幕間 ―欠け始めた月 4/4
―1216年、聖騎士団本館。
苦しかった1115年の戦役は、未だ終わってはいない。
辛い状態に何の改善も無いまま、新しい年を迎えてしまったのだ。
この様な呪わしき新年の初旬、聖騎士団内では月次の最高幹部会が開かれる。
参加者は次の通り。
聖騎士団総長、デアメア・グラディオ(ダナバンド人)
聖騎士団副総長、海外領担当カメナ・オーツェーリ(ヴァンツェル人)
聖騎士団副総長、筆頭書記官兼務アレノーザ・サペンツァ(聖地フォーザック王国出身、混血)
ヴァンツェル騎士館館長アイロン・モーシュ(ヴァンツェル人)
ダナバンド騎士館館長サージャ・クロコディロ(ダナバンド人)
アルバルヴェ騎士館館長ドイド・バルザック(アルバルヴェ人)
同盟騎士館館長ニフラム・ローン(ナシュドミル人)
聖騎士団の最高意思決定は、この7人による委員会形式で決めるのが慣例である。
彼等の背後には、それぞれ盾持ちの従士が控えており、それぞれがそれぞれの主の為にこまごまと動く。
故に会議場の参列者は14名だ。
この日、副総長アレノーザが用意した収支報告書が幹部達の前に置かれる。
これを見たとき、全員の目が曇りだした。
その中でアレノーザが説明する。
「今ここにあるのが今年の収支予想である。
オロスキー伯国、そしてグラデーガ公国を失った事と、昨今の荘園の委託停止を受けて、約3割の収入源は、最低でもある。
もちろん他の不確実要素はあるから、まだまだ下がると思わなければなりません。
この数字はあくまでも、全て恙なく例年通りであった、最も楽観的な数字です。
嵐による所有艦船の海難事故等があれば、ここからさらに悪くなるでしょう。
今はまだ貯蓄もあるので何とかなりますが、これもいつまで続くか分かりません。
また兵員の募集も芳しくありません。
そして小姓や従士の募集のほうもピタリと来なくなりました。
ただ騎士の方は聖別を希望する、従士がまだまだたくさんいるので何とかなります。
しかし今度は騎士に与える荘園が不足しており、代わりの現金の給付を申し出ているのですが……やはり土地が欲しいと言ってます。
馬を思いっきり駆けさせる事ができる、荘園が欲しいようです」
それを聞いた副総長のカメナは「贅沢な……」と呻いた。
それに対してダナバンド騎士館館長のサージャが意見を挟む。
「騎士が荘園を欲するのは、軍馬の飼育の為だ。
お金だけが理由ではない。
調教の事も考えるとやはり荘園の方が有益なのだ。
それともヴァンツェルの荘園は、ただ騎士に金を恵むだけの物でしかないのかな?」
その様子に目の色を変えるカメナ。
そんなヴァンツェル人副総長に冷笑を見せるサージャは次の瞬間、同じダナバンド人の総長デアメアに「やめよ!」と叱責された。
「今は仲間割れはやめよ!
聖騎士団が一丸となって当たらなければならないのは、バルミーそしてテュルアクだ!
フィロリアでの諍いをこちらに持ち込むな!
