聞いている」
「何?なんてことだ、世も末だ……」
「おそらくそこで、王にご学友に自身の息子を推挙したと言われている」
「汚い、汚い家だヴィープゲスケは。
これまでの栄達は過分なものだと思わなかったのか。
王の寵愛を独り占めにするつもりなのか。
出過ぎた真似をするグラニールめ!」
「まぁ、詳しくは分からぬが……」
「くそっ、分かっただから伯爵が今回の密命を私に下されたのだ。
確かに伯爵家の一大事だ、あの家にラーシド様の邪魔をさせるわけにはいかん!」
「ま、まぁ落ち着け。
騎士ボグマス、今回のお勤めを成功させるには何が必要か考えればよいじゃないか。
まぁ……私は今や無職の身にはなったが」
エドワースが最後の言葉をぽつりとつぶやくと、ボグマスは心配になり、そして親身な気持ちで聞いた。
「お前、伯爵の元を去ったのだ、どうやって生計を立てるのだ?」
「おっ、俺の心配をしてくれるの?
ありがたい、寛大な騎士様だ」
「茶化すな、蓄えはあるのか?
次の仕事のあては?
嫁さんだって心配しているだろう?」
「うん、まぁ……」
「あてはあるのか?」
「まぁ、魔導士の世界は狭いからな、誰かから仕事は紹介してもらえるさ。
ソレよりもいい話がある!」
「おい、俺の話を聞いて……」
「待て、俺も話したいんだ!
聞いてくれ、実はダレムの山荘でヴィープゲスケ男爵の顔を潰す良いアイデアがある。
お前、興味はないか?」
ボグマスは思わず「何っ?」と言って身を乗り出す。
無意識のうちに乗気を示す彼の様子に、エドワースは得意げな表情で笑い、そしてこう言った。
「ボグマス、何事もうまくやるには仕掛けが必要だな。そうだよな?」
「ああ……」
「実は俺にはあてがある、命がけでダレムの山荘でもめ事を起こすような“あて”がな」
「……どんな“あて”だ?」
「聞くか?決して他言せぬと誓うなら打ち明けてやる」
「……そんなに怪しいのか?」
「多少な……どうする、聞くか、聞かぬか?」
「ここまで来たら聞くしかあるまい」
「よーし」
エドワースはそう言うなりボグマスの耳元に口を寄せてささやくような声でこう言った。
「ガルベル王国の遺臣達だ……」
この答えに、思わず愕然としたボグマス。
その様子を見て、してやったりという表情でエドワースはニヤリと笑った。
「警戒心の強いダレムの山荘でもめ事を起こすなら、普通の人間では無理だ。
戦える人間で、かつこの国に忠誠心を持たない連中で、潰しがきく男でないと」
「ま、待て、俺はあくまでヴィープゲスケ男爵の顔を潰せばいいのであって……」
「そんな事で潰せる訳がないだろう!
相手は半島統一戦争の時の英雄、ヴィープゲスケ男爵だぞっ。
少なくともガルベル人共は戦う事ができるし、向こうでいろいろと上手く行かなかった時のための保険にちょうどいいと思うぞ。
上手く行かなければ、知らぬ存ぜぬで押し通せば良いしな。
お前は家人や、自分の従者にそんな仕事をさせるのか?」
「させたくはない……な」
「させずに済むならそれに越したことは無い。
……そうだよな?」
「その通りだ……」
そうボグマスが答えると、エドワースは親しみのある笑みを浮かべてこう言った。
「騎士ボグマス、お前は勇敢で、友人を大事にし、部下も家族も大事にしてきた。
どんな強敵にも臆することなく向かう戦士でもあった。
だけどそれだけじゃあやっていけない、お前の前に俺がこの話を聞いたのも、きっとそれが原因だ。
俺はお前のように強い男ではないが、自分が弱いことを自覚しているから、様々な手段を行うことにためらいはない。
今回の事は汚れ仕事だから、伯爵は俺のほうがきっと向いているとお思いなのだろうな」
「……ああ、そうかもしれない」
ボグマス古い友人エドワースの性格を思いながらそう答えた。確かにエドワースはボグマスが思いもつかない解決策でこれまで伯爵に貢献し、様々な問題を解決してきたのだ。
