1216年 12月 3/10
―2週間後。
新たな最前線となっていた、旧グラデーガ公国の荒れ地からルクスディーヌに帰還する俺達は、いくつかの部隊と一緒に行軍していた。
少数で行軍すると、襲撃に成功しそうと思った敵軍が、襲ってくるかもしれないからだ。
その為帰還もまた数百人の部隊を編成し、彼等と一緒に帰還する。
道中容赦なく俺達に降り注ぐ太陽……鎧が熱を帯び、兜が火に炙られたかの様に熱い。
跳ね上げっぱなしの兜の面頬に汗が掛かれば“ジュッ!”と、鳴って汗を一瞬で蒸発させる。
そんな俺達の目の前に、懐かしいルクスディーヌの街門が見えた。
『ルクスディーヌだ!』
何故か見た瞬間、従士や小姓が嬉しそうにはしゃぎ回った。
騎士達はそんな俺達に「浮かれるな!」と言って叱りつける。
俺はそんな街の様子よりも、遠くで揺らぐ緑豊かな、ベリート川の美しさに目が吸い込まれる。
荒れ地に住む者は、皆緑が好きだ。
それは生命の色であり、安らぎの色である。
あの荒涼たる荒れ地の世界は、白と黄土色がどこまでも連なり、その砂の海は死を連想させる。
そして緑は、生き物がいる事を思い起こさせた。
「ああ、帰って来た」
思わずそう呻いた俺。
知らず知らずのうちに纏っていた心の鎧が剥がれて落ちていくのが分かった。
常に心に抱き続けた苛立ちが、この瞬間消えていく。
「よしお前ら、街の連中にしょぼくれた姿を見せられないぞ。
鎧覆いを替えて、旗も綺麗な物と差し替えろ!」
そう言って騎士が俺達に身なりを整えるよう指示を出した。
聞いた俺達従士は、急いで主のホバークを別な物に替え、馬から汚れをふき取り、そして旗を差し替えて自分のホバークも着替える。
こうしてめい一杯おめかしをする俺達。
皆嬉しそうにこの作業に従事した。
「なぁラリー!」
そんなとき、一緒に旗を差し替えていた従士が、俺に話しかけた。
「なに?」
俺がそう答えると彼はニヤッと笑って言った。
「実は他の奴と、あまーいハチミツ入りのケーキを食べに行こうって話してるんだ。
一緒に行かないか?」
甘い物!
チョー行きてぇ!
甘い物なんかこの一年間、棗の微かな甘さ以外に口になんかしたことが無かった。
それが一足飛びにハチミツの甘さ……
うわぁ、そんなこと聞いたら頭の中がハチミツの事しか考えられないよ!
だがこの瞬間、俺の頭の中で、レミちゃんの顔が過ぎった。
俺は悲しい思いを抱きながら「ゴメン、女が待ってるんだ……」と答えた。
ああ、でも、重ねるように“行こうぜっ”て誘ってくれたら、俺……ケーキ選びそう。
だが彼はそんな事もせず「ああ、そう言えばアンタ女が居るんで有名だったな」と言った。
本当は誘って欲しい、欲しがりな俺……
「ごめんな、でも今度は誘ってくれ。
女が居なかったら今度は皆に混ざりたいんだ」
「ああ、でもまぁ……今度があればな」
ですよね……
ああ、付き合いが悪い奴だと思われたよなぁ。
本当はそんな事無いのよ、うん。
こうして俺は、仲間からの誘いを断り、ストイックに家族?の元へと帰る事になった。
こうして我々は日差しに鎧を煌めかせながら、威風堂々と本拠地ルクスディーヌの町に入る。
ベリート川沿いの街門から入場を果たすと、早速住民達が道沿いに並んで、帰還する俺達を待ち構えていた。
その様子に驚いたダーブランが首を振るう。
それを制御しながら馬上の俺は、列を乱さない様に彼を落ち着かせる。
そんな悍馬の様子を見て、住民の列の中から声が響いた。
『あ、ダーブランだ!』
おお、この声はうちのキッズ達!
俺は嬉しくなって声がした方角を見た。
「ラリーちゃんだ!ラリーぃ!」
向こうも俺の事に気が付いたようで、俺は手綱を持ったまま掌をそちらに向けた。
そこに居たのは大きくなった子供達と、今にも泣きだしそうなアイナさん。そして、アシモス。
更に何故か俺を睨みつけているレミだ。
『…………』
一年ぶりに見た彼女の顔に、思わず俺は胸が高鳴る。
これまでも思い出の彼女の顔は忘れたことも無かった。
だが、実物を見てより正確な彼女の顔を見ると、こんなにも胸が騒ぐのだろうか?