我々は王ではなく、女神に仕える騎士であるッ。
ダナバンド、そしてヴァンツェルは関係がない!」
二人はそれを聞くと、互いから目を背けその口論の矛を収めた。
……ダナバンド、そしてヴァンツェルは仲が悪い。
そもそもついこの間までエルワンダルを巡って血みどろの戦争をしていた間柄である。
見ての通りそのしこりが、未だに尾を引き、様々な対立を生み出していた。
この世界の常識として、本国の情勢は、少なからずその国のその民族の、外国での評判や、民族間の対立関係に影響を与える。
全てではないが、そこに個人は“どうである”とかは、無視されるのだった。
……ともかく会議の話に戻ろう。
デアメアはその対立を収めると、言葉を続けた。
「では話し合う前に、私から言う。
アレノーザから聞いたと思うが、この問題は由々(ゆゆ)しき事だ。
もちろん所有する要塞を減らしたという事は、それだけ兵士の数はいらないという事ではある。
しかしだ、問題は聖地諸国の兵士が果たしてアテに出来るのか?という事だ。
彼等は我々の代わりに要塞に入った。
全てを手放したわけではないが、彼等は聖地の防衛線の重要な部分を任された事を意味する。
そこを破られれば、いよいよ聖地諸国の滅亡……という事も有り得る。
聖地フォーザック王国軍はこれまで表立って戦争に出てはいない。
その為煌びやかで見目麗しい、見事な武具に身を纏い、現在その勇壮な姿で民衆から期待をされている。
使い込まれた鎧を身に纏う、聖騎士団とは大違いだ。
逆に言うと、彼等が本当に泥水をすすってでも戦えるかどうか私は疑問だ。
……戦場は決して綺麗な場所じゃない。
だから私は王国騎士団が要塞を任されても、そこが穴になるのでは?と疑っている。
聖地諸国の家臣達の軍は、良くも悪くも実力が未知数の軍勢なのだ。」
「では、総長はどうしたいとお考えで?」
この中では年長のドイドが、そう言って尋ねる。
するとデアメアは、堅い意思を言葉に込めて答えた。
「騎士ドイド、私は海外の荘園から兵士を募り、今と同じ規模の兵士を揃えるべきだと思う」
『…………』
総長のこの言葉に、幹部は全員黙った。
そして重たい空気の中、ニフラムが口を開く。
「蓄えをやりくりしたら、どれだけ持つのでしょう?」
すると筆頭書記官も兼務する、副総長のアレノーザが答えた。
「持って5年です」
それを聞いた二フラムは、能面の様な顔でデアメアに尋ねた。
「つまり総長……
この規模の動員を続けるのは、バルミーやテュルアク共が仕掛ける、現在の攻勢を頓挫させるまでの繋ぎなのでしょうか?」
すると総長は目の前の机の木目をじっと見ながら「いや、恒常的にだ……」と答えた。
その言葉に、再び黙る全員。
理由は言われなくても分かっていた。
戦争が5年で終わると誰も思ってないからだ。
情勢如何では再度、こちらから攻勢をかけて、陥落したオロスキー・グラデーガ・アルターと言った場所を取り返すのも目標になる。
だから敵がいま行っている攻勢の終了が、戦争の終わりではない。
むしろ新しい始まりと言って良い。
皆の頭にこの事が過ぎる中、それでも総長は口を開いた。
「維持するだけではいずれじり貧になる。
一度萎み始めた騎士団は、その後どんどんと萎んでしまうからだ。
いかなる手を使ってでも勢力を増やす手立てを考えなければ、騎士団は内向きとなり、やがては戦えない集団となり果てよう。
“無理だ!”と言うのは無しだ。
皆に考えて貰いたいのは、いかにして巻き返し、そしていかにしてこの経済的な苦境を脱するかだ。
それは必ずこの規模の軍勢の維持しながら、成し遂げなければならない。
そうでなければ反転攻勢のその日、率いる軍がなくなってしまう。
今日はその為に集まったのだ、意見を言って欲しい」
デアメアの言葉に、全員が黙った。
流れる重い沈黙、誰の頭の中にも“増税”の二文字が過ぎる。
どれだけの重税を荘園に課すのか……
はてまた諸侯、諸王の元を巡り、援助を引き出すのか……
どちらにしても気の進まない話をするべく口を開こうとしたとき、海外担当の副総長カメナが言った。
「私に良い考えがあります……」
思わず、全員がカメナの目を見た。
彼はその眼を見返し、息を呑みながらこう言った。
「提案を述べる前に、私の私見を述べます。
もし荘園に重税を掛けたら、農民達が反発しましょう。
そしてそれを抑えるために荘園に兵士を置いたら本末転倒です。
兵士や騎士は、聖地に送って欲しいのですから。
そして諸王や諸侯に寄付をお願いするのも難しいでしょう。
いかんせん先の戦争でオロスキー伯国・グラデーガ公国を失ったばかりです。
こういう時は向こうも、我々が活躍できるのかどうか疑って支援は断ります。
