フォー・ゲット・ミー・ノット(私を忘れないで) 5/9
―少し前ルバデザルトの町。
……夜明けの時刻。
ルバデザルトの町は、夜明けを告げる鶏が鳴くと、ソレを合図に夜の間閉ざされていた街門が開かれる。
なのでこの日も、街門を守る不寝の番の兵士は、鶏の鳴くのを待っていた。
実は、鶏が鳴けば交代なので帰れるのだ。
だから彼はその時を今か今かと待つ。
そしてそわそわしながら櫓の上から夜明けを見ようと、町の外に目を向けた。
彼が寒そうに肩を揺すりながら(そろそろ鶏が鳴く頃か……)と思っていると、見た事が無い光景をその眼で見る。
「……え?」
その日、人の背丈ほどの大岩を持って、一人の逞しい男が、壁の外からこちらにやってきた。
「おい、なんだあれ?」
思わず呆気にとられた不寝の番の兵士……
彼は、人間離れした岩を持つ男の様子を目にとめ、同僚に話しかける。
言われるがままに、その光景を見た同僚も「ええっ⁉」と言って驚く。
壁の外に居る男は、岩を頭上高く持ち上げると、ニヤリと笑って叫んだ。
「俺の名はバルドレ!
この地に俺の名を響かせに来た。受け取れっ!」
次の瞬間バルドレはこの岩を力強く街門に向けて放り投げる。
呆気にとられる兵士の前で岩は放物線を描いて飛び去り、そしてその街門に着弾する!
ドゴォォォォン!
木製の扉に聖甲銀で筋金を入れた街門は、この力任せの一撃で、木っ端微塵に吹き飛ぶ。
開かれた街門、町の中へ転がっていく大岩。その音に町は一瞬にして騒然となった。
次の瞬間、隠れていた騎馬兵が一斉に姿を見せ始める。
「ゆ、遊牧民だ……大変だ、略奪に来たぞ!」
兵士がそう叫んで櫓の下に降りようとした瞬間、飛んできた矢が正確にこの兵士の喉を貫通した。
倒れる兵士、それを合図に数百もの矢が一斉に馬上から街に放たれる。
カシュ、カシュッ、ヒュン、ヒュン……
一斉に響く弓弦の音、そして空気を切り裂いて飛ぶ無数の矢。
「ギャァァァッ!」
「痛い、イタイイィ」
負傷する民衆、そしてその中を遊牧民が侵入する。
「女子供は人質にしろ!
逆らうものは皆殺しだ!」
そう叫んで次々と至近距離から矢を放ち、そして剣で人々を切り刻む遊牧民。
朝の食事の時刻だった事もあって、火の手が到る所から上がる。
それがさらなる混乱を招き始めた。
その中を飛び出す武器を手にした町の男達、それらを次々と矢で射抜きながら、一人の老年の遊牧民が叫ぶ。
「中央だ、あそこに見える伯爵の屋敷を誰か襲撃しろ!」
……町の所有者である伯爵の屋敷には、名うての兵士が常駐している。
つまり町の入り口とは違い、略奪目標としては損害が出やすい標的なのだ。
そして伯爵の屋敷となれば、半ば要塞の様に堅固に作られているのが常である。
なので被害を受ける事を考え、威厳のある屋敷の姿に尻込む遊牧民の男達。
ところがそんな事に躊躇もせず、屋敷に向かって突進していく戦士達が居た。
……バルドレ達だ。
テュルアクの鎧に身を包み、トラシーナ、ヴィックを引き連れて、一目散に伯爵の屋敷めがけて駆けていくバルドレ達。
慌てて幾人かの遊牧民の男も、彼等について行った!
伯爵の屋敷に近づくと、流石に手練れの兵士が道を遮るようになる。
ところがそれをモノともしない3人は、鎧袖一触で、敵兵達を蹴散らす。
トラシーナの剣が閃き、ヴィックの槍が敵を貫く。
そしてバルドレのメイスが相手を、まるで安物の玩具の様に粉々(こなごな)にした。
その勇ましい様に、後方に控えていた仲間の遊牧民たちも感嘆の声を上げる。
そんなバルドレ達を阻もうと、槍を構えて立ち向かった戦士が現れた。
彼等は特別に雇われた伯爵家自慢の戦士だ。
明らかにこれまでよりも、雰囲気のある敵の出現にバルドレは嬉しそうに笑うと「邪魔だ!」と叫んで、武骨なメイスを片手に突っ込む。
一人が槍で遠くから突き。もう一人がその下腹部めがけて鋭い突きを踏み込んで放つ。
バルドレはその逞しい腕を右、左と払った。
槍はその瞬間折れ、驚愕した戦士の前に肉薄する。
ゴン、ボキッ!
