幕間 ―欠け始めた月 3/4
とは言え、シャイアーレはこの話に対して新しい疑問も湧き、改めて質問をしてみる事にした。
「ラドバルムス、あなたの高潔な志は分かりました。
しかし分からないことができたのです。
聞いてもよろしいですか?」
「ええ、どうぞ……」
ラドバルムスは、少し冷めた目でシャイアーレを見据えながら質問を許した。
……ネガティブな感情や思いは、両思いになりやすい。
冷めたラドバルムスの目線に、それが少し映る。
「聖剣士はラドバルムスを殺せる、唯一の存在、聖剣ルシーラの力を引き出せる。
それが何故、その父親が恨みも憎しみも恐怖も無く、あなたの町に居るのです?」
シャイアーレのその言葉に、ラドバルムスは答えた。
「フトゥーレ、私は恐れを克服したのです」
「え?」
「ほんの数か月前ですよ……私は聖剣をこの世から消すために、ありとあらゆる手を打ちました。
この剣は私を殺す為に在りましたから。
ですが、聖剣士は若くして死の病に侵されていました。
強情で、素行が悪く、知恵も無い。
頼りとするはずの聖剣7友にも見限られ、孤独と苛立ちに満ちるあの剣士。
ただ素質と凶暴に長けていたあの若者……
私も彼の事は知っていました、彼を殺さないと自分が死ぬと思っていましたから。
私は7友も、聖剣士もこの世から消そうとしていたのです。
……私は恐怖に唆されていました、今にして思えば悪魔の声です。
そしてその声に従い、自分の節度を曲げてでも、彼等を追い詰め、そして殺そうとしていました。
本当に自分なのかと、今は思います」
「ラドバルムス、そんな事を聞きたいのではなく……」
「黙って聞きなさい!」
「…………」
「ところがある日私を訪ねる者がありました。
自分の命を差し出す、だからあの若者を助けて欲しいと……誰だと思います?」
シャイアーレはラドバルムスのこの調子に、イライラを募らせた。
しかし、相手の方が格は上だと割り切り、話を合わせて「誰です?」と聞く。
するとラドバルムスは嬉しそうに言った。
「フルゼーンですよ」
シャイアーレはこの名前を聞いて目を見開いた。
「あのフルゼーンですか?
と言うと、聖剣7友は全員あの男を見限った訳じゃ無かったのですね」
「そうですフルゼーンとイグニスだけは残りました。
私は歓喜しました、これで私が死ぬ事は無くなったのだと!
そして恐ろしい事に私は偽りを口にし……フルゼーンに彼の元へと案内させました。
殺すつもりだったのです。
粗末な部屋の中、食べる物もない中で、青年は寝ていました、弱しく、そして寂し気に……」
こうして続くラドバルムスの告白を聞きながら、シャイアーレは忍耐と言う単語の意味を思い返していた。
これだから老人の言葉は嫌いだと、別の頭で考えながら……
彼は要件に対して的確な返事をするつもりは無いのだ。
ラドバルムスは、あの日の自分を思い返しながら言葉を続けた。
「悪魔は私に、囁きました(殺せ、殺すんだ!気の遠くなる時間自分を苛んだ、聖剣を葬り去るのだ!この男を殺せっ)と。
次の瞬間、私は彼の手を取り言いました。
『安心しなさい、あなたの苦しみを私が助ける』
……自分でもこう言えたのが不思議で仕方がありませんでした」
そう言って涙を流した。
この様子に戸惑うシャイアーレ。
ラドバルムスは泣きながら微笑み、そして言葉を続けた。
「私は彼に自分こそがラドバルムスであると告げました。
そして驚き、恐怖した彼を見て、彼も私と同じで私の事を恐れていたと知ったのです」
シャイアーレは、ラドバルムスの言葉に耳を傾けつつ、居心地が悪いと感じた。
本能的に、目の前の男に対して劣等感を覚える。
目の前の男は美しく、率直な心を露にしていた。
そして欲にまみれ、力の信者である自分の心が見劣りするのを、その存在で自覚させる。
競っても居ないのに、負けている気持ち。
神官として自分の精神がラドバルムスよりも下劣な精神であると、突き付けられているようでならない。
……ラドバルムスを汚したい、お前も自分と同じ程度であると証明したいとの、欲望を胸に抱えた。
徐々に捻じ曲がっていく、シャイアーレの感情。
その心根に、ラドバルムスの言葉は容赦なく降り注ぐ。
「ああ、私達は同じだ、彼こそ同じ悪魔に唆されたもう一人の私だ。
だから正直に打ち明けました。
『聖剣士、私はあなたが怖かった……
この世でただ一人私を殺せるあなたをどれだけ恐れていたか……
でも、あなたは実際に私に何かをした事は無かった、ただ聖剣を持っていただけだった。
申し訳ない、私は恐れを捨てて、あなたと向き合うべきだった。
私はあなたを救いたい、そして本当の友人になりたい。
和解してもらえないだろうか?聖剣士殿』
すると彼は『助けて、下さるのですか?』と聞いた。
私は頷いた。彼は泣いていた……
私は、自分のすべきことは救済であって、迫害ではないと確信できました。
彼を救いたい!