言い伝えがある様に、まさに悪い時は悪い事が重なる。
そこで、非常時ですから大胆な手を使うという事が必要になります」
「カメナ副総長、ソレは?」
そう言ってヴァンツェル騎士館の館長アイロンが尋ねた。
カメナは、他人の表情を窺いながら言った。
「ヴァンツェル・オストフィリア領内にある、アウベン川沿いの聖騎士団の荘園に、ヴァンツェルの物産をかき集めます。
そしてそれを……下流のエルワンダルに流すのです」
それを聞いたアイロンは目を見開いた。
「それは法律違反ではないか!」
「そうです、しかし聖騎士団の船はどこの国にも属していないため、調べられる事が無い。
エルワンダル戦争の結果、アウベン川を使った交易は廃れました。
ヴァンツェルは敵国となったエルワンダルに、帝国の物産を渡すことを禁じたからです。
しかし需要はある、香辛料に木材、木綿だってそうだし羊毛だって売れる。
結果ヴァンツェルではこれらの在庫が溢れ、値下がりして不況が続いてます。
逆にエルワンダルでは物不足で高騰しています。
……この状況下です。
もし我々がヴァンツェルの物資を、エルワンダルにこっそりと持って行ったら、聖騎士団財政の悩みなんか一瞬で解決します。
持って行ったものは必ず売れるのは間違いありません、需要はあるのですから。
利ザヤが出て、むしろ以前より収入が増えましょう。
それに帝国諸侯も、この在庫に苦しめられてます、これが捌ければ彼等からも感謝される。
今この“荷留め政策”を続けたがっているのは、皇帝唯お一人……
諸侯はきっと我々の活動に協力してくれる事でしょう」
それを聞いたアイロン、先程よりも小さな声で「しかし……」と言った。
しかし同じヴァンツェル人のカメナが言った。
「アイロン館長、我々は陛下にも王にも仕えていません。
我等は女神フィーリアに仕えています。
この事は女神フィーリアに背く事ではありません。
それにこの様な事は、反攻が成功して、オロスキー・グラデーガ・アルターが回復され、失われた荘園が戻れば辞めれば良い。
……今はこの軍を維持できるかどうかの重要な局面です。
それにエルワンダルでは騎士が逃げ出すので、荘園が手ごろな値段で売りに出されています。
その荘園に物資を隠し持っておき、こっそりと一部の商人に売れば、大きな事(事件等)は無いと思います。」
それを聞いた全員が、先程よりも悩みの大きな顔で呻いた。
しかしどう考えても、この案を下げれば援助を求めて行脚するか、増税するかしかないと思えた。
こうして広がる沈黙の空気。
……誰もが自分から口を開く事を躊躇う最中、もう一人の副総長アレノーザが口を開いた。
「カメナ副総長、もし発覚したら騎士団の名誉が終わる。
もしその場合は、あなたの独断でやった事にして貰いたいがよろしいか?」
するとカメナは迷いもなく答えた。
「勿論そのつもりです」
それを聞き、ふっと表情を柔らかくした他の幹部達。
この様子を見届けた総長デアメアは言った。
「やろう、それで女神の為に戦い続けられるなら、それも必要だろう」
こうして下された、不名誉な決断……
全員、しばらくの沈黙の後に『かしこまりました』と答えた。
こうして聖騎士団は、自ら持つ特権を悪用して商業に打って出る事を決めた。
このアウベン河の河川交易は、聖騎士団に莫大な利益をもたらした。
何せ競争相手のいない、規模の大きな交易である。
商人達は聖騎士団が提示する言い値で物を買わざるを得ない。
それでもこの商品を扱った方が、ヴァンツェル、エルワンダルそれぞれの商人は儲かるのだ。
こうして得たトレードの成功は、彼等の有り様、そして考え方までも少しずつ変えてしまう。
本来軍人は商人でも政治家でもない。
それなのに商業上の理由から、荘園の境界争いを活発にしたり、または荘園統治の目標設定を、トレードの結果に目安を置いたりした。
やがてこれが全て、聖騎士団の名前で行われるようになるのに、それほど時間は掛らなかった。
それを揉み消すために行われる、様々な賄賂もアウベン川流域沿いにばらまかれる。
聖地に居ただけでは分からないひずみが、この時からフィロリア内の聖騎士の所領で横行し始める。
……聖騎士団は、腐敗を始めたのだ。
ご覧いただきありがとうございます。
何時もは亀更新に、不定期投稿なので迷惑をかけてます。
ブックマーク、感想、評価お願いいたします。
皆様から頂けるポイントで心を支えて生きています。
それとレビューや、感想。特に感想でどんなシーンが面白かったのか過去の話の所でもいいので教えてください、参考にしたいと思ってます。
案外、気にせず書いちゃいな!と言う意見も多いのですが、そこはそれで……
読んでいただきありがとうございます、よろしくお願いいたします。