兜ごと、人を一人粉砕するバルドレ。
槍を失ったもう一人の男が、腰の剣を抜いて脇腹めがけて突き入れる。
ドスッ!
戦士の手は、確かな手応えを感じていた。
だから彼は“殺った”と思った。
ところがバルドレは脇腹に刺さった剣を掴むと「残念だったな」と言って、ニンマリと自分を刺した剣士に笑う。
そして驚愕したその戦士の頭に、メイスを振り下ろす。
弾ける脳漿、飛び出る血しぶき……
「ぐうぉォォォォッぉおぉぉおぉぉ!」
二人を討ち取ったバルドレは、血の匂いに滾り、そして咆哮する。
彼はこの、滾った体をそのままに、伯爵家の扉に手を掛けた。
鍵のかかったこの扉、通常の力では開く筈も無い。
ところがバルドレは、その扉を力づくで押し開こうとした。
「ぐぬ、ぐぬぬうぬぬう……」
この無謀な行いに、バルドレの表情が苦しげに歪む。
膨れ上がっていく彼の筋肉。
踏ん張る足が地面にめり込み、そして扉が“ギシ、ギィ……”と、聞いた事も無い音で軋み始めた。
その中で青筋を立て、ますます巨大化していったバルドレの全身の筋肉。
やがて信じられないことに扉の蝶番の金具が弾かれるように飛んだ。
その様子に、扉の向こうから人々の悲鳴があがる。
こうしてますます内側に傾斜していく、屋敷の扉。
そして上がる諦めた人の「逃げろ!」と言う絶望した声。
次の瞬間扉は、いくつかの金具を弾き飛ばしながら屋敷の内側に倒れた!
ガッタァァァーン……
こうして無情にも壊れた、この屋敷の命綱。
「ふぅ、ふぅ、ふぅぅぅぅ……」
息を弾ませ、この家の最後の守りの要を打ち破ったバルドレ。
その彼の前に恐怖におびえ、今まさに逃げ出そうとしている兵士たちの姿があった。
……この時、バルドレは自分の指を見た。
指は実体を失う様に揺らぎ、そして薄くなっていく。
彼はこれを見ると「フン!」と荒く鼻息を吐き、そして後ろに振り替えると圧倒されて、沈黙していた仲間に目を向けてこう叫んだ。
「さぁ貴様ら、あとはより取り見取りだ!
この屋敷の財宝はお前らにくれてやる!
俺について来いッ」
その言葉を聞いて、遊牧民たちは魔法が解けた様に動き出す。
「ヤッホォォォォォ!
宝だ、宝の家だぁっ!」
彼等はこの屋敷に押し入って兵士を殺し、女を嬲り者にし、財宝を奪う。
そしてめぼしいモノをことごとく我が物にした。
バルドレはそんな無法者の中を悠々(ゆうゆう)と歩き、そして奥まったところにある部屋を目指した。
立派な調度品が飾られた部屋、立派な寝室。
彼はそこで鼻を“スン、スン”と鳴らすと「匂うな」と呻いた。
バルドレについてきたヴィックも又「間違いないです……」と言って、槍を手に中に入った。
彼は「どーこかなぁ?」と言いながら、踊るような足取りで歩き回り。槍の穂先で色々な所を刺す。
「あれ?ここかなぁ。
それともこっちかなぁ?」
ベッドの中、机の下、はてまた小さな花瓶の奥。
人間に化けているトラシーナは、この様子にゲラゲラ笑って言った。
「アハハ、花瓶に入る訳ないだろうが……
お前おちょくってんだろ?」
それを聞いたヴィックは面白そうに「えへへへ……」と笑って答える。
彼は次に、迷うことなくベッドの方に行った。
そして「ここはきっと違うだろうなぁ……」と言いながら、大きく振りかぶって、ベッドの下に槍を突き入れようとした!
「まて、待ってくれっ!」
次の瞬間ベッドの下からにょきッと人の手が出てきて、ヴィックの動きを止める。
「……出て行く、出て行くので少し待て」
そう言って、一人の壮年の男がベッドの下から這い出た。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息も荒げ、青ざめた唇でバルドレ達を見上げるこの壮年の男。
バルドレはそんな彼に言った。
「ブコヴィレス伯爵だな?」
「…………」
答えようとしなかったので、ヴィックが彼の足を刺そうと槍を持ち上げた!