ずっと彼女の顔を見て居たい……
光り輝いて、その顔、その全身が見える。
俺達の行進は続く。
俺は手を伸ばし、彼等の前に来た時、子供達にこの手を伸ばした。
次々と馬上から延びた俺の手に触れる、孤児の柔らかい手の連なり。
レミもまた俺の手に触れる。
そして彼女は俺に「ラリー」と呼び掛けた。
「待ってて、すぐに行くから」
俺はそう答えると、彼女はなぜか睨むのをやめて、寂し気な表情を見せる。
思いが言葉に籠る。
俺の心から“棘”が抜けるようだった。
騎士団本館にあたる要塞に集合した軍が解散したのはそれから間もなくだった。
俺、ヨルダン、ヴィーゾン、が馬に乗り。
そしてアマーリオが俺の後ろに乗って、一緒にダーブランの背中で揺られて帰宅する。
久方ぶりに鎧を脱ぎ、皆私服だ。
「ラリー、帰りに子供達にお菓子を買って行かないか?」
ヨルダンがファボーナの鞍上で、そう言うので俺は飛びつくように「良いですね、買いましょう!」と言って賛成する。
普段甘い物を食べないヴィーゾンも「良いな、俺も久しぶりに甘い物が食べたい」と言う。
アマーリオも同様だ。
成る程、甘い物に飢えていたのは自分だけじゃないんだな。
こうして帰り道の途中でハチミツ入りの甘いお菓子をレストランで買い求めから、俺達は急いで孤児院に戻った。
「俺、牛乳にハチミツ入れて思いっきり飲みたいわぁ……」
甘い物を食べたくてクラクラしている俺に、背後から痺れるような一言を言ってくれるアマーリオ。
「ああ、マジでそれな……」
俺もその願望に思いっきり浸りたかった。
「ウフフフ、ガキ共め……」
俺達のその様子に、ヨルダンは苦笑いを浮かべる。
こうして戦争帰りの俺達は、久方ぶりの平和な街の空気にあてられ、どこかフワフワしながら孤児院に帰って来た。
「あ、そう言えば」
此処でふと俺は、これまで聞こう聞こうと思いながら、長らく聞きそびれた事を思い出した。
俺のその様子を見て、ヨルダンが『どうした?』と尋ねる。
そんな彼に俺は尋ねた。
「そう言えばマスター。どうして孤児院なんか開いたんですか?
これも“あの子”の為ですか?」
するとヨルダンが、道の先を見つめながら意外な言葉を返す。
「いや、これは贖罪の為だ」
こういう返事がある事は予想していなかったので「どう言う事です?」と俺が訪ねると、ヨルダンは遠くに目を向けながら答えた。
「俺は聖職者でありながら、戦い、人を殺す道を選んだ。
それは聖別されたにもかかわらず、罪を犯すという事だ。
だから、人を一人殺すたびに、同じ数の人を救う事を自分に課している。
……残念ながら、まだ殺した数の方が多いがな。
だから、捨てられた子供達を保護し、立派な人間にしてやろう。
愛も温もりも知らないなら、出来るだけそれを与えてやろうと思ってる。
そうすればその子は救われるはずだ。
だから孤児院ではバルミーとかサリワールとかは一切気にせず、育てている。
俺が殺したのはバルミーやテュルアク、たまにサリワールだ。
一人殺したら、一人は救わないとバランスがとれん。
……逆に言うと、そうじゃないと心が持たん」
「…………」
意外だな、そんなの関係なく無慈悲に敵を殺戮していると思ってた。
因みに俺はあまりそう言う事に、悩んだりはしなかった。
俺の方が冷酷な人間なのかもな……
そう思って神妙な気持ちを抱えていると、今度はヨルダンの方から妙な質問が来た。
「ラリー、お前は自分が殺した相手が、夢枕に立っていた事はあるか?」
……霊感、あるよ。
あまり話したくないけど……
俺は偽る様に、首を傾げながら「あったかもしれません」と答えた。
ヨルダンは「俺もあったかもしれないと思ってる」と答える。
そして俺の目を見ながら言った。
「孤児院を開いて、子供達を救うまでは、夢を見て、よく汗まみれになって飛び起きたものだ。
そして常に今見た夢を覚えてない。
自分が何に怯えているのかが分からないのだ。
自分の周りにもそう言った夢を見た人間も居ないし、誰にも解決は出来なかった。
当時の俺は聖別して、騎士になる前の従士だった。
つまり身分としては平民と言ったところかな?
一応故郷では騎士の息子だが、大公家は滅び去っていた。
仕える主も無い騎士は農民にも劣る……
自分が何者なのか、そしてどこに自分の存在証明があり、何に帰属しているのかも分からなかった。
きっとそれが影響をしているのだろうと思うが、何せ見た夢を覚えていないのだから何とも言えない。
……故郷を無くすと、こんなにも正体不明な不安に苛まされるのか。
そう実感しながら生きていた。
アノ時の俺の得体の知れない不安は、故郷が無事な奴には分かるまい。
そこである日一人のバルミーに出会った。
そいつは、非常に教理に明るかったので、俺のそんな悩みを言ってみたんだ。
今でもたまに訪ねてくれるので、時折会うのだが、彼は不思議な男で。
何故か全てを相談したくなる。
するとまぁ……初めて会ったその日だ。
俺の話を聞いた彼が、こう言ったのだ。
『あなたは聖職を目指しながら、人を救った事が無い。
一人殺めたら一人救って見てください。
そうすれば心が救われるでしょう』
そこで試しにバルミーの捨て子を一人育てる事にした。
すると何故か良い事が立て続けに来たのだ。
まず義姉上達が、俺の所に辿り着いた。
エルワンダルからここまでは順調に行っても2か月かかる。
彼はそれを5か月の道のりで来てくれた。
家族は皆死に絶えたと思っていたから、あれほど嬉しかった事は無い。
ヴィーゾンやアシモス、アマーリオが送り届けてくれたのだ。
そして、彼女のお腹の中の“あの子”も来た。
俺は、コレが女神の意思なんだと確信した。
それをバルミーから教えられるとは思わなかったが……
バルミーの彼は、神の道はどんな神を崇めても同じなのだと、俺に伝えたかったのかもしれないな。
俺は自分がまだエルワンダル人として、やるべき事があるのだと分かった。
“あの子”が居る限り、まだ俺の義理に終わりは無いのだ。
そして、その日から悪夢にうなされる事は無くなった。
それから俺は、孤児院に金をつぎ込んだ。
何人かは卒業して、それぞれ色々な職業の親方の元で修業もしている。
俺はきっとおかげで僅かだけでも心が救われたのだろうな。
子供を救った事で、本当に救われたのは俺なのだ」
ヨルダンはそう言うと俺に尋ねた。
「ところでラリー、お前……忘れられない恐ろしかった敵は居るか?」
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