これは神としてこの世に現れた自分の使命なのだと。
私は彼の“時間を止める術式”を整え、そしてその間にルクスディーヌに向かいました。
そして、星を占ったのです。
すると、とある孤児院にエリクシールとなれる、未熟な魂がある事を知りました。
そこでその孤児院を訪問しました。
そこには魂の救済に悩む、迷えるフィロリアンの若者が居ました。
エルワンダルで行われた戦争の生き残りだという彼……
彼は神に会い、仲間の魂が救われたのかどうかを知りたいと言います。
私はもちろんその声を聞く事が出来る、だけどそれでは彼を救う事は出来ません。
……彼は故郷に残した、思いを取り戻すまでは、きっと望んだ答えを出してくれる神を探すでしょう。
ですがその姿勢は疑いようのない善意から来るものであり、そして……本心から神を求めていました。
私は彼に賭けてみようと思いました。
きっと彼なら、世にも稀な力を持つ、あのエリクシールとなった後でも、世界に害をなすことはないであろう。
それに何より、多くの人を救うに違いない!
……そう思えたのです。
だから私は私の知りうることを彼に伝え、月の神殿の事、エリクサーの材料を私が持っている事を教えました。
こうして私はエリクシール誕生を見届け、今回のエリクサーを調達できたのです。
そして聖剣士の若者を救いました。
私は彼と友人になりました、そして彼は私の為に戦う事を約束し、アルターの町に来てくれたのです。
こうして私は悪魔の手先にならずに、恐怖を越えました。
自分の使命を、忘れずに済んだのです。
私は豊穣の神として、恥ずかしくない神で居続ける事ができました。
その結果、私は自尊心と確信、自分への自信、そして敵ではなく友を得る事が出来た。
素晴らしい経験を手に出来ました」
それを聞いてシャイアーレは、静かに頷いた。
……何故か、馬鹿にされていると思いながら。
シャイアーレは、コイツの鼻を明かしてやりたいと思いながら尋ねた。
「ラドバルムス、あなたの慈悲深さに感激しております。
故にあなたが聖剣を手にした事も、推察できました」
シャイアーレは辟易しながら、静かに微笑む。
その心を隠しながら……
とにかく知りたい事が知れたと思ったシャイアーレは「ありがとうございますラドバルムス、またご協力を得たいと思いますのでこれからも良しなに」と言った。
その後、彼女はそそくさとこの部屋を出て行く。
パタン……
静かな音を立てて締まる扉。
ラドバルムスはその様子を見て、いつもの様に穏やかで清潔感のある笑みを浮かべた。
そしてポツリと呟く。
「今捻じ曲がり、弱者を食い物にするばかりの邪悪な教えは、滅び行こう……
世界に隠れる闇も、な」
◇◇◇◇
―一年後。
^……あれから1年で聖戦、そして聖地は大きく変わっていった。
規模としては小さな戦闘であるルバデザルトの戦いは、あの後様々な波紋を聖地に投げかけた。
……そして聖戦は、この時から潮目が変わってしまうのである。
この様な背景がある聖竜暦1115年は、フィロリアンにとっては嘆きの年となった。
雨季が盛りを迎えた頃から、本格的に聖地諸国に対し、侵攻を始めたテュルアク帝国とバルミー。
そして同1115年の暮れ、オロスキー伯国、そしてグラデーガ公国は滅んだ。
この時はアルター伯国滅亡時の様な、悲惨な事は起こらず、伯爵や公爵と言った国主はみな戦力を保持して他国へと逃れている。
だがこれで聖地諸国は4つとなる。
こうしてフィロリアン達の衰退は、誰の目にも明らかとなった。
そしてこれは、聖騎士が弱体化した為であるとの、噂がまことしやかに流れる。
そしてそれと反比例して、聖フォーザック王国の正規軍の名声が日に日に上がっていった。
テュルアクの軍が、王国の正規軍が来たと知るや、撤退して行ったからだ。
傍から見ると、テュルアクの軍が、聖地フォーザック諸侯率いる正規軍を恐れるようだ。
この事実に、聖地フォーザック王国の民衆は、持ち合わせた希望を。この年活躍した正規軍に捧げる。
実際に1115年は、聖地フォーザック王国が失った領土は無かった。
……つまり聖地フォーザック王国諸侯はこの年、全ての戦線で無敗を誇ったのだ。
加えてヘラード公国に出した増援も、見事防衛に成功した。
しかもこっちは激戦を制しての、勝利である。
この一連の出来事は、聖地フォーザック王国諸侯の軍の評判を上げ、そして聖騎士達の評価を相対的に下げた。
このことに自信を深めた聖地フォーザック王国は国防を自らの手で行う事を決めた。
その為の財源として、聖地フォーザック王は聖騎士団に対してこれまで行っていた、一部の荘園の委託を終わらせた。
こうして荘園を減らした聖騎士団。
加えて、滅んだオロスキー伯国と、グラデーガ公国に在った自らの荘園も失った事で、たちまちの内に財政が悪化した。
この事が、聖騎士団を変えようとしている。
聖騎士団初代総長、クリオン・バルザックが聖騎士団に残した財政基盤は、武功を上げ自らの実力を誇示した事で得た寄進荘園を基にしている。
これは聖騎士団が最強であるという、評価がそれを可能にしていた。
ところがソレ(評価)が地に落ちると、大きなダメージを負うという、非常に脆い基礎の上にあった。
要は役に立たないと見られるや否や、そのお金は別の頼りになりそうな所に、流れるという事である。
その結果、騎士団の収支はこの年初めて大きな赤字を叩き出した。
戦争には多額なお金がかかる。
その為この様に悪化した収支では、早晩騎士団の規模を小さくするしかない。
だが戦争の決め手は質と量なのである。
動員する兵力を少なくさせれば、その戦争で不利になるのは避けられない。
この由々しき問題が話し合われるようになったのは、1116年の聖騎士団内の会合だった。
ご覧いただきありがとうございます。
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