当然伯爵もそのことは知っているし、この仕事の性質上、騎士ボグマスよりもエドワースのほうが向いていると思っても仕方がなかった。
「ボグマス、きれいなだけではダメなんだ。
少しは手を汚すやり方もしなければ」
「ああ、分かっている。だけどダメなんだ、どうも自分はこういったことに疎くて……
知恵が働かないんだ」
エドワースはボグマスのその言葉を聞いた瞬間、ぬくもりある笑みを浮かべながらこう言った。
「だったら俺に任せろ、な……」
ボグマスにはその言葉がありがたく思えたその為彼は「分かった、ありがたくその言葉に甘える、その代わりお前の生活の面倒は俺に見させてくれ」と言った。
エドワースはその特徴的なネズミに似た顔に戸惑ったような表情を張り付けると「いやそんなつもりで言った訳じゃ……」と言いかける。
ボグマスはそれを遮るように言った。
「いや、(生活費を)出させてくれ。
そうしないと死んだおやじに叱られる。
騎士家の人間が人から施されて、何も返そうとしないだなんて出来やしないんだ」
「いや、ボグマス、俺もそんなつもりで言った訳……」
「いや、出させてくれエドワース。
俺たちは友達だ、互いに支えあう仲だろ?
何も言うなエドワース、お前は伯爵様の元を辞去したばかりだ。
暮らしていくのは大変だろう。
俺の仕事を手伝うんだ、俺が報酬を用意しなくちゃ。
……俺の男が廃る、受け取ってくれ、エドワース」
「う、うん分かった。
でも本当にいいのか?
……いや、男に二言は無いか。
ありがとうボグマス、お前本当に良い奴だな」
エドワースがそう感謝すると、ボグマスは言った。
「手柄を立てれば、もし伯爵家に戻りたくなったら戻れるかもしれん」
「……いや、それは」
「まぁ、今じゃなくてもいい。
だが生活するのは大変だ、次仕える家があるなら別だが……あてはあるのか?」
「いや、今日突発的にやめたので、これからだが……」
「この時世、なかなか次の仕事は決まらないものだ、上手く行かなった時のことも考えろ。
楽観も大事だが、現実はその通りにはならないことも多い。
なっ、俺が悪いようにはしないから」
そう言われてエドワースは悪い気がしなくなり「分かった、世話になるよ……」と答え、その肩をボグマスは微笑みながらポンと叩いた。
その後、互いに話ははずみ、とりとめのない雑談がしばらく続くと、仕事の話に再び会話の内容が戻る。
騎士ボグマスはふと疑問に思って尋ねた。
「エドワース、お前はどうやって、ガルベル人どもと渡りをつけたのだ?」
「うん?簡単な事さ。
俺の兄弟子がガルベル王国の宮廷に仕えていた魔導士でな、その縁で知り合ったのさ」
「なるほど、魔導士の世界は狭いというからな」
「そうだな、もともと魔導士の素質がある者も少ないし、教えてくれるほど教養豊かな魔導士はもっと少ない。
案外みんなどこかでつながりがあるモノさ」
「それでガルベル人とつながるのか、なるほど……」
◇◇◇◇
騎士ボグマスは、盟友エドワースと共に伯爵のためにこの日から走り回ることになる。
地下世界の怪しい人間にわたりをつけ、ダレムの山荘に下見に行き、伯爵家の領地から人を集め、伯爵に相談をする。
そんな感じで日々を過ごすボグマスと、エドワース。
仕事を始めた時、ボグマスにエドワースは言った。
「ボグマス、俺の事は決して伯爵には話さないでくれ。
手柄はお前ひとりの物でいい、アイツはまじめに仕えてきた俺を恫喝しやがったんだ!
それで飛び出したのにアイツに“媚びてる”なんて思われたら、俺はもう自殺するしかない。
俺の男が廃るんだ、たのむっ!」
ボグマスはエドワースの言葉を聞きながら「なるほど……」と言い、承諾した。
ダレムの山荘に短い休暇を取る貴族が集まるのは、1カ月後だった。