「待ってくれ!そうだ、私がお前達の望みだ」
バルドレは眉をひそめて「俺の望みだぁ?」と呻く。
「私を捕まえて身代金を要求したいのだろう?
分かってる、大人しくお前の言う事を聞くから、酷い事はやめてくれ」
それを聞いたバルドレは、ヴィックとトラシーナの顔を見ると、顎で“コイツを連行しろ”と合図を送る。
それを聞きトラシーナが伯爵の腕を、後ろ手に回して捻じった。
その隣ではヴィックが槍を伯爵に突き付けて恫喝し、表へと連れて行く。
こうしてバルドレ達は伯爵を連れて、屋敷の前に在る、華美だった庭園に向かった。
きっと腕の良い庭師が何年も世話をしたのであろうその庭園は、今や見る影も無い。
そこに積まれていたのは、捕らえられ全てを奪われゆく死んだ目の女と、無造作に山と積まれた調度品。
そして価値も分からず管理の仕方も分からない、下卑た男達によって、センスも無く所狭しと並べられた美術品だった。
価値ある品々(しなじな)が林立し、今や物置と化した立派な庭園の中を、野蛮な男達の群れがはしゃいで踊る。
「いやぁっほぅ。これで俺も大金持ちだぜ!」
「たまんねぇなぁ、こんなイイ女をモノにできるなんてなぁ……」
俄かに“物持ち”となった男達の歓喜と、哄笑が響く貴族の住まい。
目を覆いたくなるほどの野蛮が、この全てを作り出した。
夜が明けるまでは、秩序と品が備わったこの場所、この町は、今や悲惨を詰め込んだ箱庭の様だ。
……これで火でも放たれていたら、この世の終わりとさして変わりはない。
「あんた、本当にすげえぇな!
見直したよ!」
「外国人でもこんなに凄い男がいるなんてな」
おこぼれにあずかり、金銀財宝や、泣きじゃくる女を手に入れた男達がそう言って、バルドレを讃える。
この略奪は彼無しで、ここまで短時間で、そしてここまで鮮やかにする事は出来なかっただろう。
「サリワール(サリワルディーヌ信者)にも勇者が居ると分かった、客人」
「あんたも存分に分け前を貰うと良い」
そう言ってバルドレを皆が讃える。
バルドレは誇らしげに笑い「おう、俺にかかればあんなもん軽いって事よ」と言って“ガハハハ”と笑った。
そんな彼らの元に、一人の老戦士が馬に跨ってやって来た。
この伯爵の屋敷を襲撃する様に命じた、あの老戦士だ。
彼は大勝利にも拘らず、機嫌も悪そうに目を吊り上げると、やって来るなりバルドレ達を叱った。
「えーい!いい加減にせぬか。
略奪品は一所に集めた後皆で分ける!
今はお前たちのモノではない!」
それを聞いた他の者たちが抗議の声を上げる。
「ちょっと待ってくれよ、俺達が戦ってコイツ等から切り取ったんだ。
最初から言われてたのならともかく、それをいきなり横から出てきて、取り上げる真似は無いと思いますぜ」
彼の言葉に『そうだそうだ!』と、ここに居る全員が頷く。
老戦士は苛立ちをその顔に浮かべながら、彼等に答えた。
「お前達だけが手柄を立てた訳じゃない!
他の連中だって町の到る所で今も交戦している。
だが略奪品はココよりめぼしいモノが無いのだ。
お前達が功績を無視してここの財貨を独り占めしたら、他の奴に分けられなくなる!」
この老戦士の言い分ももっともだと言える。
しかし、だからと言って人が、一度自分のモノをと思ったモノを取り上げられて納得がいくかと言えばそうはならない。
彼等は一斉にバルドレの顔を見て、次にこの老戦士に言った。
「老いた戦士のバキエフ。
だとしたらこの様に手柄大きい彼の略奪品も、認められないって言うんですか?」
此処で老戦士バキエフは、不愉快な思いも露にバルドレ達の顔を見た。
彼は「サリワールには別に報酬をやる、テュルアク人の様に分ける事は無い」と言った。
この言葉に、バルドレは眉をしかめ、ヴィックとトラシーナは驚いて目を合わす。
ご覧いただき誠にありがとうございます。
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